第3話禍々しい壺

「ふひー、どうして一年生の教室が三階にあるんでしょうなあ……」

「年寄りに優しいシステムになっているんだろう」


 二段下の階段で息切れしている進藤が文句を言っている。俺はもっともらしい理由を述べるが、先輩だったら後輩の模範となって、つらい目に遭ってほしいと思わなくもない。


「進藤くん、あと少しだから頑張ろう」

「ふひひ……僕も秋草殿みたいに運動するべきですかな……」


 今から運動しても間に合わなさそうな体型をしているが、小学校の頃は運動神経が良いほうだったから、すぐに痩せるかもしれない。


 進藤――進藤進しんどうしんはふくよかで視力に難のある、軽い小説と映像作品に造詣が深い男である。ま、端的に言えばデブでメガネでオタクな奴だ。典型的だが顔立ちがなかなか良いので、ぽっちゃり系が好きな女子からは人気がある。


「そう? なら私と一緒にボクシング部に入らない? 初めは軽い運動から始めて――」

「ふひい!? そ、それは勘弁願いたいですな! 僕にはアニ研がありますゆえに!」

「うーん、残念だなあ」


 悪気はないが余計なことを言う、爽やかで引き締まった肉体を持つ金髪のイケメンは秋草天だあきくさたかし。こいつはハーフで格好いいので女子から絶大の人気を誇るが、当人はプロテスタントだからと断っているらしい。なんてやつだ。


「ま、せめて階段で息切れしないようにならないとな。まだ一年近く昇らないといけないんだから」

「エレベーターの設置を要求すれば良かったですな……」

「馬鹿なことを抜かすな。ブルマとどっちが大事だ?」


 俺の問いに二人は声を揃えて「ブルマ!」と即答した。やはりいい男たちだ。

 一年生の教室が並んでいる廊下に到着すると「じゃあまた放課後」と秋草が自分のクラスである五組へ向かう。俺と進藤は三組だ。


「今日は部活中止だから、終わったら下駄箱のところで待ってるよ」

「俺たちもそうする。ほら、バテてないで行くぞ」

「はいぃ……」


 進藤を引きずるように自分のクラスに戻る――うん? 何やら騒がしいな。

 扉をがらがらと引いて開けると、俺たちと違った意味の問題児――野原勝利のはらまさとしがクラスメイトを壁に押し付けていた。暴力を振るっているらしく、クラスメイト――上岡だ――の顔に痣ができている。


「おいおい、何しているんだよ。暴力は良くないぜ……やめろよ」


 俺がやや大きな声で教室に入ると、遠巻きに見守っていたクラスメイトたちはほっとした顔になった。ま、野原を止められるのは俺か進藤か、今は五月の乱に抗議する意味で欠席している学級委員ぐらいしかいないから当然か。


「なんだぁ……? 馬鹿の大三角形の黒蓮寺ちゃんよぉ。俺に説教垂れる気か?」

「説教じゃねえよ。命令してんだ。やめろってな」


 俺が近づくと野原は「けっ。めんどうくせえ」と上岡を放した。乱雑な行為だったので、上岡は「うへえ!?」と悲鳴を上げた。


「ほう。素直に従ってくれるとは。随分分かるようになったじゃねえか」

「両手が塞がってると、てめえを殴れねえからな」

「勘弁してくれよ。これ以上問題を起こすと停学になっちまう」


 俺は一歩ずつ野原に近づく。野原もゆっくりと寄る。クラスメイトたちは俺たちから離れた。


「問題を起こす? まさか俺に勝てると思っているのか?」

「そこに気づく脳みそがあったとは思わなかったけどな」

「皮肉言ってんじゃねえよ、ハゲ!」

「ハゲてねえよ! 剃っているんだ、この馬鹿!」


 一触即発な空気が教室を漂う。

 俺たちの距離は互いの拳が届くまでに近づいていた。

 俺と野原が同時に構えた――ぱしゃんと水を横合いからかけられた。


「つ、冷てえ!? 何しやがる!」

「滝行を思い出すな……何すんだ進藤?」


 水をかけたのは進藤だった。いつの間にかバケツに水をいれて、俺たちにぶっかけやがった。

 進藤は「ふひひ、頭は冷えましたかな?」と笑った。


「御ふた方、ヒートアップし過ぎですぞ!」

「てめえ……!」

「お、野原殿。僕と戦うつもりですかな? タダではやられませんぞ!」


 ポケットから黒くて重厚な『スタンガン』を取り出す進藤。毎回思うんだが、どうやって手に入れてんだ?


「しかも今かけたのは塩水ですぞ! 電気はよく通りますな!」

「……それだと俺も危なくねえか?」

「黒蓮寺殿! 細かいことはいいんですな!」


 野原はしばらく進藤を睨んだ後、舌打ちして教室を出て行った。捨て台詞もなしに。

 俺は進藤に「びしょびしょになっちまったよ」と笑いかけた。


「安心してくだされ! 塩水ではありませんから!」

「ちょっと舐めたから分かるよ。ありがとうな、進藤」

「ふひひ、いいってことですな!」


 その後、クラスの女子がタオルを貸してくれて、上岡も大したことがないと分かり、俺は安心した。喧嘩、いや一方的な暴力の理由は特にないらしい。野原はただ、むしゃくしゃしていたのだろう。


 放課後。やっと乾いた俺は秋草と合流して進藤の家に向かった。

 進藤の家は三好市、いや県内でも古い歴史を持つ雀宮神社の裏手にある。神主ということでかなり裕福らしい。参拝とかお祓いとかで儲かっているのだろう。


 進藤の家に着くと、奴の母親の由紀さんがにこやかに出迎えてくれた。優しい美人で、どこかの資産家の令嬢だったという。

 俺と秋草が挨拶を終えると、由紀さんは「実はね……」と曇った顔になった。


「進ちゃん。今日お父さん休んでいるから、あまり騒がしくしないでね?」

「えっ? 父さん体調悪いのですか?」

「そうなの。まあ、いつも無口で顔色悪いけど……今日は特にね」


 進藤の父親である真治さんは無愛想で感情があるかどうか分からない人だが、体調を崩すところは見たことが無かった。

 由紀さんは看病すると進藤に言った。結婚して長いのに、二人は仲が良い……というより、何故か由紀さんは真治さんにぞっこんなのだ。あんなに無愛想なのに。不思議なこともあるものだ。


 仕方ないので今日は祝宴を俺の家でやることにした。秋草の家は孤児院だからあまり騒がしくするのは良くない。


 その前に進藤の言っていた珍しいものを見ることにした。雀宮神社に預けられたいわくつきの品々――名目は奉納だ――はオカルト染みていて面白いものが多かった。


「こちらですな。いやあ、やはり倉庫漁りは楽しいですな!」

「どこかに売ったりしてねえよな?」

「そんな罰当たりなこと、しませんよ!」


 俺たちは江戸時代からありそうな古い倉庫に入った。電気を点けて中を覗くと、そこにはいかがわしいものから凄まじいものがたくさんあった。


 十八人の首を刎ねた刀。死んだ女が腐るところを順々に描いた絵巻物。干物同然になった人魚の腕。それらが乱雑に置かれている。真治さんや由紀さんは整理とか苦手なようで、進藤に任せていた。


「それで、進藤くん。珍しいものって一体なんだい?」

「ふひひ。秋草殿、それは――この壺ですな」


 そう言って奥に仕舞ってあった桐の箱を開ける進藤。

 中に入っていたのは、平凡な見た目なのに、どこか禍々しさを感じる壺だった。

 赤褐色の素焼き。シンプルな紋様が表面に施されている。何故か厳重に蓋がされていた、ただそれだけなのに……


「なんだこりゃ。よく分からねえけど、見ているだけで気持ち悪くなるような……」

「黒蓮寺くんもですか? 私も同じように感じます……」

「えっと。お祖父さんが残した説明書きによりますと、これは弥生土器ですな」


 弥生土器ということは、下手したら二千年以上前のものになる。

 それがこんな完全な形で残るなんて……


「考古学者に渡したら喜ぶんじゃないかな」


 のん気そうに秋草は言うけど、買い手ならいくらでも出てきそうだ。

 俺は「中に何が入っているんだ?」とさらに質問した。


「用途は……元々人骨を納めていたらしいですが、今は別のモノが入っています」

「人骨……別のモノ……?」

「お祖父さんの説明書き曰く『鬼』が入っているそうです」


 鬼ねえ……神仏を信じる身としては、疑うのは良くないと思うが、どうも眉唾ものである。

 秋草もそう思うらしく「それ本当かな?」と言葉にした。


「本当ですぞ。お祖父さんの残した説明書きに載っているのですから」


 俺が何か言おうとした、そのときだった。


「う、わあああ!?」


 秋草が何気なく近寄ろうとしたとき、躓いてしまって、バランスを崩した。まるでドミノ倒しのように、俺と進藤を巻き込んで――倒れてしまった。


「痛ってえ……大丈夫か、二人とも」

「ソーリー。足に引っかかって……」


 秋草からは返事があったが、進藤からは返事がない。


「おい、進藤、どうしたんだ?」

「つ、壺が……」


 声が震えている。冷静な奴らしくない。

 秋草が小さく「あっ!?」と叫んだ。その方向を見ると……


「……やべえ」


 それしか呟けなかった。

 なんとあの弥生土器の壺が――割れてしまっていた。

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