本編 その3
あの
ドアをノックする音。返事をする前に問答無用でドアが開く。
「坊ちゃま手洗った? ならさっさと朝ご飯。それと午前中の『あれ』も忘れない」
そういえば朝食がまだだった。てきぱきと配膳される生野菜のサラダと、かつて焼きたてだったはずのパン。エーリッシュが用足しをしていたから冷めてしまったのはよくわかっている。
おかずは、薄い肉を焼いた上に卵を二つ焼いたのが載ってるもの。七日に一度はある朝食のメニューだ。
全てを食べ終わると、毎食摂っている欠かせない最後のもの。透明な容器に入った、赤いゼリー状の液体。彼は上にあるキャップをねじって外す。吸入口を口に咥え、ちゅーっと一気に飲み干す。
甘く感じてしょっとしょっぱい味。でも鉄さび似た香りのある、可もなく不可もなく、いつもの味。身体に必要な成分が入った飲み物で、摂りやすいように加工されているからとても便利だ。
「ほら、食べ終わった? 片付けしなきゃだから、もういいよね?」
エーリッシュが食べ終わるとせかすように片付けをし始めるミランダ。
いつもならこんなことはないのだろうが、今朝はちょっとしたハプニングがあったから仕方がない――。
↓↘→●
今朝の話。エーリッシュは起きてすぐ、ミランダが来る前、習慣のように自分の部屋の魔具に向かう。
彼の母親はこれに似た大きな姿見を持っている。それは同じ魔具師が作った逸品らしい。なんでも、『語りかけると鏡に映る姿を、満足いくまで褒めてくれる魔具』だという。ミランダがそう言ってた。
そのような魔具の収集癖がある母親だからか、万里眼鏡も手に入れたのだろう。趣味はあまりよろしくないかもしれないが、ミランダは欲しいって言ってた。『女性の考えはよくわからない』と、エーリッシュは思う。
この万里眼鏡は、彼らを映す鏡ではなく、ある指定された光景を投影する鏡。鏡の下には、赤黒い色の魔石があり、それが動力源になっていると聞く。
万里眼鏡自体が勝手に、動力となる大気中の魔力を勝手に取り込んでいるらしい。だからこの魔石に触れるだけで、これは起動する。
真っ黒な画面に、文字が現れる、同時に、とても丁寧な口調の女性声が聞こえてくる。おそらく、魔具に組み込まれた魔力回路が働いているんだろう。それ故にこれらのものは、魔具と呼ばれているそうだ。
誰が作ったのか、気持ち悪いほど優秀な万里眼鏡。起動すると、鏡の下側に、に青白く光る文字が順々に表示される。同時に聞こえてくる『彼女』の声。
「こんばんはご主人様。万里ちゃんです」
「いやいや朝だって。起きたばかりだから」
「わかっていますよ。ご主人様がちょっと困るだろうな? と思って言ってみただけですので」
「別に困ったりはしないんだけどさ」
「そうですか、それは残念です……」
最初のうちは、隣の部屋でミランダがいたずらしているのかと思った。けれどそれはあっさりと撤回される。ミランダがいるときにも、この万里眼鏡は動いてたからだ。
そのときミランダが万里眼鏡の声を聞いて、『この万里眼鏡、馴れ馴れしい。坊ちゃまに失礼だよ。こんなぼっちでも、王子様なんだからさ』と言ったことがあった。エーリッシュはすかさず、『ミランダのが失礼だよっ』って言い返した。
笑って誤魔化すミランダに『万里も、ぼっちは少々失礼かと思いますよ。ミランダさん』と突っ込みを入れることがあったからだ。
万里とミランダの間に、会話が成立していたから、エーリッシュはミランダがいたずらをしているわけではないと悟ったのだろう。
「ではご主人様。本日はどのようにいたしましょうか?」
万里の声と一緒に、鏡に表示される以下の文字。
【では、どれをご覧にいれましょうか?】
【1:人界を検索。『人の不幸は蜜の味』』】
【2:城下町をのぞき見。『領民の皆さんの、第七王子様への些細な陰口』】
【3:天界との壁『何も聞こえません。ただ白いだけ。物好きの変態さん用』】
こうしてお勧め表示で提案してくる。ひとつひとつ、
万里はミランダと同じ。エーリッシュの家族のような存在。だからこそこうして、朝から会話をする習慣があったのだろう。
「と・に・か・く。1番は何? 『人の不幸は蜜の味』って。2番もおかしいって。これって告げ口の機構でもあるの? 3番に至っては、変態さん用って……」
「さぁご主人様。どれにいたしましょう?」
万里はとにかくマイペース。エーリッシュ前に万里から聞いたことがある。そのときの会話はこんな感じだった――。
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