本編 その4
「『人の不幸は蜜の味って』何?」
そうエーリッシュは万里に問う。
「人界で今一番不幸のどん底に陥っている人を映し出します。映像を見て、優越感に浸っていただく試みでございます」
さらっと万里は答える。
エーリッシュは、どんなものかと思って一度見てみた。だがすぐに後悔することになる。凄く心が痛んだ。吐きそうになるくらい、嫌な気持ちになった。
「魔界にいる悪魔って、こんなのが好きなの?」
そうミランダに聞いた。すると万里は。
「そういう人も多いようですよ。皆さん、心に闇を持たれていますからね」
そうあっさりと応える。エーリッシュの背筋に冷たいものが流れたような気がしただろう。
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「あら? あのようなことがあったのですから、少々意地悪な設問だったかもしれません。ごめんなさい」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
「それとも他に何か、ご覧になりたいものがございますでしょうか? それでしたら、おっしゃってください。検索して、一番近いものを探してまいりますので」
エーリッシュは『悪魔だからって、そんなものが好きとは限らない』と思った。そしてすぐに『だった、逆のものを探させてやろう』。そう、万里を困らせようと思ったのだろう。
「それなら、一番心の優しい人。それを探して欲しい」
「これは難しい注文を……。私も万里ちゃんです。頑張って探して参ります。しばらくお待ちくださいまし――」
「『私も万里ちゃんです』って、『万里ちゃん』が根拠になるの? 何かの種族? それとも、存在としての矜持みたいなもの? まったくわけがわからないよ」
そうつぶやくエーリッシュ。万里がそう言うのだから、仕方なく待ってやることにした。ドアの向こうから、ミランダがクスクス笑う声が漏れてる。万里とエーリッシュのやりとりが聞こえているのだろう。
ややあって、万里が戻ってくる。
「お待たせいたしました。映像を開始いたします」
「うん。ありがとう」
とても素直なエーリッシュ。
「……数ある人界のひとつ。ある国で、下級貴族の家に、次女として生まれた十八歳の女性。名を、マリークレール・エマ・ワルグレット。彼女は今、明日のない絶望に向かって歩いているようです……」
おかしい。エーリッシュは、『不幸な人を探してくれ』とは言っていない。『一番心の優しい人を探して』と言ったはずだ。
「場所はおそらく、どこかの人界。雨の降りそうな、曇り空の下。男性二人に、後ろ手に枷を嵌められた状態で、両手を肘を引かれながら、一歩、また一歩と、何かの儀式のような足取りで、足をゆっくりと進めているようです」
万里は映像に映るものを、余すことなく感情の込められた声で語ってくれる。
「彼女は黒い髪が長く、毛玉になりそうなほどほつれた、長い時間手入れのされていないような感があります。目元には目隠しがされているのですが、口元には悲壮感が感じられません。それよりも、悔しいという気持ちが伝わってくるようです」
エーリッシュは、食い入るように。身を乗り出しながら、万里の映し出す映像に見入ってしまっている。
回りには数千を超える聴衆。はやし立てる声まで聞こえてきた。それは彼女の足音が聞こえないほどだ。
彼女の肩越しが映像の基準になる場所として設定されているだろうか? 丈夫な型枠から垂らされた、これまた丈夫なロープと思われるものが、わっか状にくくられているのが見えてくる。
「彼女の目を覆う布が湿りを帯び始めます。目元から流れている、涙のしずくを支えきれなくなったのでしょう。彼女の進行方向には、この人界で一番ポピュラーな死刑の方法である、絞首刑台に向かって歩いていると思われます」
「いやいや、おかしいでしょう? 僕は『一番心の優しい人』を探してって言ったはず。それを万里ちゃんも、探してくれたはずでしょう?」
そう言いながらも、エーリッシュは視線を外すことができなくなっていた。
「えぇ。ご主人様のご要望通り、数ある人界の中より「一番心の優しい人」を探してきました。彼女が、ご主人様のお求めになった方で間違いないかと思われます」
「おかしいって。だったら何で、こんなことになっているの? これじゃまるで、本で読んだ『処刑を待つ罪人』みたいじゃないのさ?」
エーリッシュが万里を問いただしているとき、部屋のドアがノックされた。彼の返事を待たずして、部屋に入ってくるミランダ。
「坊ちゃま。起きた? もうすぐ朝ご飯できるよ」
「あぁ、ミランダ。それどころじゃないんだよ」
「一体何が『それどころではない』のさ?」
万里眼鏡から目を離せないでいる僕を尻目に、ミランダは我関せずという感じに、お茶を配膳してくれる。いつもの良い香り。エーリッシュがよく飲むハーブティだ。
エーリッシュも緊張して喉が渇いてきたのだろう。彼ははカップを手に取り、お茶を一口。身体に染み渡る温かさが沁みてくるようだ。
「いやいやいや。落ち着いてる場合じゃないよ。ミランダ。これだよこれ。僕ね、万里ちゃんに『一番心の優しい人』を探してって言ったんだ。そしたら、中に映った女性がね、何やら窮地に追い込まれてるみたいなんだ」
「だからどうしたの坊ちゃま? 見た感じ、もう間もなくこの女の人生が終わるだけの話じゃない?」
淡々と感想を述べるミランダ。エーリッシュがミランダに
「これ、どうしたらいいんだろう? これって、今起きてることだよね?」
「はい。これは作られた映像ではありません。ご主人様のおっしゃる通り、現実に起きていることでございます」
「やっぱりそうなんだ……」
「坊ちゃま。どうしてもなんとかしたいなら。坊ちゃまが助けに行ったらいいじゃない。まぁ、あの女ひとり死んだからといって、人界の歴史が壊れるわけじゃない。もちろん坊ちゃまの今日の晩ご飯にも影響はないし。でも朝食に遅れたら二度と作らないけど」
何気にエーリッシュを煽るだけ煽るミランダ。
「それはそれで問題だけどさ……」
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