第2話 出会い

「海はなぁ、日によっても、時間帯によっても、全然表情が違うんだよ。わかるか?」

キャンバスに向かって、伯父は僕に言った。

いい加減、耳にたこができるくらい聞いている言葉ではあったが、僕は黙って頷く。

「だからな、何度描いても、海は描ききれないんだよ。描ききった、なんていう画家は、あんなのはウソっぱちだ。大物にはなれん。」

でも伯父さんも、大物になれてないよね。

心の中だけで言って、僕は海を眺めた。

ろくに仕事もしないで、売れない絵ばかり描いている伯父は、家族親族から嫌われていた。

その当時、僕はまだ幼稚園か小学生の低学年で、よくは分からなかったけれども、親戚中から借金をしていたらしい。

本来なら、本家の長男として家を支えなければならない立場にあったにもかかわらず、仕事もしない、結婚もしないで、伯父はほとんど、孤立していた。

僕も、両親や親戚の叔母達から、伯父と一緒にいてはいけないと、よく言われたものだ。

でも、ぼくはこの伯父が好きだった。

伯父の描く絵が好きだった。

だから、両親には内緒で、コッソリ伯父のアトリエを訪れたり、一緒に海について行ったりしたものだった。

子供心に、伯父の絵には何か心惹かれるものがあるような気がしていた。

それが何なのかは、僕にはまったく分からなかったけれども。

「ん?」

もう、肌寒くなってきた冬の始めだったように思う。

灰色がかった空から何かが落ちてきたような気がして、僕は波打ち際に駆け寄った。

「危ないぞ!足下気を付けろ!」

伯父の声を背中で受けながら、ズボンが濡れるのも構わずに、僕はジャブジャブと海の中に入った。

(なんだろう、あの白いの。)

何が落ちてきたのかなんて、全然見当もついていなかった。

ただ、何かとっても重大なもののような気がしていた。

「あっ」

足がギリギリ付くくらいまで進んだ僕は、その白っぽいものが人であることを認識した。でも、足の届かない海では、僕はどうする事もできない。振り向いて伯父に助けを求めようとした時、僕のすぐ隣を、伯父がバシャバシャと通り過ぎ、海に浮かんでいた白っぽい服の人を引き寄せた。

その時、僕ははっきりと見た。

その人の背中には、片方だけに大きな羽根が付いていた。


伯父はその人を背負ったまま、無言でアトリエに戻った。

僕は、伯父の描きかけのキャンバスを慌てて片づけて、やっぱりアトリエに向かった。

僕がアトリエに付くと、伯父は、ビショビショの服を着替えている所だった。

「お前も着替えろ。」

バサッと、タオルが頭の上から降ってくる。

首まで海に浸かった僕の服はずぶ濡れで、少しだけ寒気がした。

「あの人は?」

問いかけに、伯父が示した方向を見ると、いつも伯父が寝ているベッドに、さっきの白っぽい人が寝かされていた。

「あの人・・・死んでるの?」

「どうだろうな。」

「あの人・・・人間?」

「どうだろうな。」

伯父の、ダブダブの服に着替えながら、僕はおそるおそるベッドに近寄った。

【ごめんなさい。】

声が聞こえたような気がした。

伯父の声ではない。もちろん、僕の声である訳がない。

でも、アトリエにいるのは、伯父と僕と・・・・

「え?」

ベッドの人は、目を閉じたまま。

「誰?」

【ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・】

気づくと、すぐ隣に伯父が立っていて、じっとベッドの人を見つめていた。

「伯父さん、あのね」

「何を謝っているんだろうな。」

伯父にも、同じ【声】が聞こえていたのだろう。

そう呟いた伯父の横顔は、今までに見たことも無いほど、哀しそうな顔をしていた。

僕も、何故だか無性に哀しい気持ちになっていた。

その日、僕は結局、空から海に落ちてきた人の事が気になって、伯父の家に泊まり込んだ。

行き先も告げず、連絡も無しに帰ってこない息子を、両親は狂ったように捜し回ったらしい。

翌日家に帰った僕は、両親から大目玉をくらったようだった。

だった、というのは、正直僕にはその時の記憶が無い。

両親から聞いたところによると、その直後に、高熱を出して寝込んだという話だった。

当然の事ながら、伯父の家には出入り禁止をキツく言い渡され、ようやく僕が親の目を盗んで伯父のアトリエに行けたのは、何年も経ってから。

僕はもう、高校生になっていた。

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