第9話
落ちる落ちる落ちる────いや実際、落ちている……!
「攻撃は来ていませんね。無人機の調査によれば、飛び道具は有していないものの、独自の魔道文化がそれなりに発達しているとのことだったのですが……警戒しているのでしょうか? まあ普通に考えれば、アペイロン・メギストスの高度から落下すれば木っ端微塵、肉団子にすらなりきれないような酷いありさまになりますからね。ときにレント様、とても興味深い顔の動きをしていらっしゃいますが、わたくしの眼に搭載されたカメラで撮影しても宜しいでしょうか? ──沈黙は肯定とみなしましたので、もう撮影致しました。後でデッキに飾りましょうね」
テーセラは、自由落下のスピードでも普段より饒舌に喋り続ける。俺はというと、冷風のドライヤーを顔に浴びているような感覚で碌に息もできていない。きっと酷い顔をしているし、それをテーセラに撮られた。これで落下する夢の頻度とリアリティがまた上がりそうだ。
「そろそろ着地でございます。念のため、ライトソードを構えることも視野に置いてくださいませ」
一気に重力を感じ、俺は地面に足をつけた。亜熱帯のような生い茂る木立の中で、鳥の声が遠くから響いていた。湿度と気温の高さから、長袖長ズボンの格好が煩わしくなって袖を捲ろうとすると止められる。
「暑くってさあ」
「木々による裂傷や、有毒生物からの傷を受けるおそれがありますが……よろしいですか? 勿論その場合は治療致します。完治までの間に膿んだり痛みを感じたりすることに関しては自己責任でお願いしますね」
「やめておきます」
捲りかけていた袖を元に戻し、腰のライトソードに手を伸ばしながら辺りをきょろきょろと見渡す。見通しが悪いからか、上空からはあんなに目立っていた件の塔は見当たらず。木々の葉で薄暗いばかりの景色だった。
テーセラ、と声をかけようと振り返ると、静かにするようにと口に人差し指を当てており、視線が密林の奥へと移動する。それを追うように俺もテーセラの視線の先を見つめるが、何も見えない。
「おもてなし……のようでございますね。わたくしの後ろへ、レント様」
「えっ、ああ。うん」
おもてなしとは、物騒な意味だろうか。きっぱりと告げる声色から、なんとなくそうなんだろうなと思う。ライトソード──練習用のではなく、実戦用だ──のスイッチに手を置きながらテーセラの背後に隠れ、様子を伺った。
「この島に住まう方々であるとお見受けしました。我らは敵ではありません────少なくとも今は。古代ヒュペルメゲテス文明の遺構の探索のために降り立ったのです」
日本語だ。テーセラは敵ではありませんと言う割には、コンマ数秒で相手の首を落とし得る構えをしている。
言葉を聞いた相手方は、何故か日本語が通じたらしい。足音とは異なった音を立てて木陰から姿を現す。その全身が露になった時、俺は音の理由が分かった。
「結界が探知したと思えば稀人か。ふむ、古の遺跡を、探索する……?」
姿を現したのは、ラミアと呼ばれる下半身が蛇、上半身が人間になっている女性の集団だった。胸部だけを布で覆った露出度の高い格好をしており、全員が武装している。槍を持っている人もいれば、杖を持っている人もいた。その中のリーダーであるらしい一人が進み出て、テーセラの言葉に返答を寄越してきた。彼女が持っているのは杖、しかも殴打にはあまり役に立たなさそうな華美なものだ。それに結界という言葉。もしかして魔道の術を使える人なのか?
彼女の言葉には翻訳機が作動しない。そう、驚いたことに彼女の口から発せられた言葉は日本語だったのだ。イントネーションは俺の使うものと多少違うが、確かに聞き取れる。
「貴様ら、まさか『教会』の者か!?」
その言葉とともにこちらに杖が向けられる。周りのラミアさん達も得物の狙いを俺達に定めた。対話に応じる雰囲気だったのに、一転して剣呑なことになった。俺はテーセラの後ろで固まり、なるべく存在感を消そうと努力することしかできなかった。テーセラは落ち着き払って口を開く。
「『教会』でも『反古代文明連合』でもありません。寧ろその逆でございます。わたくしは古代ヒュペルメゲテス文明の作りし戦闘型自律機構、名をテーセラと申します。こちらはわたくしの主にして古代文明の継承者であらせられるレント様でございます。結界に探知された巨大な飛行物体は我らの住まいであるアペイロン・メギストス。信じていただけますか?」
元来胡散臭いテーセラの語り口で果たして信用してもらえるのかは怪しいところだったが、リーダーのラミアさんは注意深くテーセラの言葉に耳を傾けると頷いた。張り詰めたような空気が一瞬和らぐ。
「嘘、は言っていないようだな……。後ろの男、いや後ろの御方が継承者と、認めよう。──妾の名は、ウラカ。古の遺跡を守護する巫女長だ。先程の無礼な態度を謝罪する……」
真偽がわかるのも魔道の術だろうか。杖を下ろし、俺に奇異の眼差しが向けられるのを感じる。ウラカさんは「ついて来るがいい」と言って背を向け、他のラミアさん達を従えて森の中へ戻っていった。テーセラは依然として警戒を緩めていないものの、俺達はついて行くことにする。ここでも継承者として認められるということは、一箇所で認定されたら他でも通じるシステムなのだろうか。
「信じていただけたようで幸いです。ウラカ殿が話のわかる人で助かりました」
「──貴様。テーセラとか言ったか。貴様の言に偽りは感じられなかったが、あまり慣れ慣れしく話しかけるな。それにしても黒の髪に黒の瞳……。伝承通りの容姿だな。妾もレント様と呼んでよいか?」
ウラカさんもまた、テーセラのことを信用しきってはいないようだった。俺にはそれなりに親しく話しかけてくれているようではある。
伝承通りの容姿ということは、古代人も黒髪黒目だったのだろうか。日本人みたいな? 古代ギリシャっぽいと勝手に思っていた古代ヒュペルメゲテス文明への印象が、一気に日本のサブカルチャーに置き換わる。そういえば、みんな日本語を話しているし、召喚時の単位も日本準拠。地形は違うけど一日は二十四時間で、月の周期も同じだ。ここは地球なのかもしれないな。文明が滅びた後の世界……みたいな。
赤胴色の肌にウェーブの掛かった蜂蜜色の髪、瞳孔縦に切れた翠の眼を持つウラカさんは蛇の下半身を除いたとしても到底日本人には見えないけど。テーセラは人形みたいで、実際人間ではないから参考資料としては不十分か。
「様付けなくても大丈夫ですよ。俺もウラカさんって呼んでいいですか?」
「ではレント殿と。妾のことは好きに呼ぶといい。我々が今向かっている建造物は、貴殿らの目的地であろう遺跡だ。此処の浮島にある遺構は『テリオス・ウラノクシスティス』という。地上に見える塔の部分が地上階で、我々ラミア種族の巫女が暮らしている」
「なるほど。塔のように見えたのは間違いではなかったようですね」
遺構の名前は相変わらず無限に長くて覚えられそうにない。ラミアだと最初に思ったらやはりそうだったようで、銀色の塔のところに住んでいるらしかった。垂れ下がるシダの葉を屈んで避けながら、俺は疑問を口にした。
「地上階があるなら、地下もあるんですか?」
「然り。地下は第一階層、第二階層と続いていることは図面で示されている。然れども、地下階に進むには継承者の認証が必要なのだ。妾は言霊を聞き、貴殿の従者が偽りを申していないと判じた。レント殿が継承者だと信じたくはあるが、己の判断が間違っていないとも限らん。故に、先ずは地下階に立ち入る資格の有無を問わせてもらう」
「もし資格がなかったら……?」
「その時は継承者を騙ったとして、レント殿もそこな従者も処刑させていただく」
しょ、処刑!? 丁寧な対応をしてくれていたから勘違いをしていた。なんでもないことのように告げられた殺害予告に、思わず背筋がぞくりとする。同時に横に並んで歩くテーセラの殺気も膨れ上がったのを感じた。
「レント様が継承者ではないなどと。なんと荒唐無稽、有り得ない話でございますね。尤も『テリオス・ウラノクシスティス』が認めずとも『アペイロン・メギストス』の守護者はレント様こそが唯一の継承者だと認めておりますゆえ、我が主様には掠り傷ひとつ負わせずに巫女どもを鏖殺せしめてしんぜましょう」
「できるかな。多勢に無勢という言葉を知らぬとみえる」
「では、そちらは力量差もわからぬ愚か者といったところでしょうか」
上半身だけ捩じった体勢のウラカさんと、身長の高いウラカさんを見上げるテーセラの間で見えない花火が散る。お互い表情には一切出していないが、声の調子は半ば脅迫めいたものがあった。
言い合いを続ける二人を放っておきながらしばらく生い茂る樹木の道なき道を進むと、鏡張りのような銀の塔を発見することができた。俺は若干息を切らせながらも感嘆の声を上げる。塔の表面はどこまでも鏡でしかなく、一見ただの巨大なモニュメントにしか見えない。
「ウラカさん達はここに住んでるのか。入口とか一見なさそうだけど」
「案ずるな」
ウラカさんは勝手知ったる様子で、銀色のつるりとした壁面に手を翳した。すると、驚くべきことに鏡面に水の波紋のようなものが浮かび、それが段々と大きくなって……人一人が通れるくらいの穴が生成された。その穴にウラカさんや他のラミアさん達は入っていくので、俺達も穴が消えてしまう前に入ってしまおうと急いで飛び込んだ。テーセラが殿となって塔の内側に入った直後、その後方で壁が閉じる。
「城塞とか武器庫に似てるけど、やっぱりちょっと違う雰囲気の場所だな」
「そうでございますね」
三角形のトンネルを通り抜けながら俺は呟いた。トンネルも鏡張りに近い構造をしており、光源はブラックライトが担っていた。テーセラも興味なさげに振る舞ってはいるものの、虹彩がぐるぐると動いているところからして、おそらく撮影しているのだろう。
トンネルを抜けるとエントランスだった。吹き抜けのような空間の中央には石碑があり、日本語で文字が書かれていた。なになに?
──Hello Worldだ継承者、マジで全人類見ろ。クソデカ主語で申し訳ないんだが、これを読んでいる頃には俺達は滅んでいるだろう←オイ、嘘だよな……? しかし、この遺跡は多分不滅すぎるから平気だと思う。知らんけど。俺達の魂を継ぐ伝説の猛者(伝説の猛者 is 何)が現れたら、そこにあるチューブエレベーターの地下一階層ボタンを百回くらい押しまくれば指紋認証的なサムシングでいけると思うんだよな。知らんけど。
なんだこれは……。古代ヒュペルメゲテス文明は、高度な科学技術こそ発展したが、文章力の方はどうやらあまり、というか殆ど進歩しなかったらしい。チラシの裏にもこんなことは書かないというレベルのものだ。不本意にも少し元の世界が恋しくなってしまった自分がいる。
「やはり、読めるのだな。継承者ならば、そのボタンを押すだけで地下に行ける……か。我々も全員が試してはみたのだが、反応はなかった。ボタンが壊れているわけではなく、指紋認証とやらに合致しなかったのだろうな……」
エレベーターの下がるボタンを押し、扉が開いた時に 他のラミアさん達はいつの間にかいなくなっており、俺の周りにいるのはテーセラとウラカさんだけになっていた。二人はエレベーターの中に当然のように乗り込み、俺の次の動きを見守るとともに殺し合いの算段を付けていた。
指紋って一人ひとり違うものだし、合致しないのは当たり前では? と思ってしまうが。極めて限定的な言葉で俺が召喚されたように、該当者しか引っ掛からないようになっているのかもしれない。
共感性羞恥に片足突っ込んだ、よく言えば親近感のある石碑の文章に励まされた俺は、期待と殺意が充満する狭い空間の中で、おそるおそる下の階を指し示すボタンに手を伸ばした。
軽い感触とともに、ボタンが押された。
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