第3話

「上陸成功。さて、これからどうしよう」

「登りましょう」


 景色良好、天気良好。砂浜に上陸したのはいいものの、早速状況が詰んでいる。映画に出てくるような真っ白の崖が目の前に聳え立っていた。テーセラはなんでもないかのように登ると言っている。戦闘タイプというくらいだしできるのかもしれない。その場合、俺は取り残されることになりそうだけど。

 どうしたものかと腕を組んでいると、視界の端でテーセラが動いた。


「失礼します」

「えっ!?」


 素っ頓狂な声が出る。

 咄嗟のことで反応ができなかった。テーセラが俺の膝裏と背中を掬って抱え上げたようだ。人生初のお姫様抱っこというやつか。いやいや、どういう状況だよ?

 緊張していて体が固まり、全く状況が飲み込めない。間もなく、ぐっと負荷がかかる感覚があった。え、え。俺の感覚が間違いでなければ、テーセラが俺を抱えた状態で断崖絶壁を駆け上がっている。


「落ちる、落ちるって!」

「落ちませんのでご安心を」


 女の子と密着している……とかそういう問題ではない。落ちそうな感覚はないが、足が地面についていない状況で壁と垂直状態は怖いにもほどがある。首に余計な力が入りに入り、なるべく下を見ないようにしても嫌でも崖と遥か下の砂地が視界から出ていかない。


 もうすぐ登り終わります、との宣言の後ふわっと浮き上がった感覚があり、地面が草に変わったのを確認して俺は安堵の息を吐きだした。テーセラは息ひとつ乱さず、いつもの笑みを浮かべている。


「まだ何もしていないのに疲れた……」

「時刻は現在午後九時四十分。まだ一日は始まったばかりです。暫く歩くとこの先に街がありますので、もうひと息の辛抱ですよ」


 精神的には疲労困憊だが、体力的にはまだまだ大丈夫だ。異世界召喚の醍醐味を味わわなくてどうする。道を分かっているらしいテーセラについて行き、崖上に広がる草原を歩いていく。



「ほら、見えてきました。あちらです」

「おお……街だ!」


 指さす方角を見やると、遠くに黄色やオレンジ色をした家々の街並みが広がっていた。例えるならば南欧か。よくある異世界の都市とは違った雰囲気だ。崖から海に階段状に建物が連なっている。


「あの街はトリシステという都市国家です。貿易を主な産業とする共和制国家で、外国人の受け入れに寛容です。とはいえ、我らのような怪しい者は入国できるのかわかりませんね」

「それ平気?」

「検問はあまり厳しくありませんから、旅芸人の振りをすれば平気でしょう」

「そういうものなんだ……」


 計画性があるのかないのか。おそらくないんだろうけど。

 街に更に近付くと、一応壁に囲まれていることがわかる。門もあり、そこに門番が立っていた。検問というからもっと大仰なものだと思っていた。


「では、門番に話しかけます。あまりわたくしから離れませんように……」


 テーセラは前に進み出て、何事かを喋る。手に槍を持った門番は、俺たちを一瞥してまた何事かを返答した。

 ……見事なまでに何を言っているのかわからない。異世界補正などなかった。テーセラとエンネアが日本語で喋ってくれているだけだったようだ。


「翻訳機を」


 話の流れを理解していない俺を見かねてか、テーセラに耳の中にワイヤレスイヤホンのようなものを突っ込まれる。途端に周りの会話が聞き取れるようになった。


「お嬢さん、本当に旅芸人なのかい? 道具とか持っていないように見えるんだけど」

「わたくしの芸はこの身ひとつで平気です。ほら、このように」


 案の定不審がられていたテーセラは、その場で軽快に後ろ宙返りを決めてみせた。

スカートの中身が見えるっ……と思ったら、中には黒いスパッツを履いていた。門番も同じことを考えていたらしく、目が釘付けになっている。テーセラは勢いで押し切るつもりなのか、続けてブレイクダンスを始める。多才だ。


「見たことのない舞踊だ……いやあ、思わず見とれてしまったよ。少ないけど、これ。あと通っていいよ」

「お褒め頂き光栄です」


 通過できたばかりか、門番から貨幣のチップを貰った。俺はソーラン節くらいしか踊れないのだが、ついでに通過できた。いよいよ街である。


「なんだか感動するな」


 トリシステの街並みはカラフルだ。狭い石畳の道はぼこぼこしていて歩きにくく、それが異世界感を増している。住宅にはそれぞれ生活感があるし、すれ違う人も生きているんだと、当たり前のことなのに改めて納得してしまう。あ、猫がいた。


「レント様は食事を調達したいと仰っていました。先程入手した真鍮の貨幣で昼食分、あるいは種籾くらいは手に入りましょうが、どう致します」

「種からとなると、育てて俺の口に入るまでにかなり時間がかかりそうだからなぁ。食事にしたいけど、貴重な通貨を一回分の食事で消費していいのかと……俺としては、城塞内で食事の供給体制を作ってしまいたい」


 食事内容で考え込むとは、随分と贅沢な悩みだ。衣食住が保障されているからこそだろう。


「そうですねぇ、種籾からともなれば相当量が必要になりますし……ここはやはり、一度食事をされるのがよろしいかと。貨幣の入手が安定しない限りはなんともし難いですね」

「わかった。飯食うことにするよ。あそこの定食屋に入ろう」


 視界に入ったこじんまりとした定食屋に興味をひかれた俺は、テーセラとともに店内へ入った。店内は狭く、厨房と客席が近い。案内されることもなかったので、適当な席に座る。テーセラが厨房内に「わたくしの分は不要です」と話しかけた。


「テーセラは食べなくても平気なの? 城塞でも食事摂ってるようには見えなかった」

「わたくしは電力と、電力からさらに生み出される魔導エネルギーで稼働しております故、食事は不要でございます。食べられないというわけでもありませんが」


 電力ね。魔導エネルギーというのは初出語だな。俺を召喚した時の魔法陣がそうなのか? 魔道なる術、とテーセラが言っていたそれとは別物みたいだけど。

 不要であって、食べられないわけじゃないってことは……。


「アペイロン・メギストスでも食事が作れるようになったら、一緒に食べようよ」

「勿体ないお言葉で」


 でもエンネアが食べられないのか。埋め合わせを考えないと。そうやって喋っているうちに食事が運ばれて来た。

 メニューが見当たらないと思っていたら、そもそもそういう概念がなかったらしい。目の前にどんと木の皿に入った食事が置かれた。その場でテーセラが料金を支払う。

 入っている具材は魚介系か。なんだかわからない貝に、謎の葉野菜が入っている。匙で掬って口に運ぶ。


「食事の味がする。美味しい」


 約一日ぶりの普通の食事である。元の世界よりも大雑把な味付けで、オリーブオイルと塩の味が強い。あと磯の味も。謎の葉野菜は臭みを隠すための香草だったようだ。俺はもともと繊細な舌ではないので、こういうのでも充分美味しく感じる。貝や魚だったら、捕って干物や缶詰にすれば食事のレパートリーが広がるかもしれない。


「ごちそうさまでした」


 あっという間に食べ終わってしまった。食器を厨房に持っていこうとしたらテーセラに奪われて、代わりに戻しに行ってくれた。


「いいよ自分でやるから」

「そういうわけには参りません。これでも従者でございますから」


 そういえば従者だったな。下手に食い下がっても彼女の仕事を奪ってしまいそうなのでこれからは任せることにする。


「路銀が早速なくなりましたが、どういたしますか。レント様?」

「食事にしたらどうって言ったのテーセラじゃなかったっけ!?」

「記憶にございません」


 薄々感じていたことだけど、初対面からテーセラはどうにも慇懃無礼というか、微妙に性格が悪い。こちらの反応を窺って楽しんでいる節があるような気がする。悪意があるわけじゃなさそうなので、それもそれでいいか。


「腹一杯になったら眠くなってきたんだよな。リソース回収以外は予定に追われているわけでもないし、一旦戻ろうか。昨日テーセラが言ってた計画? だったかの摺り合わせをしよう」

「承知しました」


 勢いで街に繰り出してはいるものの、この世界のこともアペイロン・メギストスのことも、謎のどろどろ食料のフレーバーが何種類あるかすら把握していないのが現状である。

 テーセラとエンネアの二人が優秀すぎ、完全にお膳立てしてもらっているからというのもある。従者だというなら、主人として少しでも役に立ちたい。

 真面目な覚悟を決める俺に、テーセラは今日一番の笑顔で言い放った。


「往路の崖、復路では飛び降りることになりますが……よろしいですね?」

「飛び……? えっ」


 そっちの覚悟は決めていない。やっぱりちょっと意地悪だ。




 その後、人生二度目のお姫様抱っこをされた俺は、人力フリーフォール(テーセラは人間ではないが)によってひゅんひゅんする感覚を味わうことになるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る