第174話第 愛の形
向けられた銃口。その先には膝から崩れ落ちたフォルティナがいて、無防備な頭を晒している。
絶好のチャンスだ。マリを助けるためにはフォルティナが奪った肉体を取り戻すしかない。
カイが覚悟を決めた。
今まで殴ったり蹴ったりすることだって心にある何かが擦り減っていくような気がしていたのに、この引き金を引いてしまえばいよいよその何かを無くしてしまうだろう。
しかし、家族を助けるためには非情にもなると最初から決めていた。
もしこれが避けられない罪だとすればそれを背負っていく覚悟で。
強欲になるとは決めた。しかし、人と神という次元がわかれてしまった以上、今のカイにフォルティナをどうにかする手段はない―――フォルティナの存在を消す他以外は。
そんな震えた手で握られた銃口は当然小刻みに揺れている。しかし、決して外す距離ではない。
指をトリガーにかけていく。そして、引こうとしたその時だった―――ライナが現れたのは。
「ママをイジメちゃダメ!」という言葉とともに現れたライナの姿を見てカイは咄嗟にトリガーから指を離していく、そして所有者の意識が銃から離れたことでシルビアも人型へと戻っていった。
「パパ、これ以上はさせられません」
ライナと同じようにシルビアも立ち塞がった。
両腕を大きく伸ばして小さな体を精一杯大きく見せるように。
カイは今の状況やライナの姿を見て色んな感情が膨れ上がってきたが一先ず言うべきことは―――
「頼奈、無事で良かった」
この一言に尽きた。
あのフォルティナの様子からしてライナは無事に別の場所へと移されているとは思っていたが、実際に目にすることでよりその実感が湧くのだ。
そんなカイの言葉にライナも「ライナもパパに会えて嬉しい」と返してくれた。
しかし、決してフォルティナの前から離れることは無い。
この状況にはフォルティナとて困惑した表情だった。
カイは苦しそうに言葉をかけていく。これで納得してくれ、と。
「ライナ、万理―――ママを助けるためにはママの体を取り戻さなくちゃいけない。
このままじゃ頼奈はママとずっとさよならしなくちゃいけなくなる。
だけど、体さえ取り戻せれば頼奈はこれからもママと一緒に居れるんだ」
カイはズルい言葉だと思いながらも言った。これは頼奈の寂しさを利用した姑息な説得の言葉だ、と。
しかし、マリを取り戻すためにはライナを丸め込まなければいけない。
それがライナに一生憎まれることになろうとも。
実際、一番必要なのは母親の温もりだと思うから。
カイはしゃがみ込んで言おうとした気持ちを抑えた。これからする行動はこちらの勝手だ。
最悪、ライナが嫌がろうとも強行する意志を見せなければいけない。
そのためにはこちらの方が上だという圧も必要だ。
ライナは震えていた。手や足を見ればよく分かる。
しかし、それでも自分を大きく見せてから動くことは決してない。
カイから目を離すことも決してない。
カイは複雑な感情を抱いた。
ライナが自分の知らない間にたくましく成長していた嬉しさとこれから非道なことをしようとする自分に対してその成長が障害になっている悲しさの二つの感情で。
「頼奈、ママに会えなくなってもいいのか?」
カイは心苦しくなる。
本当にズルい言葉だ。子供に対して感情を引き合いに説得しようだなんて。
そんなことしか出来ない自分の無力さにあまりにも反吐が出る。
それでも、ライナには母親が必要だ。父親なんかよりもよっぽど。
なんせこの世界を親子で乗り越えてきたんだから。
肝心な時に近くに居なかった父親なんかよりも......。
ライナは顔を俯かせ、必死に拳を握る父親の姿を見た。
その複雑な感情はわからないけど、確かにパパがやりたくないことをやろうとしているのは分かる。
そして、その行動は自分がパパを嫌いになるような気がする。
パパを嫌いになりたくない。だから、止める。
「頼奈は......頼奈はパパに会えなくなるのも嫌!」
「っ!」
その言葉はカイの胸に刺さる。きっとどんな言葉よりも鋭く深く痛烈に。
カイは膝から崩れ落ちた。そして、尋ねる。どうして? と。
その姿を見たシルビアは「もう大丈夫だ」と思い、
「頼奈はパパとママ、それからシルビアちゃん、シロムお姉ちゃんや周りのお兄ちゃんお姉ちゃん達と一緒に遊びたい! 皆で笑っていたい!
だから、頼奈は絶対にパパを嫌いにならないし、嫌いにさせるようなパパの行動を止める権利がある!」
その言葉にカイは思わず笑みを浮かべた。もう、これはダメだな......と。
さらにライナは「それに」と続けて両腕を降ろして振り返るとフォルティナに抱きついて言葉を並べていった。
「
言葉はトゲトゲでも頼奈を抱きしめる時はとっても温かくて好きなんだ」
「......そっか」
頼奈の言葉にカイは静かに頷いた。
結局、自分はどこまでも親バカなのかもしれない。
自分の娘がこんなに嬉しそうにしている顔を止められるはずがない。
その一方で、頼奈に抱きつかれたフォルティナは未だに困惑していた。
なぜなら自分が頼奈に向けていた感情は所詮マリの人格に影響されたものでしかないと思ってたからだ。
だから、これまで向けていた愛情はあくまでマリの真似でしかない......はずだった。
しかし、ライナからすればそうではないらしい。
そのことがあまりにも意外で―――泣きたくなるほど嬉しかった。
フォルティナの目に涙が溢れていく。けれど、その涙は決して流してはいけない。
結局、カイがフォルティナを殺すという流れはライナによって消えた。
されど、彼女マリの肉体を奪っている事実というのは変わらない。
自分が望んでいる愛の形が自分によって邪魔されている。そんな道理があっていいはずがない。
ライナは自分が殺されるのを止めてくれた。だけど、これ以上このままというわけにはいかない。
これは自分に芽生えたマリの影響による母親という感情なのか。
どこまでもいつまでもライナに向けて愛情を注いでいきたい、成長した姿を見たい、これからも色んな楽しい思い出を作りたいと思ってしまう。
偽物の感情だと切り分けようにも決して切れることがない。
あぁ、だとすればこの子に向ける感情も本物なのだろう。
例え僅かな時間であっても、敵であってもこの胸に抱いたのは確かな親子の絆だったのだな。
フォルティナはライナをギュッと抱きしめていく。
その行動にライナは嬉しそうに反応して抱きしめ返していく。
小さな手が、大きな鼓動が、確かな温もりが全身で伝わってくる。忘れない、絶対に。
「愛しの夫よ」
フォルティナはカイに声をかける。そして、とても穏やかな表情で言った。
「後は頼んだぞ」
「っ!?」
フォルティナは自分からライナを引き離してカイへと押し付けると立ち上がり距離を取った。
その行動の意味を察したカイはライナをギュッと抱きしめ、自身もその最後を見ないように後ろへ振り向いていく。
ライナはその行動の意味が理解できなかったのかカイの膝上に乗せられるとそこから「パパ?」と呼びかけた。
しかし、カイが答えることは無かった。ただギュッと小刻みに震える手を抱きしめるだけ。
フォルティナはそんなカイの行動に安心した様子を見せるとそっと自分の右手を手刀に変えた。
あぁ、自分の計画は破綻もいいとこなのにどうしてこんなにも満たされた気持ちなのだろうか。
それはきっと自分が望んだ愛し愛されの形が経験できたからなのだろう。
好きな人がいて、好いてくれる人がいて、自分の命よりも大切な子供がいて......そうか、羨ましかったのはルナリスだけではなかったのか。
人間の営みという奴もまたその枠に入ってたのか。
負の感情を司る神としてはあまりにも清々しい気持ち。全く持って皮肉だろう。
だけど、そんな自分が酷く気持ちいい。こんな気持ちを抱えたまま死のうとするのは逃げだろうか。
なんにせよ、この戦いを仕掛けたものとしては相応の責任を取らなければいけない。
それが自分の都合で振り回した者達へと謝罪の一つとして。くっ、涙なんか流すなバカタレが。
フォルティナはシュッと自分の心臓に向けて手刀を突いていく。これで終わりだ、と。
「勝ち逃げは許しませんよ?」
その直後、フィルティナの手は誰かに止められた。
ふと視線を動かせばそこにいるのはルナリスだった。
「どうしてここに......?」
「シルビアちゃんと協力して私一人分のゲートを作って貰ったんです。それでここに。
それにあなたには随分と苦労をかけてしまったようですね」
フォルティナは思わずたじろぐ。
ルナリスが何もかもを知っているような口調をしているからだ。そして、彼女は知っている。
「フォルティナ、あなたの一部始終や心情は実は全て筒抜けだったんですよ?」
「なっ!? どうやって?」
「あなたの外側の姿は支配下にあるシルビアちゃんから。内側の姿はマリ様から。なんたってマリ様は私の分身体ですからね。
といっても、見れるようになったのは決戦間近の必要最低限の魔力が溜まったからなんですが」
ルナリスはそっとフォルティナの右手を降ろしていく。
見ないように後ろを向いているカイへと声をかけた。
「もう大丈夫ですよ、カイ様」
その言葉にフォルティナは振り返ってカイを見た。そして、その目に映ったのはカイの安堵した表情だった。
「良かった、間に合ったみたいだな」
「これは愛しの夫―――お主が仕組んだことか?」
その言葉にカイは首を横に振る。
「いや、俺は事後報告。これをしたのはシルビアさ。ただこの言葉を聞いた時はただ祈ったね。
まさに神頼みさ。あれ以上はもう俺の言葉なんて届きそうになかったからな」
「......確かにいくら言葉をかけられようと止まることは無かったな。それが我のケジメだから」
フォルティナはそう言いながらも嬉しそうに笑っていた。そして、ルナリスへと視線を向けると聞く。
「だが、このままにしておくわけにもいかないだろ?」
その言葉にルナリスは「そうですね」と答えていく。しかし、その表情は笑っていた。
「ただ、フォルティナがこうなってしまったことには私にも責任があります。
だから、ここから先は正と負のように二つの感情は共に管理していきたいと思っています。
分けていた仕事を一つにまとめるんですからその体はもう必要ないですよね?」
「っ!? そういうことか。だが、お主はそれでいいのか?」
ルナリスはその質問に答える前にフォルティナに近づくとそっと抱きしめる。そして、答えた。
「良いも悪いもありません。なぜなら、私達はもともと一つの存在。なら、あなたの罪も私の罪。
これからはより良い世界にするという意味でその罪を洗い流していきましょう。
幸い時間はいくらでもありますから」
「......そうか」
フォルティナは覚悟を決めるとルナリスからそっと離れ、カイの膝上にちょこんと座るライナへと近づいていった。
フォルティナはしゃがみ込むとそっとライナの頭を撫でていく。
「我が娘、否、ライナよ。恐らくもうこの姿で会うことはないだろう。
だが、我はいつまでも娘の成長を見届ける。じゃあね、愛してる」
「あっ」
ライナの頭から離れていくフォルティナの手を小さな両手伸ばして追っていく。しかし、決して届くことは無い。
ライナはフォルティナの最後を嫌がるように泣き始めた。
その甲高い泣き声はどこまでも響いていく。
その姿を見てフォルティナも思わず涙を流していく。
しかし、決して見せまいと背中を向けるばかり。
「フォルティナ、泣き止んでからにします?」
「いいや、名残惜しくなる前に頼む」
「......わかりました」
ルナリスはフォルティナをそっと抱きしめると彼女の体からルナリスとそっくりの黒髪をした女性が魔力体となって出現し、それはルナリスの体に吸収されていった。
そして、魂の無い肉体だけを抱きしめるルナリスは魔力体のマリを指先でひょいっと浮かすと肉体に入れていく。
「これで少しすれば起きると思います。さて、私は創造神の権能が戻ってきたのでこのまま地上界に起きている騒動を止めたいと思います。カイ様達は先にお帰りください」
「......わかった」
カイは泣き止まないライナを抱えるとシルビアと手を繋いでルナリスの開けたゲートに向かった。
そして、カイがゲートを踏み出そうとした時、ルナリスは彼に一言だけ告げる。
「ライナちゃんに伝言です。『ありがとう』だそうですよ」
「必ず伝えておく」
カイはゲートを入るとそのゲートはすぐさま閉じられた。
そして、天界では一人になったルナリスがそっと息を吐く。
「これで終わりですね。これ以上の無い最良の結果でした」
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