第173話 愛を誓う

 致命傷を負ったカイは地に伏せていた。いつぞやと同じ。もはや神の力などありはしない。

 血反吐を吐きながら見上げる先には左腕を押さえるフォルティナの姿がある。


 フォルティナも満身創痍だ。相手が器の夫であるとはいえ手加減した覚えなどない。

 しかし、魔法を封じられて権能を使うまでには追い込まれた。だが、ここまでだ。


「愛しの夫よ、これが最後の宣告だ。我のものとなれ。

 愛し合う者同士が互いに傷つけ合うなど誰が望む?

 もうここに決着は着いた。これ以上の傷を増やす必要はない」


 その言葉を聞いたカイは一瞬驚くがすぐに口角を緩めると体を丸めて立ち上がろうとする。

 ベトッと大量の鮮血が流れ、明らかに失血死してもおかしくない量だったがそれでも彼は死なない。死ぬわけにはいかない。


 カイの行動にフォルティナは動揺する。どうしてそこまで立ち上がろうとするのか、と。


「なぜだ? なぜそうまでして我の愛を拒む? この器はルナリスによって作られたものだ。

 そして、我とルナリスは同一人物。ならば、この器は我とも言えるものではないか!

 なぜ我の愛を受け入れてくれない!?」


 フォルティナの必死の叫びを聞きながらカイは何とか正座の姿勢まで立ち上がることが出来た。

 彼は上を見上げる。

 視界がぼやけ、聞こえる音もだいぶ遠く感じる。

 もはや気力で保ってるような意識だ。


 それでも彼は構わず立ち上がろうと腕に力を入れ、足を踏ん張らせる。それから、フォルティナの言葉に答えていった。


「言ってることがめちゃくちゃだぜ。

 お前の目的はルナリス様になり変わってこの世界を手中に収めることじゃなかったのか?

 邪神と呼ばれる必要悪ももうウンザリだってな」


「それは確かに変わっておらん。だが、優先順位が変わっただけだ。

 愛しの夫がいれば世界の掌握など容易い。だが、愛しの夫という存在は今ここにしかいない」


「なるほど、ね」


 カイはふらふらと千鳥足になりながらもなんとか立ち止まった。握りしめた刀と銃を構えて。


「そんなに愛してくれてるとは嬉しいに限る。だが、残念ながら俺達夫婦のケンカは俺が根負けするまで終わらねぇんだよ!」


 カイは走り出す。もはや力が入っているかもわからない足で。

 ボトボトと血が滴り、彼の足跡を残すように続いていく。


 フォルティナは苦虫を嚙み潰したように歯を食いしばった。

 どうして自分ばかりが邪神と蔑まれ疎まれ嫌煙されるのか。

 ただルナリスのようになってみたかっただけなのに。


 ルナリスの分身体彼女が認めた男はどこまでも自分を認めようとしてくれない。

 純粋無垢なる愛を向けようとはしてくれない。

 せっかく同じになれたと思ったのに。

 これで自分も幸せになれると思ったのに。


「この分からずや!」


 フォルティナは目に涙を浮かべながら迎え撃つように走り出した。

 その言葉はこれまでのどの言葉よりも感情が詰まっていた。


 カイは右手の刀を振り下ろしていく。しかし、疑似とはいえ神ではなくなったカイの攻撃はあまりにも遅い。


 フォルティナは半身になってカイの攻撃を避けると胸倉を掴んで頭突きした。

 その攻撃の衝撃でカイの頭は後ろに振れていく。

 しかし、カイとてそのままやられるわけにはいかない。


「悪いな、蹴るぞ!」


 カイは密着状態を利用して右ひざをフォルティナのわき腹へと入れてく。

 しかし、人間の美の究極体とも言える彼女の肉体が歪むことは無く常人が岩を蹴るように無力であった。むしろ、カイの方が痛いぐらいだ。


 フォルティナは胸倉を掴んだまま体を反転させるとカイを背負い投げした。

 カイの体は思いっきり雲の地面に叩きつけられて口から血を吐いていく。

 さらにフォルティナはカイに蹴りを入れようとしているので、彼は咄嗟に腕をクロスさせてガード。


 直撃したカイの左腕は盛大にひしゃげ、右腕にも大きくヒビが入り、体も思いっきり吹き飛ばされていく。


 数十メートルは軽く飛んでいき、地面に叩きつけられてからは数メートル地面に転がっていく。

 血の跡が点々と続きカイのもとでは血溜まりが出来始めていた。

 それでも生きているのは彼の<自己治癒>魔法によるおかげ。


 カイは立ち上がる。まだ、負けてない。負けてはいけない。大切な妻が帰って来てないから。


 フォルティナは腫れた目でカイを見つめた。

 口元はあまりの痛々しさに口元を歪めている。

 そして、唐突に言葉を吐きだした。


「病める時も、健やかなる時も」


 結婚式の誓約の際に神父が言う言葉だ。

 それを自らが口ずさみながらカイに歩いて近づいていく。


「富める時も、貧しき時も」


 カイとの距離が段々縮まる。

 フォルティナの左腕から滴る血が地面に残るカイの血に落ちて交わった。


「夫として愛し、敬い」


 フォルティナはカイの目の前に立ち止まると宣言した。


「慈しむと誓う」


 カイは上手く力が入らないのか未だに立ち上がれずに地面に体を伏せている。

 そんな彼にフォルティナはまだ生きていると知っているから聞いた。


「愛しの夫よ、誓ってはくれぬか?」


 それは懇願であった。今のフォルティナをカイが傷つけられる手段などもはやない。

 神と人。存在の次元が大きく異なってしまったからだ。


 ならばこそ、フォルティナにとってカイをどうすることも容易いはず。

 であれば、なぜそのような行動に取ったのか。

 それは彼女の憧れが影響しているだろう。


 フォルティナは常々思っていた。

 なぜ自分はルナリスと同一人物なのにこうも向けられる感情が違うのだろうかと。


 ルナリスから分離した時、自分の存在は必要悪であるとはなから理解していた。

 にもかかわらず、時が過ぎるたびに人間界の暮らしを見るたびに輝かしい光景ばかりが目に焼き付くようになった。


 ルナリスに向けられる称賛が羨ましい。

 ルナリスばかり幸せを享受して妬ましい。

 何もしてない自分を嫌う人間が恨めしい。


 そんな感情ばかりが自分を覆い尽くす。

 負の感情を操るのが自分と言う存在なのに、今やその感情によって飲み込まれてる。


 だから、自分の幸せのために世界を作り替えることにした。

 今度は一から自分がルナリスとなった世界を作り、もうこんな負の感情から解放されるのだ。


 どうせなら、人間同士が愛し合う過程もやってみようか。

 男の神でも作ってそれで......いや、それはもはや自分の分身ではなかろうか。


 自分が作り上げた自分好みの自分の性格した性別が変わっただけの自分を愛する? それはただの自己愛と変わらない。


 フォルティナは苦悩し続け、同時進行で進めていた世界を支配するための計画にてマリという存在に気付いた。


 最初こそ、マリをただの器と考えていたが、彼女の精神にある絶対的な揺るがぬ愛とそんな彼女が愛する夫にフォルティナは段々と興味が引かれていく。


 その興味はこの世界にカイが来たということでさらに強まり、マリとの肉体との同調率を上げている際もカイの動向はずっと見続けていた。


 カイの存在に嬉しくなり、活躍に心躍らせて、周りの女の子達に嫉妬し、フォルティナは確実にカイという男を愛するようになった。

 極めつけは彼とマリとの間にいる愛の結晶こどもだ。


 二人の娘であるライナに触れた瞬間、ふと感じたのだ。これは自分の娘だと。

 もちろん、カイに対する愛も娘に対する感情もマリの精神が大いに影響しているだろう。

 しかし、それでもフォルティナが求めていたものが確かにそこにあった。

 男女が互いを想い合い生まれる愛を。


 フォルティナはカイを見つめる。

 懇願なのは命令であってはいけないからだ。

 命令ではあくまで神と人だ。しかし、今の自分達は夫婦。

 カイとマリこの二人の間にはそんな主従は無かった。


「お、れは......」


 カイはピクッと指を動かして掠れた声を出しながら手に力を入れていく。

 動かない左腕の変わりに右腕に精一杯の力を入れて体を起こす。

 ベトベトなった血が広がり、滴り、それでも構わず体を丸めて上半身を起こした。


「病める時も......健やかなる時も......」


 カイは右手をひざにつけて鉛どころではない重さの足を無理やり立てていく。しかし、血の少なさでふらついてしまった。


 その時、フォルティナがカイの手を掴む。

 彼女の手は彼の血で真っ赤に染まったがそれでも離すことは無かった。


「富める時も......貧しい時も......」


 カイはその支えを利用して立ち上がった。生きているのがやっとというぐらいだ。


「妻として愛し、敬い、慈しむことを誓う」


「愛しの夫よ......」


 カイの誓いの言葉にフォルティナは思わず頬を綻ばせる。ようやくこの時が来た、と。

 しかし、カイの表情は少し悲しそうであった。

 カイは静かに告げる―――ごめん、と。


「万理に対してな」


「っ!?」


 カイは右手でフォルティナの背中を抱き寄せると突然彼女の唇を奪った。

 その瞬間、彼は<精神剥離>の魔法を発動させていく。


 絡めた舌から銀糸が伸びていくと同時に、フォルティナは数歩後ろに後ずさり自分を抱きしめるように腕を抱えて悶え始めた。


「あ、あぁぁぁっ! あぁぁぁあああぁぁあ!?」


 背中を丸めるフォルティナの肉体から透き通った何かが浮かび上がる。

 それはカイが最後に見たマリの姿であった。


 魔力体の彼女はフォルティナから分離するとまるで引き寄せられるようにカイの方へと移動していき、それからカイに抱きついていった。


 ここが天界であるせいか魔力体の肉体にもかかわらず感触を感じる。

 温もりは感じないがここにいるということはわかる。


「どう......して......?」


 依然として腕を抱えたままフォルティナはしゃがみ込み、酷く悲しそうな目でカイを見た。

 それはまさに愛する人に裏切られたような悲痛な表情で。


 カイはマリを静かに横で寝かせると決して話さなかった刀を銃へと変えてその銃口をフォルティナに向けた。

 そして、彼女の質問に答える。


「最初から言ったはずだ。俺は万理を助けると。家族のためなら俺は非情にでもなる」


「っ! そうか......」


 カイの言葉を聞いてフォルティナは諦めたように顔を俯かせる。

 そんな姿を見てカイは口元を歪ませた。


『パパ、手が震えてますよ。本気で撃つつもりですか?』


 これまでのやり取りを全て見てきたシルビアが突然カイに告げる。

 それはこれ以上は取り返しのつかないことになると言っているようなものであった。


『今のフォルティナ様にこれ以上の力の行使は出来ません。

 もはやこれ以上世界侵略を続けることは不可能でしょう。

 もう決着は着きました。これ以上は余計です』


『わかってる。わかってるさ。けど、万理が戻ったのはあくまで精神だけで肉体は依然としてフォルティナにあるんだ。このままだと万理は人間界に降りた時に消滅する』


『それは......』


 シルビアに返す言葉が見つからなかった。

 あくまでカイはマリを救うために必要な工程をしようとしているだけなのだ。

 彼が撃ちたくないのは手の震えからわかっていたではないか。


 しかし、それでも向けた銃口を下げられないのはそういった理由があるから。

 単にカイが恨みで暴走したわけではない。だからこそ、余計に質が悪い。


 カイはギリッと歯を食いしばり「ごめん」と謝るとグリップを握りトリガーに指をかけた。

 その時だった。


「お母さんに酷いことしちゃダメ!」


 フォルティナの前に両手を大きく開きながら彼女を庇おうとする小さな勇者が現れた。

 それはカイの命よりも大事な大切な娘であるライナであった。

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