エミル 3

 少女は、森の中にいた。

 長いこと泣いていたせいか、疲れていた。体を動かす気力も、ほとんどない。先ほどまで涼しく心地よかった夜風も、落ち込んだ気分のおかげで肌に厳しく刺さるようだった。

 足元に横たわる、少年を見下ろす。

 ——ほんとに死んでしまったの?

 人知れず、少女は呟いた。辺りには何者の影もない。

 すぐ傍に剣が落ちているのを見つけた。王都のものだろう。なぜここにあるのか訝しむが、すぐにどうでもよくなる。今は、彼が息をしていないことの方が重要だった。

 突然、谷底に突き落とされたような気持ちだった。そのせいか、森は真っ黒に見えた。頭上で無造作に伸びている枝は少女の悲しさを煽るかのように、それでいて、自然の無情さを知らしめるかのように、夜を飾り付けている。

 風はびゅうびゅうと、うるさく吹く。その風に引っ張られ、木々が鳴り出す。葉と葉が擦り合う荒々しい音が不快だった。

 目に見えるもの、耳に届くもの、肌で感じるもの——彼以外のすべてが、少女には不快で仕方なかった。

 少女は、少年の亡骸を抱えて村へ帰った。

 村の大人たちは取り乱していた。何があった、どうしてだ、と、まるで「お前がやったのか!?」と疑ってかかるような勢いで、村中から恐怖や悲嘆に染まった言葉が浴びせられた。やはり追い出すべきだった、と誰が言ったのかもわからない声さえ、はっきりと聞こえてきた。

 少年と仲の良かった採掘師は、すっかり意気消沈して黙り込み、村長は、その厳しい面に似合わない大粒の涙で顔を濡らしていた。他の者たちとは違い、ただ、沈黙を味方とするかのように、ひたすら口を閉じていた。


 夜が明けると、大人たちの顔からは影がなくなっていた。

 たった一晩のうちに何があったのだろう。少女は困惑した。昨晩はあれほど沈み込んだ空気を漂わせ、まともに話せないほど嗚咽していた者もいて、村全体が憂鬱な霧に包まれていたというのに。

 どうしようもない。とても残念だ。悲しいが忘れることにするんだ、いいね。

 大人たちは少女を宥めるように、順に声をかけていった。それを、少女は人形のような気持ちで聞いていた。

 物言わぬ人形——それは、胸元にぽっかりと穴が開いていて、中は深い絶望の一色だった。絶望の闇はとても大きく、やがて穴から溢れ出し、体中に巡っていく。真っ黒な人形が出来上がった。希望などない。明るい世界に見放された哀れな人形が、少女の心にはあった。

 村の大人たちのことは、それまで、同じように少年を大切に思っていたからこそ信じていたのに、皆、彼が死んだ途端に目を背けた。この事実から逃げ、向き合わなかった。あまつさえ、なかったことにしようと。

 そんな人間の弱さが、少女は嫌いだった。

 悲しいだとか悔しいだとか、理由にもならない感情を並べたて、自分の心を落ち着けることを優先していた。彼よりも自分のことを、だ。

 腹の底に熱が生まれた。その熱が、怒りなのか悲しみなのか、わからない。ただ、心が苦しくなる熱だった。熱は実体を持ち、少女を焼き殺さんとするばかりだった。熱い。体が熱かった。

 ふと、眩暈がした。頭痛もあった。

 視界に広がっていた景色が、瞬きの間に一変する。

 先ほどまで村にいた。はずなのに、今は違う。少女の気持ちとは反する、眩しいくらいに白く染まった空間にいた。正面には、村の大人たちが群れをなす獣のように重なって見えていたが、彼らの影はどこにもなかった。

 ——代わりに、少年の姿があった。

 こちらを向いて立っている。昨日、たしかに死んだはずの彼が、どうして。膝から崩れ落ちそうになる。

 次の瞬間、少女の体を温かい空気が包み込んだ。自室の寝床でくつろいでいる時のような安心感と、同時に眠気が襲ってきた。

 そして、やはり少年の気配があった。視線を動かす。彼に抱えられていた。住み慣れた家のような、そこにいることが当たり前のような、日常で感じるものに近い安らぎが少女を癒した。

 少年は何か話していた。口だけがぱくぱくと動き、音は聞き取れない。何と言っているのだろう。聞こうとして手を伸ばすと、目の前の世界が、ふっと元に戻った。

 見ると、再び、村にいた。大人たちもそこにいる。少年の姿は、なかった。

 少女はたった今、自分が予知の力を発現させたのだと気づいた。

 少年との再会の場面を。起こるべく未来の光景を。希望に満ちた新たな世界を。この目で見たのだ、と。

 それは、ほんの一瞬の景色だったにもかかわらず、満足感があった。

 必要なものは、何だろうか。未来の光景を実現させるためなら、なんでもやろう。謀略だろうと、隠蔽だろうと、殺人だろうと厭わない。彼との再会は、少女の中のあらゆるものごとを置き去りにして、優先的となってゆく。

 ——クラウンなら、叶えられるだろうか。

 少女の頭に考えがよぎる。たとえばクラウンに願えば、新たな世界を創造することができるのだろうか。

 絶望のない世界。二人だけの世界。真っ白な理想郷。そこならば彼を失うことはない。誰も悲しむことはない。やるしかない。そのために、村は必要なかった。彼の居場所は、もうここにはないのだから。大人たちの反応を見て、それを強く感じた。

 少女は幻滅をため息にし、村を去った。

 数日後、王都の城に保管されていたクラウンを見つけた少女が、世界の創造を願い、力を得たことで、未来のために過去を断とうと思い立ち、かつて少年と共に育った村を崩壊させるために戻るのだが、この時は、村の大人たちはおろか少女自身も知らない。

 村を囲う森を抜け、広大な大地を踏む。そういえば、初めて森から外に出ることになるな、と少女は思った。村の外には想像を絶するような素晴らしい世界が広がっているらしいよ、と興奮気味に語ってくれた彼の姿を思い出す。

 これが、そうなのか。それほど、おもしろいものではないな、と内心で拒絶する。

 少女にとって、「世界」とは単純なものだった。「彼がいるか、いないか」だ。彼のいない世界というのは、どれもこれも変わり映えがなく、とてもつまらない。

 目指す場所は決まっていた。王都だ。予知した場所は見覚えがあった。少女が生まれた時にいた場所の光景に似ていた。

 しかし、彼のためなら何でもしてやると決心したはずだったのに、不思議と足取りは重たかった。ような気がした。

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