エミル 2

 少女は、地下牢にいた。

 闇の深い牢の中を見て、息を吐く。いるはずの人間が、ここにいない。見回しても、影はどこにもなかった。

 おかしい。この牢に、器となる黒髪の少年を閉じ込めていたというのに。

 少女は、とある研究者に協力を求め、少年との再会を企てたことがあった。

 その研究者である彼女の本には、人間の魂についてのことが記されていた。おそらく、魂を操作する力を持った魔女を知っている者だろうと、少女は予想した。あるいは、契約したのかもしれないが。

 とにかく彼女に頼めば、少年をこの世界に蘇らせることができる。そう思った。かつて見た予知はそのためのものだったのだと確信さえした。

 異世界から、器となる黒髪の少年が、王都に現れる。それを予知した少女は、王様からの命令だと偽りの任務を与え、騎士団長に彼の捕獲を命じた。騎士団長である彼は訝しりながらも、期待通りのはたらきをした。任務を与えてから一日も経たないうちに、地下牢には器となる少年が囚われることとなる。

「あんた、頭がどうかしてんのか?」

 器となる少年は、少女から「あなたはもうすぐ死ぬことになる」と言われ、そして、計画を滔々と告げられると、負け惜しみでもなく、嫌悪でもなく、ただの感想として、そう言った。

 それが、少女は気に食わなかった。自分の置かれている状況がわかっているのかと、声を荒げたかった。

 思いとどまったのは、感情的になってはならないという誰かの声が聞こえた気がしたからだ。

 しかし、それでもやはり胸の内は晴れない。愛しの彼と再会できるまでは、いつまでも晴れない。

 少年の姿が消えたことを知り、少女は焦った。

 どこに消えた?どうやって逃げ出した?

 そもそも、計画はうまくいったのだろうか。器となる少年の体には、彼の魂が宿ったのだろうか。

 何もかもがわからない状況だった。地下牢には誰の姿もなく、また、研究者からの報告もない。何が起きたのか、理解できなかった。

 そんな時、とある魔女の名残を感じ取った。空間を飛び越える力を持った、魔女だ。

 少女は察した。なるほど、彼女が連れ出したのか、と。

 地下牢に捕らえていた少年が逃げ出しました。王宮魔術師という立場を利用し、少女は王様にそう告げた。しかし、王様は軽くあしらった。そんなことは後回しだ、と。彼からしてみれば、いつ捕らえていたのか、どんな囚人なのかもわからない。加えて、アークの街で、怪しい動きがあるという情報を聞き、騎士団を派遣しようかと作戦を練っていたところだった。

 そんなこと、とはなんだ。

 少女は憤りを覚えた。私は彼と会うために、ここまでやったというのに。二年という長い時をかけて王宮に尽くしてきたのも、本性を隠し、無断で騎士団を動かせる程度の地位を王宮内で築いてきたのも、すべては彼のためだった。

 計画は、最後の段階に突入している。王宮で管理されていたクラウンを見つけ、新たな世界の創造を願った。新しい世界が存在するためには、すでにあるこの世界は、邪魔だ。だから、世界を破壊する力を、クラウンから得た。すべての準備は整っていた。あとは、少年を見つけ出すだけだった。彼と再会するだけで、よかった。

 気づけば、王様が倒れていた。

 少女の足元に、ぐったりと力無く、死んでしまったかのように、倒れていた。確認したところ、王様は実際に死んでいた。私が殺してしまったのだ。少女は、自分の手のひらを、じっと見た。

 恐怖はなかった。後悔もなかった。少年を見つけるために、王様の死を利用できるのではないかと、狂気的な考えが生まれたほどだった。

 かくして、少年を王様殺しの罪で指名手配し、これで、計画はすべて順調に進むのだと、少女は思い込んでいた。


 ——少女は、昨日からずっと、この地下牢にいた。

 牢の中の闇に、一人で話しかけていた。少年との思い出を。自分の想いを。どれだけ苦労をしたか、どれだけ辛かったか、どれだけ待ち望んだかを、そこに存在しない少年に向かって語りかけていた。

 人の気配がしたのは、その時だった。地下牢へ続く階段のところに、誰かがいる。その人物は少女の独り言に気づいて、まるで自分のことを悟られまいとするかのように、すぐに駆けて行った。

 その気配には懐かしさがあった。まさか、と少女は後を追う。

 気配は、とある部屋の中へと消えていった。そこは、少女が王宮魔術師として王様から与えられた部屋だった。

 どうして、そこに?疑問が頭によぎった時、部屋の中から白い光が見えた。

 少女は慌てて、扉を開ける。光は収まっていた。なんてことない、いつもの部屋の景色だった。見間違いだったのか、と思う。

 ただ、妙な匂いがしたので見てみると、部屋の真ん中にある机の上に、皿が置かれていた。ナイフとフォークも、丁寧に揃えて置いてある。ついさっきまで、誰かがそこで食事でもしていたかのように皿は汚れていた。

 誰かが、部屋にいた。というより、先ほどの人影はどこに消えたのだと、少女は室内をくまなく探した。そして、あの魔女の名残を感じたので、少女は察する。

 誰が仕向けたのだろうか。

 ふと本棚にある、研究者の名が目に留まった。事情を知るのは、あの研究者しかいない。明日、彼女のもとを訪れてみよう。そう思った。

 少女は開けっ放しにしていた扉を閉め、窓際まで歩いた。

 外は晴天だった。反対に、少女の気持ちは晴れやかではない。それでもかまわず、空は明るく世界を覆っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る