ドロシー 6

「ほんとに、よかったの?」

 ボクが訊ねると、レオは、ちらと視線をこちらに向け、すぐに空を見上げた。月は雲に隠れ、星の輝きさえも見えない、真っ暗な夜だった。

「失ったものを取り戻そうとすれば、また悲劇が生まれてしまう。だから、これでいい」と、レオは呟く。ボクに対して、というより自分自身に、そう言い聞かせているようだった。

「これからどうするの?」

「アークの街の復興に協力しようと思う。それから後のことは、考えていない」

「王都に残らなくていいの?」

「ああ。俺がいても、混乱を招くだけだ」

「そっか」

 それもそうだ、と思った。レオは、レグルス騎士団の団長――レオニール・エレクストレアと顔が同じだ。アイナとヘクターをラボへ誘導した時はうまくいったけれど、そう何度も同じことが通じるとは思えない。いつかバレるに決まっている。

 かつての世界があったことを、悟られてはならない。せっかく彼らに、ボクの存在を忘れてもらったというのに。

「あ、クロムは?」

「彼女がどうした」

「キミのこと、気づくんじゃない?一時期、レグルス騎士団にいたんだ。団長である彼の顔を見ているはずだよ」

 現在は、レグルス騎士団の騎士——アイリスとして、アークに戻ってきている。

「問題ない。どうやら彼女は、俺と彼をはっきりと見分けることができるようだ。それでも初めは驚いていたが。だから、それとなく誤魔化そうかと思っていたが、結局、必要なかった」

「どういうこと?」

「その必要はない、と言われた。理由は聞かなかったが」

「ふーん、変わってるね」

 キミたち二人とも、と言いかけて、やめた。

 人間というのは、変わっている。彼らからしてみれば、ボクたち魔女こそ、おかしな生き物だと思うかもしれないけれど、おそらく、世界的に見ると——つまり、クラウンや世界側の存在に言わせれば、人間が一番変わっている。

 欲望のためにすべてを投げ打ってでも行動するという覚悟があるかと思いきや、いざとなれば目的と共に自分さえも見失ったり、また、他人のために自らの命なんて惜しくはないと言い出したり、そして時には、世界の平和のためにと豪語し、自分の存在意義を見つけようとする。

 なんて愉快なんだろう。ボクに欲望があったとすれば、きっとそれは「人間になりたい」というものだろう。

「クラウンはどうする?ボクが持っていようか?」

「そうしてくれるとありがたい。できるだけ、人の手の届かない場所に」

「もちろんだよ」

 ボクは、けらけらと笑った。レオも、ふっと息を洩らし、口元を緩めた。彼の笑った顔を見たのは、これが初めてだった。

「それじゃ、いこっか」

 ボクは、隣に立っていた少女に向けて言った。少女は何が何だか、という顔で、それでも言葉は発さず、ボクを静かに見つめていた。

 桃色の髪と瞳は、物静かな彼女の性格とは似合わない。手には大きな本を抱えている。この世界の歴史、出来事、あらゆる記憶が記された彼女の大切な書物だ。

 彼女もまた、魔女だった。

 レオとアイシャ――彼ら以外の人間の記憶から、ボクという存在を消すようにクラウンに願った結果、生まれた魔女だ。


 ボクは、ぱちんと指を鳴らした。

 足元に巨大な魔法陣が浮かび、白い光が辺りに漂い始めた。

 これで、ほんとのお別れだ。

 ボクが言うと、レオは寂しくなるな、と呟いた。実際にそんなことを言ったのかは、わからない。そうだね、といつもの調子で、返事をした。

 体が光に包まれていく。視界が真っ白に覆われていく。

 ボクはそっと、目を閉じた。

 次に目を開けた時、ボクはどこにいるのだろうか。そこは、どんな世界なのだろうか。

 楽しみだなあ。内心で踊り出しそうなほどうきうきしながら、ボクは呟く。実際、心が弾むような思いだった。

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