ドロシー 4

「つまり、王都の崩壊は起きないということか?」

 アイシャが驚いたような顔をつくってみせた。ただし、あくまで驚いたような、だ。本心かはわからない。

 前に会った時とは違い、幼い少女の体をしていたのでおかしかったけど、なるほど、マーベラスの力で蘇ったのかと思った。以前、このラボを訪れた際には、ラプラスに襲われ、殺されていたはずだ。それも十日ほど前のことだけど。

「うん。ユウトの言っていたことが本当ならね」

 視線を目の前のアイシャから、ベッドで横たわるユウトへと移した。

 右手には大事そうに銃を握って眠っている。マーベラスに頼み、特別に用意してもらったものらしい。彼の魂が弾として込められているという。

 その代償としてか、彼は眠りについてしまった。すでに何日か経っているらしいが、未だ目覚める気配はないという。このラボが、ラプラスに嗅ぎつけられるようなことがなければいいけど、と思う。

「ラプラスの予知は夢に関与しないんだ。そもそも本人の意識がない時に、魔女の力は扱えない。それだけ体に馴染んでいれば話は別だけど、ただ魔女と契約して力を得ただけの人間には、まず無理だろうね」

「彼は、ただ夢を見ただけということか」

 アイシャは長い袖をだらんと垂らし、頭をぽりぽりと掻いた。

「でもそれだと、いよいよわからないな。ユウトは夢の中で、崩壊した王都の街を見たと言っていた。夢は過去の経験をもとにして形成される。ただの夢だというのなら、彼が見た光景は何だったんだろう」

 彼女に真実を伝えていいものか。ボクは少しだけ迷った。

 しかし、すぐに改めることになる。

 ユウトの見た夢を知るのが彼女だけなら、このまま黙っておこうかとも考えた。でも、アイシャ一人しか知らないのなら、だからこそ、アイシャ一人にだけ真実を告げてもいいのではと思った。そんな気まぐれ以外に、特にこれといった理由はないのだけれど。

「きっとユーリの経験なんだよ、それは」

「ユーリ?」

 アイシャは、はてと首を傾げ、斜め上の方を見た。

「ああ、いつか君が言っていた地下牢の少年か。なるほど。ユウトの体はユーリという少年のものだからね。記憶は魂に書き込まれるものだ。しかし時に、体に刻まれることもある。こないだ、ユウトにその話をしたばかりだった。自分でうっかり忘れていたよ」

 自嘲気味に、ははと笑い、しんと黙る。じっとボクを見ていた。ボクが何と続けるか、わかっているようだった。

「うん。ユーリの記憶だとしても、おかしな話だよね。王都の街が崩壊する光景を見ただなんて」

 アイシャは黙したまま、頷く。

「……これから話すことは、すべて真実だ。もちろん、ボクの言葉をどう受け取るかはキミ次第なんだけど、キミに限って、この世界の可能性として、戯言だとぞんざいに扱うことはしないだろうとボクは思っている。ただ、一つ約束してほしい」

「何を?」

「誰にも伝えるな。このことを知る人間はこの世界でキミだけになる。この世界の代表として、ボクはキミに告げることを選んだんだからさ。どうか失望させないでくれよ」

 アイシャは胸を刺されたように表情を一瞬、強張らせてみせたけど、すぐにいつもの調子に戻り、「ああ、いいとも」と言った。

 その言葉に偽りはないのだろうか。そんなことをいちいち吟味するほど、ボクも真面目じゃなかった。




 ――――




「お疲れ様。いやあ助かったよ」

 店から出てきたレオを、人気のない路地裏に呼び寄せ、ボクは言った。

「で、どうだった?」

「うまくいった。これから彼らは、アイシャのラボを目指すことだろう」

 レオが通りの方を見ながら、言う。

「それはよかった。いざ彼らを前にすると、さすがのキミでも戸惑うかと思ってたんだけど、そうでもないみたいだね」

「……いや、戸惑いはした。アイナもヘクターも、あちらの世界ではすでに死んでいる。最期に言葉を交わしたのさえ、いつだか思い出せない。そんな彼らが、俺の前で生きているのだからな」

 そっか、とボクは言い、それ以上、何も続けなかった。

 冷たい風が、ひゅうと音を鳴らして吹いた。静まり返った路地裏は、生き物の居場所などないのだと言われているような気分になるほど、森閑としていた。

 さて、それじゃあボクもラボに向かうとしようかな、と両手を頭上に回し、体を伸ばす。ユウトはまだ目覚めていないようだけど、それならそれで手を打つ必要がある。

 ラプラスの動向を探る中で、わかったことがあった。

 彼女はユウトと再会するために手段を選んでいないし、それこそ王様を殺したりもしている。さらに、ユウトと会うことが叶えば、この世界を巻き込んだ何かを企てている様子だった。それを止めることは難しいのかもしれない。だから王都の騎士にも協力を仰ごうということだった。

 もちろん、全員にではない。信頼のおける者たち、特にレオが選んだアイナとヘクターの二人には、ユウトとラプラスのことを、そして彼女が何をしようとしているかということを伝えようと考えていた。

 彼らにはまず、アイシャのラボに向かってもらう。それから、本当のことを話す。そのつもりだった。

 せっかくクラウンを手に入れたのだから、ここからは慎重にいこう。そう言い出したのは、レオだった。

 まずはこの世界のことを終わらせる。ラプラスの野望を止め、アークの問題を解決し、すべてが終わってから、クラウンの使い方を考えることにする、と。彼と決めたことだった。

 もちろん、魔女であるボクに願いなんてないし、そこはレオの言う通りにはするのだけれど、実際のところ彼はクラウンの力を使うのかどうか、ボクにはわからなかった。

 元々は、レグルスの野望とユートピアの力によって破壊されたかつての世界を取り戻すことが目的だった。そのために世界を飛び越えてきたわけだし、結果的にだけど、ユーリも犠牲になってしまった。

 しかし、レオには迷いがあるように見えた。かつての世界を取り戻すということは、つまり、今度はこの世界を破壊するということになる。そして、その苦しみや哀しみの重圧は全部レオに届けられるのだ。

 そんなこと耐えられない。そう思ったのかもしれない。彼はこのまま、この世界で生きていくことを望んでいるような気がして不思議でならなかった。ここまできたというのに、後悔はないのだろうか。

「そういえば、アイナが気になることを言っていた」

 レオが呟くように言ったので、ボクは顔を近づける。

「気になること?」

 レオと、目が合った。

「俺とドロシーが城にある例の部屋に入るところを、ヘクターが見ていたらしい」

 レオが言った例の部屋とは、王様殺しの事件が起き、そしてボクたちが、クラウンを見つけた部屋のことだ。

 ——昨日、ボクはレオと共に王都の城に忍び込んだ。ラプラスの行動から推測して、その部屋に何かがあるだろうと思ったからだ。そんなボクの予感は当たっていた。その存在を知られぬよう隠されるようにして、クラウンはあった。

 その時の行動を目撃されていたらしい。迂闊だったかなとは思う。

 ヘクターはどう考えただろうか。彼はボクのことは知らないけれど、レオは騎士団長であるレオニールと容姿がそっくりだ。レオニールに確認を取り、辻褄が合わないことに違和感を抱き、ではあの時見た彼は誰だったのか、共にいたのは何者だったのかと疑いの念を抱くはずだ。

 だとすれば、彼らはどう動く?決まっている。まずはボクの正体を探ることだろう。特にアイナは一度、ボクと会っている。そのことに気づくかどうか。

 しかし、気づいたとして、それから彼女がどうするかは想像がつかない。地下牢からユウトを連れ出したあの夜もなぜかボクに手を貸してくれたし、王都の騎士とは姿ばかりに腹の底に何を隠しているのか、真に何を望んでいるのか、わかりにくい少女だからだ。

 幸いなことに、これから彼女らはラボへ向かう。そこでボクが相手をし、なんとか誤魔化せたらいいのだけれど。

 それとも、やはり彼らにも真実を告げるべきなのだろうか。迷う。迷ううちに、うむむと唸り声が洩れる。らしくないな、と思う。なんだか最近、ボクはとても、らしくない。

「それよりも、ドロシー」

 名を呼ばれ、顔を上げる。

「何?」

「伝えておかなければならないことがある」

「アイナたちのこと?」

「いや、アークに現れた不審人物のことだ」

 レオが低い調子の声で言い、ボクはアークの街を、あの生気も感情も死んだような暗い世界を、思い浮かべた。

 ——アークの街は、数日前、機械生命体を操り人々を脅し、実質的に街を支配していた男が消えたことにより、初めてボクたちが訪れた時に比べ、何もかもが変わろうとしていた。

 街の人たちは皆、やる気に満ち溢れていた。活力が漲っていた。そして、これはおかしなことなのだけれど、機械生命体たちが、中でも人間たちと意思疎通のできるクロムという少女がスラムに現れ、自分たちがアルフレッドという男に支配されていたことを説明、命令とはいえ行ってしまった非道の数々を謝罪し、人間たちとの共存を求めたという。

 初めは警戒していたスラムの人々だったが、クロムの心に嘘偽りの念がないことを読み取ったレオが仲介に入って説得したことや、その後、なんとか街を復興させようと努める機械たちを見て、加えて時の流れも助けになったのかもしれない、心を開いていき、今では距離が縮まりつつあるとのことだ。彼ららしい寛大な心は尚も顕在だったようだ。

 そんなアークの街に、不穏な空気が漂い始めたらしい。

 レオの顔つきが険しくなる。ボクたちが相手にしているのとはまた違った問題が起ころうとしている。そんな予感がした。

「近頃、機械生命体の中に、様子のおかしいものがいた。活動中、途端に動かなくなったかと思えば、どこかへ向かって歩いていく。何かを求めているかのように、ただまっすぐに」

「故障したんじゃなくて?彼ら、いくら不眠不休で活動できるとはいえ、限度はあると思うよ」

「それはわからない。だから調査をしてみた。すると昨晩、時計塔の中に怪しい人影を見た。俺はその相手に気づかれないよう、時計塔に潜入したんだ」

「何があったの?」

「レイラがいた」

「レイラ?」

 誰?と、聞かずともいい。きっとかつての世界でのレオの知り合いなのだろう。

「元騎士の女だ。手に負えない性格をしていて、そのうち自ら騎士団を抜けた。そんな彼女が時計塔の中で多くの機械生命体たちを集めていた。何を始めるのだろうと見ていれば、制御装置を操作して彼女に従うようにし、命令を与えていた。明日、王都レグルスに攻め込むぞ、と」

「機械生命体の群れが、王都に進軍してくるってこと?」

「おそらく、な」

 暗闇に溶けるような声で、レオは言った。

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