アイナ 15
——つまり、ユウトがエミルを撃った、ということらしい。
かしゃんと音がして、ユウトの手から銃が落ちる。
一見、外傷はないようだった。が、エミルはふらついて前のめりになった。
それを、ユウトが抱きかかえる。そのまましゃがみ、エミルの体をそっと床に横たわらせた。それから、何かを呼びかけていた。
彼がどんな人間なのか。そして実際のところ、エミルとはどういった間柄だったのかは、アイシャの話を聞いた上での想像でしかなかったのだけれど、先ほど、彼と言葉を交わしてみて、感じたことがあった。
彼は心優しい人間だ。
「善」か「悪」か、どちらかで表すのであれば、間違いなく「善」に部類される人間であり、たとえそんな指標がなくとも、彼の行いはすべて世界のためになるのだと思わせるほどの正しさや誠実さのようなものが、彼の纏う空気にはあった。
だから、心配をかけてごめんだとか、自分のためにありがとうだとか、そういった言葉をかけているのだと思った。
別れの言葉を、交わしているのだろう。なぜだか、そんな気がした。もう彼らが一緒にいられることはないのだと直感した。
きっと他愛もない、でも心温まる、和やかなやり取りをしているに違いない。最期だから。
言いたいことだけ。言えなかったことだけ。それから——
果たして、エミルは、どうなったのだろうか。
ユウトの体の陰に隠れ、ここからだと顔が見えない。けど、不思議とすべてが終わったような感覚があった。
エミルのしてきたことが、私たちの追いかけてきたものが、ここで、あの銃声と共に消えた。彼女の夢見た世界は、終わりを迎えたのだと悟った。
「さて」
ドロシーがぱん、と手を叩いたので、私は彼女の方を見た。
「キミたちは、これからどうするの?」
「どうするって……」
どうするのだろう。自分に問いかける。返事は、ない。
目を瞑った。次に目を開けた時、そこには父がいて、アイリスがいて、なんだ夢を見ていたのかと、安心したかった。
もちろん、なんてことはあるはずもなく。目を開けると、やっぱり王宮にいて、ドロシーは私の言葉を待つようにして、佇んでいる。その奥には、ユウトたちの姿がある。夢じゃない、か。
「もし、キミたちさえよければなんだけどさ」
ドロシーが、言う。その目には何が映っているのか、すでに私たちのことなんて見ていなくて、もっと先の——未来の世界を眺めているかのような輝きがあった。
「後のことは任せてほしい」
「任せるって、何を?」
「世界のことだよ。まあ、うまくやるから」
うまくやるとは、何をどうするつもりなのだろうか。
ユウトのことを?エミルのことを?それとも、彼女が起こした一連の事件のことを?
理解できない。理解しようとするには圧倒的に情報が足らない。また、取り残されている気分だった。
しかし、それならそれで、いいかもしれないな、と思いつつあった。
私の役目は、ここで終わりだ。やるべきことをやり、それがたとえ世界を救う直接的な行いではなかったとしても、いいのかもしれない。
あらゆることに関わりを持ち、すべて自分が何とかしなくては、と思う必要はないのだ。父や兄さんなら、あるいは——けど私には、そんな器量も力もない。今回、それをよく思い知った。
父の死を告げられ、絶望し、地下牢の少年の脱獄を助け、罪悪感に呑まれて、それでも前を向いてきた。騎士とは何か。正義とは何か。世界の平和とは?私は何を望んでいるのか?——この数日で、多くのことを考え、迷い、やっと答えを見つけた。気がした。
私は私と向き合って、一つ気づいたことがある。今まで気づかないふりをしていたのだと思う。けれど、もうやめた。自分の気持ちに正直になるんだ。
「私、無理してたんだなあ」
そんな声が、どこからか聞こえた。一人で呟いたのかもしれない。
正真正銘、私を正当化するための私。他でもないアイナの声で、そう言ったのだ。つまり、私であることに変わりはない。だからきっと、本音だったのだろう。ぼんやりとそんなことを考えた。
父を尊敬しているのは本当だ。ただ、幼い頃の憧れを使命感と履き違え、正義の道を往く自分を夢見ていた。その夢を現実のものとしたくて、やっぱり、無理をしていたんだと思う。
疲労感に包まれていた。真っ白な王宮の中に、黒い影ができていく。
違う。瞼が重たくなっているだけだ。眠たくなってきた。そういえば、もう朝なんだ。
足がもつれ、数歩、後退する。とん、と背中に何かが当たった。振り返る。ヘクターがいた。隣には、兄さんの姿も。二人とも、レイラやエミルと向かい合っていた時とは違って、優しい顔をしていた。だから私も顔の筋肉が緩んだ。かもしれない。わからない。眠い。
「お疲れ様。僕たちは、もう帰ろうか」
ヘクターが言う。くらり、と目眩がした。
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