ユウト 15

「おお、やっと起きたか。おはよう。私が誰だか、わかるかい?」

 のそり、と体を起こすと、傍に少女の姿があった。幼くも大人びた態度、捕食者のような目、身に纏うぶかぶかの白衣。どれも見覚えがあった。

「アイシャ……」

 呟くと、その少女――アイシャは、にやりと笑った。

「ふむ、無事に記憶も保てているみたいだね」

 高い声を上げるアイシャの横で、俺はそっと目を閉じた。記憶を遡る。

 アークの街でジークさんの死を見届けた後、クロムと別れ、ラボに戻ってきた。

 それから、アイシャに話を聞いた。俺が二年前に死んでいたこと。ユーリの体を器とし、再び生を得たこと。そして、その黒幕が、エミルであることを。

 そうだ、エミルだ。目を開く。

 辺りを見回す。ラボの奥にある部屋の中だった。マーベラスがアイシャの体に魂を入れるところを見届けた、あの場所だ。入り口辺りには、それらしい設備やら機械やらが置かれているものの、隅にはベッドが一つだけがあるだけの小さな部屋だった。そのベッドの上で、寝ていた。

「あれから、どれくらい経ったの?」

「十日か……いや、もっとかな」

 忘れてしまったよ、とアイシャは言った。眠っている間に、それだけの時間が流れていたとは驚きだった。

 視線を手元に落とすと、銃があった。マーベラスと契約した者だけが使用できる、魔女さえも殺せる例の銃だ。マーベラスに頼み、無理を言って用意してもらったものだった。

「マーベラスは?」

 ベッドから降りると、アイシャが手を伸ばしてきた。

「ああ、今は静かにしておいた方がいい。お客さんが来てるから」

「お客さん?」

 足音を立てずに移動し、そっと扉を開ける。

 研究室に、マーベラスの姿があった。誰かと向かい合って話をしている。相手は誰なのだろう。壁の陰に隠れていて、見えにくい。

「あ」

 思わず声を出してしまい、相手がこちらに目を向けてきた。しかし、すかさずマーベラスが体を寄せ、その相手から注意を引いた。それは自然を装ってはいたものの、明らかに奥の部屋の存在を悟らせないようにするためとわかる動きだった。

 相手は訝しりながらも、すぐに興味を失ったようで、マーベラスの方に戻った。

「彼らってまさか……」

「うん。レグルス騎士団の騎士たちだよ」

 二人の騎士が、いた。優しそうな青年と、気の強そうな少女だった。

「どうしてここに?」

「まあ、何というか、色々と手は打っておこうと思ってね。もし君が目覚めなければ、彼らに頼もうと思っていたから」

「頼むって、何を?」

「それは――」

「エミルのことだよ」

 部屋の暗がりから、アイシャのではない、もちろん、マーベラスのものでもない、少女の声が聞こえた。姿は見えなかったけれど、それが誰なのかはわかった。

 懐かしい感覚がした。

「ドロシー」

「やあ、久しぶりだね、ユウト。元気にしてた?」

 大きな三角帽子を頭に被りローブを身に纏った、少女が現れた。

 ドロシーだ。彼女とはリフナ村で別れて以来だった。

 帽子を脱ぎ、ふふ、と笑う。妖艶な、と言うには若すぎる。かと言って、幼稚というわけではなく余裕のある顔をしている。得意げにほくそ笑む、彼女らしさ全開の表情だった。

「どうして戻ってきたの?」

 もう会えないものだとばかり思っていたので、意外だった。

「キミが眠っている間に、エミルの動向を探っていたんだよ。いつかキミが目覚めた時に、力になれるかと思って。アイシャたちにも協力してもらってさ」

 聞きながら、まだ寝ぼけているのか、何が何だかといった状態だった。

 ドロシーの視線が、俺の手に持つ銃に向く。つられて俺も銃を見下ろした。

 マーベラスに頼んで用意してもらった銃には、俺の魂が弾としてこめられている。らしい。本来、マーベラスと契約した者でなければ、この銃を扱うことはできないのだが、使用する者の魂を用いた場合は例外であるとのことだ。文字通り、命懸けの一撃ではあるものの、おかげで、ラプラスと契約している俺にも使うことができるようになっていた。そう、無理を言ってお願いしたからだ。代償は大きく、長いこと眠っていたみたいだけれど。

「ユウトの魂を使ったところで、何か特別な力が宿ることはないのです。しかし、相手がラプラスというのであれば、話は変わってくるのです」

 どうにか銃を使えるようにしてくれないか。頼んだ時、マーベラスはそう説明をくれた。

「ユウトの魂と密接に結びついている者――つまり、ユウトと契約しているラプラスであれば、効果があるはずなのです」

 確証はないようだが、マーベラスは言い切った。

 俺はその言葉を信じてみることにした。もし銃を撃ったとして、その弾に効果がなければ無駄死ということになる。だが、恐れている場合じゃない。事態は深刻になっている。そんな気がしていた。

 その時がくれば、やるしかない。迷っているだけの時間はないのだから。心の中で、呟く。覚悟はできているのだから。

「――ねえドロシー、訊きたいことがあるんだ。知っているなら、本当のことを教えてほしい」

 銃を弄りながら、言った。ドロシーは首を傾げる。

 アイシャと昔の話をした時から考えていたことがあった。もしかして、という可能性として。頭に浮かんだそれは、無視するにはあまりにも大きな問題で、今のうちに自分の中で答えを見つけておかなければ、いつか必ず後悔するだろうと思っていた。

 だから、ラプラスのもとに向かう前に、これだけは確かめておきたかった。

「エミルとラプラスって、ひょっとして、同一人物なんじゃないかな」

「……気づいてたのかい?」

 意外だ、とでも言いたげな顔をしていた。

「うん、何となくね」

 ふう、と息を吐き、心を落ち着かせる。大丈夫。それほど動揺はしていない。

「そんな気はしていたんだよ。あったこともない魔女と契約しているなんておかしいじゃないか。アイシャに昔の話をしていて思い出したんだけどさ、俺がエミルと会ったすぐ後だったんだ。予知を見ることができるようになったのは」

「だろうね。魔女との契約は簡単に行うことができるんだ。それこそ、口約束でもしたんでしょ。魔女さえその気になっていれば、キッカケなんて何でもいいんだから」

 そういえば、予知の力が発言した時、村の大人たちから魔女の力だと恐れられ後ろ指をさされていたのは、エミルも同じだった。

 苦い思い出を蘇らせる。エミルが村にやってきた頃から、俺は予知を見るようになった。彼女のせいだ。彼女は魔女だ。そんな噂は、村中で広まり始めた。どうして迎え入れたのか、追い出すべきじゃないのか、と村のあちこちで響く声から目を背け、暮らしていた。

 辛かったけれど、不思議と寂しくはなかった。なぜなら、エミルがいたから。二人、一緒だったからだ。

「ユウト、キミはラプラス、もといエミルの正体を知った上で、いざ彼女を前にした時、その引き金を引けるかい?」

 ドロシーが上目遣いで言ってくる。いつになく真剣な顔をしていた。下からでも、気圧されそうになる。

「エミルの様子がおかしいんだよね。精神が不安定な感じで――ボクの予想だと、彼女はまだ、この世界を揺るがすような何か大きなことを企んでいる。だから、止めなくちゃ。そして、それができるのはキミだけなんだ」

 指先が、ぴっと俺の胸をさす。

「うん、大丈夫だよ」と、俺は力強く頷いた。その途端、夢で見た予知の光景が思い出された。崩壊した王都の街が、見える。

 ああ、そうか。あれも全部、エミルが――だとすれば、だ。真の原因は俺にある、ということだ。エミルを一人ぼっちにさせてしまったから。寂しい思いをさせてしまったから、世界はこんなことになってしまったんだ。

「……元々、俺が原因で始まったことなんだよ、きっと。あの夜、俺がエミルの忠告を聞き入れて出かけなければ、こんなことにはならなかったんだから。全部、俺のせいなんだ……だから、俺が終わらせるよ」

 心は決まっていた。何があろうと俺は世界は救ってみせる。そのために、この銃が必要なら、俺は――迷わず、撃つ。

「そっか。キミの中では、もう答えが出ていたんだね」

 ドロシーは、小さく笑ってみせた。喋らなければ美少女、とそんな言葉がよぎるほど、黙する彼女には、愛らしさがあった。

 その表情には、子供じみた無邪気な明るさがありつつも、どこか寂しげな影が見えた。言うなれば、心からの笑顔ではなかった。初めてドロシーと出会ったあの森で見せた、物言いたげな顔と何となく似ていた。ように思った。

 部屋の扉が開き、マーベラスが入ってきた。

「おや、ドロシー」

「こんばんは」ドロシーが、ひらひらと手を振る。

「マーベラス、彼らは?」

「王都に帰ったのです。私の力を知るや否や、血相を変えて飛び出して行って。あの様子だと、エミルのことや、ユーリのことも知らないと思うのです」

「そうか、ありがとう。まあ、これから彼らがどう動くのかはわからないけど、うまくエミルの気を惹いてくれたなら、ユウトも接触しやすいだろうね」

「じゃあ、俺もすぐに王都に――」

「いや、明日にしよう」ドロシーが言った。どうして、と返す前に、続ける。

「目的がはっきりしているとはいえ、王都に入るんだ。仮に騎士たちに見つかってしまえば、キミは捕まるだろう。彼らの気を逸らす必要がある」

「どうやって?」

「明日、王都の街に攻め込もうとしている者がいる。目的は、まあ、大した理由じゃないみたいだ。ただの暇つぶし感覚なのかも。でも、王都の騎士たちは必ずその対応に追われることになる。だから、その隙を狙おう」

 俺は少し黙った。言いたいことはあったけれど、状況からして、それが優先すべきこととは思えなかったからだ。

「加勢したいって気持ちはわかるよ。そう考えているんでしょ?でも、キミは優先すべきことを間違えちゃ駄目だ」

「うん、わかってるよ」

 明日の朝、早くに出発することに決まり、各々、後は自由に、明日に備える時間となった。

 ドロシーとマーベラスは場所を選ばないし、アイシャも睡眠を取らないというので、ラボ内に一つしかないベッドは譲ってもらった。

 それなら「俺も寝なくていいよ」と、初めは遠慮したけど、特に「ユウトはしっかり休んでおいてもらわないと」とドロシーが、はしゃぐように言って、ベッドを使わせてもらうことになった。ああ、気を遣ってもらったのか、と気づいた。

「ドロシー」

 部屋から出ようとするドロシーの背中に向かって、声をかけた。そうだ、これだけは言い忘れないようにしておかないと。

 くるり、とドロシーが振り返る。

「何だい?」

「今のうちに言っておくけどさ——」

 俺は、はあ、と息を吐いた。

「朝は早起きすること。お腹が空いても我慢。だよ?」

「……それは契約のつもりかい?ずいぶんと浮気性だね」

 ドロシーは愉快そうに、高い声でけらけらと笑った。俺もつられて、口元を緩める。

 部屋からドロシーが出ていき、扉がぱたんと静かに閉じた。

 ――明日、王都ですべてが終わる。そんな予感がした。

 エミルに会い、その豹変ぶりに困惑し、もしかしたら説得できるかもしれないと期待し、初めはいろいろと手を尽くそうとする。が、新しい世界で共に、二人だけで生きていこうと告げられ、この世界の未来と彼女の笑顔とを天秤にかけたところで、ふと俺もエミルも、この世界にいてはならない存在なのだと感じてしまい、引き金を引く。それが、もっとも正しい答えなのだと。この世界に、もう俺たちの居場所はないのだと、そう自分に言い聞かせて。

 予知を見たわけではなかったけれど、明日、俺はこの銃を使うことになるんだろうな、と心のどこかで、そう思った。


 その夜、夢を見た。

 エミルと初めて出会った時のこと。暗い森の中で、一人ぼっちだった彼女の手を引き、村に連れ帰った時のこと。

「君、名前はなんて言うの?」

 振り返り、訊ねる。

 澄んだ瞳が、俺の顔をじっと捉えていた。彼女から家族はいない、という事情を聞いて、可哀想だなと思った。そして、俺も同じ境遇だったので、寂しい思いをしているのだろうと同情した。

 村長であるガルラにそうしてもらったように、俺がこの子の家族になってあげよう、とそう思った。ただのお節介だった。でも、嬉しそうに、安心したように笑う彼女の顔を見ると、少し胸が温かくなった。

「——エミル」

 彼女はそっと、口を開いた。

「エミル……」

 繰り返すようにして、呟く。

 ずっと、ひとりぼっちだった。それは俺も同じだった。だから、彼女を連れ帰ったのは、俺のためでもあったのかもしれない。なんてわがままなのだろう。子供ながらに、照れ臭くなった。

 ――エミル。

 孤独で虚しかった俺の世界を変えてくれた、その子の名を、俺は何度も心の中で呼んだ。

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