アイナ 14

「——と、いうことなんだよ」

 アイシャが、言う。

 言葉はなかったけれど、私は口を開けていた。茫然と彼女の話に聞き入っていた。

 顔を上げると、二人は真剣な面持ちで、アイシャをじっと見つめていた。兄さんとヘクターだ。

 途中で、「くだらないな」とため息をついたレイラは、すでに姿を消していた。王宮には、私と、兄さんとヘクター、そしてアイシャの四人だけがいた。

「エミルにそんな過去があったなんて……」

 ヘクターが、ぽつりと言う。

「二年前のあの日、彼女の中のすべてが変わってしまった。ユウトをこの世界に取り戻すために、今、エミルは、そのことごとくを利用している」

「二年か……そんなにも長い間、彼女は一人で戦っていたんだね」

 足元に視線を向けながら、ヘクターは続けた。

「もちろん、だからといって許されるわけじゃないのはわかっているよ。王様殺しの罪が消えるわけじゃないし、自分の欲望のために、多くの人を巻き込んでいるんだ。僕たち騎士団の志も利用し、正義の心を踏みにじった。それについては腹も立つし、悔しくも思っている……けど、なんていうか、少し同情しちゃうところもあるんだ」

「ええ、私も同じ気持ちよ」

 私はヘクターに賛成した。大切な人を失った時のその苦しみや絶望は、誰よりも知っているから。エミルの気持ちも痛いほどわかる。

「一つ、疑問がある」と、兄さんが、重々しい声で言った。

「アイシャの話に出てきたユーリという少年だが、俺は以前、彼に会ったことがある。エミルから任務を受け、北区の通りに向かった時だ。俺はその場に現れたユーリと名乗る少年を捕え、城の地下牢に幽閉した。エミルからそう指示されたからだ。今思えば、あれは彼をユウトの器にするために、エミルが仕向けたことだったのかもしれないが」

「そう、だったのね」

 つまり、私が地下牢で見た彼は罪人ではなかった。エミルの野望に巻き込まれた哀れな一般人だった、というわけだ。

 もっと早く、気づいてあげればよかったという後悔の念が私の中で大きくなっていった。その目に宿る勇ましさに圧され、彼が脱獄することに手を貸したものの、結局、「ユウト」の器として利用され、ユーリという少年は消えてしまった。

 この世界を救ってくれ、と私に訴えてきた彼の姿が瞼の裏に浮かぶ。あの時、あの場で彼を救い出していればという思いばかりが募る。罪悪感があった。胸の中にもやもやとしたものを残したままだったが、私は兄さんの言葉の続きに耳を傾けることにした。

「ユーリが俺の前に現れたその時、彼は妙なことを言ってきた。この世界は、多くの犠牲を糧にして作られたものだ。レグルス王に気を付けろ、と」

「どういう意味なの、それ?」

 訊ねると、兄さんは首を横に振った。

「わからない。おかしなことを言うとは思ったんだが、彼は真実を口にしていた。それは確かだ」

 聞きながら、兄さんには相手が真実を語っているのかどうかを見抜くことができる力があることを思い出した。つまり、ユーリという少年は兄さんに真実を告げていたということだ。

「この世界は、クラウンによって創造されたものだと言っていた」

「クラウンって、おとぎ話に出てくるあのクラウンですか?」

 ヘクターが、訊ねる。

「そう、所有者の願いを叶えるあのクラウンのことだよ」

 兄さんの代わりに、アイシャが答えた。

「実在したのか」

「ああ、だからもちろん魔女もいる。私の研究の協力者であるマーベラス、空間を飛び越えるドロシー、そして、君たちのよく知るエミル――魔女としての名は、ラプラスだ」

「じゃあ、ユーリがレオニールさんに言ったことは真実なんだ。この世界がクラウンによってつくられたものだったって」

「世界の創造まで可能だなんて……まるで、おとぎ話みたいね」と、私はそこで、城前でのドロシーとの会話を思い出した。レグルス王を追ってきた。世界を飛び越えてきたと、そんなことを口にしていた。

 そして彼女から聞いたことと、今、兄さんが語ってくれた、ユーリから告げられた真実とを照らし合わせてみると、一つの可能性が私の中に浮上してきた。

 つまり、彼らは、「クラウンによって創造されたこの世界」とは違う「別の世界」にいた、ということだ。

 その世界で、「この世界」の創造を願ったのはレグルス王であり、ユーリとドロシーは彼を追って、この世界にやってきたのである。

 なるほど、それならドロシーがユーリを助け出そうとした理由もわかる。同じ目的を持った仲間だったからだ。

 しかし、私がドロシーを地下牢に案内した後か、それよりも前かは知らないけれど、ユーリはユウトに変わってしまった。それでも彼を地下牢から連れ出したのは、ドロシーなりの優しさなのかもしれない。違う人間であったとしても、ドロシーとユーリ、二人の間には私たちでは想像もつかない絆のような何かしらの繋がりがあったのだろうと私は思った。

 ——と、すれば、今、ユウトはどこにいるのだろうか。

 ドロシーが脱獄させた彼がユーリであり、ユウトであるとわかった今、やはり彼に会う必要がある。この事件を解決に導く鍵は、彼だ。世界を、エミルを救うことができるのは、彼だけなのだから。

「皆さん、お揃いのようですね」

 遠くから声がした。王宮内を見渡す。人間の誠実さを表しているからと、レグルス王がこだわった穢れのない純な白に染まった壁や床ばかりが視界に入り、声の主はどこにも見当たらなかった。

 奥の通路へと続く扉がゆっくりと開き、そこから少女が姿を現した。

 フードを取り、顔を見せる。いつも王宮で、おどおどとしていた彼女のか弱さはどこにもなく、私たちを見る目は、夜を忘れさせる日中の太陽のごとく、ぎらついていた。

「エミル」

 名前を呼ぶと、彼女は数歩だけ進み、足を止めた。

「ユウトは、どこにいますか?」

 この期に及んで、その執着ぶりをみせてきた。私たちがここにいることや、彼女の望みを知ってしまったことには、さほど興味がないようだ。危機感を抱いている様子もなかった。

「ここにはいないよ。それよりもだ、エミル。君は――」

「わかっています」と、ヘクターの言葉を遮るようにエミルが言い、俯いた。先ほどまでオーラがあったのに、縮こまった子供のように、弱々しくなって見えた。

「私のしたことがどれほど罪深いか、心が痛いほど思い知っています。そして、正直に言うと、私はこのことを隠し通すつもりでした。ユウトと再会できた暁には、彼と共に王都を離れ、どこか遠い村に雲隠れしようと考えていました」

「すべて黙ったまま、姿を消そうと?」

「はい……でも、もうその必要もないみたいですね」エミルが顔を上げる。目が潤み、鼻の周りを赤くしていた。「開き直るのもどうかとは思いますが、私は、どんな罰でも受けるつもりでいます。いえ、王様を殺したのですから、当然でしょう。私の未来に希望がないことは、わかっています。もとより、それだけの覚悟を持って、始めたことですから。ただ……一度でいいので、ユウトに会いたい。どうか、この願いだけでも聞き入れてはもらえないでしょうか。長い時をかけ、すべてを費やし、ここまで、やったんです。一目だけでいい。ユウトが元気に生きている姿を、この目で見させてください。それで満足ですから」

 迫真、と言えるほど、力のこもった声だった。彼女の言葉に嘘偽りはなかったし、取り返しのつかないことをしたと心を痛め、反省している雰囲気さえ感じられた。二年前までの私なら——まだ騎士として、人としても未熟な心を持っていた私ならば、思わず、うん、と頷いていたかもしれない。

 ただ、一つだけ。

 エミルは涙声になりながらも話し、泣き出さんばかりの目で訴えてきた中にも、どこか、わざとらしさが潜んでいる感じがした。それはもちろん、彼女の表情や声といった表面的な部分からはまったく感じられなかったのだが、もっと芯に近いところというか、心というか、内面的な部分で、彼女は違う顔を見せているふうだと思った。

「エミル。君は一つ、嘘をついているな」

 兄さんが言うと、エミルはぴたりと口を閉じた。ぎらついた目が、向けられる。

「自分の行いの罪深さに後悔し、心を痛めていると――それは本当のようだ。ユウトに会いたいという気持ちも、そうだろう。だが、未来に希望がない、と言った時、君の心の中で、黒い影が揺れ動くのを見た。偽っているな。その言葉には真実の心が宿っていない。つまり、未来に希望を感じているということだ。君は、まだ何か企んでいるんじゃないのか?」

「――あなたには、嘘を見破る力でもあるのですか?」

 エミルがおもむろに口を開き、言ったかと思うと、すっと手を前に出した。私たちのことを拒絶するかのように腕を伸ばし、手のひらを向けてくる。

 何をするつもりだと、私は咄嗟に身構えた。しかし、エミルはまだ奥の手が残っていることを見抜かれ、強行手段に出ようとしているのだと、そう頭で認識した時には、彼女の手の先に白い輝きが集まっていた。

 それが何かはわからない。だが、その光は触れると危険なものであり、それをエミルは、私たちに敵意と共に向けているのだということは、すぐに理解できた。

 まずい、止めなければ。兄さんが剣を抜き、走り出す。続くヘクターの姿も見えた。私も一歩、踏み出す。

 だが、少し遅かったらしい。視界が真っ白な光に包まれた。




 ――――




「いやあ、間一髪だった」

 ドロシーが、私の顔を覗き込むように首を傾けながら、言った。

「ドロシー……」

「やあ、ボクはドロシーだよ」ドロシーは、トレードマークでもある大きな三角帽子を持ち上げ、ふふ、と小さく笑い、ウインクをしてみせた。

「どうして、ここにいるの?」

「キミたちを助けるためだよ。ほら、見てごらん」

 ドロシーが、くい、と顔を向ける。つられて、視線をやる。

 王宮の床が――たった今、私たちのいた位置が乱暴に抉れ、破壊されていた。装飾が剥がれ、大きな穴が覗く。

 いったい何が起きたのか。まさか、これがエミルの奥の手なのだろうか。あの光に呑み込まれていたら、今頃、とんでもない目にあっていたのかも、とひやりとした。

 振り返ると、兄さんとヘクター、アイシャがいた。三人とも無事のようだ。ほっと安堵する。

「ドロシーもいたのですか」

 エミルの声がした。感情のない、冷たい声のように感じた。

 きっと睨め付けると、死人のような眼差しをこちらに向けてきた。

「やあ、エミル……だったっけ?それとも、ラプラスって呼んだ方がいいのかな」

 ドロシーが、明るい声で言う。場の空気に似合わない高い調子だった。緊張感とか、そういった畏まった感情は持っていないのか、と思わず口にしそうになる。

「私は、すでにその名を失っています」

 エミルは、軽くあしらうように言い放った。その言葉には、苛立ちが伴っているように聞こえた。

「その力、ユートピアのものだよね。どうしてキミが?ボクの知っているラプラスの力とは、少し違う気がするな」

「ええ、これは私の本来の——魔女としての力ではありません。クラウンから授かった新しい力です」

「……クラウンに、願ったのかい?」

「はい」

 エミルは、自分の手に視線を落とした。

「ユウトと私の、二人だけが生きる世界を創造しました。そこには何者も立ち入ることができない、私たちだけの理想郷です。もう二度と、ユウトを同じ目に合わせるわけにはいきません。私は、その理想郷の創造にあたって、まず、この世界を破壊する力をクラウンから受け取ったのです」

 欲に満ちた黒く穢れた目をしていた。いつか彼女の瞳の奥に感じた、澄んだ青空を思わせる清らかさは、すでに消え失せている。

「へえ、魔女の力を持つ者が願うと、そうなるんだね。こんな形で再開できるとは思ってなかったよ」

 ドロシーは余裕ぶって、いや実際に余裕があったのかもしれないけれど、けらけらと笑った。二人の会話の内容は、よくわからなかった。

 パチン、と弾ける音がした。

 ドロシーが指を鳴らしたらしい。王宮内に、小さく響いた。

「そんなエミルに、朗報だよ。なんとここに、親愛なるユウトがいます」

 ドロシーの背後に、巨大な魔法陣が出現した。芸術の域にあると思えるほどの美しさと、人間ならざる、それこそ魔女の力なのだと知らしめる禍々しさを伴って、陣は空中に描き出されていた。

 中から、人影が見えた。

 魔法陣から出てきた少年は——黒い髪で、優しげな目付きをしていた。

 彼が、ユウトだ。

 私の頭の中で、ぴんと閃くものがあった。間違いない、彼は私の命を救ってくれた、あの少年だ。夜の森の中で獣の群れから守ってくれた名も知らぬ命の恩人だ。

 しかし、それが今から二年ほど前だということに気づき、私は「あ」と一言、洩らす。

 ユウトの死——アイシャの話では、二年前だという。

 私と彼との邂逅が、二年前。同じだ。

 ユウトが死に、悲しんだエミルが王宮に現れたのも二年前。

 すべて、二年前だ。

 私の中に、恐ろしい考えが生まれた。自分の生きてきた過程を——父に憧れ、育み、受け継ぎ、培ってきた正義をすべて崩壊させてしまうような、絶望感に満ちた、一つの可能性が。

 つまり、あの日、彼は——私を庇って獣たちに立ち向かい、殺されたのではないだろうか。

 確証はない。だが、嫌な感じはした。

 私はあの時、どうしていた?

 あの少年が現れ、私を助けてくれた時、一目散に駆け出したではないか。彼に背を向け、必死に逃げたではないか。

 アイシャから聞いた話からすると、ユウトはただの村人であり、当時、すでに士官学校に通っていた私よりも、肉体的にも精神的にも劣るものがあったはずだ。

 だが、彼は一人で獣たちに向き合っていた。怖かっただろう。心細かっただろう。どうして私も彼と共に獣の群れに立ち向かわなかったのだろうか。

 自分のことしか考えていなかったことを、恥じた。恥じて、悔いた。悔いているうちに、なんとも言えない気分になり、胸の中がぽっかりと空洞になったかのような寂しさを覚えた。

 だから、ユウトが声をかけてきた時、すぐには返事ができなかった。

 私は、はっと顔を上げた。

「君、クロムがどこにいるか、知ってる?」

 私のことは覚えていないらしい。あるいは覚えているけど、気を遣ってくれているのかもしれない。とにかく、彼の中に、二年前のあの時、私を庇って死んだのだという感覚は皆無と言ってもいいほどの爽やかな顔を見せていた。

「クロム……聞いたことがないわ」

 本当のことだった。そんな名前の人物は、知らない。

「そうか、アイリスと言った方がいいのかな。彼女、君たちにはそう名乗っていたんじゃないかな」

「……アイリスを、知っているの?」

 彼の口から思わぬ名を聞き、面食らう。

 そんな私の動揺ぶりを見て、他意はないのだろうけれど、ユウトは、にこりと微笑み、続けて衝撃的なことを言った。

「ジークさんが名付けてくれたみたいだよ。素敵な名前だよね」

「お父さんが……?」

「あ、君がジークさんの言ってた子なんだ。そういえば、どことなくあの人と同じ雰囲気があるかも。アイリスとは、仲良くやれてる?」

 頭の中には、遊びを終えた子どもの部屋のように、ごちゃごちゃといろいろなものが散らかっていた。一つずつ摘み上げ、整えていこうとすると、他のものまでくっついてきて、結局、片付かない。そんな様子で困惑していた。情報が入り乱れていた。おとぎ話を聞かされているような気持ちで、でも、それが真実なのだろうから、思考がついていかなかった。意識をはっきりと保ったまま夢を見ているかのような、不思議な気分だった。

「……アイリスは、殺されたわ」

 頭の中は変わらず混乱しているけれど、私は辛うじて、答えた。

「彼女の亡骸は?」

「ここにはないわ。アークにあるはず」

 悔しさと哀しさを噛み殺し、凛々しい表情を装って、言う。

 すると、ユウトは顎に手を触れ、視線を斜め下の方に彷徨わせた後で、私を見た。

「もしかすると、彼女、まだ生きているかもしれないよ。アークに行って、探してみるといい。コアさえ無事なら、また再生は可能なはずだから」

 そう言って、私に背を向けた。

 どういう意味だろう?

 アイリスが、まだ生きているとは。機械生命体の核であるコアが、関係しているとは。

 アイリスは、アークを自分の故郷だと言っていたけれど、それが何か関係しているのだろうか?

 もしや、彼女自身が機械生命体だとでも言うのか。

 そんな、ばかな。

 何がなんだか、わからなかった。

 この世界はとっくに真実を示しているのだろうが、忙しく移ろう時の中で、自分だけが、ぽつんと取り残されている感覚だった。

 孤独だ。孤独であること自体は怖くはない。でも、そのおかげで大切なものを見落としている気がして、ならなかった。


 空気を裂くような音がしたのは、その時だった。耳をつんざく、大きくも鋭い音だった。

 見ると、ユウトの向こうにいるエミルが、前屈みに崩れていた。

 何事か。動きがあったユウトの方を注視すると、その手に何か黒いものがあることに気がついた。あれは、確か。

 実物を見るのは初めてだったが、話には聞いたことがあった。剣とは違い、扱いに高度な技術が必要なく、殺傷能力は極めて高い。王都の鍛冶屋や雑貨屋には当然存在せず、おそらく、合法ではない闇ルートで行われている取引でも持ち出されてはいない。

 そんな代物を、ユウトがなぜ持っているのか。疑問を抱いたが、わっと瞬時に消え失せ、代わりになぜ撃ったのか、という謎が私の中に芽生えた。

 ユウトの手には、銃が握られていた。

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