ドロシー 2
一晩かけて、ようやくアイシャのラボを見つけた。てっきり、まだ王都にいるものだとばかり考えていたから、探し出すのにずいぶんと苦労した。
スピカの森の奥深く、周囲の木々と比べ、ひと回り大きな樹の近くに、ラボはあった。
ボクが行くと、アイシャが迎えてくれた。纏った白衣はところどころが汚れ、元は端正なつくりであろう顔立ちも、目の下の隈や荒れた肌が台無しにしている。背が高いので見上げるようにして、ボクは挨拶すると、アイシャは嬉しそうに口を開いた。
「ドロシー、久しぶりだね。あれから何年経つのかな」
「あれ、そんなに昔なの?前にボクと会ったのって」
思い出すこと数日前、まだボクがあっちの世界にいた時のことだ。
ユートピアとの戦いに備え、ユーリとレオをアークに届け、世界を渡る準備をするためにと、一度、こっちの世界の様子を見にきたことがあった。
そこで、アイシャと出会った。
彼女はボクの力にとても興味を持ったようで、自分なりに研究をしてみると言っていた。その成果はあった。ラボへのアクセス方法が、ボクの力を真似たような、魔法による空間の移動だったので、驚いた。人間が契約もなしに、ここまで魔女に近づくことができるだなんて。純粋に感心した。
ただ、その研究のために王都を離れたことであったり、これだけをやるのに数年かかったことであったり、彼女の話ぶりから察するに、ボクが一度この世界を訪れてから、かなりの時間が経過しているようだった。
思いつく可能性としては、つまり、世界の時の流れは、その世界によって違う、ということだ。あるいは、ユートピアがあちらの世界を完全に破壊したことで、こちらの世界が安定し、正確な時の流れが定められた、といった考え方もできるかもしれない。
要するに、前にきた時から何年か経っている。そして、その間に何かが起きている。その何かを突き止める必要があると思った。鍵となるのは、アイシャの存在だ。
「懐かしいなあ。それで、今日は何の用かな?」
「ちょっと、聞きたいことがあってさ」
「何だい?」
アイシャは眉をくいと上げた。
「その前にキミ、マーベラスと知り合いなの?」訊ねると、アイシャは表情一つ変えず、口を開いた。
「どうして、そう思うんだい?」
「ボクたち魔女はお互いの存在をなんとなく察知することができるんだよ。一度も会ったことはないけど、昔からの知り合いのような感覚でさ。名残のようなものも感じる。このラボ、彼女がいるんでしょ?」
「そうだね。今は、その奥の部屋で寝ていると思う」アイシャは、ボクの後ろにある扉を指した。
「キミの本を読んだんだよ。人間の魂について、色々と書かれていた部分があったね。マーベラスの力を知ってでもいないと、ああいった考えは浮かばない。そう思ったからさ」
「なるほどね。まあ、その推理は当たっているよ。それで、本題は何かな。君は何が知りたいんだい?」
「ラプラスの居場所だよ」
――昨日、ボクはユウトと共に、王都の城に侵入した。
初めに入った部屋で、ボクは魔女の気配を感じ取った。あの部屋には、ラプラスがいた——というより、ラプラスの使用している部屋だったのだ。
ただ、どうもおかしな感じもあった。部屋にあった魔女の名残りは、ラプラスだとわかるのにラプラスじゃないような。そんなこと、初めてだった。
何か変だな。そう思ったボクは、ユウトが城の中を探索しに向かった時に、室内を注意深く観察した。アイシャの本を見つけたのは、その時だった。
本があったということは、ラプラスは、アイシャの研究について知っていたのだろうか?魔女である彼女が、どうして王宮にいるのだろうか?まあ、疑問には思ったけど、当時は気にするほどでもないだろう、とその程度の認識だった。
でも、その後で、ユウトの目にラプラスの力が宿っていることを知って、ボクは考えを改めた。ユウトとラプラス、彼らの間に何かしらの繋がりが見えたことには、大きな意味がある。そんな気がした。
アイシャなら、何かヒントになるようなことを知っているのではないか。だからボクは、彼女のラボにやってきたのだ。
「彼女は王宮にいる。それはわかった。ただ少し不思議な感じなんだ。気配はあるのに、影がかかっているかのような、はっきりと彼女を感じ取ることができない。それが、どういうことか知りたくて」
ボクが言うと、アイシャは首を傾げた。
「ラプラス?誰のことだ?」
「未来を見ることのできる魔女だよ。ユウトの目にも、その力が宿っていた。地下牢に少年がいたことは知ってるんでしょ?」
アイシャは何も言わず、ボクの言葉の続きを待っている。
「ここからは、あくまでボクの予想が正しければって話なんだけどさ。そのラプラスって魔女は王宮の関係者で、『ユウト』という少年と何かしらの繋がりがあったんだ。だから彼を取り戻すために、キミたちに頼んだんじゃないかな?地下牢に捕らえている者を器にして、ユウトの魂を入れろとかなんとか」
「どうして、そう思ったんだい?」
その返事は、ボクの推理は正しいと認めているようなものだったけれど、敢えてそんな言い方をしたとも思えた。
彼女は賢しい人間だ。自分自身のことも含めて、あらゆる物事を、冷静な目で客観視できる。世界を外側から俯瞰しているかのような、また、そうであると思わせるような態度をとる。
彼女の前で、失言は控えた方がいいのではないか。ボクに少しでもそう思わせた彼女は、人間はおろか、もはや魔女さえも凌駕する驚異的な存在となりつつあるのではと感じた。
「あの地下牢にいた少年、ボクの知り合いなんだよ。ユーリっていうんだけど。まあ、色々とあって捕まってしまって、助けに向かったら別人になっていたから、びっくりしたよ」
「ほう……なるほどね。うん、君の予想はだいたい当たっていると思うよ。ただ、私にユウトのことを持ち掛けてきたのは、ラプラスじゃないよ。王宮魔術師の少女だ。ただ君の話から推測すると、つまり彼女が——」と、そこでアイシャの動きが止まった。
「どうしたの?」
「お客さんだ」
「お客さん?」
「ちょっと出てくる」
そう言って、アイシャはラボを出て行った。まさか逃げたわけでもあるまい、とボクは彼女が帰ってくるのを待っていた。
「ちょっと面倒なことになったかもしれない」
しばらくした後、アイシャは戻ってきた。それからボクの顔をじっと、見る。
「……ああ、そういうことか。だから君は彼のことを知っていたのか」
「ユウトのこと?」
ボクが返すと、アイシャはうんうん、と頷いた。
「実はね、今、そのユウトが来ていたんだ」
「ユウトが?」
彼は今、リフナ村にいるはずだ。なのに、どうして。
「リフナ村の村長さんの身に、何かあったらしい。助けを求めてきた」
「それで、どうしたの?」
「適当な理由をつけて、アークに向かわせたよ」
「アークに?」
それだと、レオと鉢合わせすることになるのでは、と思った。いや、それ以前に、機械生命体に襲われるかもしれない。
「君が私のラボに訪れた理由を、ずっと勘違いしていたよ。でも、ようやくわかった。そして、私の考えが確かなら、これからここに、そのラプラスという魔女がくる。彼女たちを会わせない方がいいんだろ?だから、少しでも遠ざけておこうかと思ってね。大丈夫だ。彼、自ら危険に飛び込むような性格ではなさそうだったし」
アイシャは不敵な笑みを浮かべた。
「ところでドロシー。君も早く立ち去った方がいいと思うよ。君だって、今、彼女と会うわけにはいかないんじゃないのか?」
————
アイシャは、ボクがユウトを地下牢から連れ出したことを察したのかもしれない。
はっきり言って、その考えは読めなかった。けど、彼女の言う通り、一度ラボを離れることにした。もし本当にラプラスがあの場に現れるのだとしたら、ボクとしても面倒だったから。
それから、ボクは王都へと向かった。頭には、ユーリのことがあった。彼の死は、さすがのボクでもこたえたらしい。元はと言えば、ボクがユーリを巻き込んだ。負い目のようなものを感じていたのかもしれない。
妙な気分だった。もやもやとする。こんなにも胸の中がすっきりとしないなんて、まるでボクがボクじゃないみたいだ。ユーリやレオと出会って、共に過ごすうちに、ボクの中で何かが変わっていた。それだけは確実に言えることだった。
罪滅ぼしがしたい。そう思ったわけじゃないけど、彼を守ってあげたかった。だから、応援を呼んだ。王都には、英雄と呼ばれた凄腕の騎士がいるらしい。ボクはその男との接触を試みた。
もちろん、すべてを話すわけにもいかないし、信じてもらえるとも思えない。だから、アークの街の人々は機械生命体による支配に怯えており、彼らの暮らしが危険に晒されているという事実のみを伝えた。
すると彼は、すぐにアークへ向かうと言ってくれた。
後から知ったことだけど、彼は、レグルス騎士団長の団長だったようだ。
ボクたちの元いた世界では、レオが父の跡を継ぎ、団長を務めていたのだけど、こっちの世界では、まだ彼の父は生きているらしい。
名を、ジーク・エレクストレアという。王都の英雄と呼ばれた男だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます