アイナ 13

 城の深部――王宮に着いたアイナは、一度、足を止めた。

 清潔感に満ちた白い空間が広がっていた。訪れる度、いつも思う。城の最奥に構えるこの部屋は、ここだけは外と隔たりのあるまったく別の世界なのではないかと。

 背負ったアイシャがうごうごとする。くすぐったかった。が、気にせず、王宮内に足を踏み入れる。

 レオニールが戦っているのが見えた。相手は、レイラだった。

 レオニールの輝かしいばかりの白い剣と、レイラの影のように黒い剣が、音を立て、交じり合う。

 片や王都の平和を守る騎士としての誇りを懸けて、片や愉悦がための闘争を求める欲望のままに、ぶつかっていた。両者の相反する思想は決して溶け合うことはなく、拒絶し、互いを弾く。

 アイナは戦況を把握すべく、二人の動きを、注意深く目で追った。

「アイナちゃん。無事でよかった」

 ヘクターの声がした。視線を、声の聞こえた方に泳がせると、近くの柱の陰にいるのが見えた。アイナの傍に駆け寄ってくる。

「その子は?」

 ヘクターはアイシャのことを指し、訊ねてきた。

「私にも詳しくはわからないんだけど、どうやら、アイシャらしいのよ」

「アイシャだって?」

「どうも。やはり、この姿では初めましてだね」

 何がおかしいのか、アイシャは声を出して笑った。

「ここに来る途中で偶然、出会って。色々と聞きたいことがあったから連れて来たの」

「そうだったんだ」

「それよりも、状況は?」

 アイシャに気を遣って体を横に向け、アイナは訊ねた。

「あの後、城でレオニールさんと合流したんだ。そして、エミルと会った。少し話をしたよ。といっても、僕たちが一方的に問い詰めるばかりだったんだけど。それで……アイナちゃんが、ドロシーって子から聞いた通りだった。彼女は魔女だ。エミルという名も偽りらしい。彼女の本当の名前は――」

「ラプラス」

 アイシャが真面目な声音で、割って入ってきた。

「……うん、そう言ってた」

「過去と未来、それらを見通し、人間の出した結とその末を見守る力を持った、紛れのない魔女だよ」

 アイシャは、本当にすべてを知り尽くしているかのような自信ありげな口調だった。

「それで、ラプラスは何が目的なのか。二年前、どうして突然、王宮に現れたのか。何を企んでいるのか。聞き出そうとしたところで、彼女が襲い掛かってきたんだ」と、ヘクターは、狂気的な笑みを浮かべてレオニールと対峙しているレイラを、指した。

 なるほど、そういった状況だったのか。アイナは頷いた。話を聞いた感じだとヘクターたちは、エミル――もとい、ラプラスの過去を知らないようだった。

 かつて、ユグド村でユウトという少年と共に暮らしていたこと。彼を失い、悲しんだこと。その絶望から立ち直るために王宮の力を利用し、アイシャやレイラに取引を持ち掛けて協力を仰ぎ、ユウトと再会しようと企てていること。そして、そのために、王様を殺したこと。愛する家族のために、世界を敵にした悲劇の少女だということを。

 アイナは、エミルに同情しているところがあった。大切な人を失う哀しみは、アイナもよく知っていた。母を失い、父を失い、何度また会うことができたのならと願ったことか。そして、エミルのように、魂を使って死した者を生き返らせることができるのだと知ったとしたら、もしかすると、自分も同じように迷走していたかもしれない、とアイナは感じていた。

 胸の奥が、ズキンと痛んだ。

 自分も歩んでいたかもしれない道の上に、今、エミルがいる。その姿にかつての自分を重ねてみると、ぴたりと当てはまった。

 彼女を救ってあげなければ。方法はわからないが、目を覚ましてやらなくては。そんな使命感がアイナを満たしていた。失ったものは戻らない。折り合いをつけ、未来を生きるための糧とするしかないのだ。

 それを気づかせてやらなければ、彼女の前に広がる世界はずっと暗く、寂しい夜のままなのだ。

 高い音が、近くで響いた。

 顔を上げる。視線が床を這っていたことにそれから気づいた。深い穴の中に、長いこと潜っていた気分だった。

 レオニールの体が、世界を照らす眩い太陽のように白く輝いていた。雷の力をその身に纏っている。目にも止まらぬ速さで、レイラを圧倒していた。

 一方で、レイラは後退しながら、悔しそうに顔を歪めていた。王宮内を逃げ惑うように走り回っている。

 先ほど剣を交えたアイナに言わせれば、レイラは決して弱くはない。重たい攻撃と素早い動き、それでいて大きな剣を巧みに操る技も豊富と、剛と柔の能力を高いレベルで兼ね備えた強き剣士だった。

 さらに、己が欲望を満たすために戦っているのだとすれば、歯止めは効かない、遠慮は知らないと傍若無人な態度で暴れ回っていてもおかしくはない。そんな彼女をいとも容易く、生徒に稽古をつける教官のような冷静ささえ伴った様子であしらうのだから、やはり、兄のような強さを誇る騎士の領域は、自分にはまだ程遠いなと虚しく感じざるを得ない。

 再び、高い音がした。

 見ると、両者は互いの出方を伺うように硬直していた。

 おや、とレイラの立ち姿に違和感を覚える。その手に剣が握られていない。どこにやったのだろうか。

 ガラランと耳に障る音を辺りに撒き散らし、レイラの大剣が床に落ちた。レオニールが、彼女の剣を弾き飛ばしたらしい。ああなっては、もはや戦闘の続行は不能だ。

 やった。兄さんの、勝ちだ!

「おお、やるねえ」

 背中で、アイシャが声を上げた。万歳と、両手を勢いよく上げもした。

 落ちた剣を見つめながら、レイラが、すっと背を伸ばし、笑った。腕をだらんと下げている。

「まだ、敵わないか」と、小さく溢した。

「気は済んだか」

 レオニールが、鋭く視線を飛ばした。

「ああ。それでも、勝てなかったことはもちろん、お前の全力を引き出せなかったことにも不満を抱いているがね」

 くつくつとレイラは笑い、それでいて悔しそうな素振りなどつゆ見えず、堂々と振舞っていた。

 レオニールが、剣を構えていた体勢を解いた。

「ヘクターから聞いた。君はエミルと取引をしていたそうだな。今、彼女がどこにいるか知らないか?」

 レオニールは、剣を収めながら訊ねる。

「さあな。私は何もエミルの仲間というわけじゃない。彼女とは、取引を持ちかけられたその時に会話をしたきりだ。本当のところ、何が狙いなのかさえ知らないのだよ」

 レイラは、両肩を少し上げてみせた。

「ただ、ユウトを求めているのは伝わってきた。あの少年——先ほど士官学校で見かけたのがそうだと思うが、エミルは彼と出会うことを切に願っているようだぞ」

「彼は、王都にいるのか……?」

「それについては私が説明しようか」

 アイナの後ろで、アイシャが言う。

「やあ、レオ。久しぶりだね、アイシャだよ」

「いや、子供の姿だ。また何かの研究の最中なのか」

「まあ、そんな感じで」

 アイシャが背中から飛び降りる。綺麗に着地をした後で、ヘクター、アイナ、レオニール、そして、レイラと順番に見やった。それから、おもむろに口を開いた。

「私は、ユウトと少し交流があった。彼と話をし、ある可能性を見出した。この世界について、エミルについて、それはほとんど真実と言ってもいいだろう。今からみんなに話そう。私の知っていることを、すべて」

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