夜は消える。また新しい朝がきた。
ユウト 13
ジークが走り出した。負傷をしているとは思えない軽快な動きで、前進し、豪快に剣を振るう。彼の大剣がアルフレッドの左肩に、ぐいっと押し付けられた。
アルフレッドが呻き声にも似た音を出す。左の機械腕が体に食い込んだ剣身を、右の機械腕がジークの腕を掴んだ。がたがたと震える。力で圧し潰さんとしているのか。しかし、ジークは負けじと突っ張る。アルフレッドが顔を歪めたのが、見えた。
「くそっ、離しやがれ!」
ジークは剣を右に逸らした。ぐいっと肩から外れた剣に引かれるようにして、アルフレッドがよろめいた。が、機械腕はジークの方を向き、攻撃を仕掛けてきた。ジークはそれを素早く躱す。
もう一度、剣を振り下ろした。しかし命中はせず、虚しく空中を撫で、床を叩くだけだった。
アルフレッドは左肩を庇い、たまらず後ろ向きに跳んだ。
だが、ジークは攻撃の手を休めなかった。体を捻ると、そのまま半回転させ勢いに乗せて大剣を、両手で大きな岩を投げ飛ばすように、放った。
部屋の奥まで逃げて行ったアルフレッドの左の機械腕の上腕部分に剣が直撃する。衝撃でぐらりと体を揺らし、倒れかける。
顔を上げると、すぐそこにジークがいることに、アルフレッドは目を丸くさせた。咄嗟に手を顔面の前で交差させ、防御の姿勢を取る。
ジークはアルフレッドのボディに一発、左の拳を入れた。がはっと、息を吐き、アルフレッドがうずくまる。下がった顔を、今度は右手で殴る。ばしん、と音が響く力強いパンチが当たった。
ジークは、よろよろと後退するアルフレッドを追いかけ、機械腕に刺さった剣を抜いた。
アルフレッドの体を蹴り飛ばす。机や装置にぶつかりながら、ガシャンガシャンと大きな音を残し、アルフレッドの姿は奥の部屋に消えていった。
「はあ、はあ……」
ジークが肩を上下させる。呼吸を整えていた。
傷を庇っていると思わせないほどのジークの戦いぶりを、ユウトは、ぼうっと眺めていた。ジークの横腹に視線をやる。出血は止まっているのかわからなかったが、致命的な怪我にはなってはいない様子だった。よかった。ファフニールが不吉なことをいったので若干、心配になっていたが騒ぐほどのことでもないらしい。
ジークが奥の部屋へと向かった。戦いの結末を見届けるために、ユウトは後を追った。クロムもついてくる。
奥の部屋は窓から入ってくる光のおかげで、視界は明るかった。そして狭い部屋だったので、アルフレッドがどこにいるのかはわかった。
部屋の真ん中にある机が崩れ、その上に棚が倒れてかかっているのが見えた。がたり、と音がし、埃が舞った。その下敷きになっているのだ。
「考えを改めるんだ、アルフレッド」
ジークが、声を上げる。一歩ずつ、部屋の中央に近づきながら「これ以上、戦うのはよそう。君のためにも」と言った。
「むかつくやつだ。それだけの力を持ちながら、慈悲の心もあるとはな……」
右の機械腕で自身の体にのしかかっていた棚を退かし、アルフレッドが立ち上がった。彼の姿が変化してることに、一瞬、ぎょっとする。左の機械腕が縮んでいた。かに見えたが、違った。
その機械腕は、人間でいう肘にあたる部分から先がなく、手首の部分は足元に落ちていた。左の機械腕の先からはひも状の塊が出てきており、あれが巨大な機械腕を一つにつなぐ役割をしていたのだと知る。ひも状の塊が、ばちっと弾けるような音を出した。
「僕は君を殺すつもりはない。話し合いたいんだ」
「そっちから仕掛けてきたくせに、よく言うぜ……」
ぷっと、アルフレッドは赤い唾を吐いた。
「おかげで、俺の体はもうほとんど動かねえ。肩の傷だって痛えし、自信作だった機械腕は片方を破壊され、プライドだって傷ついた。何だよ、こりゃあ」
「君が機械生命体たちにしてきたこと比べれば、ちっぽけなものだ」
「だからって俺を傷つけていい理由にはならねえだろ、王都の騎士さんよ」
アルフレッドが口を尖らせる。
「その通りだよ、アルフレッド」
「……はあ?」
「僕は君を傷つけている。自分の正義を正当化してね。それは人として、決して見上げられるものじゃないということも重々、承知しているさ。ちゃんと受け止めている。力で圧倒することはいいことなのか。ジーク、お前は何をしているのかわかっているのかって、自分に言い聞かせてね。でも今はやらなくちゃいけないんだ。わがままで、自分勝手で、褒められる行いではないのかもしれないけど、僕は成し遂げなくちゃいけないんだ。彼女の心を救うために」
「クロムのことか……」
アルフレッドは、ジークの後方にいるユウトのそのさらに後ろにいるクロムを、鋭い視線で貫いた。
「誰も傷つくことのない――すべての人々が笑って暮らせる日々を、僕は、誰よりも願っている。でも、それが不可能だということも、誰よりも知っている。ここが痛いくらいにね」
ジークは、自分の胸を撫でた。
「限界があるんだ。すべての人々を救うことは、それこそ、おとぎ話に出てくるクラウンのような超常的な力でもない限り、無理なんだよ。だから僕は決めたことがある。せめて自分の手の届くところにいる人たちには笑っていてほしいから。救うことができるかもしれない、そんな人たちのために全力を尽くす。そのために自分の何を犠牲にしてでも守り抜くんだって。僕は君の野望を阻止する。乱暴なやり方には心が痛むけれど、それ以上に彼女が苦しむ姿が見たくないんだ。これは騎士としての誇りじゃない。僕という――ジークという人間としての欲望なんだ」
ユウトは衝撃を受けた。夜に呑まれず輝く太陽のような、まっすぐに自分の信念を貫き通す、気高さに満ちたジークの心に。彼の意志は本物だ。もしかすると、この世界を平和に導く、そんな力を持っているかもしれないと、この時のユウトは本気で考えていた。
「……なあ。そんな演説をして、はい、心を打たれました。今日からは考えを改めることにしますって、俺が素直に頷くと思ってんのか?」
反抗的な子供のように、アルフレッドは生意気な態度を取っていた。
「いや、君はそんなことはしないだろう。ただ、期待はしている。もしかすると、ここにいる誰も悲しむことのない未来があるんじゃないかって」
「そうかい。めでたいやつだな」
大きな息を吐き、アルフレッドは、機械ではない――アルフレッド自身の手を上げた。
「これを見ろ」
そう言って開いた彼の手の中には、箱型の小さな機械が握られていた。
「何だい、それは?」
「クロムの制御装置だ……いや、逆か。俺の支配下からクロムを自由にするための装置、と言った方が、お前らにとっては響きがいいか」
「どうしてそんなものを――」
「『作ったのか?』、それとも『今、見せたのか?』、か?そう訊きたいんだろ。どっちの疑問にも答えてやるよ。作った理由は簡単だ。単に興味があったからだ。もし機械どもが心を持ったとして、人間の支配下にはなく自分自身で考え、行動する、それこそ本物の人間のような存在になり得るんじゃねえかってな。だから、このプロトタイプがうまくいったなら、次の段階として、自立を図れるように用意してただけのことだ。結局、使わなかったがな。そして今、お前たちに見せた理由だ。それは、ジーク。お前と賭けをしてみたくなったからだ」
にやり、とアルフレッドは口の端を歪める。
「クロム、受け取れ」と、アルフレッドは制御装置を投げつけてきた。クロムがキャッチする。
ユウトは、すっと隣に移動し、クロムの手の中の機械を覗き込んだ。四角いシンプルな設計の装置に、二つの鍵が取り付けられていた。鍵は装置の中に差し込まれている。
「見てわかる通り、そこには鍵が二つ取り付けてあるわけだが、一つはお前の制御を解除する鍵。つまり俺の支配から逃れることができる、未来を作る希望の鍵だ。そしてもう一つは、お前の機能を完全に停止させるための鍵だ。それを抜いた瞬間、お前は『クロム』として、機械生命体としての役目を終える。人間にたとえて言うと、死ぬってことだ。未来を壊す絶望の鍵だ」
怒りの感情を煽るように、アルフレッドは言う。しかし、憤怒の念を抱くこと以上に、ユウトは混乱していた。どうしてそんなものを寄越してきたのか。どうして装置について説明したのか。どうして嘲るような笑みを浮かべているのか。アルフレッドの目的が、まったく見えない。
「どうすればいいのかって顔だな。だが待て、順序は大切だ。一つずつ丁寧にいこう。まずは、ジークだ。そのばかみてえにデカい剣を捨てろ」
追い詰められているのはアルフレッドの方だ。そのはずなのに、彼の声には、そう思わせない太々しさがあった。
何が狙いなのかはわからないが、わからないからこそ、ここは素直に従った方がいいのではと判断したのだろう。ジークは何も返さず、剣を足元に置いた。そして、アルフレッドの方に向かって、互いの手の届かない位置に滑らせた。
「次だ。お前はクロムを守るために、自分の何を犠牲にしてもって言ったよな?なら、その覚悟を見せてもらおうじゃねえか」
右の機械腕が、アルフレッドの頭上で蠢く。獲物を前にお預けを食っている、空腹の獣じみた恐ろしさがあった。
「俺のこの腕の一撃を受け止めてみろ。もちろん、素手のままでな。お前だって傷は浅くないはずだ。さっきクロムを庇った時に、その脇腹、怪我したんだろ?かなりの出血のようだ。今は大丈夫だろうが、傷口が開けば致命傷になる。だろ?」ぐっぐっぐ、と品のない笑いを飛ばし、アルフレッドは目を大きく見開いた。「もし耐えきることができたのなら、その暁には、クロムを自由にすることのできる方の鍵を教えてやるよ。安心しな。これは本気で言っている。仮に嘘を教えたとしたら、それこそ、お前は俺を許さないだろう。これ以上、消耗するのは俺としてもごめんだからな。正直に教えてやるさ」
「一撃での一騎討ち、ということか」
「俺の発明か、お前の覚悟か、どっちが優っているのか試してみようじゃないか」
ここでアルフレッドを取り押さえ、無理やり正しい鍵を聞き出すことだってできたはずだ。戦いを終え、時計塔を後にする際、ユウトはそう思った。もっと穏便に事を運ぶことができたかもしれない、と。
しかし、真の意味でクロムを救うには、これでよかったのかもしれない。とも思った。ジークがアルフレッドの要求を素直に受け入れてくれたことで、クロムの覚悟を示すことができる結果に繋がったのだから。
もちろん、ジークがそこまで先読みしていたのかはわからない。もしかすると、時計塔の前でクロムに言っていたように、どうするべきか考えている途中だったのかもしれない。
だがその誠実さは、親が子に想いを託すかのごとく、確かにクロムに受け継がれていたようで、彼女を救うことができたのだから、彼の正義の心というのは侮れない。知らず知らずのうちに、伝播し、支え、人々を救うことができる、機械生命体や魔女には真似できない、人間としての偉大なる力がある、というわけだ。
そんな人と同じ目的を持ち、共に戦い、彼の正義を感じ取ることができる場に居合わせたことは誇るべきなのだと思った。
機械腕が出番はまだかと探るように、左右に上下にと、動く。アルフレッドは、それを宥めるように手を伸ばした。「準備はいいか?」と、横目でジークを睨み付ける。
そこから起きたことは、「あ」と驚嘆の息を洩らす間の一瞬だったと感じることもあれば、のんべんだらりと日々を送り、悠久の時を過ごしたような長さにも感じられた。とにかく、その時はユウト自身、何が起きたのかよくわかっておらず、ただ大きな音がし、声が聞こえ、沈黙が身を包むようになった後で、初めて理解した。
機械腕が生き物じみた唸り声を上げ、ジークを襲う。
大人一人の体を簡単に掴み取ることができるほどの大きな機械腕は、ジークの姿を影で覆い、正面から突撃する。体をずらし、両腕で抱え込むようにして、ジークは機械腕を受け止めた。どん、と殴られたような衝撃が、後ろにいるユウトのところにまで届いた。
力負けした、というわけではないが勢いに圧され、ジークは数歩、後退した。が、すぐに持ち直す。床を強く踏み、強風に当てられても動かぬ岩のように、どっしりと構え立つ。
彼の背中には、決して壊れぬ鉱石のような頑丈な頼もしさが確かにあったのだが、一度ひびが入ると、そこから傷が広がり砕け散ってしまう危うさも同時に感じられた。嫌な予感はあった。
そんな時、耳に届いた声は、クロムのものだった。
彼女に名を呼ばれた。気がしたが、彼女はユウトの名を知っているのか、わからない。後から、そういえば名前を呼ばれたな、という記憶が捏造されただけかもしれない。もしかすると、ジークの声だったかも知れない。ただその時は確かに声が聞こえた。「ユウト」と、名前を呼ぶ声が。
しゃっと、視界の端で何かが動き、自然と目をやった。
機械腕が見えた。先ほどジークが斬り落としたのとも、今、彼が必死に受け止めているのとも、違う。別の個体だ。それが、こちらに向かってきていた。
——あれ、俺が狙われているのか。
そう認識した時には、目の前に機械腕があった。避けなくては。いや間に合わないかも。
どうしてそんなに落ち着いていたのか、おそらく状況を把握できていなかったのだろう。人間は、予想を超える場面に直面した時、判断力は大きく鈍るものなのだ。アルフレッドの狙いはクロムであり、その猛攻をあのジークが抑えているのだから、直に、すべてが丸く収まると信じ、安心しきっていた。
さらに、いざ身に危険が迫ったとなれば、ファフニールが助けてくれると、そんな余裕もどこかあったのかもしれない。油断とも取れるわけだが、自分の命がいつでも危険にさらされる状況にあるのだということを忘れつつあった。
だから、反応が遅れた。頭の中は真っ白だった。何も考えられない。何も感じない。茫然と「死ぬかもしれない」という感覚だけが、体を支配していた。自分の力で動き出すことは、できなかった。
突然、視界が揺れた。加えて衝撃も感じたが、なぜか痛みはなかった。
機械腕にやられたのではない。とは、すぐにわかった。隣にいたクロムが、ユウトの体を突き飛ばした。彼女が機械腕の攻撃から身を守ってくれたのだと、冷たい床に腰をぶつけた後で理解した。
まさか、身代わりになったのか。ユウトは、はっと顔を上げたが、クロムに異変はなかった。
しかし、じっとしてどうしたのだと戸惑っていると、クロムが、駆け出した。ジークの横を抜け、落ちている大剣を拾った。片手で軽々と持ち上げ、ぐるん、と一度振り回し、両手で握り直す。
「クロム、命令だ!その男をやれ」
アルフレッドの怒号が、室内に響く。どんなことをしてでもジークを倒さんとする悪辣さが、その声に宿っていた。
「……アルフレッド、私は、自分の意志を貫く」
クロムが、剣先をアルフレッドに向けた。
「お前、何のつもりだ――」
大剣が、アルフレッドの胸に突き刺さった。
――――
「よかったのかい?」
部屋の壁に背を預け、座り込んだジークが言った。苦しそうに、腹を押さえている。その様子を見て、自分たちを守るためにこんな怪我をしてまで、とユウトは辛くなった。
「アルフレッドに考えを改めてもらうために、僕と会わせたんじゃなかったの?」
ジークは若やいだ、爽やかな笑みを浮かべる。傷が痛むのだろうが、軽口をたたくだけの余裕はあるようだった。
「彼は邪悪な思想に憑りつかれていた。もう手遅れだった」
足元でぐったりと寝そべるアルフレッドを、見下ろす。活動を停止してしまった機械のように微動だにしない。それもそうだ。クロムがアルフレッドに突き立てた剣は、彼の生き物としての生命活動を停止させてしまったのだから。
彼は、自分が創造した新たな生命によって、「死」を迎えたわけだ。
「そうかな。もしかすると、まだ可能性があったかもしれないよ。常に多くのことを考え、心を育んでいる。それが人間だから。だれでも、やり直すことができる」
ジークは無理やり笑顔を作っていた。彼なりの気遣いだ。と、それに気づき、ユウトは心を痛ませた。
「でも、もういいんだ。私は、あなたの戦う姿に、自分の信念を貫く姿に魅入られた。大切なことに気づくことができたんだ。あなたのように強い心を持とうと思った」
「だから、自分で鍵を取り外したのかい?」
後から聞いた話だが、アルフレッドから制御装置を受け取ったあの時、クロムは正しい鍵がどちらなのかを聞く前に、自分で鍵を取り外したらしい。だから、アルフレッドの命令に逆らうことができたのだという。
鍵を間違えてしまうと、自分の機能が停止してしまう恐れがあったというのに。しかし、彼女は自分の未来への可能性を賭けたわけだ。そして、自分自身の力で切り開いた。何者にも支配されない、自由な世界を。正義の心と共に、生きる未来を。それはとても人間らしい、いや、人間よりも立派な志であると、ユウトは思った。
「心が温かくなったよ」
「よかった。君がそう言ってくれるのなら、僕も嬉しい」
ジークは嬉しそうに微笑みながら、言った。
彼が笑うと世界が晴れ渡るかのように、温かい光が放たれ、暗い室内を明るく照らし出した。ように感じた。足元は落ち込むほど暗いままだった。
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