アイナ 12

「おや、君は確か……」

 小さな声が聞こえ、アイナは足を止めた。中央区には他に人影がなかったので、その少女が自分に向けて声をかけてきたのだとは、すぐにわかった。

「あなた、こんなところで何をしているの?迷子かしら?」

 アイナは、少女になるべく威圧感を与えないようにと意識しながら言った。

「ああ、そうか。この姿で君とは初対面だったね」

 見た目の可愛らしさよりも、生意気な態度が目立っていた。少女、というにはあまりに大人びていたが、それでも、あどけない雰囲気を目元に漂わせていた。身に纏った、というより肩にかけただけの白衣を地面に引きずりながら、少女は近寄ってきた。

「私はアイシャだよ。ほら。昔、王宮にいただろう」

「アイシャって……」

 少女の体を、頭のてっぺんから足先までじっくりと見る。顔立ちや寸法など、知っているアイシャの容姿とはかけ離れていて、それでも、その雰囲気には覚えがおり、違和感を抱いた。

「まあ、色々とあってね。今はこんな可愛らしい姿になっているんだ」

 その背丈のため有り余っている白衣の袖をぶんぶんと振り回しながら、アイシャと思しき少女は、言った。

 アイナは、初めこそ信じがたいと疑っていたが、よくよく考えてみれば、わざわざ「アイシャ」という名を出して接近してくる少女がいるものだろうか、と思いもした。それに、小さな体に収まりきっていない大きな態度は、やはりアイシャの奔放さの表れであり、不思議と苦手意識を覚えることからも彼女本人で間違いはないようだった。

「そんなことよりも一大事だ。力を貸してほしい」

「何かあったの……?」

 こっちだって急いでいるのだから、手短に頼むようにと告げるとアイシャは両手をぱっと広げ、甘える子どもように、瞳をうるうるとさせた。

「私をおぶってくれないか。この体じゃ移動がしづらくてね。いやあ、君と会えて助かったよ」




 ――――




「おお、速い速い。さすがは王都の騎士だな。やっぱり鍛え方が違うのか。私なんて、毎日、日の光も当たらない暗くて狭い部屋で研究に没頭しているからね、どうも運動不足らしくて。おまけに、この体にまだ慣れていないんだよ。ここに来る途中だって足元が空回りしてね、何度も躓いてしまって。いや本当、助かった助かった」

 耳元で興奮気味に喋り続けるアイシャを無視しながら、アイナは城を目指して走り続けていた。子供一人分の体重なら、さほど問題はないだろうと思い、偶然にも目的地が同じだったので、そして訊きたいことがあったので、アイシャのおぶってくれという要求にしぶしぶ頷き、彼女を背に抱えて王都の街を駆けていた。

 中央区の通りは他の区と比べて大きく、いつもは人気もあるがこちらでも避難指示があったのだろう。通りに人影はなかった。アイナの足音と息を吐く音、アイシャの笑い声のそれだけが街中に虚しく響いていた。

「昨晩、あなたのラボを訪れたわ。でも、留守だったのね」

 通りの角を曲がり、アイナは言った。

「ああ、そうだったね。それは悪いことをした。実は少々予想外なことが起きてね。やり方を変えたんだ」アイシャは、やれやれと、アイナの顔の真後ろに顔があるので姿は見えなかったが、首を振った。

「マーベラスが言ってたわ、少し遅かったって。あれは、タイミングが悪かったってことだったのね」

 そう言って、アイナは一人で納得した。

「どうして、ここにきたの?」

 あまり、いい予感はしなかったが、訊かずにはいられなかった。

「彼の後を追ってきたんだよ」

 もちろん、こんな体じゃ追いつけるはずもなかったんだけどね、とアイシャは自虐的に笑った。

「彼って?」

「ユウトだよ」

「王様殺しの犯人にされていた、黒い髪の彼ね」

「なんだ、もう知っていたのか。彼が犯人じゃないってことを」

 アイシャはそよ風のように、さらりと言ってみせた。

 ユウトという少年は王様殺しの犯人ではない。確たる証拠があったわけではないが、ヘクターの推理やドロシーの言葉、そしてアイシャの言い方から推察して、アイナの中でそのことは、もはや確定的だった。

 ただ、わからないこともある。たとえば、ユウトとアイシャの関係だ。彼らは、アイナの知らない何かしらの繋がりがあることが窺えた。昨日、彼女のラボを訪れたのだって、黒い髪の少年についての情報を提供するというアイシャからの報せがレオニールのもとに届いたからだ。だが、何も情報は得られなかった。結局、ユウトという少年について、王様殺しの犯人ではない、という事実以外、謎のままだ。

「追ってきたって……彼が、ここにいるの?」

 士官学校で見た少年を思い出しながら、訊ねた。

「エミルに会いにきたんだ」

「エミルに?」

「エミルはユウトのことを必死で探している。この世界をめちゃくちゃに巻き込んでね。彼女を止めることができるのは彼だけだからさ」

 アイナは首を傾げた。そういえば、レイラもそんなことを言っていた。エミルはユウトに会いたがっている。そのために手段を選んでいない、と。

 エミルが、そこまで彼に固執する理由がアイナにはわからなかった。いったいどんな関係性があるのだ、彼らの間に。

「エミルは、どうしてそこまで『ユウト』という少年を求めているの?」

 アイシャなら何か知っているのではないか、そんな期待はあった。訊ねると、アイシャはしばらく沈黙し、うん、と細かく何度も言った。言葉を探しているようだった。

「……どこから話せばいいのかな。君たちが何を知っていて何を知らないのかはわからないけど、私は本当のことを知っている。すべての出来事を知っている。私の言うことが真実だと信じてもらえるのなら、君たちも、世界の真実を知ることができるはずだよ」

 妙な言い回しをすると思ったが、要するに、アイシャは知っているのだ。ユウトのことを。エミルのことを。事件のことを。世界のことを。

 なぜ、と野暮なことは言わない。ただ、それを教えてほしい、とそれだけだった。

「かつて、スピカの森の——そのさらに外れの地域に、ユグド村という小さな村があった。そこに少年と少女がいた。彼らは本当の家族を失っている天涯孤独の身で、村長である男と共に暮らしていた。村の人々は彼らを自分の子どものように可愛がり、彼らも村の人々を親のように慕い、平穏な日々を送っていた」

 アイシャは、おとぎ話を読み上げるような、どこか堅い口調だった。

「その少年と少女が、ユウトとエミルなの?」

「そう。彼らは昔、家族だった。村には他に子どもがいなかったみたいだし、本当の兄妹よりも強い絆で結ばれていたのかも。ただ、ある日、事件が起きた」

「事件?」

「少年が命を落としたんだ。何の前触れもなく、唐突に訪れた絶望は少女を苦しめた。そして、少女は少年との再会を求め、暗躍するようになる——それが、今から二年前の出来事だ」

「エミルが王宮に現れたのと、同じ時期だわ……」

「悲しみと怒りに心を蝕まれた彼女は、歯止めが効かなくなった。ユグド村は二年前に崩壊したが、それも彼女の仕業らしい」

 アイシャの語り口はおとぎ話じみていたが、その話の内容もどこか幻想的だった。ぼーっと聞いていると、眠たくなりそうだ。

「彼女は——もちろんエミルのことだが、私に接触してきた。彼女は私の本を読んだことがあるらしい。取引を持ちかけてきた」

「どんな取引を?」

「王宮に再び居場所を与える。だから、一つ頼み事を聞いてほしいと」

「頼み事って?」

「ユウトだよ。彼女は私が人間の魂についての研究をしていることに興味を持ったらしい。彼の魂を使って、どうにかユウトを生き返らせることはできないかと考えたんだ。だから私に言った。体は用意する。彼の魂を連れてきてほしいと。私は——こっそりとマーベラスも同行させたが、城の地下牢へと案内された。そこで彼に出会った。黒い髪をした、ユウトの魂を入れる器となる少年だ」

 地下牢で見た例の少年だ、とはすぐにわかった。

 脱獄させた彼が——本当に、ユウトの魂を入れるための体となったのだろうか?ずっと疑問に思っていたが、ようやく、その答えを見つけた。

 すーっと視界が開けていく。周りに漂っていた黒いもやが、差し込んだ光に照らされ、晴れてゆく。朝日が昇り、夜が終わる瞬間に立ち会えたかのような感覚があった。

 アイシャから聞いた話と、これまでの出来事から状況を整理してみると、つまり、こうだ。

 ユウトは、二年前に死んだ。故に、マーベラスは彼の魂を持っていた。そして、マーベラスの力によって、地下牢の少年は「ユウト」という人間になった。エミルはユウトと再会するという目的を達成した。

 しかし、アイナが――もとい、ドロシーが彼を脱獄させてしまう。だから、エミルは王様を殺し、その罪を「ユウト」に着せ、騎士団を動かし、捕まえようとした。念を入れるためか、レイラにまで話を持ちかけて。

 謎を、解き明かしたというのに、なぜだか爽快感はなかった。

 にわかには信じられないことだが、アイシャの話が本当ならば、すべての辻褄が合う気もした。

 その時ふと、二年前、初めて王宮で見かけた時のエミルの姿を思い出した。

 周囲の人間から目を逸らすように俯き、フードの中に縮こまっていることもあり、こそこそと隠れるようにして生きている少女なのだという印象だった。話しかけても短く応えるだけで、愛想よく返してはくれなかった。遠慮がちなのか、それとも慣れない王宮の空気感に緊張しているのかと思い、それなら無理に関わるのも可哀想だと、必要以上の接触はなるべく避けていた。

 彼女の正体がわかった今、その考えも改めなければならないようだ。

 エミルは見下していたのだ、王宮の人間を。レグルス王も含めて騎士団のことを。何が目的なのかは知らないが、自分の崇高な野望を理解する人間はいないと、諦め、呆れ、関わり合いを拒んでいた。遠慮していたのではない。煩わしかったのだ。

 腹の底がふつふつと熱くなってくる。憤りを感じていた。自分たちの信じる正義を魔女に嘲られた。腹立たしい気分だった。

 気づけば、城の前に着いていた。

 城を見上げる。澄み渡った空を背景に、城は堂々たる姿を見せていた。城そのものが王様のような、高貴な貫禄さえあった。

 鼓動が速くなっている。ここまできた。恐れてはいなかったが、体の芯が凍えるような寒気に襲われた。一瞬にして全身に伝わり、鳥肌が立つ。

 最後の戦いが始まる。この城で、すべてが終わる。そう、直感的に思った。

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