夜は駆ける。朝の兆しを恐れている。

ユウト 12

 時計塔の最上階は研究室となっていた。照明はなく、目を凝らさなければ危うく躓きそうになる。

 誰かいないのだろうかと、散らかった室内を見渡していると光を見つけた。奥にある部屋の壁には窓が取り付けられており、そこから陽光が差し込んでいた。黄味を帯びた光が、ユウトを導くかのように暗闇を照らしている。

 ユウトは奥の部屋に行こうとして、足を止めた。窓のそばに人影があった。

「誰かいるのかい」

 隣に並んだジークが、暗闇に向かって呼びかけた。

 人影が、ゆらりと動いた。こつこつと静かに足音を鳴らしながら、こちらに向かってくる。

「誰だ。俺の研究室に無断で入ってんのは」

 しわがれた声と共に現れた男は、不機嫌そうに表情を歪めていた。

「アルフレッド」

「ああ?誰だよ、てめぇは」

 アルフレッドと呼ばれたその男は、敵意の表れか下顎を突き出していた。背が高く、筋肉質の体つきだ。獣のように縄張り意識が強いのだろうか、相手を追い払おうと威嚇せんばかりに瞳はぎらりと輝いているが、どこか生気がなく、こけた頬からは老いを感じた。目の下にはひどい隈があった。

 一目で、残念な中年男といった印象を抱いた。乱れた髪と無精髭が、彼の苛立った気分を際立たせている風に見えた。

「僕はジーク。王都の騎士だ」

「はあん、レグルス騎士団か。なるほど、さっきから外が騒がしいと思ってたが、お前らの仕業だったってことか」

 アルフレッドは、正面に立つジークとその隣にいるユウトを険しい目つきで睨んだ。自分を王様だとでも思っているのだろうか、ふんぞり返った偉そうな態度に高いプライドが透けて見えた。

「この俺を街から追い出した王都のやつが、こんなところにまで来て何の用だよ」

「アークの街に、何やら不穏な空気が漂っているらしくてね、僕はその調査をしに来た」と、言いながらジークは、ユウトの体をアルフレッドから隠す位置へ、自然に立った。

「この街のことは、王都に住むお前らには関係ねえだろうがよ」

 低い声で、鼻息を荒くしながら、アルフレッドは言う。

「とっとと出ていけ」

「この街の様子を見て、そういうわけにもいかないと判断したよ。住宅街らしきエリアに人々の暮らしている形跡はなく、機械生命体たちは僕を見るや襲い掛かってくる。明らかに異常じゃないか。そして、あの少女も」

「少女だあ?」

 アルフレッドはわざとらしく首を傾げた。

「クロムのことだよ。彼女は機械生命体でありながら人間の心を持っていた。おかげで、自分の行いに罪悪感を抱いていたみたいだ。苦しんでいたよ。自身の存在意義や生き方に迷っていた。とても可哀想な様子だったよ」

「命令を聞くことしかできない、自分で考えることのできない機械どもに、人間を理解する力を与えてやったんだよ。まあ、結果は予想通りといったところだがな」

 その言い方は、どこか恩着せがましかったが、アルフレッドは清潔感のない髪をくしゃくしゃとした。

「余計な情まで感じるようになってしまったのなら仕方ないな。妙な気を起こす前に、あれは早々に処分してやろう」

 ユウトの体が、ぐんと前方に押し出された感覚があった。

 何事かと驚き顔を上げると、ジークがアルフレッドに急接近し、睨み合っていた。手には大剣を握り、アルフレッドの体の上で振りかぶっている。ユウトには認識できないほどの一瞬の出来事だったのだと、対峙する二人を目にして初めて気づいた。彼が移動したその勢いに圧されたのだと。

 ジークが剣を振り下ろす。

 ガキンと高い音がした。体が跳ね上がるような、鉱物を叩き壊した時に感じる驚きと似た響きがあった。眉をひそめる。

 突然、アルフレッドの背後から現れた巨大な影が、暗がりの中を軽快に動き、ジークの剣を掴み取っていた。

 何だ、あれは。ユウトはその影をまじまじと見た。

 機械でできた腕のようだった。人間の腕と形は似ているが、倍近くある太さ、大きさのそれを、アルフレッドは自身の体に取り付けていた。彼の右肩から伸びているように見えるその機械腕は、彼の意志の通りに自在に操ることができるらしく、ジークの攻撃を難なく防御していた。

 ジークが一度、離れる。アルフレッドが舌打ちをした。防がれはしたが、剣先は触れていたのだろう。目を凝らして見ると彼の頬を赤い血が伝っていた。

「痛えじゃねえかよ」と、アルフレッドは左手で血を拭った。

「自分の痛みには敏感なのか。その繊細さを、どうして彼女に向けてあげなかったんだ」

「お前には関係のないことだろうが」

 機械でできた腕は、もう一つあった。今度はアルフレッドの左肩から、うねるようにして現れた。

 ジークが、前へ踏み込んだ。アルフレッドは機械腕を部屋中に伸ばす。

 ああ、ここだ。ユウトは、アイシャのラボで見た予知のことを思い出した。

 暗い空間の中で、ジークが黒く巨大な影に立ち向かっている場面だ。ということは、ジークの予想していた通り、影の正体はアルフレッドだったのだ。禍々しい人ならざる気配を感じたのは、彼の機械腕によるものだろう。

 ふっと頭に浮かんだその光景が、背後に吹き抜けていった圧迫感のある風で、消し飛ばされた。ガキン、ガキンと耳の穴から飛び込んできて、喉の奥まで突き刺さるような鋭い音が、不規則に響く。

 暗がりの中で、両者がぶつかり合っている音だった。

「はあっ!」

「ちっ、邪魔なんだよ!」

 気迫に満ちた声が、闇の向こうで、した。二人の姿はほとんど見えなかったが、ジークが剣を振る音や、アルフレッドが機械腕を動かし、辺りのものを見境なく破壊している音、部屋中をドタバタと走り回っている足音、だんだんと荒くなっている息遣いなどが聞こえ、激しい戦闘が繰り広げられているのはわかった。

 そのうち衝撃が床を伝い、足元まで届いてきた。びりびりと足の裏が麻痺するかのような強い振動が、あった。腹の底にじんじんと響いてむず痒かった。顔に触れる空気さえも震えているようだった。

 自分に加勢できるだけの力はないのだ。せめてジークの邪魔にならないようにしなければ。ユウトは、部屋の入り口付近に移動した。それから、身を屈めた。

「相変わらず、甘い男だな」

 頭上でした声に、背筋がぞくっとした。見ると、姿はなかったが確かにファフニールの声だった。

「いつの間に……というか、どこに行ってたの?」

「ずっといた。どこにも行っていない。あいつがいる限り、オレは自由には動けないんでな」ため息交じりに、ファフニールが言った。

「……甘い男ってジークさんのこと?」

 ユウトは、おそるおそる訊ねた。ジークが釘を刺してくれているとはいえ、この邪竜がいつ気を変えて襲い掛かってくるかわからなかったからだ。時計塔の前の広場で、迫りくる機械生命体の群れをあっけなく返り討ちにするあの迫力を間近で見た後だと、尚更、彼の恐ろしさには警戒するものだ。

「この期に及んで、あのアルフレッドという男を救うことができないかと企んでいる。あわよくば、やつの理解者になれないだろうか、と本気で考えているんだろうな」

 その声には、呆れと共に怒りの念までもが滲んでいるように感じた。自分に直接、向けられていたわけではないが、ユウトは思わず身震いした。

「でも、ジークさんならできるんじゃないかって期待しちゃうよ。あの人には、周りにそう思わせるだけの力があるんだもの」

 現に、まだ出会ったばかりの自分でさえ、ジークさんならと信頼を寄せているのだから、とユウトは続けた。

 それを聞き、ファフニールは少し間を開けて――言おうかどうか、いや、そもそもどうしてそれをオレが躊躇わねばならんのだ、とそんな逡巡があったかのようなちょっとした間だったが――口を開いた。

「あいつに残された時間は、そう長くはない」

 え、とユウトは自分の耳を疑った。

 残された時間が長くない、というその言い方は、つまりジークがこのアークの街を調査をするにあたって、任務として、与えられた時間の制限を指しているのだろうかと、まず考えた。いや、そんなはずはない。仮にそうであったとしても、ジークが途中で任務を放棄するとは思えなかった。

 先ほど、街中で再会した際に言っていたではないか。客観的な情報以上に自分を信じることが大切なのだと。アルフレッドを改心させることが、クロムを救うことが自分にはできるのだとジーク自身が一番信じているのだ。堅苦しい秩序などに縛られる人ではないということは、ユウトも十分に理解していた。

 そのことをファフニールも承知しているだろう。つまり、彼の言いたかったことはそれではない。

 ならば、その「残された時間」というのは、他に何を意味しているのだろうか。

 まさか、とは思ったが、やめた。

 寒気が、した。


 次の瞬間、いくつかのことが立て続けに起こった。

 そのどれもがユウトにとっては衝撃的で、その光景だけがうっかり記憶から抜け落ちてしまったように、しばらく、ぽかんとしていた。

 まず勢いよく、部屋の扉が開いた。

 ユウトは顔を横に向ける。「あ」と短く洩らした。視線の先には、クロムの姿があった。部屋に入ってきた彼女と目が合った。悩みを振り切ったのか、満ちた月のように輝く目をしていた。

 続いて、ごうっと重たい音が近づいてきた。部屋の奥からだ。何かが勢いよく迫ってくる気配があった。ひんやりとした空気が体を包んだ。

 機械腕が見えた。ユウトの顔の前を通り過ぎ、クロムの方へと向かっていった。反射的に、ジークとアルフレッドのやり取りが思い浮かんだ。アルフレッドはジークからクロムのことを聞き、早々に処分してやろうと、そんなことを言いかけていたではないか。まずい。部屋に入ってきたクロムの姿を見つけて、攻撃してきたのだ。

 体が揺れた。恐怖に震えたのかもしれない。それでも、身を挺してでもクロムを守らなければと使命感にも似た情を抱いたりもした。

 だが、変わらずその場に立ちとどまっていたのは、足が動き出すよりも先に、彼の姿を目で追ったからだった。

 ジークだ。クロムの壁になるように前に立ち、彼女を目掛けて伸びてきた機械腕を、剣で弾いた。なんて素早い動きだ。こちらに戻ってきたところを認識することさえできなかった。

 そのまま、クロムを捕えようと仕掛けてくる機械腕を、ジークはクロムを守るためにと、すべて捌いていた。アルフレッドの機械腕は当然ながら生き物らしさは皆無だ。たとえば、この対峙している相手が獣か人間であれば、感覚は大きく違ってくるのだろう。生きていることを感じさせる彼らは、呼吸の乱れ方から動きが鈍ってくるだろうとか、体の構造的にその動きは不可能だろうとか、攻撃の予測ができたりする。だが、機械腕には疲れがなく動きは変則的だ。それらを決して後退せず、弾く。なんて集中力だ。息を呑んで見ていることしかできなかったが、見惚れてしまうほどの剣捌きだった。

 滑らかに宙を舞うジークの剣が、的確に機械腕を撃つ。右、左、また左、そして今度は右と、目が回りそうになるが、ジークには関係ない。ふうっと時折、調子を整えるように息を吐きながら、鋭い目で機械腕を睨み、剣を振るっていた。

 ぐしゃ、という鈍い音に、はっとして意識が現実に引き戻された時、ユウトは自分の呼吸が荒くなっていることに気づいた。緊張で体が強張ってもいた。がちがちと震えるほど、手に力が入っていた。

 闇の向こうから伸びてきたもう一つの機械腕が、ジークの脇を抜け、クロムに迫ろうとした。それを、ジークは受け止めた。彼自身の体を使って。クロムの盾になったようだ。肉が抉れたような痛々しい傷を横腹につくっているのが見えた。流血だってしていた。

 ファフニールの言葉が、脳裏をよぎった。

「ジークさん!」

 思わず、叫ぶ。

 ただ致命傷ではなかったのか、ジークは怯まなかった。すぐに体勢を変え、機械腕を叩く。岩が砕けるように、一部分が壊れた。が、活動停止には至らなかったらしい。アルフレッドの方へと、戻っていく。

 ジークは怪我を負った体の左側を後ろに引いた。力強い目で、歩いてくるアルフレッドを睨んでいた。

「機械どもに心を与えるのは、間違いだった。俺たち人間が、機械の体を使えばいいんだ。それだけのことだったのかもしれねえな」

 アルフレッドの声が、響いた。

「君は、何が目的なんだ?」ジークは、息が乱れていた。

「新たな生命の創造だよ」

 ジークを追い詰めていることに、機械腕の可能性を感じたのかもしれない。アルフレッドは、先ほどまでのむすっとした態度を伏せ、満足そうな顔でべらべらと喋り出した。

「この世界には陳腐な生命が多すぎる。その筆頭とも言えるのが人間だ。とことん自分勝手で欲深いやつもいれば、くだらん秩序や正義に妄信するやつもいる。おまけに脆い。肉体的にも精神的にもな。どうしてこうも融通が利かないのか、まるでわからない。それを解決したのが機械生命体の存在だ。簡単に統制をとることができ、体は何でも替えが利く。どこを損傷しようとも、たとえ体をすべて失ったとしても、コアを用いて再生ができる。魅力的じゃねえか。そんな神秘とも言えよう代物を、俺たち人間が支配下におけているってのはよ」

「クロムに心を与えたのは、なぜなんだ」

 ジークは、ぐっと剣を握り直した。背後にいる彼女を何としても守り抜くという強い決意が、その目には宿っていた。

「人間に代わる新たな生命を生み出そうと思っただけだ。だが、お前のおかげで、あいつらが心を持つことは難しいことがわかった。やはり、心を持った人間が機械を使うのが一番いいみたいだ。俺たち自身が新たな生命になるんだよ」

 彼の感情の昂りに呼応するかのように、機械腕がギチギチと耳障りな音を鳴らす。

「機械の体があれば損傷したところを簡単に治すことだってできる。現にお前から受けたダメージだって、この腕を取り換えれば無傷も同然だ。疑似的な不死の体とも言えよう。人間の心を持ち、力のある体を手に入れた新たな生命こそが、この俺なのだ」

「君に人間の心があるとは思えないな。温かみがないんだよ、アルフレッド。君の心は夜風のように、でも清々しさは無くて、とにかく冷たい」

「……心のお医者さんかよ、てめえは。いちいち癇に障るな」

 アルフレッドが、ぼりぼりと後頭部を掻く。それから、はあっと息を吐いた。苛立ちを募らせている様子だった。

 ジークが振り返る。

 後ろにいるクロムと、何やら言葉を交わしているようだった。ここまでは聞こえない。

 足元には、傷口から流れ落ちた血が溜まっていた。暗闇に溶け込む暗い色合いで、ずっと見ていると全身の力が抜けそうになるほど不気味だった。

 気のせいか、ジークの姿がその場から薄れていくように、ユウトには見えた。寒い朝に口から出た白い息のように、すうっと空に溶けていく。そんな錯覚を起こしていた。

 何だ、今のは。

 瞬きすると、彼の優しい顔がこちらを見ていた。口元には笑みがこぼれていた。自分自身を鼓舞するための虚勢。ではなく、ユウトたちに安心感を与えるための笑顔なのだと理解した。「大丈夫だよ」と、そんな声が聞こえた。

 やがて、ジークがアルフレッドの方へと向き直る。

 守るべき者のために戦う騎士の後ろ姿を、ユウトは瞼に焼き付けた。

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