ユーリ 11

 ユーリは剣を突き刺した。ユーリの下で、ユートピアの体が、びくんと震えたのがわかった。

 剣を抜き、握った両手を頭上まで振り上げる。また、突き刺す。どしゅ、と体の力が抜けそうになるような生々しい音がした。ユートピアの顔を見る。虚ろな目をしていたが、絶命しているのかはっきりとはわからなかった。

 また剣を引き抜く。その際、剣が体の内側に引っ掛かり力任せに動かすと、ずる、と滑るような感触が気色悪かった。

 真っ赤な血が地面に溜まっていた。腕を上げ、下ろす。ユートピアの体に剣を突き立てる。その動作を、無心で繰り返していた。音がし、血が流れる。

 殺意や復讐心に体が支配されているという感覚はなかった。かといって、達成感や快楽もない。

 ただ、今はそうすることが正しいのだと、これが自分の正義なのだと、柄にもなく興奮していたのはわかった。

 どん、と体が弾かれるような強い衝撃が、横からユーリを襲った。

 うっと声を上げて、地面に転がる。体を何かが覆っていた。慌てて引き剥がそうと、手や足を動かす。

「ユーリ!」

 レオの声がし、はっと我に返った。

 気づくと、背中を地面に預け倒れていた。視線の先には、レオの顔があった。困惑と狼狽の色が滲んだ目で、ユーリを見ていた。何かが覆いかぶさっていたと感じたのは、彼のことだった。

「レオ」

 呆けた声で、ユーリは確認するように言う。あんたは、僕の知っているレオンハルトだよな、と。

 突如、左腕に痛みが走った。内側から掻き毟られるような感覚が、襲う。ぐう、と呻き声を上げ、うずくまる。

 こんな時だからこそと心を落ち着ける努力をしてみると、体の左側に違和感があった。違和感というより、何もない感覚だった。え、と声が洩れる。

 あり得ないという衝撃が、雷の如く走った。左腕そのものが消し飛んだのではと思い、おそるおそる見る。が、そんなことはなかった。ただ、自分の腕であるはずなのに、その左腕が作り物であるかのように感じてしまった。中に何も詰まっていないのではと、自分の意識で動かすことができない、ただの飾りなのではと、そんな気味の悪さを覚えた。

 じんわりとした冷たさが腕から肩に、そして肩を伝い、首元まで這い上がってくる。その冷たさが痛みであると気づくのに時間はかかったが、確かに感じ取るようになってからが辛かった。

 これまでどうやって乗り切っていたのか、それとも忘れていたのかと己の痛覚を疑いたくなるほどの激しい痛みだった。死すら目前に見えたほどだ。目が霞む。痛みの原因は何だと目をやると、左肩の背中側にひどい裂傷のような痕があった。肩が真っ赤に染まっている。肉が抉れているようにも見えた。何だ、これは。

「意識をしっかり持て、ユーリ」

 レオが必死な声で言う。意識を失いかけているのか僕は、と事態を俯瞰的に分析している自分がいた。

「ユートピアは……?」

 ユーリの声は、掠れていた。

「生きている」

「そうか」

「お前がやつを抑えた後、手だけを動かして死角から攻撃をしようとしていた。あの破壊の光だ。どこかやられたか?」

 崖に追い詰められているかのような勢いで、レオは声を荒げている。

 なるほど、つまりユートピアに馬乗りになり、夢中になって剣を突き立てていたその隙をついてきたのか。そして、それをレオが止めてくれた。あのまま攻撃を続けていたら、ユートピアの破壊の光に呑まれていたかもしれないな。と、ユーリは思った。

「腕に、痛みがある。左腕だ。それと、体が動かない……」

 レオが目を見開く。

「ドロシーの腕か」

「力を使いすぎたのかも」

「だが、ダメージは与えた」

「ああ、おかげさまでな。一矢報いてやった……」

 声が途切れ途切れになる。発声さえうまくいかないのかと、絶望的な気持ちになった。

 斜め上に、つまり、ユートピアがいるであろう方へと視線をやる。

 そこに、やつの姿は、あった。すでに立ち上がっている。

 レオの言った通り、生きていた。その首元は、ユーリが何度も剣を突き立てたせいで血みどろだったが、平気そうな様子だった。ぽっかりと空いた傷穴には、深い闇が垣間見えた。胸に突き刺さっていたレオの剣も、足元に抜け落ちている。

 ユートピアは、こちらに冷徹な眼差しを向けていた。

「レオ……」

 ユートピアが起き上がっているぞ、と続けようとして、喉に熱が生まれた。痛みも伴う。がはっ、と生き物の呼吸とは思えぬ空気が洩れた。

 ただならぬ様子を察したのか、レオがユーリの体を支えるため腕を伸ばす。違う、こっちじゃない。後ろだ。僕のことはどうでもいいから。必死に伝えようとする。やはり、声は出ない。

 ユートピアが手のひらを見せた。ああ、あの力だ。魔女としての恐ろしい破壊の光だ。

 レオは気づいていない。ユートピアが死んでいないことは知っているのだろうが、あれだけ深く傷を負わせているのだ。そうそう反撃してくることもないはずだと高を括っているのかもしれない。とにかく、ユーリの介抱に集中していた。

 ならばイチかバチか、もう一度、ドロシーの力を使うか?頭をよぎったのは、スピカの森での光景だった。

 ここで二人とも消されてしまうくらいなら、せめてレオだけでも生かしてやらなければ。死にぞこないの自分はまだしも、彼には明日を生きる希望がある。それを終わらせるわけにはいかないのだ。自分の命の価値を思考の届かぬ端に投げ、レオを助けることに、半ば使命感にも似た感情を抱いていた。

 目眩がした。視界が真っ白になったり、真っ暗になったりした。忙しなく世界の色が変わる。吐きそうだ。ころころと顔色を変える世界を前に、意識が途切れそうになるのをなんとか堪えながら、ユーリは体中に力を入れた。

 動け、動け、と心の中で叫ぶ。さっきは動いたじゃないか、なあ。先ほども神頼みに念じておいてまた同じ願いかと、神様的な存在もうんざりとしていることだろう。知ったこっちゃない。動いてくれ。

「ちょっと待った」

 懐かしい声が聞こえた。いや、つい最近まで親し気に、もっと言うと図々しく思いつつあったのだが、今や肉体的にも精神的にも摩耗している。その煩わしくさえあった声に我が家にいる時のような安心感を感じた。

 声のした方を見やる。

 やはり、いた。ドロシーだ。ユートピアの後ろに、立っている。

「ドロシー」

 ユートピアが振り返り、ユーリは噛み締めるように名を呼んだ。

「いやあ、一度言ってみたかったんだよ、このセリフ。どう?かっこよかった?救世主って感じ、あったでしょ?」

 ドロシーの余裕綽々としたその表情はいつものことで、相変わらずの調子で、それは彼女らしさでもあるのだが、空気も読まず、相手にしていると、たとえそれが命を懸けて戦った後だとしても、思わず拍子抜けしてしまう態度だった。

「何をしに来た」

 ユートピアの声がする。珍しく警戒している様子だった。

 不意の攻撃に深傷を負い、動揺しているのだろうか。ドロシーを恐れている。生まれて初めて、死が迫っているということに恐怖を感じ取っていたふうだった。

 なんてことは、ない。こちらも同様、つんと澄ました顔で、首元には向こう側の景色が覗けそうなほどの傷穴が開いているのだが、恐れている素振りなどはまったく見られなかった。

「うわあ、グロテスクだね、それ」

 ドロシーが、自分の胸元を指し、とんとんと軽く叩く。

「大したことはない」

 ユートピアは平然と言ってのける。

「人間だと死んでるだろうね」

「私は人間ではない」

「知ってるとも」

 けらけら、とドロシーが笑う。張り詰めた空気が、一気に空の彼方に消えていった。感じがした。重苦しい雰囲気は散り散りになり、牧歌的な風景が浮かんでくるほどの長閑な気分を味わった。

「もう一度、聞く。何をしに来た」

 眉一つ、動かさず淡々とユートピアは返す。

「頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

「彼らを見逃してほしい」

 ドロシーが、少女らしい華奢な手を伸ばし、ユーリたちを指した。

 ユーリは、体は動かず、声も出ないひどい状態だったが意識はあった。ドロシーがユートピアと何を話しているのか、ちゃんと聞いていた。

 だからこそ驚いた。ドロシーが、あの気分屋で、無法者で、おまけに自分勝手な魔女が、ユーリたちを助けるために交渉を始めたというのだからおかしかった。

「見逃す?」

「そう。だって、キミの目的はこの世界の破壊でしょ?なら、わざわざ彼らを殺す必要はないんじゃないかな」

 ドロシーが、ユートピアに歩み寄った。

「その通りだ」

 ユートピアは少し間を開け、肯定した。

「だが、見逃してやったところで、アークを破壊するとこの世界はすべてが崩壊する。生きとし生けるもの、命持たぬもの、例外はなく、何もかもが滅びゆくのだ。どのみち死ぬことになる」

「だから、彼らを連れていくんだよ」

「連れていく?」

「クラウンが創造した『新しい世界』にさ。それなら、たとえ『この世界』が崩壊したとしても生きていける。そうでしょ?」

 ドロシーが足を止めた。ユートピアと間近で向き合っていた。魔女として互いに譲れないものがあるのだろうか。両者とも一歩も動かず、ただじっと見つめ合っていた。睨み合っていたかもしれない。とにかく、沈黙は続いた。

 やがて、ユートピアが先に口を開くと、ぶるっと空気が震えた。

「好きにしろ。私は『この世界』を破壊するだけだ。それ以外のことはどうでもいい」

「真面目だねえ。息苦しくないのかい?」

「魔女とは本来、こういうものだ。貴様は自由が過ぎる。いつか痛い目を見ることになるぞ」

「そんな時は、ぴゅーんて世界を飛んで逃げてみせるよ。なんたってボク、そういった力を持っているから、ね」

 ドロシーが、得意げにウィンクをしてみせる。

 ユートピアが、ふん、と鼻を鳴らした。心なしか、不服そうにしていた。ドロシーの態度に、苦手意識を覚えたのかもしれない。その呆れとも悔しげとも取れる顔を見ることができただけでも、僕たちの勝利かもな、とユーリは思った。




 ————




「それは本当か、ドロシー?」

「うん、本当だよ。この目で確認してきたからね。ボクは隠しごとは多いけど、嘘はつかないよ」

 その言葉自体が、嘘なのではないか。そう思ったが、ユーリは言わなかった。

 ユートピアとの戦いでのダメージが想像以上に大きく、体はいくらか動かせるようになり、何とか声を発することもできるようになった。安静にしていれば回復していくという予感があり、腕の痛みも時々あるが、苦しいと感じるほどではなかった。

 そのうち治るだろうという状態だったが、精神的な疲れはかなり残っていた。ドロシーに意見したところで、会話が面倒な方へと流れていく気がしたので、ただ彼女の言葉に耳を傾けていた。

「いざという時のためにね、『新しい世界』の様子を見てきたけども、予想通りだった。あっちの世界にも、クラウンは存在していたよ。レグルスが持っているようだった。こっちの世界とは違って、無傷の状態でね。それを彼から奪い取ることができれば、すべてをもとに戻すことだってできるはずだ」

「本当に、そう言い切れるのか?」

 レオが鋭く指摘する。

「ボクはクラウンから生まれた存在だからね。クラウンは、いわば親みたいなものだよ。親のことをわからない子がいるわけないじゃないか」

 ユーリとレオ、そして、ユートピアから冷ややかな視線を浴びながら、ドロシーは、ふっふっふと一人、得意げに笑った。

「ただ、一つ問題があるとすれば、やっぱり、まだあっちの世界は不安定なんだよね。なぜなら、この世界が存在しているから。ボクたちが目指す『新しい世界』が確かなものになるためには、一度、この世界を破壊しなきゃいけないんだ」

「もとより、私はそうするつもりだ」

 ユートピアが、口を挟んだ。

「そこで、だ。キミたちに提案がある。この世界を再び取り戻すために、ここは一度、湧き上がる感情をぐっと堪えて、ユートピアの破壊を許し、『新しい世界』へ行こう。そこでクラウンを手に入れ、その力でこの世界を復活させる。というのはどうだろうか」

 ドロシーが、ユーリとレオを同時に指した。

 言いたいことは色々とあった。というより、まずそんなことをユートピアの前で堂々と話すのはどうなのだと思った。

 この魔女は、世界の破壊が目的のはずだ。せっかく破壊したはずの世界をまた元通りにされるとなると、ユートピアも黙ってはいないだろう。同じようなことを疑問に思ったレオが、それらしきことを訊ねた。

 だが、予想に反し、答えは単純明快だった。ユートピアはこの世界の破壊のみが目的であり彼女の役目である。その役目を終えると、後のことには関与しないという。ドロシーも、魔女はこういった点において、特にユートピアの場合はとても素直であり、人間よりも信頼できる誠実さがあるから信じてもいいと思う、と同じく魔女としての視点から意見し、太鼓判を押した。

 深い霧が、さっと晴れた爽快感があった。まだ希望があるぞ、と視界が開ける。活力が体を満たしていた。

 世界を取り戻すことができるかもしれない。あの平穏な日々を、また過ごすことができるかもしれない。

 ならば、返事は一つしかないだろう。

 ユーリとレオは首を縦に振った。

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