アイナ 11

 はあ、はあ、と息を吐きながら、アイナは王都の街を駆けていた。

 いつもは人で賑わう北区の大通りだが、珍しいことに、今日は誰の影も見当たらないことに驚いた。

 朝日が道を照らす。通りは明るいが、道の脇の建物によってできた影が際立って見える。何か不吉な予感がした。王都の街から自分以外の人々が皆、消え去ってしまったのではないかという恐ろしい不安が、アイナの胸を埋め尽くした。

 だがすぐに、きっと避難指示があったのだろうと思い直す。

 ヘクターから聞いた話だと、他の区にいた騎士たちも機械生命体たちが士官学校に攻め込んできたという事態を把握しているようだった。ので、住民たちの非難を促してくれたのだ、と想像した。

 孤独であるという虚しさ、静けさが、アイナの体を包んだ。寂しさとは違う、一人でいるということのこの独特の空気感は、今でこそ親友のように長い付き合いだと皮肉も言えるほどだが、それが嫌だった頃を思い出して、アイナは懐かしさを感じた。

 前にも似たようなことがあったな、と人気のない街を駆け抜ける気分は、アイナの中に眠っていた、というより思い出したくないので無理やり眠らせていた、いつかの記憶を呼び覚ました。

 その時も、こうして王都の街中を走っていた。




 ――――




 はあ、はあ、と息を切らしながら、アイナは王都の街を駆けていた。

 北区にある家を出ると、すぐそこには大通りがある。商店街や住宅街が近く、そして、他の区へ移ることができる門へと続く道が重なっていることなどの理由から、いつもは人で溢れ、賑わいをみせている北区の大通りだったが、その日に限っては誰の姿も見えなかった。

 おかげで、アイナは孤独だった。この世界のこの大きな街の中で、生きている人間は自分一人しかいないのではないかと本気で思ったほどだ。

 苛立ちと悔しさが腹の中で渦巻く。王都の街を走っている理由――それは、少し前に始まった父との言い争いにあった。

 レグルス騎士団に入り、この街を守る。そう豪語したアイナに父は反対した。士官学校に通い、この世界についての多くの事柄を知り、騎士の何たるかを学び、愛国心や正義感というものを育んできたと告げてみたが無駄だった。珍しいことに、父は断固として首を縦に振らなかった。ただ「危険だ」の一点張りであった。

 国を救った英雄として、時には神を崇めるかのような勢いで、大袈裟な待遇を受けるほど街の人々から尊敬されている父が――もちろん、アイナも尊敬しているのだが――危険だからやめろ、と言い放つ言葉には、強い説得力があった。言い返す気にならないくらい圧倒される重みがあった。

 母を失ってからというもの、父はいつも何かに怯えているようだった。それは、これ以上、家族を失うことへの恐怖なのか。少なくとも、アイナにはそう見えていた。だから、父の否定する言葉には嫌悪感などは一切、感じられなかった。ただただ、優しさが詰まっていた。アイナのことを一番に想っての意見だとはいうことは、当然わかっていた。

 しかし、だからこそ、やりきれない気持ちだった。自分で自分が何をしたいのか、どうすることが正しいのか、わからなかった。

 父に反抗する意志を示すことで何かが変わるのかもわからない。もしかすると、何も変わらないのだとわかっていたのかもしれないが、未来への道筋というか、自分の行く先が見えなくなり、気づけば家を飛び出していた。

 北区の大通りを突っ切る。

 どこからかこちらに向かって呼びかけてくる声が聞こえてきた気がしたが、立ち止まらなかった。反応はしないようにしていた。

 大人たちは信用できないからだ。父のように自分を否定してくるのだと決めつけ、なるべく誰とも顔を合わせたくないという思いで、街中を駆け抜けた。

 王都の街から、外へ出てみようという気になったのは、走るのに疲れ、一度立ち止まり、家から少しでも離れようと歩きながら、酒場の前を通った際に、酔っ払う男たちの話を聞いたからだった。

「そういや、知ってるか。また出たらしい」

 入り口付近のテーブルに座っている、頬を真っ赤にした中年の男が言った。

「出たって、何が?」

 向かいに座る男もまた、中年男より多少若くは見えるものの、顔をよく熟れた果実のように赤くし、頭を掻きながら返した。

「獣だよ獣。赤い目をした凶暴なやつだよ」

「ああ、それなら知ってるよ。スピカの森に出たらしいな。近くにある村から駆除要請が出ているらしいぞ。近々、レグルス騎士団が出向くんじゃないかな?」

 そうなのかあ、と中年男は言い、卓上のジョッキを掴んだ。

 これだ。アイナの中に、閃くものがあった。その獣を、騎士団に代わっていち早く退治してしまえばいいのではないか。と、考えた。

 そうすれば父も認めてくれるだろう。レグルス騎士団にふさわしい力を持っているということを。

 善は急げだ。アイナは踵を返し、士官学校を目指した。

 アイナが通っている北区の士官学校には、校舎と隣接して建つ訓練施設の中に、持ち出しが可能の木刀があった。郊外への持ち出しができるのかどうかわからなかったが、禁止されていると聞いたことがあるわけでもないし、何よりこれは世界を平和にするための行いなのだから、正義のためなのだからと自分を納得させた。

 思い立つとすぐに行動する癖は、特に、二年前のアイナにはあった。

 思い切りがいいとも言えるのか、とにかく浅慮だった。それに気づかないことが何より危険なのだと父から教わってもいたのだが、この時のアイナはさほど意識していなかった。

 この後、向かった森の中で、アイナの人生の転機とも呼べる出来事が起きる。

 生きるということを、他人を助けるということを、アイナは夜の森の中で見知らぬ少年の後ろ姿に学ぶのだが、その邂逅が、現在、この世界で起きているすべての事件の始まりであったということを、アイナは知らない。




 ――――




 その後、無事に王都に帰ることができたアイナは、すぐに彼のことを探した。

 同じくらいの年齢で剣を持っていた。剣は、アイナが獣たちから逃げる時に落としたものを拾った様子だったが、獣に臆することなく立ち向かった勇気、実力から見て、王都の騎士なのではないかと思ったが、彼と出会うことはなかった。

 そもそも王都の人間ではないらしく、森が薄暗くて容姿もぼんやりとしか覚えていないために、その少年を見つけ出すことはできなかった。

 あの時の少年だ。

 アイナは、鼓動が速くなっているのがわかった。緊張か興奮にも近い感情だろう。

 二年ほど前、夜の森の中でアイナの命を救ってくれた少年が、今でもその時の光景は夢で見るのだが、再び姿を現した。

 中央区へと入る。まっすぐに城を目指した。走りながら、士官学校でのことを思い返す。

 少年が士官学校に現れた時、彼は二年前と同じように、群がる獣たちからアイナを守るようにして、レイラの前に立ち塞がった。

 「お前が、『ユウト』とかいう小僧か?」

 レイラが不機嫌そうに訊ねた。

 少年は反応しない。じっとレイラの出方を伺っているようだった。アイナからは、その背中しか見えない。

 何も答えず、そして剣を構えもしない少年に嫌気がさしたのか、レイラはしばらく、ぶつぶつと言っていたが、やがていつもの悪魔の笑みを浮かべた。

「まあいい。正直お前のことなど、もうどうでもいいんだ。エミルは私との約束を守らなかったのだからな。私も言うことを聞いてやる義理はないさ。それよりも――」

 レイラが、少年の横を走り抜けていった。

 アイナには彼女の行動の意味が理解できた。先ほど、城の方で発生した雷のような衝撃から、レオニールの気配を察知したのだ。そこへ向かったに違いない。

 郊外へと姿を消したレイラを見て、すぐに体を起こす。気づくと、少年の姿もどこにも見当たらなかった。

 幻覚、ではないはずだ。レイラも反応を見せていた。きっと、すぐにレイラの後を追っていったのだろう。

 とにかく、中央区へ急がなければ。アイナは城を目指し、駆け出した。

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