アイナ 10
「どうした、動きが鈍いぞ。あのアイリスという小娘の方が、まだ過敏に動いていたぞ」
レイラが小馬鹿にするような顔をして、剣を振った。彼女の口からアイリスの名を聞くと、背中に寒気が走った。
冷静になるのだ。心の中で言い、深呼吸する。
レイラはその名を、わざと口にしている。それはわかっていた。アイナを動揺させ、隙をついて襲う。あるいは、その様を眺めるだけでも彼女にとっては愉しいからだ。
しかし、頭ではわかっていても、昂る感情は抑えきれなかった。体の内側から熱が生まれているのを感じた。これはレイラに対する怒りなのか、アイリスを失ったという悲しみなのかはわからない。それを丁寧に分析する余裕がないことはわかっていたので、やはり躍起にはなっているらしい。
兄のように、いかなる時でも冷静沈着でいられるわけではない。感情のままに動かされ、悩み、大切なものを見失う。何もわからなくなってしまう。
自分は騎士として、まだまだ未熟なのだとつくづく思い知らされる。
「そんな調子じゃ、世界を守る前に、私に殺されてお終いだぞ?お前の大切な仲間たちや、アイリスのようにな」
うるさい、と心の中で言い、レイラの剣を弾く。お前の相手をしている場合じゃない、早くエミルを探しに行かなければ、とそんな思いが強くあった。
しかし、平気で殺しができる人間を野放しになんて、ましてや、黒幕であるエミルと繋がりを持ち、今まさに王都に攻め込んできているのだから見過ごせるはずもない。少し負傷させ、くだらない野望を叶えようとする気を削ぐつもりで、剣を交えていた。
だが、そうはいっても元騎士である。剣を使った戦い方、そして、これはレイラの本性からなのだろうが、相手を殺すやり方というのは、素人の浅知恵に留まるレベルではなかった。
拘束できる程度に痛めつければいいのだが、気を抜けば、あっさりとやられてしまう。それだけの実力があった。
自分の腕よりも大きな剣を軽々と振りながら、レイラは笑っていた。
こうして戦っていることが、この世界で味わうどんな事柄よりも、たとえば、家族揃って食卓を囲むことや、寝る前におとぎ話を読み聞かせてもらうことよりも、自分に快楽を感じさせるのだ!と叫び出しそうなほど、活き活きと動き回っていた。
「ほら、こっちだ」
背後に回ってきたレイラが足を高く上げ、蹴り込んでくる。それを飛び跳ねるようにして避けた。
すると今度は、アイナの着地の隙を見計らい、レイラは剣を投げるかのような勢いで大雑把に振り回した。これも辛うじてだが、避ける。続けざまに斬り込んでくる。楽しそうに、笑いながら。
仮にも命を懸けた戦闘のさなかに、余裕を滲ませた顔をしてみせるとは。よほどの手練れなのか、いや、彼女のことだから、戦いそのものが心の底から楽しくて仕方がないのだろう、と思う。
命の奪い合い、という意識はないようだった。己の力を過信しているからだろうか。だがそれ以上に、命を賭して剣を振るっていること自体に生の実感を得ているようでもあった。
ごうっと音がし、はっとする。見ると、レイラの剣が風を切る速さで、足元から顔を目掛けて、迫っていた。
剣身が正面にくるように、持つ。両手でしっかりと柄を握り、手と足に力を入れる。大木が地面に根を張るようなイメージを浮かべ、構えた。
ガキン、と鋭い音が響き、強い衝撃が腕に走る。
力負けし、剣を握った両手ごと横に弾かれた。体勢が大きく崩れる。が、レイラの次の攻撃は見切っていた。下方向からのすくい上げるような動きの後は、その上げた腕を力任せに振り下ろす。はずだ。
実際、そうしてきた。体を横に逸らし、躱した。
剣を使った戦法には流れのようなものがある。士官学校に通っていた頃は、殺傷性のない木刀を用いてではあったが、対人訓練も積んでいた。相手の剣を振るリズムであったり、無理のある体勢から伸びる剣の軌道などは、必ず似たような動きになるのだということをアイナは知っていた。
そして、その避け方、弾き方というものを体に染み込ませていた。
おかげで、レイラの動きは完璧とまではいかないものの、ある程度は予測ができていた。こちらから攻め込むにはまだ少し慣れが必要だろうが、攻撃を躱すことには何も問題ない。ように感じ始めた。
「逃げてばかりでいいのか?私を殺したくないのか?憎くはないのか?」
レイラが嘲るように、言う。
「あなたの相手をしている暇はないのよ。私たちには、優先すべきことがあるんだから」
「立派だな。その正義感、レオにそっくりだ」
レイラが攻撃の手を休める素振りは、なかった。
ちら、と後方――士官学校の校舎がある方を見る。広場では、騎士のみんなが機械生命体たちと戦っていた。ざっと確認したところ、苦戦を強いられている様子ではなかった。負傷者もいないみたいだ。
ほっとする。後ろは彼らに任せよう。問題はこのレイラだけだ、と正面に立つ彼女の顔を睨んだ。
一人だけでこの猛撃を捌き切ることは果たしてできるのだろうか。レイラの攻撃速度、破壊力を、体に蓄積した疲労具合と照らし合わせながら、アイナは思った。
ヘクターをこの場から離脱させたのは間違いだったのではないかと、今になって若干、後悔の念も湧き上がってきた。
レイラの目的は、あくまで戦うことだ。
己の強さを知りたいがために、気に入った相手と殺し合う。彼女は、真の目的であるレオニールと似通った性質をアイナの中に見出し、命を賭して戦うことを望んでいた。今の彼女の狙いは、アイナだけなのだ。
それならば、ここは二手に別れ、自分がレイラを抑えているうちに、ヘクターには単独で行動してもらい、エミルを見つけ出してもらう方がいいのではないか。そう思い、提案したのが、つい先のことだ。
ヘクターは何も返すことなく、頷いた。アイナの覚悟をどのように受け止めたのか口にはしなかったが、そこには王都を守る騎士としての信頼関係があった。互いに、やるべきことをやるのだ。言葉にはせずとも、その意志は伝わった。
レイラが地面を強く蹴る。真っ向から勝負を仕掛けてきた。
力では自分の方が優っていると確信したのだろうか。先ほどよりも大振りになっている。隙は大きいが懐に飛び込む余裕はなかった。彼女の攻撃を躱すのに精一杯だった。
こうして防戦一方の状態を続けることに、果たして意味はあるのだろうかと一瞬だが、頭をよぎった。
何を言うか。兄やヘクターの邪魔をさせないためにも、レイラをこの場に留めておく必要があると、すぐさま否定する。それに、彼女が率いていた機械生命体の数も減ってきている。広場を襲っている機械たちを倒した後、レイラの存在に気づき、こちらに駆けつけてくれる者もいるかもしれない。
レイラは、アークへ派遣された部隊を撃退したらしいが、多勢に無勢とあっては、さすがに出方を伺うだろう。いくら戦闘狂いの一面があるとはいえ、戦況を読まず、強引に突っ込んでくることはしないはずだ。むしろ彼女のような人間ほど、いかに手際よくやれるかを重視し、慎重な行動をとる。に、違いない。
やはり、ここは守りの一手だ。今はとにかく、耐え忍ぶ時なのだ。
攻撃の隙を見計らう意識を捨て、防御することに専念した。襲いかかってくる剣は出来るだけ動き回りながら避け、避けるのが難しいのなら剣で受け止める。
あるいは攻撃する姿勢を見せて牽制する。とにかく、時間を稼ぐほど状況はこちらに優勢になるのだ、と信じていた。
城の方から音がしたのは、その時だった。
轟く衝撃は、雷が大地を駆ける様を連想させる。兄のレオニールが雷の力を使い、あそこで戦っているのだろうか、と視線をやった。
油断していた。
レイラから一瞬でも目を離した自分が間違いだったと、アイナは思った。しまった、と振り返った時には、レイラの姿はすぐそこにあった。
重々しい剣が、頭上で振り上げられる。日の光を遮り、アイナの顔に影を作った。
避けられない。なら、剣は間に合う?
無理だ。だが防御しなければ。しかし絶対に間に合わない。いや考えている場合ではないのだ。とにかく避けなければ。防がなければ。
にやりと艶かしく歪んだ目が、見えた。
終わりだ、と勝ち誇った笑みを浮かべるレイラの顔は、悦びに満ちていた。ほら、私はこんなにも強いじゃないか、と自賛する声が、聞こえてくるかのようだった。
勝利のガッツポーズとばかりに高く掲げた腕が、振り下ろされる。
————
何が起きたのだろうか。いや、何も起きなかったのかもしれない。
レイラの剣は、アイナの体に触れてはいなかった。城の方から聞こえた音に気を取られ、まともに防御できなかったはずだ。反射的に体を逸らしたりはしたものの、あの位置、あの角度から斬り込まれたのなら致命傷は免れないことだろう。それなのに、なぜこうもはっきりと意識があるのか。
ふと、夜道を旅しているかのような錯覚に陥った。辺りは一面が真っ暗闇だった。何かに取り囲まれている。窮屈感があった。
見覚えのある状況だ。それも昔に体験している。そして最近、夢で見た光景とも酷似していた。
顔を上げる。自分が地面に座っていることに気づいた。座っているというよりは、一度転び、上半身だけを起き上がらせただけの状態といった様子だろう。とにかく、地べたに尻をつき、目の前に現れた謎の影に心を奪われたかのように見入っていた。
視界が開け、現実の光が戻ってくる。
少年の後ろ姿が、見えた。黒い髪をした少年だった。手には剣を握っていた。
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