夜は続く。夜はいつまでも終わらない。
ユウト 9
「また会ったな」
ぞわっと、緊張がユウトの背筋を走った。
正面に見える巨大な時計塔。その門のように大きな扉が開いたかと思うと、中から少女が出てきた。
昨晩も出会った、機械生命体と思しき少女だ。停止した仲間の体からコアを抜き取り、それをユウトが持ち去ったことを根に持っているのだろう。手には剣を握り、いつでも襲い掛かる準備はできているぞ、と言わんばかりの殺気が声に滲んでいた。
ユウトの背後から伸びた日差しが、少女の顔を照りつける。
造形としての美しさを誇る顔立ちは、生き物らしからぬ透明感があった。腰元まで長く伸びた艶やかな黒髪が揺れる。綺麗に揃えられた前髪には彼女の性格か、規則正しい機械のような均等さが表れている。と思った。
華奢な体つきは少女らしいか弱さと同時に、機械でできた生き物特有の奇奇怪怪とした雰囲気を感じさせる。その整った容姿は、絶世の美少女にも復讐に燃える鬼にも見えた。
「ジークさん。彼女」
こちらに向かってくる少女を横目に、ユウトはジークに耳打ちする。
「うん。昨晩、僕たちを襲ってきた子だよ。戦闘不能にまで追い詰めたはずだったんだけどね、元々、戦うつもりはなかったから見逃したんだ。でも、機械生命体という存在を侮っていたよ。彼女たちはコアを破壊されない限り、何度でも再生が可能のようだ」
道端に転がっていた、機械の腕を思い出す。あれはジークが、彼女から斬り落としたものだったのだと察する。
「何が目的だ」
少女の声が、響く。
「君の主人に用がある。アルフレッドだよ。今、どこにいるんだ?彼と話がしたい」
「この塔の、最上階だ」
少女は、背後にある時計塔の頂上を指した。つられて見上げる。
予知した光景を思い出した。どこか暗い室内のような空間で、異形の存在と戦うジークの姿が脳裏に蘇った。
この時計塔のことだ。最後の戦いは、ここで起こるのだ。喉元まで登ってきた緊張を、唾と共に飲み込んだ。
「だが、私はお前たちを通すつもりはない」
少女は歩みを止め、剣を構えた。
「通りたければ、倒していけと言うことか。争いはなるべく避けたかったけど、仕方ない」
ジークが、巨大な剣を両手で握る。太い腕に、ぐっと筋肉が浮かび上がる。
「簡単に言ってくれるな」
「君とは一度戦っている。はっきり言おう。君は僕には勝てない。時間の無駄だ」
「相手は、私一人だけだと思っているのか?」
がたり、と瓦礫が崩れるような音がした。さらに視界の端で何かが動いた。横に目をやると、建物の屋根の上に影があった。誰かいる。はっきりと姿は見えないが、こちらを見張っている様子だった。
背後に気配を感じた。はっと振り返る。
男が立っていた。
炎のように赤い髪が目立つ長身の青年だった。不愉快な気分が顔に表れているように眉がねじ曲がっていた。目つきが悪い。自分はこの世界の誰よりも偉いのだ、とでも思っていそうな自信が溢れた表情だった。
また、どこか気怠そうでもあった。ユーリとジークを見て、幻滅を含んだ息を吐いた。なぜこんなやつらのために、わざわざ足を運んでやらねばならんのだと顔に書いてあるようだ。
傲慢であり、怠惰でもある。一目見て、そんな印象を受けた。
「よお。俺と遊んでくれるのか?」
男は、見下すような態度で、逆立っている前髪をふわりと撫でた。
「君は、何者だ?」ジークが振り返り、男に訊ねる。
「俺の名は、グラファイト」
「彼女の仲間か」
「仲間?その言い方は嫌いだな。ちょっと人間らしいじゃないか。俺は機械生命体だからな。そこにいる女とは『同類』ってやつだ。そして、ここにいるやつらもな」
グラファイトが両手を広げると、周辺から何かが擦れ合うような音が聞こえ始めた。音は一つではなかった。辺り一帯に、気配があった。まるで不快な音の檻に閉じ込められているような気分に陥った。
機械生命体の集団に取り囲まれているのだと、そこでようやく気づく。
時計塔の前に立つ黒い髪の少女やグラファイトと名乗った男の他に、人の形をした光沢のある鋼色の塊が蠢いていた。
表情がなく、とてもシンプルな造りをした顔面が無数に並ぶ光景は悪夢のようだった。さらに、体の構造は個体ごとに違った。腕が極端に長い代わりに足が短いといった特徴のあるボディをした者もいれば、すべての部位が太く、逞しい巨躯を携えた者もいた。彼らの顔から感情が取り除かれている点だけが共通していた。不気味だ。体の芯に響くほどの邪悪さが感じられた。
「これだけの数を、どうやって相手するつもりだ?」
少女は、勝利を確信したふうだったが、グラファイトとは違い思い上がったような態度は見せていなかった。むしろ、これまで以上に警戒心を募らせた瞳で睨め付けていた。このジークという男を。確実に絶命させるまでは、一瞬たりとも気を許すことはできないという気迫が、人工物であることを忘れさせるほどの目力に宿っていた。
自分たちは今、窮地に立たされている。それは素人目にもわかった。多勢に無勢だ。ジークはともかく、自分はこんな凶悪な連中と戦う術を持ってはいない。足手まといになるに違いない。という申し訳なさが、ユウトの中に生まれた。
何か武器になるような物は落ちていないだろうか。ユウトは足元に注意を向けた。ジークに余計な負担を与えたくないと思った。せめて自分の身は自分で守らなければ。
昔、剣士に憧れたことがあったのを思い出した。
世界を守るヒーローはみんな剣を持って戦っているのだと、コランに教えてもらい、いつかみんなを守るヒーローになってみせるのだと、森の中で拾った長い枝や、コランの仕事場で借りたピッケルを振り回していた時期があった。
「ユウトは、俺の仕事を手伝ってくれることがあるからな、そういったものの扱いに多少は慣れてるんだろう。ピッケルの振り方は、とてもいい。それを剣に持ち替えてみても、もしかしたら通用するかもしれん。ただ、モーションが綺麗なだけじゃダメだ。それだけでヒーローになれるなら、俺の武勇伝は数えきれないほどあることになる」
がはは、とコランの笑い声が脳裏に反響する。
「コランが言ったんじゃないか。ヒーローはみんな剣を持っているんだって。剣を振って戦うものなんだって」
「そうだな。だが、真のヒーローになりたいのなら、剣がなくたっていいぞ。世界を救うほどのやつは剣を握る以前に、もっとすごいものを持っている」
「何のこと?」
コランは、何と答えただろうか。記憶を辿る。
「心だよ。そういうやつには、誰かのためにと思い遣る心があるんだ。自分のことを二の次にしてでも、他人を救ってやろうって思える正義の心だ」
「自分以外の人のことを大切に思うのは、当たり前のことじゃないの?」
そう返したユウトの頭には、ガルラやエミルの姿が浮かんでいた。大切な家族を、思いながらの言葉だった。
「人間は弱い生き物だ。いざとなりゃ、自分のことを可愛がっちまう」
「でも、困っている誰かがいるなら助けなきゃ。自分のことよりも優先しないと」
「本当にそう思うのなら、ユウト。お前さんには、世界を守るヒーローとしての素質があるのかもしれないな」
いつも冗談半分に口から出任せを言うコランだったが、この時ばかりは、偉大なる男とも言えような、まっすぐで輝かしい目をしていた。
コランの顔が、記憶の海に沈む。はっと我に返った。
状況は、何一つ変わっていなかった。時計塔の前には黒い髪の少女。反対には、ガラの悪い男——グラファイトの姿。周りを取り囲む機械生命体の集団。
ジークの方を見る。こういった状況にも慣れているのだろうか。老兵のような静かな空気をその身に纏っていた。絶望し、怖気づいた様子も、焦燥感に駆られ、慌てふためく様子もなかった。
あるのは、正義の心だった。自分の行いは正しいのだと胸を張って言えるような希望だけだった。
「ユウトくん」
ジークと目が合う。
「君の持つ予知の能力で見た光景では、僕は、強大な何者かと戦っていたんだよね」
「はい。暗くて狭い場所で……おそらく、この時計塔のことだと思います」
「そうか。うん、ありがとう。僕は、君のことを信じるよ」
ジークの言わんとしていることが、ユウトにはわかった。
ラプラスの予知の力は絶対だ。その光景に映し出されていたことは必ず起こる。それならば、このピンチを脱し、無事、時計塔に乗り込むことができるのも確実なのではないか、ということだ。未来の光景では、ジークが時計塔で何者かと戦っていたのだから。
そう考えると、心に余裕が生まれた。少し勇気も湧いてきた。なんとか切り抜けることができる。はずなのだ。ユウトは、ジークとの間に絆のようなものを感じ、頷いた。
「何だ、作戦でもあるのか?意味ありげに見つめ合いやがって。まあ、大男の方は腕が立つようだが、隣の少年の方は、どうなんだ?見た目じゃ、ずいぶんと弱っちく見えるが……」
グラファイトが煽るように言う。首に片手を添え、退屈そうに左右に傾けていた。その仕草は、とても人間らしいもののように思えた。
「何が言いたいんだ、君は?」
ジークが、すぐさま返す。怒りの念がこもったような声だった。それは、これまでユウトに向けられていた優しさとは程遠い、嫌悪にも似た感情だった。
「ここにいていいのかってことだ。俺たちは今から、殺し合いをするんだぞ?それも、強い者同士の戦いだ。その渦中に巻き込まれりゃ、ひとたまりもないだろうよ。弱そうだからな。簡単に死んじまうぞ、そいつ」
グラファイトの目元が、下品に歪んだ。
「その少年のことを心配してやってるんだよ、俺は。優しいだろ?」
「そうか……しかし、大丈夫だ。それは杞憂だよ、グラファイト。落ち着くといい。彼には、君なんかでは到底敵わない、この世界でもっとも強くて美しい——確かな力があるんだからね」
グラファイトのにやけていた顔が、固まる。つり上がっていた口角が、ゆっくりと平に戻った。
「そいつに、何か特別な力でもあるってのか?」
「心だよ」
「は」
「彼には、正義に満ちた心がある。それは、君たち機械生命体——特に、君のような、力こそがすべてだと本気で信じている愚か者には決して理解することができない、人間としての真の強さなんだ」
ジークの声が、アークの街中に響いた。
ユウトは、その一瞬、自分の胸に火が灯ったのではと錯覚した。慌てて手を添える。しかし、表面上は何も変わりはない。この手の中にある——胸の内にある大切なもの、それに変化があったのだと気づく。
ジークの意志には、人の心を包み込むような温かさがあった。それは、この世界のどんな凶悪からも救ってくれるような、絶対的な頼もしさだった。
ユウトは自分の心の繊細な部分が、頑丈な壁に守られているかのような安心感を覚えた。なんて立派な人なんだろう。隣にいるジークを見上げ、思う。
彼のような強い人間になりたい。人に安心を与え、勇気を与え、生きるための希望を与えるような、素敵な人間になりたいと心の底からユウトは思った。
「俺は、愚か者ではない」
グラファイトが負けじと言い張る。先ほどまでの気取ったような余裕が、顔面から消え失せていた。ジークの正義の心を目の当たりにし、動揺し、焦りを覚え、怒りの感情を抱いたのだろう。この男には敵わないのではないか。一瞬でもそう考えてしまった自分が憎らしい、と、そんな様子だった。
「真に愚かなのは、力に圧し潰される弱き者だ」
「違うよ。断じてね」
「戦ってみればわかるさ」
グラファイトが腰を落とし、右腕を引いた。
「戦わなければわからないようなら、君には決して理解ができないことだよ。考えても無駄なようだね。君は永劫に、この真理に辿り着くことはできない」
ジークは、強く言い放つ。
「癇に障る男だ。その口、二度と調子のいいことを言えないように捻じ曲げてやるよ」
グラファイトが、高く飛び上がった。その跳躍は人間の為せる程度を遥かに超えていた。
日の光を背に受けたグラファイトが、握り拳を構え、落下してくる。
ジークが素早くユウトの前に飛び込んだ。両手で握った大剣を掲げ、グラファイトの一撃を受け止める。
拳と剣のぶつかり合う音が、耳を打った。
グラファイトから、舌打ちが聞こえる。伸ばした右腕を引き、今度は左腕を動かす。それを、ジークは素早く受け流した。すると再び、右の拳を撃ってくる。ジークは剣を斜めに構え、跳ね返す。拳を弾かれた反動を利用し、グラファイトは左の拳を撃つ。さらに右の拳、そして、また左の拳と、連続で撃ち込んできた。
追えない速さだった。拳が残像をつくる。しかし、ジークはすべての攻撃に冷静に対処していた。一歩も退くことなく、正面から押し返すようにして、弾く。力に対し、力で応えていた。
轟音がし、衝撃が走る。目の前で起きている迫力のある攻防に、ユウトは息を呑んだ。足がすくみ、動くことができない。戦うジークの背中を、ただ呆然と見つめていた。
「全員、続け!」
グラファイトが叫んだ。彼の声に反応して、周囲にいた機械の集団が一斉に動き出した。ジークの背に隠れているユウトを目掛けて、走る。四方と上空から襲いかかる。逃げ道はない。これだけの数を受け止められるはずがない。
ものすごい勢いで、死の恐怖が迫ってくる。機械生命体の持つ邪悪な雰囲気が、それをより強く感じさせた。
立ちくらみがした。続けて、眩暈が襲ってきた。
こんな時に、予知の前兆か。そう思ったが、少し違った。目の前にある景色は何も変わらない。朝日が輝く空の下に、アークの街並みが広がっている。ジークの逞しい背中が見える。
しかし、一度瞬きをすると、それらの姿が別のものに変わって映し出された。
アークの街は広大な夜の森に、迫り来る機械生命体は黒い影だ。影は、殺気を放っている獣のようにも見えた。しなやかに体を唸らせ、飛びかかってくる。
この光景に、見覚えがあった。
もっと言うと、経験した記憶があった。機械生命体に取り囲まれている圧迫感が、その時、抱いた恐怖の感情と似通っていたために想起されたのだろう。
それは、忘れていた大切な記憶だった。外れていた歯車の一部が、ようやく見つかったような安堵感と同時に、真実を見つけたという達成感、そして、不思議と喪失感が、突風のように一気に押し寄せてきた。
体が、後ろ向きに倒れそうになる。
機械生命体たちの姿が、すぐそこに見えた。機械の手が、ユウトの鼻の先まで伸びてきた。人間を模して作られた手に、視界が覆い尽くされる。
「ファフニール!」
ジークの声が聞こえた。と同時に、世界が暗闇に覆われた。あっという間に、夜がおとずれたのかと錯覚さえした。
見回し、その正体に気づく。ユウトの体を囲むようにして、巨大な影が蠢いていた。邪悪なオーラを放つその影が伸び、ユウトの周辺に群がっていた機械生命体たちを叩き潰した。
土煙が上がる。
地響きのようなものが聞こえた。しかし、足から伝わってくる振動ではなく、空気を震わせた音のようだった。
ユウトのすぐ近くに、高い壁が現れた。何だ、これは。思わず手を伸ばし、触れる。鉱石にも引けを取らないほどに、硬い。しかし、少し力を入れて押してみると、弾力のようなものを感じた。
土煙が晴れた。
視線を、そばの壁に伝わせ見上げると、目が合った。ギョロリとした大きな眼が、ユウトをとらえていた。巨大な生き物だった。目の前に突如、現れたこの壁は、謎の巨大生物の体の表面だったのだ。
鱗を纏った表皮、鋭い爪と牙、加えて大きな口は、おとぎ話に出てくる「ドラゴン」という生物の特徴と酷似していた。
「オレに何か用か、小僧」
巨大生物が口を開く。知能が高く、あらゆる生き物と意思の疎通が可能であるという点も、話に聞くドラゴンの特徴と同じだ。高圧的な目線が、ユウトに刺さる。
ああ、これは、まずいぞ。ユウトは思った。
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