ユーリ 7

「本当に、ここでいいのか?」

 視界の中を鬱陶しく動き回るドロシーを呼び止め、ユーリは不愛想に訊ねた。

「うん。避難場所としても、申し分ないでしょ」

 ドロシーは鼻高々に言う。自分の作った秘密基地を紹介する子供のように、成果を讃えてもらおうとする様子で嬉しそうな調子だった。

 ユーリは自分の手のひらに視線を落とした。まだ震えている。ユートピアと対峙し、魔女の圧倒的な力を前に「死」を覚悟した。その時の恐怖が、未だに残っているようだった。じんわりと焦りにも似た感覚が、手のひらに汗となって滲んでいた。

 握り拳を作り、震えを抑える。感情を殺さなくては。自分の心に惑わされているようでは目的を達成できるはずもない。強い意志が必要なのだと思った。

 暗い室内に視線を泳がせる。明かりはどこにも見当たらない。狭い部屋だった。正面の壁にある窓が、光を放っているように見えた。

 それが雲の合間から差し込み、窓辺を照らしている月光によるものだと気づく。

 ああ、そういえば、今晩の月は綺麗だったなあと、つい数時間前、リフナ村で夜空を眺めていたことを思い出す。

 その直後だ。村はユートピアによって焼き払われてしまった。王都の悲劇を思わせる見るに耐えない景色だった。

 ドロシーが来てくれなかったら、あの村もろとも消し飛ばされていただろう。彼女の持つ空間を飛び越えるという超人的な力のおかげで、ユートピアの攻撃から逃れることができたのだ。魔女の力というものは、常識を軽々と凌駕してくる。先ほどは、それを思い知った。

 ユーリたちは、アークの街にいた。

 王都レグルスとスピカの森。神の魂が宿っている世界の根幹とも言える土地を、ユートピアは立て続けに襲った。次に姿を現すとすれば、このアーク・トゥルス・シティだろうと予測を立て、先回りをしていた。

 リフナ村はスピカの森の深部にある。アークの街まではかなり距離があるが、ドロシーの力があれば一瞬だった。ほんの瞬く間に、ユーリたちはアークへと移動していた。

「ここは、アークの中心にそびえる巨大な塔の一室だよ。外からだと時計塔のように見えたけど、この通り、中は研究室になっているみたいだね。何の研究をしていたのかな」

 そう言って、ドロシーが壁をあちこちと触っていた。

 落ち着きのないやつだな、とユーリは息を吐いた。窓の外を見やる。夜の闇に包まれた虚しい空気の漂う街並みが、目に飛び込んできた。死んでいる。そんな印象を受けた。そもそも街が生きているはずはないのだが、なぜだかそう感じた。

 この街は、自分と同じだな、とユーリは思った。

 生きる意味を失っている。ただ死ぬ理由もないので、生きている。生きていながら死んでいる。完全な「無」の境地だった。

 死んでいったみんなのためにも死ぬことはできない。使命感のようなものを抱えていた。生きている目的はただ一つだ。ユートピアを殺す。それだけだった。

 この街は、何のために生きているのだろうかと考えてみる。誰かが住んでいるのだろうか。何かを生み出しているのだろうか。ただ、ここに存在しているだけにも見える。ユートピアによって破壊されるのを、この眩い月の下で待っているだけにも見える。この街はいずれ崩壊することを、すでに受け入れてしまっているのだ。

 僕は、そんなのごめんだ。

 街の死に様と、自分の最期が重なり合うのを拒絶した。

 ただ死んでたまるものか。受け入れてなるものか。必ず生き残ってみせるのだ。ユートピアの野望を、阻止してやるのだ。

 自らを奮い立たせ、闘志を宿す。魔女の力に怯んではいけない。王都を破壊するほどの力を持っているとは、もともと知っていたではないか。敵うはずもない相手に挑むことを、望んでいたではないか。今更、弱腰にはなれない。前のめりで突っ走るしかない。

「ユートピアは、本当に現れるんだろうな」

 レオの鋭い声が、暗闇を裂いた。

 部屋の影から姿を現す。手には剣を握っていた。何やらきな臭い空気が、部屋中に充満し始めたのをユーリは感じていた。

「うん。アークの街は昔、滅んだと言われていたんだけどね。まだ完全に消滅したわけじゃないんだ。ユートピアの目的はこの世界の破壊だ。それなら、この地をスルーはしないだろうね。きっと現れるはずさ」

 ドロシーは窓の外を指した。

「やつがリフナ村に現れた時、レグルスの姿は見えなかったが、今、どこにいる?」

「さあね。どこか安全な場所で、待機してるんじゃない?」

「どこにいるんだ?」

「だから、知らないよ」

「俺に嘘をついても無駄だということは、知っているだろう」

 レオが剣を抜く。剣先を、ゆっくりとドロシーに向けた。

 闇色の剣身に、彼女の澄んだ瞳が映り込む。濁りのない美しさが、返って不気味だった。何を企んでいるのだろうか。だが明らかに隠し事をしている素振りだった。意図的に話すことを拒んでいたかのような、そんな雰囲気さえ感じられた。

「ドロシー、お前はあくまで協力者だ。目的を共にした同志ではない。何かをずっと隠していたのだとして、それを咎めたりはしない。だが、だからこそ聞き出すのに、荒っぽい方法を取らざるを得なくなるかもしれない」

「キミは、そんなことしないよ」

 けらけらと、ドロシーが笑う。

「その目には、まだ殺意が足りてないもの。随分と優しい目をしている。ユーリのような、ユートピアを必ず殺してやるという復讐心だとか、レグルスを絶対に許さないという正義感だとか、そういった覚悟がないんだよ、キミには」

 レオは口をつぐんだまま、ドロシーを見ていた。ドロシーの方も、気負けせまいとしているのか、レオを見つめている。

「どういうことなんだ?」

 ユーリが割って入った。レオは剣を鞘に収め、ユーリの方に視線を移した。

「ドロシーは、俺たちに何か隠していることがあるということだ」

「本当なのか、ドロシー?」

 ユーリは、ドロシーを見た。

「うん、そうだね。ボクなりの理由があったとはいえ、キミたちに大切なことを隠していたのは本当だよ」

 ドロシーは、あっさりと白状した。まるで、いつかこうなることを待ち望んでいたかのように。問い詰められた時に話そうと、あらかじめ決めていたかのように、いつもの調子で明かした。

「それを教えてもらえるか。俺たちの信頼のためにも」

「いいとも。いずれ話すつもりだったし、これから世界を救う戦いが始まるんだ。心残りはない方がいいよね」

 ドロシーは二人の方に向き直った。まだ、いくらか余裕を含んだ顔をしていた。ユーリたちからの反応を恐れている様子はなかった。何を考えているのか、まったくわからない。

「ボクが生まれたことについて、まだ話していなかったよね。まずは、そこからかな。おさらいだけど、魔女というのは、クラウンにかけられた願いによって生まれる存在だ。魔女が生まれる時、それはつまり、何者かがクラウンに願いをかけたというわけだけど――数日前、レグルスは『新たな国を作る』という、願いをクラウンに託した」

「創造には、まず破壊が必要。そう言っていたな。だから、破壊の力を持つユートピアが生まれたのだと」

「うん。でも、ユートピアだけじゃなかったんだ。その願いによって生み出された魔女はもう一人いた」

 どくん、とユーリの胸の中で何かが波打った。緊張が迫ってきているのがわかった。窓辺の月光が位置を変え、ドロシーの顔に影を作った。月明かりの影の中できょろきょろと動く目は、空を飾る星のように煌びやかで、小さな口元は小動物のように愛くるしい。

 しかしそれ以外の部分が、特に、ドロシーの秘密にしていた霧のかかった真実が、不気味だった。腹黒いとまではいかないが、明白でもない、曖昧模糊とした何かだった。敵なのか、味方なのか、どうしても判別ができない。彼女の纏う空恐ろしい雰囲気は初めて会った時から、変わらずそこに存在していた。

「ボク――ドロシーも、その時一緒に生み出されたんだよ」

「どういうことだ?」

 ドロシーが、ふう、と呼吸を整える。彼女自身、隠していたことに後悔を感じていたのだろうか。長い呪縛から開放されたという安堵の息のようだった。

「レグルスは、王都レグルスに代わる新たな国を作り上げようとした。クラウンは、その願いを受け入れ『新しい世界』そのものを創造したんだ。けど、その世界は不安定だった。なぜなら『この世界』が、まだ存在しているから。『世界』は、二つ同時には、存在し得ないんだ。だから破壊する必要があった。その役目を担っているのが、ユートピアというわけだ」

「……そのユートピアと同時に生まれたということは、ドロシー、お前にも何かしらの役目があるのか」

「その通りだ。ボクの役目はごく簡単なものだった。ボクの与えられた力は、空間を飛び越えるといったものだ。もっと詳しく言うなら、『世界を飛び越える力』なんだよ」

「なるほど。つまりレグルスを新しい世界に送り届ける。それがお前の役目ということか」

「そういうこと。そして、ボクはすでにその役目を終えている。レオ、キミに会うよりもずっと前にね。だから、レグルスがどこにいるのか。ボクの返事はこうだ。ここではない、クラウンによって創造された『新しい世界』にいる。彼はすでに、その世界で『新しい王都』を作り上げ、王様として君臨しているんだ」

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