日が傾く。夜が寝覚めに欠伸をした。
ユウト 7
「頼みがあるんだ」
ユウトは、アイシャとマーベラスを前にして頭を下げた。
「おや、どういうつもりかな」
アイシャが、わざとらしい言い方をした。本当はすべて知っているのでは、と疑いたくなる。
彼女のユウトを見る目は、憐れみというより、新しい研究対象を見つけたという興味の色に染まっていた。
怪しげな実験を行う研究者の目だ。弱き者を挫く捕食者の目だ。可愛らしい少女の体を纏っているのが憎らしいと思えた。
「ララティアさんが死んでしまった。俺にはどうすることもできなかった。予知した未来は変えることができない。そのことを思い知った」
「いい学びになったじゃないか。つまり、君の予知の的中率は絶対だということだ」
披露された芸を讃えるように、アイシャは拍手をする。
「その、的中してしまうというところが問題なんだ。このままだと、王都が崩壊してしまう」
「ほう、王都の街が――あの立派な城が、崩れ落ちていく光景でも見てしまったのかな?」
「そんな感じなんだ」
ユウトは、自分がこの数日の間に体験したことをアイシャたちにすべて話した。
かつては、ユグド村という辺境にある村で過ごしていたこと。村の近所の森を探索中に気を失ってしまい、迷ってしまったこと。ドロシーという少女に介抱してもらったこと。リフナ村でお世話になり、ララティアが死ぬ未来や、王都の崩壊する夢を見てしまったことなどを一気に、順番に説明していった。
途中で一応と思い、ドロシーというのはおかしな力を使うマイペースな人物で、と補足を入れると、アイシャが、知っているよ、と笑った。どうやら彼女とも顔見知りであるようだった。
「ララティアさんの命は救えなかった。そして、今度は王都の街が危険なんだ。あの惨劇を、なんとか阻止したい。だから力を貸してほしいんだ」
「そうは言ってもね……」
アイシャが、じっとりと舐めるような視線をユウトに向けた。
「君の予知は魔女の力なんだろう?そんなのに私たち人間が、抗うことができるとは思えないけどね」
「魔女の力か……」
ドロシーから、ラプラスという魔女の目が宿っているのだと聞いた。いつ手に入れたものなのかわからないが、未来を予知することができる力があった。
おかげで故郷のユグド村では嫌な思いをしたこともあった。異端者を見るような大人たちの視線が怖かった。自分は他のみんなとは違う。呪われているのだと塞ぎ込んでしまったこともあった。
そんなラプラスの目が、今またユウトを苦しめている。
「マーベラス、君に恐ろしい質問をしてもいいかな?」
「なんですか?」
マーベラスを見る。くりっとした丸い目で、ユウトを見つめていた。
彼女は自分のことを魔女だと言っていた。ラプラスも同じ魔女だというのなら、どうしても聞いておきたいことがあった。
「君たち魔女についてだよ。その存在について……もっと言うと、殺し方について」
「魔女を殺すつもりですか?」
「いざという時のために、知っておいた方がいいかなと思って」
それから、一呼吸おいて、
「俺は、これから、ラプラスに会いに行こうと思っている」
ユウトは、自分の考えをマーベラスに説明した。
つまり、この「未来の光景を見ることができる目の力」を司る魔女——ラプラス本人に協力を仰ごうということだ。彼女ならば、たとえば、見てしまった未来を変えることができるのではないだろうか。予知の光景を捻じ曲げることができるのではないだろうか。魔女の力は未知数だ。故にそんな淡い期待を抱いていた。
ただし、ラプラスが友好的な魔女であるという保証はない。
おとぎ話に出てくる魔女そのもののような人物だとすると、むしろ狡猾で人間を陥れようとするイメージだ。
だから参考までにとマーベラスに訊ねてみた。魔女と敵対してしまった時、いざという時はどうすればいいのかを。
「人間に魔女を殺すことはできません。もとより、私たちはそういう風にできているのです。人間を監視する役目です。簡単にやられるようでは務まりません」
マーベラスは、静かに指を立てた。
「ただし、魔女の力があれば可能性はあるのです」
「魔女の力?」
「はい。魔女と契約するのです」
魔女と契約。その言葉には、物騒な響きしか感じられなかった。
甘く危険な匂いしかしない。魔女に命を差し出すのだとか、一生、奴隷として仕えるのだとか、そういった想像ばかりが浮かぶ。
「魔女の力に対抗するのには、魔女の力が一番です。人間は魔女と契約し、魂で繋がることで、その魔女の力の一部を使うことができるのです」
「そうすれば、魔女を倒せるの?」
「はい、できます」
マーベラスが、指でくるくると円を描くように空中をなぞってみせた。
その指先に誘われるようにして、光の線が浮かび上がる。光はやがて一つに集まり小さな塊となって、マーベラスの手に収まった。
光が消える。見ると、手には黒い鉄の塊が握られていた。
「私の力を弾丸にして一発だけ込めてある銃です。弾丸は体を傷つけず、魂だけを壊します。魔女と言えど、魂はあります。それを撃ち抜くことができれば、人間でも魔女を殺すことができます」
「それを譲ってはもらえないかな?」
ユウトは、無理を承知で頼んでみる。
「渡してもいいですけど、ユウトは使えません。この銃を撃てるのは、私と契約した人間だけです」
「契約か」
その言葉が何を意味しているのかはわからなかった。もしかすると、想像していることよりも容易いのかもしれないし、身を滅ぼすほどに苦しいことなのかもしれない。
だが、ユウトにも覚悟はあった。未来に起こる悲劇を阻止するために、世界を救うために、命を懸ける覚悟が。
「それは、俺にもできるの?」
「何がですか?」
「契約ってやつだよ。その銃を譲ってもらいたいんだ。護身用にさ」
マーベラスは何も言わないまま手を伸ばし、ユウトの頭に置く。
検査をする医者のように、じっと動かず、何かを感じ取っているようだった。その仕草は、先日の晩に、ユウトの目に宿るラプラスの力を見抜いたドロシーのものと似ていると思った。
「無理みたいです」
「無理?どうして?」
「ユウトは、すでにラプラスと契約しているのです。魔女一人と契約できるのは、人間一人のみです」
ドロシーと同じように、ラプラスという魔女と関わりがあるようだと口にする。ユウトは訝しむようにして、眉を寄せた。
「俺がラプラスと?」
会ったこともない相手だというのに、契約などできるのだろうか。そんな疑問が、ユウトの脳裏をよぎった。
「その目は、ラプラスと契約して手に入れたもののようです。ユウトは、ラプラスと会ったことがあるのです」
「いつ?」
「私には、わからないのです。しかし、やはりユウトはもう一度、ラプラスと会う必要があるのです」
マーベラスが優しく笑った。初めて見る彼女の笑顔は、女性としての魅力的な美しさよりも、少女らしい可愛い雰囲気があった。
それよりも何やら含みのある笑みのように見えた。言葉にするのは野暮だとでも言いたげな、我が子の色恋を目を細めて見守る親のような包容力さえ感じられた。
「ラプラスの居場所を知りたい」
「わからないのです」
マーベラスは、きっぱりと言う。
「アイシャは?」
「さあね」
ラプラスと会い、話をしたい。ユウトは、そう思った。
いや、会わなければ。使命感のようなものが、ふつふつと湧き上がってきた。
「ユウト、君の見た未来の光景では、本当に王都の街が滅んでいたのか?」
疑ってかかるような口調で、アイシャが訊ねてきた。何かの間違いか、あるいは嘘ではないだろうか、と。
しかし、信じられないのも無理はないだろうとユウトは気にしていなかった。
ドロシーと共に城に忍び込んだ際、部屋の窓から望めた王都の街の景観はとても美しかった。暗闇を知らない温かい世界が広がっていた。道ゆく人々は誰もが笑顔を絶やさない。そんな楽園のような場所にも思えた。
楽園の終わりというのは、誰にも想像できない。
失われる世界はいつも闇を抱えていた。王都の街にそんな闇は似合わない。ユウト自身、あの夢の光景を未だに信じきれていない節があった。
「建物はすべて倒壊し、辺り一面が炎に包まれていた。薄暗いもやが空を覆っていて、とにかくひどい有様だったよ」
「その夢に、何かヒントはなかったのか?たとえば、誰かがいたとか」
アイシャの言葉を皮切りに、夢の内容が細かく思い出された。
崩壊した王都の街を歩いている時、誰かと出会った。一人はドロシーで、もう一人は知らない男だった。
しかし、夢で見た時はわからなかったが、その後でなら見覚えがある。
夢で見たあの男――アークの街の正門前で見た騎士風の男とどことなく似ていたような気がした。
身に纏うダークな雰囲気であったり、気高い意志を持った目力であったり、そういったものが似ていた。気がした。
「そういえば、あの時、何か言っていた——」
今度は、アークに行った時の記憶を引っ張り出す。
男は突き刺さるような衝撃で、攻撃を仕掛けてきた。それからゆっくりと獲物を追い詰める獣のように近づいてきて——何か、妙なことを言っていた。
何を言っていただろうか。重要なことのような気がする。そこが引っ掛かっていた。
「お前は、今、誰なんだ……?」
どういうつもりで訊いてきたのだろうか。まったく意味がわからないし、心当たりもない。
「夢で見た男と、アークで出会った。かもしれない。鋭い目をした騎士ふうの男だった。街が暗かったんでよく見えなかったけど、剣のような武器を所持していた。それと、素早い攻撃が飛んできた。あれは誰だったんだろう?」
「もしかして、レオじゃないか?」
長い髪を後ろで縛りながら、アイシャが言う。窮屈そうに顔を歪めていた。
「レオ?知らないな」
聞き覚えがなかったので、ユウトは答える。
「ああ、レオってのは愛称みたいなものでね。正式な名は、レオニール・エレクストレア。王都のレグルス騎士団の団長さんだよ」
「王都の騎士か。俺のことに気づいたのかな……」
彼らは今、王様殺しの犯人として指名手配されているユウトを必死に探し回っているはずだ。王都内にはいないという情報をすでに掴んでおり、アークまで追跡してきていたのだろうか。
「彼は雷の力を使うことができる。空を震わせ、大地を壊し、風よりも速く動くことができる。かつてないほど凄腕の騎士だよ。捕まらなかったのは奇跡に近いね」
「それは、ジークさんが助けてくれたから――」
ユウトは、はっとする。
その一瞬、眩暈がした。日差しを浴びすぎて火照ってしまい脱力したかのような、そんな感覚に襲われた。
体の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。なんとか踏みとどまり、顔を上げる。すると、そこにアイシャたちの姿はなかった。
その代わりというように、彼の姿があった。アークで出会ったジークという男だ。
太い腕で大剣を握り、正面に構えている。ユウトの存在には気づいていないのか、目の前の影に向かって、きっと睨んでいた。彼の温厚な性格からは想像ができないような、因縁の相手を前にしたかのような、そんな顔つきだった。
ジークの視線をなぞり、その先を見やる。
黒い影が狭い部屋を覆うように巨大に伸びていた。影は部屋にあるものを破壊し、持ち上げ、そのまま弾け飛ぶ。
辺りの物が砕け散り、その衝撃で自分の体が崩れていることを苦に感じていない様子だった。この影は生命なのだろうか。そんな不気味な空気感が漂っていた。
「どうかしたのか?」
アイシャの声が聞こえた。
瞬きをすると、目の前にあった巨大な影が消えていた。振り返ると、ジークの姿もない。
代わりに、呆れたように息を吐くアイシャと、ぽかん、と口を開けたマーベラスの姿があった。
ああ、この感覚は。また、なのか。ユウトは片方の手を、頭に添えた。
「ひょっとして、今、感じていたのか?」
「うん。未来の光景を見ていたらしい」
ユウトは、疲労を振り払うようにして首を曲げる。
「面白いな。それで、何が見えた?」
「アークだ。あそこにいた。巨大な影と戦っていた……俺も、その場にいた」
予知では、ジークと思しき人物が何かと対峙していた。
影は周囲のすべてを取り込み、破壊していた。正体はわからなかったが、人間のようにも見えた。いったいなんだったのだろうか、あれは。
「行かなきゃ……」
「アークにか?ラプラスは、どうするんだ?」
「何か影のようなものと暴れていた。禍々しい雰囲気、この世のものとは思えない異形の存在だった。あれは、王都を破壊する元凶になり得るんじゃないかって、そう思うんだ」
「予知は絶対だと思い知ったばかりだろ?それなら、その影がどうしてこようと、王都の街が滅ぶのは決定的だ。ラプラスがどれほどの力を持っているのかは知らないが、君は早く彼女と会うべきだと、私は思うよ」
アイシャの言うことも、もっともだと思った。
それでも無視するわけにはいかないだろうというやる気が芽生えていた。
自分が加勢したところで戦況が一転するとも思えなかったが、予知ではそこにいた。ならば、これからジークのもとに向かうことになるのだろう。アークへ足を運ぶことが正解なのだろう。
いや、王都の街が崩壊する未来をも「正解」だと認めたくはなかったが、今、できることはそれしかなかった。
長く考えるよりもまずは行動するのだ。行動しながら考える。考えられなくなったら、考えるな。それは、コランから教わった、一つの人生観でもあった。
懐かしい記憶が蘇る。
「いいか、この世界にはな、頭を使わなきゃいけないことが多すぎるんだ。たまには、頭を空っぽにして生きてみてもバチは当たらないんじゃないかって、思うんだよ」
仕事の休憩中、昼飯を慌ただしく口に掻き込みがら、コランは大きな声で言った。
相変わらず自分勝手な意見を、神様も納得してくれるだろうと思っていそうな自信満々の顔で言ってみせるな、とユウトは呆れていた。
「コランの仕事は、頭を使わないんじゃないの?」
「いいや、そんなことはない。確かに一見、何も考えずとも遂げられそうな単純な作業ではあるんだがな」
コランは、水をくいっと口に含み、ごくりと音を立てて飲み込んだ。
「どこに向かって掘り進めばいいんだとか、洞窟を崩さないために同じ箇所を削ってはいけないんだとか、考えることばかりだ。気を抜いてると、命に関わるからな」
「どんな仕事だってそうだよ」
「とにかく、だ。行動することが大事なんだ。考えるよりも、まずは行動だ。考えることなんて、いつでもできるだろ?行動しながらだってできる。だが行動することは考え出したらできなくなる」
「一緒だよ。順序が違うだけで」
「順序の違いが、時に大きな問題になることだってあるんだぞ。順序は大切だ。そして順序と同じくらい、とにかく行動することも大切なんだ。別に考えることを放棄したってバチは当たらない。そうだろ?」
コランが、自分の頭を拳で小突く仕草をして見せた。
「そりゃあ、バチは当たらないだろうけどさ、人間の特権は考えることだ。考えて、感じることができることだよ。頭を空っぽにするって、神様は人間にそんなことを望んでいないんじゃない?」
「神様って、なんの神様だよ?」
「そりゃあ、あれだよ。発見の神様」
「なんだそりゃ」
「この前、コランが言ったんじゃないか」
「そんな、わけのわからんこと言うかよ」
豪快な、笑い声が青い空に響いた。ユウトはいじけた子どものように、ふいっとそっぽを向き、頬を膨らませた。
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