ユウト 6
アークの街から、何とか戻ってくることができた。
辺りはすっかり暗くなり、空には月が輝いている。夜になると森には危険な獣が徘徊するためなるべく近づきたくはなかったが、躊躇っている場合ではない。ララティアの命がかかっているのだ。
信じて送り出してくれたジークという男の思いも無駄にはしたくない。ユウトは意を決して、森を駆け抜けた。
「初めまして、私、マーベラスっていいます」
コユグの木のある場所に着いたところで、誰かの声が聞こえた。ドロシーと似た雰囲気を感じ取ったが、知らない少女だった。
明るい髪色と小さな体は、まるで妖精のようだ。柔らかい髪を揺らし、両手を天に向けて伸ばした妙なポーズを取りながら、少女は体をくるくると回転させていた。
「俺は、ユウト……あれ、アイシャは?」
「ああ、あなたがユウトですか。なら、ちょっとタイミングが悪かったですね」ぴたり、と回転を止め、マーベラスは言う。
「何のこと?」
「いえ、なんでもないのです。アイシャなら、ここにはいません」
「あ、もしかして、アイシャが待たせておくって言ってた研究の協力者って、君のことか」
「私はアイシャの『トモダチ』なのです」
おかしな発音だったが、友達と言いたかったのだろう。会話に不慣れなのか、しかし、彼女を囲うこの独特の空気感は、やはりドロシーと近しいものがあると思った。
「それより、頼まれていたコアを持ってきたんだけど、どうすればいいの?」
ユウトは、ジークから譲り受けた赤い鉱石をマーベラスに見せた。
「えーと、どうするんでしたっけ。そう、ラボです」
マーベラスが、コユグの木の幹に触れる。
その瞬間、ユウトの視界の景色が一変した。物騒な獣たちの蔓延る夜の森の中にいたはずだが、瞬きをした一瞬に、どこか別の建物の中に移動していた。
似たような体験を、最近したことがあると思い出した。
「今の、ドロシーの力……?」
「ユウトは、ドロシーに会ったことがあるのですか?」
「うん、昨日まで一緒にいたんだ。今は、はぐれてるけど……ていうか、君はドロシーのことを知っているの?」
「知っています」
「ドロシーが、今どこにいるのか知らない?」
「それは知りません。というか、会ったことはありません」
「なのに、知っているの?」
「知っているのです」
不思議なことを言う少女だと思った。
掴みどころのない返答や態度は、どこかドロシーと似ている。
ため息を吐き、視線を落とす。手にコアを握りしめていることに気がついた。そこで、はっとする。早いところ村に戻らなければ、と。
「そんなことより、コアだよ。どうすればいいの?」
「ああ、こっちに貰います」
マーベラスが、ユウトの手からコアを取る。それを作業台の上の妙な装置の中に入れた。
半透明の大きな装置だった。中にあるコアの様子がよく見える。マーベラスが装置をあれこれと触ると、コアが赤く輝き始めた。
「本物みたいです。ありがとうございます」
マーベラスが、作業台の縁にあった手のひらサイズの包みを、ユウトに渡した。
「何これ」
「アイシャから頼まれたものです。コアを受け取って、確認して、本物だったら、その包みを渡すようにって」
「中身は?」
「わかりません。ユウトに必要なものだと言っていました」
呪いを解く魔石か、薬か何かだろう。
ユウトは包みをしまう。早いところ村に戻らなくては。
マーベラスにラボからの出口を聞こうと近づいた、その時だった。彼女の足元に、何者かの姿が見えた。
その何者かは、仰向けになって倒れていた。ぴくりとも動かない様子だが、眠っているわけではなかった。虚な表情で、天井を見つめていた。生命力を感じられないほど、弱り果てている。そして、見覚えのある人物だった。
「マーベラス、それ……誰か倒れていないか?」
「ん、何がですか?」
マーベラスは空返事をした。コアに釘付けの様子だった。
とぼけているのだろうか。はぐらかされているのだろうか。ユウトの言葉の意味を、真に理解していない様子だった。
「君の足元だよ。そこにいるの、アイシャに見えるんだけど……」
「ああ、そうですよ。アイシャの体です」
作業台の上から視線を外し、マーベラスはユウトを見る。
「なんで、そんなところにいるんだ?」
「死んでいるからですよ。外にあると、獣に食われてしまうから、ここに置いているのです」
マーベラスは淡々と言ってみせた。外に野菜を出しておくと虫に食われてしまうから、といった調子で。緊張感のない、ゆるりとした言い方だった。
ユウトは、目の前の少女が、今コアを夢中になって触っている彼女が、とてつもなく邪悪な存在に見えた。足元にある死体が見つかり、焦った様子も、いきり立った様子も見せない彼女がとても不気味だった。
「死んでるって……まさか、君が殺したのか?」
腹をくくり、ユウトは訊ねる。声は、震えているほどではなかったが、いつもの調子とは違った。
「違います。彼女が死んだのです。私は殺していません」
「なんで、そんなに平気なの?人が死んでいるんだよ?アイシャは、君の友達なんだろ?」
「ユウトはアイシャの本、読んだことがないのですか」
「本?」
マーベラスが、部屋の奥にある本棚を指す。
ユウトは、おそるおそる彼女から距離を取り、その本棚へと向かった。
本棚の手前には、いくつもの書物が積み重なっていた。それだけではない。よく見ると、足元には様々な本や紙が散らかっている。どうして片付けをしないのか、とユウトは呆れ返った。
一番、手前側、積み重なった書物の山の頂上に、それらしきものを見つけた。
赤い表紙に黄金色の文字で題名の入った分厚い書物だった。マーベラスの指した本で間違いないだろう。著者名には「アイシャ・ミスト」と彼女の名が記されていた。
「あれ、この本どこかで……」
記憶を遡る。思い出したのは、つい昨日、ドロシーと一緒に、王都の城に忍び込んだ時のことだ。最初に入った部屋で、見つけた本だった。
こんなところで再開するとは思いもよらなかった。あの時、本を読むことはしなかったが、それでも運命のようなものを感じずにはいられなかった。
ユウトは本を開く。
本は、この世界の歴史について綴られたものだった。アイシャは自分のことを研究者と言っていたが、どうやら歴史の研究をしていたらしい。
「マーベラス。この本には、世界の歴史のことしか書いてないんだけど、君はこれを俺に見せて、何が言いたかったの?」
まさか、この場から逃走するための時間稼ぎかと一瞬、思ったが、戻ってみると、マーベラスの姿はまだそこにあった。
「最後の章です。まだ見ていないのですか?ほら、ページが折りたたんであるところ」
見ると、確かに後ろのページの端に折り目がつけられていた。何かの目印だろうか。ユウトはそのページを開く。
「これは、なんだ……?」
そこには、人体の錬成や、魂の概念、クラウンや魔女の存在についてが記されていた。
体に魂を埋め込めば、人間を作ることができる。魂とは、人間のうちに潜む真の部分。クラウンと魔女は実在する。伝説は作られていなかった。
見出しは、どれも目を引くものばかりだった。
「魔女……ドロシーから、ラプラスという名の魔女がいると聞いたことがある。マーベラスは、ラプラスのことも知っているの?」
「知っているのです。もちろん、会ったことはありませんが」
「君はいったい、何者なんだ?」
ユウトが訊ねると、マーベラスは作業を止めた。
「私は魂を司る魔女、マーベラス。その本にある通り、アイシャは魂についての研究をしていました。だから、魂を操る私の力にも興味を持ったようでした。面白そうだと思ったので、私は彼女に協力することにしたのです」
「君は、魔女だったのか……?」
「あれ、もしかして、秘密にしておいた方がよかったですか?」マーベラスは、とぼけたように首を曲げてみせた。
「でも、そこにあるアイシャの体と、この本……それに、君が魔女であることは、どんな関係があるの?」
「魂の概念については、読みましたか?」
「いや、見出しだけしか……」
「この世界の人間は、皆、体の中に魂を持っています。それは、その人物そのものを表す象徴のようなものであり、魂がなければ、人間たちは生きてはいけません。逆に言えば、魂さえあれば人間はいつまでも生きていけるのです」
マーベラスは、足元に寝そべるアイシャの死体を見た。
「しかし、それには体が必要です。その魂によく合う体が。体の中に魂を入れる。そうすることで初めて、魂は人間になることができるのです。機械生命体を作るのにまずボディを用意し、その中にコアを入れるような、そんな感じです。もっとわかりやすく言うのなら、ユウト。あなたは、その体の中に、ユウトの魂が入っている、と解釈できるというわけです」
「うーん、難しい気がするな……」
昔、ガルラから似たようなおとぎ話を聞いたことがあった気もするが、彼の話はコランの話ほどワクワクするものではなかったので、あまり覚えてはいない。ガルラの話は少年心をくすぐる冒険譚、というよりは、身を守るための注意喚起のような話でつまらなかったということだけは覚えている。
「そんなに深く考えなくてもいいのです。それより、さっきのユウトの質問に答えます。ここにあるアイシャの体についてです。この体には今、魂が入っていません。アイシャの体だけなのです。アイシャは自分の身をもって、実験中なのです」
「実験って、何の?」
「魂と体についての実験です。アイシャの魂を、これとは違う体に入れる。その最中だったのです」
マーベラスが片手を前に出し、手のひらを天井に向ける。すると、手の上に青白い炎の塊が現れ、ゆらりと揺れた。
「私には、人間の魂を捕まえる力があります。そしてこれは、アイシャの魂です。これから、これを、別の体に入れるのです。ユウトにも、特別に見せてあげるのです」
マーベラスに連れられ、隣の部屋に移動する。
そこは、作業台や本棚のあった先ほどの部屋と違って、大きな機械や設備の整えられた空間だった。どことなくアークの街と似た雰囲気があるように感じた。明かりのない部屋なので、視界は悪い。
部屋の奥にあるベッドに、誰かが寝ていた。
赤い髪の、少女だ。アイシャの死体と同じく、虚ろな表情をしていた。
「これは?」
「アイシャの新しい体なのです。これに、アイシャの魂を入れると」
マーベラスが手を伸ばし、アイシャの魂を少女の体に近づける。青白い光が、すうっと少女の体に吸い込まれていった。水面に指を置くと波紋が広がるように、徐々に全体に馴染むようにして、光は少女の体を覆っていった。
しばらくして輝きが収まる。すると少女が目を覚ました。首の後ろをさすりながら、気怠そうに起き上がる。
「ふわあ……おはよう、マーベラス。あれから、どれくらい経った?」
大人びた口調で、少女は言った。傍若無人といった態度が滲んだその声音には、聞き覚えがあった。
「あなたは、ほんとにアイシャなの?」
ユウトは、眠たそうに目元を擦る少女に訊ねる。
「おや、ユウトもいたのか」
「あなたが言ったんじゃないですか。コアを取ってこいって……」
「ああ、それじゃあ、あれから、そんなに時間が経っていないのか」
「まあ、そうですけど」
アイシャはベッドから降りると、壁に掛かっていた白衣を手に取り、上から羽織った。
「ふむ、この体だと、丈が合わないな。歩きにくいよ。まあ、実験は成功といったところか」
アイシャは、にやりと卑しく笑ってみせた。童顔な顔には似つかわしくない下品な表情だった。
————
ユウトは、ラボを後にした。
アイシャから魔除けの魔石を譲ってもらったおかげで、夜でも獣たちに遭遇することなく、無事にリフナ村に戻ってくることができた。
ララティアを看病しているという宿へ向かう。
コアを取ってきた報酬として受け取った包みを広げると、中には丸薬らしきものがあった。これでララティアの呪いを解くことができるのだろう。アイシャはただの痛み止めと言っていたが。
丸一日かかってしまったが、間に合ったはずだ。ユウトは、ララティアのもとへ急ぐ。
しかし途中で、ユウトは、これまでに自分の予知は外れたことがないという事実を思い出した。
どれだけ回避しようと努力したとしても、見てしまった未来の光景通りのことが起こってしまう。そこに例外はなかった。すべてが予知の通りだった。
そして、残酷なことに、今回の件も、その例に漏れることはなかった。
ユウトが宿に着いた時、ララティアはすでに生き絶えていた。
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