ユーリ 5
窓を開け、夜空を眺めていた。
月の光はとても明るく、夜の闇を照らしてくれる。おかげで部屋の窓からでも、村の広場の様子がよく見えた。
当然、そこに誰かがいるということも、はっきりとわかっていた。
ユーリはララティアから貰った上着を羽織る。夜の森は冷えますので、と親切にも用意してくれたものだ。彼女の厚意に精一杯、感謝しながら、ユーリは宿の外へ出た。
広場には、やはり人影があった。
本来なら暗くて見えないはずだが、月光がすべてを照らしてくれる。隠しておきたい秘密も全部透かしてくれそうだ。それほど視界は明るかった。
広場の切り株に腰掛ける男がいた。
後ろ姿だけで誰だかわかる。わからないことといえば、なぜこんな時間に、ここにいるのかだった。
ユーリは、わざと足音を立てながら近づいた。
背後からの接近に気づき、彼が距離を取ろうとするか身を隠そうとするのなら、それ以上は近寄らず、宿に戻って寝るつもりだった。
だが、もし受け入れてくれるのであれば、少し話をしようと思った。なんてことはない。ただの世間話だ。
「眠れないのか?」
足を止め、ユーリは声をかけた。
「そういうお前は、どうなんだ。何か用か?」
振り返り、答えた。レオの切れ長の目に宿る月のように綺麗な輝きは、夜の暗がりの中でもギラリと光って見えた。それほどに、勇ましい目つきだった。
「月を見てたんだ。今日のは特に明るかったから」
「月を?」
ユーリが頭上の月を指すと、レオは空を見上げた。
「知っているか?どうして月があんなに明るいのかって」
「月の神様の話だろう?昔、月には、こことは違う別の世界があると考えられていたという。ある男が月に行くと言い出して、自分がどこにいるのか地上からでもわかるようにと、体中が発光するというおかしな魔法を使って、男は一人で月に向かったんだ。結局、男は戻らなかった。代わりに月が輝き始めたことで、男の魂は月に眠ったのだろうと噂された。男は月の神様になったのだ、と」
レオが、ふう、と息を吐く。懐かしさを噛み締めているような、優しい顔つきだった。
そこには、元騎士団長としての彼ではなく、一人の兄として、妹のことを想う青年の面影があった。
今まで、彼の殺伐とした表情しか見たことがなかったので、ユーリは驚く。そして同時に安心していた。彼にはまだ、昔を思い出して懐かしむだけの心が残っているのだと。
「俺の妹は、そういったおとぎ話が好きだった。よく父に読み聞かせてもらっていた。父が騎士団の任務で忙しい時は、俺もたまに面倒を見ていた」
「レオは騎士団長なんだろ。父親も、騎士団の一員だったのか?」
「ドロシーから聞いたのか?」
「まあ、ちょっと……」
ユーリは適当にごまかす。
「俺が団長を務める前は、父が団長だった。だが、訳があって父は騎士団を辞めた。皆の推薦があり、俺が後を継ぐことになったんだ」
「そうだったのか」
先代が辞めた訳をレオは説明してくれなかったが、ドロシーから話を聞いていたので察しはついていた。大切な人を失う心の痛みはよくわかる。なので、深く聞き出すつもりはなかった。
「……ユリウス。その名には、聞き覚えがあった」
「え」
レオが立ち上がる。長い前髪が、冷たい風に揺れる。闇色の髪は夜に溶け、力強い眼光が、ユーリをとらえていた。
「少し前。まだ俺が団長になるよりも前のことだが、レグルス騎士団の入団試験があった。試験には、実践的なものも含まれているのだが、そこで気になるやつを見つけた」
「入団試験……」
「ヘクターという男を知っているか?その試験で、圧倒的な力を見せた男の名だ」
柔らかい雰囲気の優男を思い出す。緊張感のない喋り方をする男だったが、その剣技には目を見張るものがあった。
素人とは思えない身のこなしに、しなやかな剣さばき。戦闘試験で彼に敵う者はいなかった。
控え室で、彼に声をかけられた時は何を企んでいるのかと警戒したが、すぐに打ち解けていた。というより、彼には人の心を掌握する話術でも備わっているようだった。気がつけば気を許していたし、初対面とは思えないほどの信頼関係を築くことができた。
そうして会話を交わす間に、彼がいかに誠実な人間であるのかがわかった。
彼の信念は、王都の騎士として相応しいものに思えた。彼のような人物こそ、人々の命を守る存在として騎士になるべきなのだと、そんな心の迷いが、一瞬、生まれたせいもあったのかもしれない。
戦闘試験で、ヘクターに負けた。
意図して勝利を譲ったつもりはない。本気で戦ったにもかかわらず、もっと根底の、心の奥底にある正義感のようなものが、彼には敵わないと認めてしまったのかもしれない。
結局、試験の結果は、ヘクターが一人だけレグルス騎士団への入団を認められた。他に試験を受けた者は数名いたが、誰も通ることはできなかった。
「だが、そんなヘクターと、互角に渡り合ったやつがいた。この辺りでは珍しい黒い髪をした少年――若くして高い志を、その目に宿した少年だった……ユーリ、お前だろう、あれは」
「おそらくな。それが?」
気恥ずかしい念を隠しながら、ユーリは返す。
「信頼できる、それだけだ」
「信頼?」
誰かを信じるくらいなら、自分一人で片づけてやるとでも言い出しそうな男が、信頼という言葉を口にした。
妖精に鼻の頭をつつかれ、からかわれたような気分だった。
レオの人となりがいまいち掴めない。ドロシー同様、何か隠しごとがあるのではと勘ぐってしまう。
「戦いにおいて大事なことだ。仲間の能力、思考、それらを信頼していることはな」
「なるほどな。でも、僕はあんたについて何も知らない。それに問題はないのか?」
嫌味たらしく言ってみせる。騎士団長というぐらいなのだから、相当な実力の持ち主のはずだ。彼の佇まいや振る舞いからも、それは想像できた。
実際に、敵と戦うとなると、レオたちとの連携は必須だ。
相手は街を一瞬にして破壊するほどの力を持つ魔女だ。一人では太刀打ちできないだろう。レオの意見にも、賛同すべきところがあった。
「……俺は、雷の力をこの身に宿すことができる。エレクストレアの名を持つ者にのみ使うことができる大いなる力だ。そして、俺の雷は黒い輝きを伴っている」
レオが、腰にかけてある剣を抜いた。ユーリに見せつけるようにして、構える。月光が、黒々とした剣身を流れた。
「魔剣か」
「少し違う。俺自身が、雷の力で強化されるからだ」
「早く動けるとか、そういった具合か」
「ああ、その認識で問題ない。それと、戦いにはあまり関係のないことだが、他者の嘘を暴くことができる」
「は」
ユーリは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。相手が嘘をついているのかどうか、俺にはわかる」
「それも、雷の力ってやつか?」
「知らん。だが、父にも似た力はあった。真実を見抜くことができる力が。妹のアイナは、使えなかったがな」
妹の名をうっかり口にし、後悔したのか、レオはすぐにそっぽを向いた。
ユーリは聞かなかったフリをした。レオについては、やはり知らないことだらけな上、たった今、彼との信頼について考えたばかりだったが、月に見惚れていて聞き逃したと言い訳するくらいの礼儀は持っていた。
ユーリは冷たい息を吐き、空を見上げていた。
沈黙が夜の闇を深くする。ガサガサと風が草木を揺らす音がした。村を囲う木々が、そっと語りかけてくるような不気味な雰囲気だった。
――――
「二人とも、どこに行ってたの」
宿に戻ると、玄関のところで、ドロシーが迎えた。
「夜風にあたっていた」
「月が綺麗だったからな」
「理由になってないよ、もう」
ドロシーは頬を膨らませる。駄々をこねる子供のようだった。
「ドロシーこそ、どうしたんだ」
「いやね。これからのことを考えて、魔女との契約について、ちょっと話しておこうと思ってさ。二人とも、よく知らないでしょ」
ユーリはレオと顔を見合わせる。何の話かわからないといった表情だった。
「まったく知らないな」
「俺もだ」
「よしよし。それなら、ドロシー先生によるお勉強会を始めるとしよう」
るんるんと体を左右に振りながら、ドロシーは玄関の扉を閉めた。
一階の広間に集まる。ユーリとレオが食卓につくと、ドロシーがキッチンの方に姿を消した。
「二人とも、コーヒー飲む?」
陽気な声が聞こえてくる。
「眠れなくなるから、いい」
「俺もいらん」
「ちぇ、じゃあボクもいいや」
ドロシーが、テーブルに戻ってくる。
バン、とテーブルを叩き、顔をニヤつかせながら、二人を見た。
「それでは、魔女との契約についてのお勉強会を始めます」
「夜も遅いんだし、ララティアさんだって二階で寝てるんだ。もっと静かにしてくれないか」
「手短に頼む」
「キミたち、いつの間にか仲良くなったね」
ドロシーが、はあ、と息を吐く。
「まあいいや。じゃ、始めるよ。そもそも魔女の存在について、キミたちがどこまで知っているのかわからないけど、簡単に言うと、クラウンの生み出した、人間の欲望の抑止力、人間の監視役だ。ボクたちはクラウンから特別な力を与えられている。それは、クラウンにかけられた願いに基づいたものなんだけど、とにかく、魔女は人間にはないような、すんごい能力があるわけ」
ドロシーは、鼻を高くする。ユーリとレオは、表情一つ変えず、言葉の続きを待った。
「続けてくれ」
「……で、その力っていうのがね、人間に分け与えることができるんだ。人間の魂と魔女の力をリンクすることで、その魂を持つ者は魔女の力の一部を使うことができる」
「ちょっと待ってくれ。魂を持つ者ってのは、どういう意味だ?」
ユーリが口を挟む。ドロシーは、うーん、と少し頭を悩ませた。
「なんて言えばいいんだろ。これは人間が、この世界に存在することについての問題みたいなものなんだけどね。人間は、体に魂が入ってできているんだ。人形の中にコアを入れると動かせるように、世界から見ると、人間もそんな存在なんだ」
「つまり、魂がコアにあたるわけか」
「そんな感じ。魂を持つ者っていうのは、要するに人間そのもののこと。キミたちだってそうさ。ユーリは、その体にユーリの魂、レオは、その体にレオの魂を宿している」
難しい世界観だが、まったく理解できないわけでもない。昔、母から似たようなおとぎ話を聞いたことがあった。神様が人間を作る時、まず土や泥で体を作り、中に命を吹き込むという。その命の部分が、魂なのだろう。
「そして、これは仮の話なんだけど、ボクがユーリと契約した場合、ユーリの魂を持つ者——つまりキミは、ボクの力の一部を使うことができる」
「それ、魔女側にメリットってあるのか?」
「人間を知ることができる。その魂と密接に結びつくことになるんだからね」
「ドロシーの力って、どんなのだ?」
「ボクは空間を司る魔女だからね、そんな感じの力だよ、たぶん。まあ、とにかく魔女と契約すると、魔女の力を使えるようになるんだ」
「なるほど。つまり、ユートピアと契約した人間は、やつと同じほどの破壊の力を手にするというわけか」
「そういうこと。たとえば、ユートピアがレグルスと契約をしてるとなると、厄介なことになるだろうからね。一応、その可能性があるってことを伝えておこうかと思って」
確かにあらかじめ聞いておいてよかった。いざ対面したとして、ユートピアを避け、事件の首謀者であるレグルスを仕留めにいったところで返り討ちに遭う危険もあったということだ。
それに、街一つを簡単に崩壊させてしまうほどの力を有した者が二人も相手だと、正面からの戦いは愚策というわけだ。それを知ることができただけでも値千金の情報だった。
ドロシーが、ずずと音を立ててコーヒーを啜った。先ほどは飲まないと言っていたのに、いつの間に用意したのだろうか。
ユーリたちの視線に気づき、ニヤリ、とドロシーは気色の悪い笑みを浮かべた。
「ちなみに、ボクと契約すると、こんな風に離れたところに空間を繋ぐことができるよ。キッチンに用意していたコーヒーを取ってくることだってできる。どう、魅力的じゃない?今ならボク、空いているからね」
ドロシーが、しつこくウィンクする。
ユーリとレオは席を立ち、黙って寝室へと向かった。
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