ユウト 5

 アークの街に到着した。巨大な山々が連なり、その谷に潜むような形で街はあった。

 ユウトは、スピカの森から続いていた山の上から、街を見下ろしていた。

 すでに日が落ち、森を抜けるまでは辺りが薄暗かったが、街へ着いた時、目の前には光が広がっていた。街は所々から煙が立ち登り、炎が上がっていた。一瞬、大きな火事でも起きたのかと思ったが、違ったようだ。どうやら意図して何かを燃やしているようだった。

 街の中心部には、巨大な塔が見える。その禍々しい雰囲気は、おとぎ話に出てくる魔王や悪魔の住む城のようだった。

 その手前には、リフナ村一つ覆ってしまうほどの広さを持つ池に、跳ね橋と吊り橋を掛け合わせた橋が架かっていた。立派な建築だ。思わず感嘆の声を上げそうになった。こんな状況でさえなければ、もっと近づいて、まじまじと観察してみたいものだと思った。

 住宅街らしき場所を見つけた。通りは、夜であるにもかかわらず、随分と見やすい道だった。

 その理由は、通りの脇に立つ奇妙なオブジェにあった。それは、背の高い木のようにも見え、しかし頭には光を蓄えていた。水晶のような半透明なものの中に、どういうわけか光が宿っている。炎ではない。松明とも造りが違うようだが、それと似たような輝きが、街を覆う夜の闇を照らしていた。

 アークは、文明が発達している街だと聞いたことがある。アイシャはすでに滅んだと言っていたが、そうは見えない。

 街の外にはない特別な技術なのだろうか。それとも、ユグド村やリフナ村のような、都市から離れた集落には伝わっていないだけで、たとえば王都のような街にもある常識的なものなのだろうか。

 街の光景を眺めているだけで、目に映るものすべてが新鮮であり興味深かった。いつかコランの言っていた、村の外の広い世界というものを、初めて味わった気分だった。

「そうだ、機械生命体を探さないと……」

 アイシャからの依頼を思い出す。この街にいる機械生命体のコアを欲しているというものだ。機械生命体を実際に見たことはないが、行けばわかると言っていたので特に気にしてはいなかった。


 街へ降りる。

 村にあったものと比べ、全体的に暗い色の建物が多いように感じた。

 炎と煙でぼやけた空。霧がかかったように視界の悪い街並み。街の雰囲気そのものに生命力を感じられなかった。

 住宅街らしき通りを進む。住民の姿はどこにも見えない。建物にも明かりがなかった。機械生命体とやらが生息しているのだとばかり思っていたが、どこにもいないようだ。もう少し街の中心部に行かなければいけないのだろうか。

 そんなことを考えていると、衝撃音が響いた。

 見ると、黒い光が空から降り注いでいた。かなり近場のようだ。ユウトは音のした方に向かった。

 通りから路地に入る。息苦しく感じるほど狭い路地を抜けると、巨大な門の前に出た。中心部にある塔に続く正門のようだった。

 門の前には人影があった。顔はよく見えなかったが、騎士のような恰好をした男だった。

 ユウトは慌てて建物の陰に身を隠す。王都の騎士がこんなところまで自分を追ってきたのかと警戒した。建物の陰から、しばらく男の様子を伺うことにした。

 騎士ふうの男は、足元をじっと見つめていた。右手には長剣が握られている。何か喋っているようだったが、遠くで高鳴る爆発音や大きな物を引き摺るような耳障りな音が邪魔で、よく聞き取ることができなかった。

 男が右腕を振り上げた。いったい何をしているのかと見ていると、彼の足元に大きな石の塊が転がっていることに気がついた。あの石を叩き割ろうとでもしているのだろうか。

 いや、よく見ると、石ではない。粘土細工か木彫りのような造形に見える。

 ユグド村で村長のガルラに、似たものを見せてもらった記憶が蘇った。人の形をした木彫刻だ。彫刻は小さかったが、存在感のあるものだった。今にも動き出しそうなそれは、光ないものに命を吹き込む神業にも思えたが、確かにそれらと似ていた。

 男は高く掲げた剣を振り下ろす。

 鈍い音がした。男の足元で何かが崩れる。獣のように鋭い男の目が、光って見えた。醜いものを見下すような冷たい目だった。

 男の視線の先に注目すると、人が倒れていた。造形の雰囲気を持っていたのは人間だった。その人物と目が合う。片腕がなく、体には男の持つ剣が突き刺さっている。だが、辛うじて生きているようだった。

 苦悶の表情を浮かべながら、その人物はユウトに何かを伝えようとしていた。

 ユウトは答えられない。今のこのこと姿を見せると、自分も同じ目に合う気がしてならなかった。ユウトはいつでも動けるようにと身構えた。

「そこにいるのは誰だ。出てこい」

 男の声が、響く。顔だけ出して確認すると、男の視線がこちらを向いていることがわかった。

 足元の人物は、すでに生き絶えたようだった。

「時間の無駄だ、やめろ」

 そう言い放った男が、再び、剣を持った腕を高く上げる。

 剣身が邪悪に輝き始めた。先ほど住宅街から見えた黒い光の正体だと気づく。甘い蜜に誘われた妖精のように、黒い光は男の剣に集まっていた。

 嫌な予感がした。ユウトは咄嗟に身を屈める。

 男が剣を振り下ろした瞬間、その剣先から黒い閃光がまっすぐに走った。

 けたたましい音が空中を裂いた。視界から一瞬、光が消えたかと思うと、同時に襲いかかってきた体を吹き飛ばすほどの激しい衝撃。勢いのある爆風に抱えられ、ユウトの体は後方へと投げられた。


 ようやく耳鳴りが治まった。

 右の足を怪我したようで、少しふらつく。

 ユウトは体を起こしながら、出来事を再確認した。

 騎士ふうの男の持つ剣から放たれた黒い光線が、ユウトの隠れていた建物を木っ端微塵にした。その衝撃で飛ばされ、背中から着地したらしい。

 崩れた瓦礫を踏む音が、近づいてくる。土煙の奥に、男の影が揺れていた。

 ユウトはすぐさま立ち上がる。

 しかし、足に力が入らず膝から崩れ落ちる。土煙が上がり、男の視界が遮られているうちにこの場から逃げなければと、気が急いていた。

「ようやく会えたな」

 男が剣を横にして振り、土煙を切り払う。

 姿を見られまいとしているのだろうか、男は黒い外装を身に纏っていた。長い前髪を揺らし、ユウトを見定めるように、鋭く睨め付けていた。

「誰ですか?」

 ユウトは震えた声で、訊ねる。話が通じない相手ではなさそうだったので、とにかく時間を稼ぐことにした。うまく逃げ出す手段を考えるために。

「こっちのセリフだ。お前は、今、誰なんだ……?」

「は、何を言って――」

 ふと、男が何かを察知したように顔を上げた。軽く舌打ちをする。再度、ユウトを見下ろし、何かを言いたそうな素振りを見せた後で、背を向けて去ってしまった。

 ユウトは右足を庇うようにして、ゆっくりと立った。

「君、大丈夫かい?」

 背後から何者かに声をかけられた。

 振り返ると、またしても見知らぬ別の男が立っていた。大柄な男だ。手には大剣が握られている。ユウトは思わず後ずさったが、それに気がついたようで、男は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。

「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ」

 初対面でも好感の持てる爽やかな表情だった。ガタイがよく、親しみやすい好青年といった風貌の人物だ。歳はあまり離れているとは思えない。自分に兄がいたとしたら、彼くらいだろうかと想像してみる。

 ただ、その逞しい体つきに勇士の風格を漂わせながらも、まだ若干の幼さを持ち合わせているような童顔だったため、本当の年齢は推測が難しい。見た目以上に、歳を重ねていて、数多の戦場を経験していそうな雰囲気もある男だった。

「あなたは、誰ですか?」

 ユウトは訊ねる。親しげに話してくれそうな印象を受けたので、特に警戒などはしていなかった。

「僕の名前はジークだ。君は?」

「俺は、ユウトです」

「うん。よろしくね、ユウトくん」

 すっと手が差し出される。ユウトも同じように手を出し、握手を交わした。

 随分と力強く大きな手だ。それでいて、優しく包み込んでくれる頼もしさもあった。彼はいったい何者なのだろうか。

「いやあ、さっきは危なかったみたいけど、無事でよかったよ」

 ジークが、巨大な剣を収めながら言う。

「ジークさんが、助けてくれたんですか」

「うーん、ちょっと間に合わなかったかと思うけど、結果オーライなのかな」

 あはは、と苦笑いを浮かべていた。逆立った前髪を触る仕草には、子供のような愛嬌があった。

「あ、そういえば」

 ユウトは正門の前に戻った。そこには男にやられた人物の亡骸が、転がっていた。

 近寄り、声を掛ける。返事はなかった。

 見ると、体は半壊していた。片腕が取れ、背には深く切り裂かれた跡がある。足はおかしな向きに曲がり、腐った果実を踏み潰した時のような、生々しい匂いもした。

 ユウトは、顔をしかめる。

「手遅れだったみたいだね」

 後ろから、ジークの悲しげな声が聞こえた。

「すでに停止してしまっているよ」

「停止?」

「これを見てごらん」

 ジークが屈み、その亡骸の背中の傷に、躊躇なく手を突っ込んだ。そこから何かを取り出した。紅色の石のようだった。

「機械生命体のコアだ。ほら、かなり損傷しているだろ。こうなると、彼らはもう動くことができないんだ」

 ジークの手にしている鉱石を、まじまじと見る。確かに、そこらに落ちている石とは少し違う。悪魔の瞳とも見紛う、魅力的に輝く鉱石だった。

「これが、コア……」

 つまり、騎士ふうの男に襲われていた人物は機械生命体だったのだ。外見は人間とまったく変わらないので、あるいは街が薄暗いこともあるからか気がつかなかった。

 アイシャとの約束を思い出した。機械生命体のコアさえ持ち帰ることができれば、ララティアの命は助かる。

「ジークさん、お願いがあります」

「ん、なんだい?」

「それを、俺に譲ってもらえませんか」

「譲るって……え、このコアをかい?」

「はい」

 ユウトは真剣な目で頼み込む。

「別にいいけどさ。一応、理由を聞いてもいいかな」

 おそらく、コアには、機械生命体を動かすこと以外にも使い方があるのだろう。

 ジークは真剣な顔をしていた。アークで出会ったばかりの少年がなぜコアを欲しているのかと訝しんでいる様子だった。

「えっと、詳しくは言えないんですけど、どうしてもすぐにコアが必要で……大切な人の命がかかっているんです」

 すべてを話すわけにはいかなかったが嘘をつくつもりもなかった。下手に隠し事をするより、とにかく急いでいるという事情を知ってもらう方が手っ取り早いと思った。

 言葉の真意を読み取っているのか、ジークは表情を変えなかった。

「……いいよ、これは君に渡そう。ただし約束してくれ。このコアを悪用することはないと」

「はい、ありがとうございます」

 ジークが優しく微笑む。ユウトはコアを受け取った。

 手にして、驚く。輝きは弱まりつつあるが、まるで生きているかのような、生命力を感じられる不思議な鉱石だった。その魔力に憑りつかれたように、しばらく魅入っていた。

「ユウトくん、下がるんだ」

 ジークの声に顔を上げる。彼の背が目の前にあった。

 何事かと訊ねようと口を開けると、鉄製のものが勢いよくぶつかり合うような音が聞こえた。それはちょうど、岩肌をピッケルで叩いた時の音にも似ていた。

 村でコランの手伝いをしていたからわかった。「採掘師というのは、いつも壁を叩いてばかりの退屈な仕事だ」と、よく愚痴を言っていた。

「そのぶん、発見も大きいがな」と、嬉しそうに続けていたことも覚えている。そんな彼のピッケルで叩く音は、どこか小気味いいものであった。高い音だが芯に響く、たしかな重みを感じられる音だった。

 そんな音を子守歌に、昼寝をしたことだってある。大きな岩に背を預け、見上げた空に心が安らぐ。

 そんな長閑な一面が頭をよぎったのは、近くで似た音がしたからだった。

 ジークを見ると、大剣を前方に突き出し、構えていた。

 目を凝らすと、向かいには少女の姿。黒ずくめの衣装の間から抜いた剣で、ジークに斬り掛かっていた。

 両者の剣が交差し、睨み合っている。少女からの不意打ちを、ジークが受け止めている状態だった。

「ジークさん」

「ユウトくん、そこを動くなよ」

 ジークが、大剣を勢いよく振るう。

 もう一度、ピッケルで岩肌を叩いたような小気味いい音が辺りに響き、少女の体が宙を舞った。

 ジークの力に突き飛ばされたのかと思ったが、少女が自ら距離を取ったのかもしれない。正門を挟んで見える高台に綺麗に着地を決めた。

「お前たち、何者だ」

 顔はよく見えないが、声は聞こえてきた。

 人としての温もりのようなものを、一切感じられない、そんな声だった。彼女もまた、機械生命体なのだろうか。

「僕たちはただの旅人だ。近くの森を探索していたんだが、知らぬ間にこの街に迷い込んでしまったみたいだ」

 ジークが声を上げる。彼の目的はわからないが、巻き込まないようにと気を遣ってくれたのだろう。ユウトは余計なことは言わず、話を合わせるつもりで黙っておいた。

「私の同胞を斬り殺すことも、探索のうちなのか?」

「これは僕たちがやったんじゃない」

「コアを抜き取っていたところを見たぞ」

「彼はすでに絶命していた」

「お前が殺したのだ」

 怒りの感情が伴った声だった。剣を抜く音が聞こえた。また、攻撃を仕掛けてくる。直感的にそう思った。

「ここは僕が食い止める。ユウトくん、君は逃げるんだ」

 ジークが正面を向いたまま、語りかけてくる。

「ジークさん。でも」

 残ったところで、何かができるわけでもない。きっと足手まといになるだけだろう。それはわかっていた。

「いいから、早く行くんだ。急いでいるんだろ」

「ありがとうございます」

「うん。また、どこかで会おう」

 ユウトは、正門に背を向け、路地を目指して走る。

 すぐ後ろで剣を弾き合う音がしたが、振り返らず走った。足を止めることは決してしなかった。

 時間はない。早く戻らなくては。

 コアを握った手に、ぐっと力が入った。

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