ユーリ 4

「到着だ。ここがリフナ村だよ」

 王都から、かなりの距離を移動した。広大な森の中にある小さな村。そこがドロシーの目的地であった。

 村は「スピカの森」の奥深く潜ったところにあった。村の周囲には、青々とした木々が立ち並ぶ。ここまで清々しい緑を見たのは生まれて初めてだと、ユーリは感動した。

 炎と黒煙に包まれた街の景色と比べ、豊かな自然に囲まれたこの村の景色は、病み切った心を清らかにさせる効果があるように思えた。

 ドロシーに連れられ、村の中を進む。

 広場を抜けると、二階建ての大きな建物が目に入った。そこでドロシーが足を止める。

「ここが、ボクたちの新たな拠点だよ。とはいっても、この村の村長さんの家なんだけどね。空いている部屋を宿代わりに使ってもいいみたいなんだ。許可は取ってあるから、ご自由にどうぞ」

 まるで自分の家に迎え入れるような図々しさで、ドロシーは言った。

「村長さんは、どこにいるんだ?」

「さあ、この村のどこかじゃない?」

「勝手に他人の家に入るのは、気が引けるからな。挨拶しておきたいんだ」

「それなら探して来なよ。たぶん、広場で子供たちと遊んでいると思う」

 先ほど、それらしき場所を通った時には人っ子一人見えなかったけれど、と思いつつ、広場に戻ると人影があった。

 大きな樹木の前で駆け回っている子供たちと、それを見守るようにして立つ妙齢の女性が一人いた。

 村長が女性であることは、ドロシーから聞いていた。美しいブロンドヘアーの彼女が、そうなのだろうか。

「すみません。この村の長が、どこにいるか知っていますか?」

 ユーリはその女性に近づき、声をかけた。

「はい、村長は私ですけど……」女性は不思議そうな表情で、答えた。

「僕、ユリウスっていいます。その、ドロシーってやつに連れられて、この村に来た者なんですけど……」

「ああ、ドロシーさんの言っていた方々ですね。お待ちしておりました」女性は微笑む。まるで全人類の母であるかのような、巨大な包容力のある笑顔だった。「私はララティアと申します。よろしくお願いします、ユリウスさん」

「ユーリでいいです。みんなも、そう呼んでいるので。宿の件、ありがとうございます」

「いえ、困った時はお互い様ですから。気の済むまでいてください。私たちは歓迎しますよ」

 ララティアと挨拶を交わしていると、広場で遊んでいた子供たちが近づいてきた。村の外から来た人間を初めて見たのだろうか。警戒していたり、興味深く観察していたりと、反応は様々だった。

 ただ、誰も彼も、ユーリを囲うようにして集まり、口をポカンと開けて見上げていた。

「この人、だあれ?」

「僕はユーリだ。よろしく」

 子供の相手は苦手だったが、怖がらせないように、優しさを込めた口調で返す。

「ユーリ?知らない人?」

「ああ、初対面だよ」

「どこから来たの?」

「ここからは遠い、大きな街から来たんだ」

「それって、王都ってところ?」

「……ああ、そうだよ。よく知ってるね」

 子供たちの無邪気さが、心に刺さる。彼らは、王都で起きた悲劇のことを知っているのだろうか。

「皆さん、そろそろ日も落ちてきますし、おうちに帰りましょうね」

 はあい、と明るく高い声が上がる。それぞれが帰るべき場所へと向かって、元気いっぱいに駆けてゆく。その後ろ姿を見て、不思議と懐かしい感覚に襲われた。生まれつき体が弱く、幼い頃は外で遊ぶことができなかった。それでも、今の彼らと同じ気持ちを確かに持っていた。と思い出す。

 家に帰ることの安心感である。この世界のどこよりも、心の安らぐ場所は生まれ育った我が家であった。大好きな家族と美味しいご飯を食べることができる幸せな空間であった。

 そんな幸せも今や手の届かない、そして、今後とも決して触れることのできない場所へと消えてしまった。

 失ったものは戻らない。過ぎた結末は変えられない。理解はできているがら頭で考える以上に体を蝕む何かがあった。これまでに感じたことのない悪霊が憑りついているのではと錯覚するほどの悍ましい何かが、体中を巡っている。

 子供たちを見て、ユーリは思う。あの子たちのような純粋な心を、僕はもう持っていないのだろうか、と。大切にしていた宝物を失くしてしまったような、物寂しさを感じた。

「すみません、気を遣わせてしまって」

 ユーリは強がり、笑みを浮かべてみせる。

「いえ、こちらこそ失礼しました。あの子たちは、その、王都で起きたことをまだ知らなくて」

 その口振りだと、この村にはララティアを含め、知っている者もいるようだ。

「大丈夫です。僕もいつか、慣れなければいけないことなので……」

 ユーリは、心の中でため息をついた。

 慣れる、か。自分で言っておきながら、それはいったいいつになるのだろうかと思う。あれだけの悲劇を日常の一部として受け入れることができるのだろうか。自分の生きた証として、丁寧に思い返すことができるのだろうか、と。

 悪夢のような光景を、頭の隅に追いやる。あわよくば、このまま忘れてしまいたい。もう二度と思い出すことのないように。記憶の箱にそっと蓋をしてしまい気分だった。

 ララティアは、夕食の用意のために市場へと向かった。

 その後ろ姿を見届けて、宿に戻る。

 ドロシーが一階の広間のテーブルに体を預け、だらしない姿勢でくつろいでいた。腕を組み、その中に顔を埋めている。その様子を見て、ユーリは眉を寄せる。

「ドロシーは、何が目的なんだ」

「目的?」

 埋もれていた顔が、ひょい、と上がる。

「というより、どうしてレオに協力しているのかが気になっているんだ。あんた、魔女なんだろ?僕の知っている魔女は、人間を超越した存在で世界の均衡を保つために人間を監視している。はずだ。個人の欲望に手を貸しているのが、不思議に思って」

 知っている、と言ったものの、それは幼い頃、母に何度も読み聞かせてもらったおとぎ話の中に登場する魔女についてのことだ。

 実在する魔女のことは知らないが、魔女と聞いて思い浮かんだ姿と、ドロシーの雰囲気があまりにも異なっていたため、違和感を覚えていた。

「うーん、気まぐれかな。ただ、別に彼の欲望を満たすために協力しているわけじゃないよ」

「あ、まさか、魔女の制約ってやつか?」

「そ、よく知ってるね」

 おとぎ話においても、魔女はこの世界に存在するために、いくつかの条件があった。それは、ドロシーも同じようだった。

「『人間に好意を寄せてはならない』だったか」

「うん、そうだよ。正確には『人間を特別な個人としてはならない』だけどね」

「何が違うんだ?」

「たぶん、誰か一人に好意を寄せちゃいけないんじゃないの?」

 ボクもよく知らないけど、とドロシーが笑う。

「じゃあ、レオに好意を寄せているわけじゃないのか」

「というか、本来、ボクたち魔女に、そういった感情のようなものは用意されてないんだけどね」

 自嘲気味に鼻を鳴らした。用意、という言い方が、ユーリは気になった。自分たちのことを、まるで作られたもののように言ってみせるのだなと。それを自覚している風なのが余計に気に食わなかった。

「なら、そういった制約を破ることはないのか。というか、もし魔女が制約を破ってしまったら、どうなるんだ?」

「魔女としての名前を失うことになるかな」

「名前を?失ったらどうなる?」

「魔女じゃなくなる」

「人間になるってことか?」

「いいや、魔女としての力はなくならないよ。それはボクたちのアイデンティティーみたいなものだからね。ただ、魔女としての名前を失ってしまう。でもそれは、人間になるってわけじゃないんだ。魔女でなく、人間でもない、誰ともいえない存在になってしまうんだ」

「それって、なんか怖いな」

「怖いよねー」

 緊張感のない声で、ドロシーは言った。自分には関係のないことだと言わんばかりの余裕が、声の調子に表れていた。

「ユーリ、聞いておきたいことがあるんだ」

「なに?」

「キミがさ、ボクたちに同行したいと言った理由、ちゃんと説明してもらってないと思ってさ」

「ああ……」

 視線を逸らすように、斜め上の方を見る。森の中にあるからなのか、木造の家ということで明るい色合いの樹木を用いてある天井が見えた。王都のような街だと、なかなかお目にかかれない綺麗な木目に一瞬、目を奪われる。

 正面に戻る。ドロシーの目を見る。透き通った瞳の奥には、限りなく広々とした空のような壮大さがあるかに見えた。

 ドロシーの目的はわからなかったが、今は味方と考えていいのだろう。おとぎ話に出てくる魔女の印象が強すぎて警戒していたが、考えすぎだったようだ。

「自分でもよくわからないってのが、正直なところだ。本当、なんで付いてきたのかなって思うよ。ただ、あんたたちが世界を救おうとしているように見えてカッコいいと思った。故郷の街をめちゃくちゃにされて許せないと思った。だから、おとぎ話の主人公やヒーローみたいな存在への憧れと、あの悲劇の首謀者に対する怒り、復讐心。そんな幼稚な考えに取り憑かれていたのかもしれない」

 改めて思うと、誰かに褒められるような立派な志ではない。情けなささえ感じる。

「今は、どう思う?」

「まだ、わからない。世界を救いたいとは思うし、犯人も許せない。ドロシーはああ言ってくれたけど、もしかしたら、何も考えていなかったのかもしれない」

「そっか」

 ドロシーは真剣な面持ちで、ユーリを見上げていた。

 彼女は、魔女の力を自分たちのアイデンティティーと言った。だが、ドロシー曰く、彼女らには感情は用意されていないらしい。それはもしかすると、魔女を人間と区別するためのもので、つまり感情こそが、人間のアイデンティティーではないかと、ユーリは思った。

 ならば、憧れや復讐といった感情は、人間特有ものではないか。彼女は人間とは違う生き物だ。生き物であるのかすらわからないが、少なくとも人間ではない。

 魔女として、ドロシーの中で人間とはどのような存在なのだろうか。ユーリは、ふと疑問に思った。今、彼女の目には、自分はどのように映っているのだろう、と。

「まあ、いいよ。欲望のままに行動してしまうのは非常に人間らしいじゃないか」優しい言い方だった。それを律するのが魔女の役目じゃないのかと、ユーリは思った。

「レオもさ、ああ見えて、実はかなり欲望に忠実なんだよね」

「そうなのか」

 ドロシーがキョロキョロと辺りを見回す素振りをする。レオに聞かれていないか、と心配しているようだった。

「レオにはね、妹がいたんだ。たった一人の家族である大切な妹が。彼女も騎士団の一員だった。亡くなった父親の騎士としての姿に憧れていて、自分も立派な騎士になるのだと志を高くする心優しい少女だったらしい。ただ王都を襲った災厄は、すべてを呑み込んだ。もちろん彼女もだ。そして悲劇が起きた日、レオは任務で王都を離れていた。王都にいなかったんだ。仮にいたとして、あの悲劇を止められた保証はないけど、それでも、大切な家族や街を守ることができなかったことを後悔してるみたいなんだ。世界を守るためだとは言っているけど、彼もまた、復讐に近い感情で行動してるんじゃないかなって、ボクは思ってるんだ」

 胸の奥が、ちくりと痛む感覚があった。レオの気持ちは痛いほどわかる。あの日、ユーリも王都にいなかったのだ。災厄を回避できたのはそれが理由だった。

 たとえその場にいたところで何かができたわけではない。だが、みんなと一緒にいたかった。一人だけ取り残された感覚が後悔の念となって居座り続ける。腹の奥底の深い部分に住み着いている。吐き出してしまいたい。

 どうすればいい?復讐するしかないのだ。殺すのか?殺すしかないのだ。許しては、おけない。

「僕と似ているな。レオのこと、まだ全然知らないけど、大切な人や居場所を失った悲しさだけは、僕と同じだったと思う」

「そうそう。ボクからすると、キミたち二人は似てるんだよね。だからあの時、レオを説得した。キミたちは、同じ悲しみを持っているんだ。きっとわかりあえるだろうと思ってね」

「そうかもな……まあ、レオは僕のことを気に入ってはないみたいだけど」

「まだ、付き合いが浅いからだよ。ボクだって最初はあんな感じで冷たくあしらわれていたし」

 当時のことを思い出したのか、くしし、とドロシーが笑う。

 レオとドロシーがどのようにして出会ったのか、ユーリは知りたくなった。聞いた様子だと、ドロシーが気まぐれでレオに協力しているようだが、やはり何か理由があるような気がしてならなかった。

 ドロシーはつかみどころのない性格をしている。何かまだ、隠していることがあるのではないか。そんな考えが頭にあった。

「戻ったのか」

 レオが姿を現した。家の二階にいたらしい。足音もなく階段を下りてきたので、声をかけられるまで気がつかなかった。

「やあ、レオ。具合はどうだい」

 背筋を伸ばし、ドロシーが言う。

 見ると、ウィンクをしてきた。さっきの話のことだろうと察する。レオには秘密にしてほしいようだった。

「大丈夫だ。それより、いつ出発する?」

「まあまあ落ち着きなよ。どうせもう外は暗いんだし、夜の森は特に危ないって聞くからね。今日は二人ともしっかりと休んで、明日の朝、出るとしよう。ユーリに言っておかないといけないこともあるし」

「なんのことだ?」

「ボクたちの目的について、もっと言えば、目指すべきところさ。王都の街を破壊した敵についてだよ」

 一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われた。自分の体の中の深い部分で何かが声を上げようとしているのがわかった。

 落ち着け、と何度も自分に言い聞かせる。冷静さを欠いてはならない、と。

「そもそもの話をするよ。王都の崩壊、それは、ある者の力によって起こったことだ」

「誰かがクラウンに、王都の崩壊を願ったというやつか?」

「いや、ちょっと違う」

「違う?」

「クラウンによる力というのはあながち間違いじゃない。でも王都の崩壊はクラウンにかけられた願いじゃない。願いによって生まれた、魔女がもたらした悲劇なんだ」

「魔女って……それ、本当なのか?」

「うん、本当だとも」

 おとぎ話に登場する魔女とは、クラウンが願いを聞き入れた時に生み出す人間の欲望に対する抑止力だ。

 それは、いわば「世界側」の存在であり、欲望の暴走から世界を守るために人間を見張っているのだとばかり考えていた。そんな魔女が、街を破壊したと聞いて信じられなかった。

 ドロシーだけが例外だと思っていたが、今、この世界に存在している魔女は、おとぎ話の中に出てくるものとは違う。まったく異なる存在だと考えておいた方がいいのかもしれない。と思った。

「クラウンの所有者は、国王であるレグルス。彼は、キミたちの住む街――王都レグルスをさらに発展させるために新たな国を作り上げようとした。でも、創造にはまず破壊が必要だ。それが世界の出した答えだった。そして彼の願いに呼応するようにして、一人の魔女が生まれた」

 ドロシーが、ぴっと指を立てた。

「彼女の名は、ユートピア。破壊の力を司る恐ろしい魔女だよ」

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