ユウト 3
ドロシーが姿を消した。
それは文字通りユウトの目の前で、空間を飛び越えるというお得意の魔法を使い、どこかへ行ってしまったということだ。
またしても自分勝手な行動を取るドロシーに、ユウトは心底、呆れ返っていた。
遡ること数時間前。
王都の城からリフナ村に戻ってきたユウトは、部屋で一人、考え事をしていた。
事件を起こした真犯人の目的は、いったい何だったのだろうか、と。
王様を殺した罪を他人に着せ、身代わりとなってもらう。犯人の思い描くシナリオは想像できる。ただ一つわからないことがある。
その身代わりとして、どうして自分が選ばれてしまったのか、ということだ。
王都と交流なども一切ない、辺境の地にある小さな村に住む何の力もないただの少年を狙ったのは、なぜか。その点が本当に謎だった。
誰かを犯人に仕立て上げるというのであれば、同じ王宮の関係者かあるいは王都の人間である方が目撃証言も多くなる上、捕えた後の隠蔽工作だってしやすいのではないかと思う。
そもそも王都との関わりなどはまったくなかったはずなのに、どうやって調べたのか。しかも名前まで割れていたのだ。昔から何者かに監視されていたのではと考えると、ぞっとする。
肩にできた痣が痛み、腕で抑えた。視線を肩に落とす。
そういえば、いつできたのかわからないこの痣についても知られていた。左肩から首元にかけて広がっている火傷のような痣は、衣服を身に着けていれば少し覗いて見える程度である。
痣に気がついたのはドロシーと出会った後のことで、ユウトはドロシーと出会う直前に、あの森で怪我をしてできたのではないかと予想した。
しかし、それなら痣のことが王都の人間に知られているのはおかしなことだった。森で目覚めてからは、ドロシーに連れられ、このリフナ村に着くまでに誰にも会っていない。リフナ村の住民たちには見られたかもしれないが、少なくとも王都の関係者は知らないはずだ。知る方法がないだろう。
つい昨日のことを思い返しているだけで、まるで遠い過去を見ているかのような感覚に襲われた。
ユウトはベッドに預けていた体を起こした。
そういえば、さっきからドロシーの姿が見えないなと部屋の扉の方を見やる。
また一人で王都にでも行っているのだろうか。昨日も、いつのまにか王都に行って事件の目撃証言が記された号外を手に入れていた。
基本的に何を考えているのかわからず、目を離した隙に勝手な行動を取るのがドロシーという少女なのだ。落ち着きのない子供のようだ。その奔放さに振り回される身にもなってほしいと、ユウトは心の中でため息を吐く。
結局、ドロシーは何者なのか。それもわからないままだった。
森から抜け出す道を教えてくれたり、王都の捜査の手が届かない安全な村まで案内してくれたり、事件の真相を突き止めるために王都の城に侵入する手助けまでしてくれた。
自分勝手な性格が目立っていたものの、その実、ユウトの助けになる行動ばかりしてくれている。ユウト自身、そのことには薄々、気がついていた。ただ、彼女の真の目的は何なのか、訊ねてもはぐらかされるだけで教えてはくれない。
ユウトの前に転がっている謎は、どれも「新しい発見」には到底、至らないような、暗い霧に包まれた謎だった。扇ぐだけで霧は晴れそうだというのに、肝心の扇ぐための道具を持っていないような気分だ。
すべての出来事には必ず何らかの理由があると踏んでいるのだが、それを見つけられずにいて、見つけるキッカケすらもわからない。そんなもどかしい状態だった。
こんな時、コランならどうするだろうか。
ユウトは、ふと考えてみる。
村で採掘師をしていたコランは「発見」に飢えていた。毎日、何かを発見し、その度にまるで壮大な物語を話すような堂々とした調子で、その発見を自慢してくれた。
所々を誇張した胡散臭い話もあれば、実際にあったんだぞと胸を張って語る武勇伝もあった。どんな話であれ、幼い頃は彼の話を目を輝かせながら聞いていた。いつもいつも同じような話でも飽きることなく、何度も何度も聞いた。
そして、いつしかコランような発見をと、自分でも未知なるものを求めるようになっていた。
「一番大切なことは、忍耐力だ。何があっても諦めない心なんだ。そうだろ?森の中から一枚の葉っぱを見つけ出すのには、忍耐力がいる。それと同じだ。発見も、諦めずに探すことが大切なんだ」
コランの声が脳裏に響く。自分は今、世界の真理を語っているぞと言わんばかりの自信の表れか、力を感じるしわがれた声だった。
「諦めさえしなけりゃ、神様はきっと微笑んでくれる」
「神様って、なんの?」
少年の声が聞こえてきた。幼い頃の自分だと、すぐにわかる。
「そりゃあ、お前、発見の神様に決まってるだろ」
「何それ」
「神様は神様だ」
「わけがわからん」
豪快な笑い声がした。コランのだ。
「ま、何でもいいんだよ。とにかく、諦めない心だ。忘れるなよ」
「ふうん」
そんな、他愛のないやり取りをした記憶が蘇ってきた。
思い出を噛み締める。口元が少し緩んだ。
「諦めない心、か」
コランの言葉を、頭の中で反芻する。
王様を殺した犯人に仕立て上げられ、王都から追われる身となってしまった。故郷の村に帰ることも難しくなってしまったが、コランの言葉がユウトを鼓舞する。
諦めるつもりなどなかった。謎が大きければ大きいほど、それだけ発見も大きいということだ。
ユウトは、よしと意気込む。
不思議とやる気が湧いてきた。どれだけ長い道のりになろうとも絶対に諦めないぞという強い決意が、ユウトの体を満たしていた。
にっと白い歯を見せて笑う、コランの顔が浮かんだ。太い腕を前に突き出し、親指を立てていた。
「これは、すべてが思い通り。順調。大丈夫だ、何とかなるって時に使うサインだ」と、言う。
大丈夫だ、何とかなる。
一人で呟き、ああ、そんなことも言っていたっけ、と懐かしむ。
「みんな、心配してるかな……」
コランの顔を思い出したことを皮切りに、故郷の村の他の面々も一緒に頭に浮かんできた。
二日前、いつものようにこっそりと村を抜け出し、近所の森を探検をしていた。もちろん、新たな発見を求めて。
その途中で、あの森に迷い込み、それきりだ。
今頃、村中で騒ぎになっているかもしれない。昔も似たようなことがあったが、その時は、村の大人たちが総出となって探してくれた。
結局、近くに隠れていて、すぐに発見されたのだが、ガルラ村長の怒りと安堵の入り混じった複雑な表情は今でも忘れられない。
同時に感じた、心の傷み。人に迷惑をかけることがこんなにも切ないのだと、あの時、初めて知った。そんな苦い思い出だ。
部屋の扉を叩く音がした。
そろそろ夕食の時間だ。ララティアさんが来たのかもしれないと扉を開けると、外にはドロシーが立っていた。
「やあ、驚かせたかな?」
一瞬、誰だかわからなかった。というのも、トレードマークの三角帽子を被っていなかったからだ。
部屋に入るのに、そのままだと入り口に引っ掛かるのだろう。大切そうに、両手で抱えていた。
「ドロシー、いたんだね。てっきり王都にでも行ってるのかと」
「いやいや、村長さんとちょっと話をしててね」
ドロシーが、すっと部屋に入ってくる。気のせいか、いつになく神妙な顔つきをしていた。加えて、何か言いたげな様子だった。
「キミの力について、少し聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
ドロシーが言っているのは昼間に少し話した、ユウトの持つ予知能力のことだった。
空間を飛び越えるという、ドロシーの持っているような不思議な力だと、ユウトは説明した。そこに引っ掛かりを覚えたようだった。
「その力、いつ誰に授かったのかな。覚えてる?」
「授かった?この力を?」
力は生まれつきのものだと思っていた。
自分か、あるいは身の回りに起こる危機について、時々、先の光景が見えることがあった。
それは物心ついた時から備わっていた力であり、村の大人たちは、この力をまるで魔女の力だと不気味がっていた。
そのせいで、この力に気づいたばかりの頃は村の大人たちから冷ややかな目を向けられる日々が続いた。十にも満たない歳の子供にはそれがどれだけ辛いことだったか。思い出しただけで心が締め付けられる。向けられた視線に宿る畏怖の感情や拒絶の態度に、自分の存在を否定されているようで怖かった。まるで少しずつ体を削がれているような、あちこちが、ちくちくと痛む嫌な気分だった。
結局、ガルラやコランが必死に説得してくれたおかげで、魔女の力だと言われていた予知能力についての誤解は解けた。だが、力の発現したキッカケはわからないままだ。わからないまま、今日まで過ごしていた。
「なるほど、そこまで覚えていないのか」
「というより、こんな不思議な力を他人に譲渡することができるだなんて、今初めて知ったよ。俺の場合、物心ついた時にはすでに、この予知能力が備わってたんだ。まあ、うまく制御できない力なんだけどね。いつも見たい時に見ることができるわけじゃなくて、勝手に見えるというか」
この力は特別なものだ。安易に他者に見せびらかすものではないぞと、村長のガルラには口を酸っぱくして言われていた。ユウトも、その言いつけに従うつもりだった。
ただ、あまりに唐突なことだったので、思わずドロシーに言ってしまった。わずかに見えた未来の可能性。衝撃の光景。ララティアの命が危うい、と。
「ねぇ、少しいいかな」
「え」
ドロシーが、ユウトの頭の横を両手で支えるようにして包み、顔を近づけた。そのまま、ユウトの目を見つめる。
何をしているのかわからないが、真剣な眼差しだった。力強い視線に、頭の中まで覗かれているのではと感じたほどだ。
空色の宝石のような神秘的なまでに澄んだ瞳が、ユウトの顔をとらえていた。こんな性格をしていても美少女ではある。じっと見つめ合うのは少し恥ずかしかった。
「思った通りだ。ラプラスに目を弄られてる」
ドロシーが声を上げる。固まっていた部屋の空気が、一気にほぐれたような脱力感があった。
「ラプラス?目を弄るって、どういうこと?」
知らない人物の名前と、物騒な言葉を口にする。ユウトは咄嗟に目を抑えた。ドロシーが何かしてくるのではと警戒した。
ドロシーは「あ、知らないのか」と口を開けた。
「ラプラスってのは、『特別な目を持った魔女』のことだよ」
「特別な目?」
ドロシーは、乱暴に掴んでいたユウトの顔から手を離した。
ユウトも、目を抑えていた手を下ろす。
「そう。彼女の目では未来を見ることができる。これからの出来事——起こりうる未来の光景を、ね。その目があれば、たとえば、身の回りに起きる危険だって見ることができるかもしれない」
ユウトは、はっとした。顔面に思い切り水をかけられたような、爽快感にも似た衝撃が走る。目が冴えた気分だった。ドロシーの言おうとしていることが、直感的にわかったからだ。
つまり、予知能力というのは、生まれつきのものだと思っていた特別な力は、ラプラスという名の魔女から授かったものということだ。
「見たところ、キミの右目はラプラスと同じ目をしている。パッと見ではわからなかったけど、注意深く観察すればよくわかったよ。どういうわけかキミは、ラプラスのと同じ目を持っているよう——」
と、そこでドロシーの声が途絶えた。続きを言うのをやめ、何を考えているのだろうか、岩のように固まってしまった。
「ドロシー、どうかしたの?」
ユウトが声をかけると、ドロシーは小さな声で「そうか、わかった……」と、呟いた。
「何がわかったの?」
ユウトは何もわからないまま、訊ねた。
嫌な予感がした。
「急で悪いんだけどさ」
突如、ドロシーが立ち上がり、ユウトを見た。
ああ、やっぱり、これは。
「しばらく、お別れだ」
「お別れ?」
「やるべきことができた」
いつも通り、ドロシーの身勝手な行動だった。
「やるべきことって、何をするの?」
「人に会ってくる」
ドロシーの足元に魔法陣が現れる。ドロシーの得意とする、空間を飛び越えるという力だ。
昨日の夜にこの部屋と、今日の昼に王都の城への行き来とで、もう三度も見た。常人離れした超人的な力には、それでも新鮮さがあった。
魔法陣から魔力の光が溢れ出る。光が輝きを増していき、ドロシーの体を包み込む。光が大きくなり視界が真っ白に覆われた。かと思うと、次の瞬間、そこにドロシーの姿はなかった。
「どうしたんだろ、いったい?」
ドロシーの突然の謎の行動に、ユウトは首を傾げた。せめて、何がわかったのかくらい教えてくれればよかったのに、と思う。
ただ、なぜだろうか。肩に寄りかかっていたものが一気になくなったような解放感があった。
しばらくお別れだ、とドロシーは言った。しばらくというのは、具体的にどれくらいなのだろうか。そしてそれは、ドロシーが戻ってくるまで、この村から出るなという意味なのだろうか。
もちろん、いずれリフナ村からは出て行くことになる。いつまでも世話になるわけにはいかないし、故郷の村のみんなも心配しているはずだから。しかし、それはいつになるのだろうか。
王様殺しの事件が解決するまでは、下手に動くことはできない。幸い、王都の捜査の手はリフナ村にまで届いてはいないものの、それも時間の問題だ。
この不安からも、しばらくお別れしたいなとユウトは呟き、一人、窓の外を眺めた。
————
「そう言って、どこかに行っちゃいました」
「まあ、そうだったのですか……」
ララティアが困ったような表情を浮かべ、静かに窓の外を見た。夕食の準備ができたと伝えに来てくれたのだが、ドロシーがどこにもいなくなっていたのだ。困惑するのも無理はない。
ユウトは、ドロシーが勝手に飛び出していった、もとい空間を飛び越えていった経緯をララティアに話した。もちろん、ユウトが王都で指名手配されていることや、昼間、ララティアには内緒で王都の城に侵入していたことなどは言っていない。
それらは頃合いを見て話すつもりでいた。自分を受け入れてくれたリフナ村の人たちに、余計な混乱や不安を与えたくなかったからだ。
細部を濁し、ドロシーは何を考えているのかわからない性格なのだというところを強調し、彼女の身勝手さについても説明をした。
実際、ドロシーが一人で行ってしまった理由は知らない。だから、ララティアさんを騙しているわけではないし、いつかちゃんと説明するつもりだ。そうユウトは自分に言い聞かせ、納得した。
「たぶん、すぐに戻ってくると思います。不思議な力を持っているみたいで、昨日も似たようなことがあったので」
「それなら、いいのですが……」
心配そうな様子を顔に滲ませながら、ほっと胸を撫で下ろす。そんなララティアの横顔を見て、ユウトは心に迷いが生まれた。
予知した光景。見てしまった未来に映った、彼女の姿。そのことを伝えるべきなのだろうか、と。
ララティアと部屋を出る。一階にあるダイニングに向かった。
食卓には料理が並べられていた。ユウトとドロシー、ララティアのちょうど三人分だ。ララティアが用意してくれた夕食だった。
「どうかしましたか?」
「何がですか?」
席についたところで、ララティアに声をかけられ、顔を上げる。優しさに溢れた目をしていた。心の底から心配してくれているのだとわかる、思いやりのある目だった。
「いえ、何か思い詰めた顔をしているように見えましたので」
「そうですか……いや、大丈夫です」
大丈夫ではない。躊躇の念がこもった声だと、自分でも思った。
予知した未来は必ず起こることであった。どれだけ抗おうとしても、決して変えられない真実の光景だった。
悟られまいと、ララティアの前で平然に振る舞ってはいるが、内心穏やかではなかった。これまでも他者の身に降りかかる危険を予知したことは何度かあったが、ガルラの言いつけのこともあり、本人に伝えるようなことはしなかった。
予知して見た光景は起こるべくして起きる出来事だ。ならば、それを自分の意思で避けようとすることは、運命から外れた危ない橋を渡ることになるのだと、難しいことを言われた。当然、意味は理解できなかったが、ガルラの圧力のある声に、そういうものなのだろうと自分に言い聞かせ、その言葉に従っていた。
だが、今回の場合は違う。今までにないケースだった。他者の死を予知してしまうなんて、思ってもみなかった。
ユウトの見た未来の光景には、生き絶えて、安らかな顔つきで眠る彼女の姿が映っていた。
食卓の上に視線を落とす。おかしな色をした野菜のサラダや、獣をそのまま焼いたようなグロテスクな肉をのせた料理皿が並べられていた。
食欲が湧かない。料理の見た目があまり好ましくないせいもあるが、今何か腹に入れると、逆流して体の中にあるすべてのものが吐き出されてしまいそうな気分だった。料理ではない。どす黒い何かが、ユウトの腹の奥底を蝕んでいた。
「気持ちはわかります。未来への不安は、誰にでもあることですから」
「え」
ララティアの言葉に、口を開けたまま固まってしまう。
なぜ、彼女は知っているのだ。予知した未来を恐れていることを。彼女の身に降りかかる危険のことを。
もしやドロシーから聞いたのだろうか。
そういえば、姿を消す前に村長さんと何か話をしたと言っていた。まさかとは思ったが、予知のことを話していたのだろうか。
だとすれば、どこまで話したのか。ドロシーのことだから余計なことは言っていないのだろうが、ユウトたちの境遇を勘づかれてしまうなんてことはないだろうか。様々な推測がよぎった。
「ユウトさん、故郷の村に帰ることができなくなってしまったのですね」
「故郷の村?」
予想していたのとは違った言葉が、ララティアの口から出た。ユウトは思わず訊き返す。
「ドロシーさんから聞きました。この『スピカの森』で迷子になってしまったのだと。見慣れない地で不安が募るのはわかります。でも、大丈夫です。いつまでもこの村にいてもいいですから。ユウトさんのことは、私たちが守ります。安心してください」
「……ありがとうございます」
ユウトは間の抜けた声で返した。
予知のことではなかった。だが、故郷の村に帰ることができない状況を知っているということは、おそらく、ドロシーが手回しをしたのだろう。
訳あって、ユウトは故郷の村に帰ることができなくなってしまった。しばらくの間、この村で面倒を見てやってほしい、とでも言ってくれたのだ。そんな光景が安易に想像できた。
故郷の村に帰ることができなくなってしまった理由は色々とある。たとえば、王都で指名手配をされていることだ。
この一連の事件を計画した者、つまり真犯人は何者かはわからないが、きっと王宮の関係者であり、あるいは国家レベルの組織——王宮そのものである可能性が高い。
なぜか名前を知られており、誰にも知らないはずであろう肩にできた痣のことまで調べ上げていた。故郷の村のことも、とっくに目をつけられているに違いない。そんなところに、のこのこと顔を出していては、簡単に捕まってしまう。何より、ガルラたち村の大人に迷惑をかけたくないという気持ちが大きかった。
自分が相手にしているのは、想像しているよりもはるかに大きく、謎めいた、世界を揺るがす陰謀だ。何者も巻き込みたくはなかった。
もちろん、そんな事情もあるがもっと直接的な理由としては、ここがどこだかわからないことだった。
スピカの森の中にある、リフナ村というエルフたちの暮らす小さな村であることは知っている。ただ、スピカの森というのは、あの王都レグルスやアーク・トゥルス・シティと並び、世界の根幹として伝わる聖なる地の一つだ。世界の半分を覆い尽くしている、と云われている広大さ。そして一見、発達した文明もなく、獣たちの巣食う危険区域として扱われている。
何があっても、特に夜中にスピカの森には近づくな。活発になった獣たちに食い殺さてしまうぞと、ガルラにも言われていた。
ユウトは、自他共に認めるやんちゃな幼少期を送っており、大人たちの言うことを聞かず、怒られることもしょっちゅうだったが、ガルラとの約束だけは破らなかった。
ユウトにとって、彼は父親のように偉大な存在であり、確かに顔は怖くて苦手だったが、人として誰より信頼していた。捨てられた自分を育ててくれた親として、言葉では表しきれない感謝があった。
そんな人物が言うのであれば間違いはないのだろう。獣に殺されるかもしれない、という現実味のない言葉は、コランが言えば笑い話になるのだろうが、ガルラの場合は違う。冗談を口にする性格では決してなく、ユウトのことを思っての忠告だとわかっていたのでずっと守っていた。
しかし、だからこそ知らないのである。スピカの森の地理関係や生息してある獣たちの特徴について、まったくと言っていいほど知識がないのであった。
つまり迂闊に森を歩けば、迷い、森から抜け出すことができなくなってしまうということだ。そもそも、いつこの森に迷い込んだのかがわからず、ドロシーの案内がなければリフナ村にだって行くことはできなかった。
ドロシーもいない、故郷の村の方向もわからないのに、導もなしに森を進むのは得策ではないと思えた。
「ユウトさんの故郷の村は、ここから遠いところにあるのですか?」
素朴な疑問、というふうにララティアが訊ねてきた。その視線には、妙齢の女性というには違和感のある純真な幼さのような雰囲気が伴っていた。
「遠いのかどうかよくわからなくて。その、俺の故郷の村——『ユグド村』って言うんですけど、えっと、たぶん、ご存知ないかと。かなり辺境の地にある村なので」
おそらくここからも遠いかと、と照れ臭そうに頭を掻きながらユウトは言う。
ふと視線をやると、なぜかララティアは驚いた表情をしていた。
「……いえ、知っています」と、何かを口にするのを躊躇っているかのような慎重さが、その声には潜んでいた。
「本当ですか」
なぜだか、少し嬉しくなる。村は、少なくともユウトの知る限りでは交流は活発ではなかった。
世界は広いと、ロマン溢れる言葉を聞いたことはあったが、ユウトの知る世界とは、ユグド村とその周辺にある洞窟と小さな森だけだ。村を囲う、この森を超えて行くとそこには何もない、世界の果てに辿り着けるのではないかと夢を見たこともあった。
コランに話すと、世界はもっと広いぞと笑いながら教えてくれた。巨大な都市やさらに広大な森など、まだまだお前の知らないものばかりだと、愉快そうに大声で笑っていた。
「外部とのほとんど交流もないので、あまり知られていないと思ってました。よく知っていましたね」
「ええ、世界中で話題となっていました。ユウトさん、あの村の出身だったのですね。辛いでしょうが、どうか気を落とさないで」
「……何のことですか?」
ララティアの表情や口調から、何やらきな臭い雰囲気を感じ取り、ユウトは息を呑む。これは予知ではない。しかし、悪い予感が脳裏をよぎった。
「何のこと、と言われましても……ユグド村のこと——二年前に崩壊した、小さな村のことです」
「ユグド村が、崩壊……?」
ララティアの言葉に、戦慄した。
悪い予感というのは、いつも当たるものだ、とユウトは思った。
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