ユーリ 1

 炎の道を歩き続けた。

 辺り一帯には瓦礫の山。生存者などとても考えられないような悲惨な地と化した街を、少年はひたすらに歩いていた。

 踏み荒らした広場の土は灰で汚れ、未来に夢を抱いて夜毎見上げた広大な空は、暗雲が立ち込める恐ろしい闇色に染まっていた。

 とても現実とは思えない。地獄のような光景が、少年の前に広がっていた。

 ——本当に、僕だけが生き残ってしまったのか?

 重たい足取りで、かつては活力に満ち溢れ、賑わっていた街中を往く。生まれ育った土地、共に生きた人たち、そのすべてが災厄の業火に呑まれてしまった。

 帰る場所はどこにもない。行く先に目的なんてない。ただ今は、この絶望の一色に塗り潰された世界を受け入れるための時間が欲しかった。

 ふらふらと砂漠でオアシスを求める旅人のように、あるはずのない希望を探して、少年は彷徨う。


 街の中心部を抜けると、そこは住宅街だった。

 高さだけを意識して建てられた縦に長い家が、揺れる炎の中に見えた。少年が近づくと、焦げて黒くなった壁が音を立てて崩れる。壁の破片が地面に落下した音が響いた。顔を上げると、建物は内装がよく見えるほど哀れな状態になっていた。

 職人業によって丁寧に白塗りされた高級感のある室内が、吹き曝しとなっている。

 視界の端で、今度は瓦礫の山が崩れた。

 見ると、家の扉だろうか、平たい木材が積み重なった瓦礫の中から覗いていた。その瓦礫の隙間から、何者かの啜り泣く声が聞こえた。気がした。

 誰かがこの下敷きになっているのかもしれない。

 少年は慌てて板に手を添える。鋭い痛みが両腕を走った。反射的に手を離す。見ると、両手が真っ赤に腫れ上がっていた。熱い、と感じたのはそれからだった。

 手の熱さが痛みとなって両手を侵食し始めた。目から涙が出てくる。痛い思いをするのは嫌だった。だが、それ以上に、苦しい思いをしているであろう瓦礫に埋もれた人を救えないことが悲しかった。

 手で掴めないのなら板を壊してしまえばいい。少年は力を振り絞り、板を蹴る。しかし、びくともしない。もう一度、蹴る。無駄だ。彼一人の力でどうにかなるものではなかった。

 またしても声が聞こえてきた。

 助けを求めているのだろうか。もはや瀕死の状態だろうが、生存者がいる。自分の手で救うのだ。その希望だけが少年の活力となっていた。

 その時、街を焼き尽くした炎が足元にまで襲いかかってきた。

 激しい熱気に当てられ、思わず後ずさる。炎は板に燃え移り、意識のある生き物のようにゆらゆらと蠢き、目の前の瓦礫の山を覆い尽くしてしまった。

 少年は、その場に立ち尽くした。

 それから、目の前の瓦礫が赤い色に呑まれていく光景を静かに見ていた。この地獄の炎はどこまでも燃え広がり、やがて、この街すべてを焦土と化すまで消えないのだろうか。

 燃え盛る炎を前に、少年はそんな失望の念を抱いた。

 助けを求めていた声も、いつのまにか聞こえなくなっていた。

 瓦礫の山に眠っていた誰かを諦め、少年は途方のない旅を再開する。歩けど歩けど、崩壊した街の景色はどこまでも続く。視界は紅色に染まり不明瞭で、何より空気が汚れていて息苦しい。呼吸をすることが、段々と辛くなっていた。

 ふと、視線を上げた先に何者かの姿が見えた。

 瓦礫の山の上で静かに佇む男の姿を目にし、少年は慌てて彼の元に急いだ。

 生存者がいる。それも、無事な様子だ。

 男は、少年に気づいていない様子だった。悲しそうな顔つきで、どこか遠くをじっと見つめている。

 少年は近づいて、声をかけようとした。しかし、声を出そうとすると、喉の奥に違和感が生まれ、うまく発声することが出来なかった。

 すると突然、視界に映っていた景色が変わり、気づけば、黒煙の立ち込める真っ暗な空と、炎と灰に覆われた地面との上下が入れ替わっていた。

 何が起きたのか、瞬時には理解ができなかった。

 声を出そうとして最後の力を使い切ったらしい。自分の中で何かが途切れた音がした。その途端、体中の力が抜け、その場に膝から崩れ落ちていた。

 手足に力が入らず、意識が遠のいていく感覚があった。

 足音が近づいてきた。先ほど瓦礫の上にいた男のようだ。薄れていく意識の中で、声が響いた。

「お前は、まだ——」




 ————




 目が覚めると、薄汚れた天井が視界に映った。黒い木材でできた暗い天井だった。

 硬いベッドの上に横たわっていた少年は、体を起こし、辺りを見回した。

 そこは見知らぬ部屋の中だった。

 壁には窓が一つあったが、その他には家具のない殺風景な部屋だった。室内は所々が焦げ付いており、街を焼き払ったのと同じ炎に侵された後のようだった。

 ベッドから降りて、窓から外を見ようとする。しかし窓は灰で白く塗り潰されていた。やんちゃな若者たちが家の塀などに、ここは俺たちの縄張りだと自己主張するかのようにひたすら続ける落書きと似ていた。幼稚に汚れていて、品のない落書きだ。おかげで外の景色は見えにくかった。

 それなら外に出ればと、部屋の扉を開けた。

 廊下を挟んだ向かい側には扉が一つ。左を見ると突き当たりの壁があり、次に右を見ると、伸びた廊下の先にまた別の扉があった。

 そのさらに奥があるようだったが、ここからだとよく見えない。妙な形をした廊下だな、と思った。

 部屋の扉にはそれぞれ表札が掛けてあったが、ひどく汚れていて読めなかった。

 廊下に出ると、すぐ近くに階段があることに気がついた。薄暗くて一瞬わからなかったが、下の階へと続く階段であった。

 ギシリと大きな音を立てて軋む段差に、一歩ずつ丁寧に足をかけ、下りていく。

 視界が悪いため危ない道ではあったが、少年は行動せずにはいられなかった。自分が見た地獄の光景がどうか夢でありますようにと淡い期待を胸に秘めて、恐怖に震える足を一歩、また一歩と次の段に伸ばしていく。


 下の階に着くと、そこに、彼の姿はあった。

 身を隠すような黒い衣装を纏い、壁に寄り掛かっていた。頭にはフードを深く被っていたので、その素顔をはっきりと確認できなかったが、瓦礫の山の上にいた人物に間違いないようだった。

「起きたか」

 男は少年の姿を確認すると、口を開いた。フードの中から覗いた、その殺気に満ちたような鋭い目つきに、少年はたじろぐ。

 気を失う前に見た光景と、今の状況から察するに、この男が自分を救ってくれたのだろう。

 だが、素性のわからない相手であることに変わりはないのだ。命の恩人であることはわかっているものの、少年は素直に心を開くことができなかった。警戒心を剥き出しにして、目の前の男を睨め付けていた。

 男は少年から視線を外す。

 その目は何を見ているのか、少年にはわからなかった。彼の横顔には、どこか哀愁が滲んでいた。

「この建物は、かつて宿屋だった。一度は炎にのまれ、灰で汚れ、今や見る影もないようだが、それでも、この建物には特殊な木材が使用されていたらしい」

 男は顔をあげ、頭上に視線を移す。

「これほど頑丈だとは。炎に焼かれてもこの通り、建物が崩れ落ちる様子はない。しばらく寝泊まりするのには利用できるだろう」

 少年は呆然と立ち尽くす。目の前の男を気にも留めず、虚ろな様子で視線をあちこちに動かしていた。

「名前は?」

 視線を戻した男が、少年に問う。

「ユリウス」

「ユリウスか」

「ユーリ、と呼ばれてた」

 覇気のないユーリの声に、男は、そうか、と一言だけ返した。

 ユーリの脳裏には、地獄のような光景が浮かんでいた。それは、災厄によって死んでいく街の光景。自分が目撃した、残酷な世界の様相だった。


 事の発端は、およそ二日前。

 世界的に名の知れた巨大都市は、その平穏を一瞬のうちに奪われてしまう。

 何の前触れもなく、突如として起こった悲劇。ありとあらゆるものが破壊し尽くされた。建物も人も——街そのものが、崩壊していった。

 目の前で起きた惨劇に、ユーリはただ立ち尽くすことしか出来なかった。

 生まれ育った都市——故郷の街が、災厄の炎によって焼かれていく悪夢のような光景を、一人、眺めていた。

 力無く垂れ下がった腕が熱風に揺られる。目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

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