2:瀑布の憂鬱

「樹冠の魔術師」アルボアとその弟子レジクが魔女領クライネシュヴァルツェの中心部付近の川を越えていたのと同時刻。その川の上流付近にて。およそ「魔女」という単語から想像し難い格好の若い女性が滝行に勤しんでいた。


 多くの魔術師がその通常衣装に長衣ローブを選ぶのには理由がある。一つは長衣ローブを着ることによって直射日光や風雨に長時間肌が晒されるのを防ぐためである。術式や儀式によっては時間がかかることもあるため、その間の魔術師の疲労を抑える役割を長衣ローブが果たしているのである。魔術師によっては長衣ローブの内側にあらかじめ物理耐性を上げる術式や極限環境による負荷を低減する術式を組み込んでいる者もいる。

 もう一つは魔術師同士が相対した際に相手に攻撃の始点を悟らせないようにするためである。実力の拮抗する魔術師や階梯の高い魔術師同士の戦いにおいて、攻撃の始点を知られることは致命的である。緩急をつけ、虚実を交えた魔術の発動のためには攻撃の始点をなるべく悟られずに攻撃する必要がある。その点で長衣ローブは長い袖や丈、体型を覆う布によって攻撃の始点を隠せる便利な服装であった。

 

 それに対し、滝行に勤しむ女性は上半身に下着と言っても通用するような布製の軽度胸部装甲ライトアーマーを纏い、下半身には砂漠の水緑地オアシスから発展した都市に住まう女性のように丈の長い布を巻いただけという軽装である。

「お師匠様から頼まれたとは言え…ヤになっちゃうわ」

 こーんな暗くてジメジメして辛気臭い場所に七日間も居なきゃなんないなんて、と大量の水に打たれながらもそれを苦にすることなく言ってのける。

「だいたいスゴい魔女たちの集まり?ならお師匠様が行きゃいいのに…」

 なんでたかだか第十階梯の私が行かなきゃなんないのよ、と彼女の文句は止まるところを知らない。

「大体魔術を習い始めたのだって金稼ぎと美容と男漁りのためだったからこんなに続くとは自分でも思わなかったのよね〜正直」

 他の魔術師が聞いたら卒倒しそうな理由で魔術を修め、大瀑布に打たれても全く意に介さない女性。ある意味魔術の才能があるということなのだろう。魔術師の適性があるかどうかは別として。

「しかも魔女の集まりだから絶対イイ男とか金持ってそうな男とかいないでしょ。辛気臭いしわしわのお婆ちゃんばっかりだったらソッコーで帰るわ、私」

 うんうん、と頷き女性が滝から出る。

 さっきまで服を身に付けたまま大量の水に打たれていたにもかかわらず、女性の服も肌も全く濡れた気配がなかった。

「あ。どうせなら他の魔女たちのお姿はいけーん、しちゃおっと」

 ぐ、と伸びをして女性が浅瀬に向かい、水面に自らの顔を映す。滝から流れ落ちた水は透明度が高く、夜の闇の中でもその底がはっきりと視認できるほどであった。

「この時間ならまだ入口に辿り着いた魔女もいるでしょ。…えーと、我:『瀑布の魔術師』サロメ・アイールがその名の下にこの地を満たす全ての水に告ぐ。魔女領クライネシュヴァルツェの入口の現在いまを此の水鏡に映せ」

 彼女が右手で澄んだ水に触れると、月と彼女の顔を映した水面がぐにゃりと歪む。

 

 数瞬後に水面は鬱蒼とした森の入口の景色を映し出していた。

「え!?ウッソこの集まり男も来るの!?」

 術式の詠唱でサロメと名乗った女性が嬉しそうに叫ぶ。水面には森の入口と、その付近に立つ逞しい一人の若者の姿が映っていた。

「こーしちゃいられないわ、さっさと開催地に向かって他にもイイ男がいないか探さなきゃね」

 頑張るわよー!と叫び、サロメは軽い足取りで再び滝に入ると、そのまま滝を遡行して滝口へと向かっていった。

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