1-2.水もしたたるなんとやら~その2~

 オレの彼女、春森いちずはミステリアスな彼女である。

 なにがどうミステリアスかというと、言動が普通じゃないというか、表情からもなにを考えているのかさっぱり……。

 とにかく、謎だらけ!

 そんなんだから、春森にはいつも振り回されっぱなしだ……ってなわけで、今日は春森の謎めいた部分について話しておこうと思う。

 それは、ある晴れた日の放課後のこと。



《キーンコーンカーンコーン》



 とチャイムが鳴り、一通りの授業が終わったことを告げる。

 ホームルームは大した連絡もなく、なし崩し的に下校の時間と移り変わると、クラスはいっせいにざわめき始めた。

 そりゃあ、当然だよな?

 誰だって勉強なんかに縛られたくないもの。開放されて喜ぶヤツもいれば、けだるげに授業の終わりを悟るヤツもいる。

 中には、隣の女子みたいに放課後の予定まで立ててるヤツもいるし。



「終わったぁ~」

「ねえ、まっちゃん。帰りにパフェ食べてかない?」

「いいね、いいね! そうしようか」



 ……などなど、特に女子は開放感からか金銭を使おうとしてるし。

 じゃあ、オレの彼女はどうしているかと言えば、机に座ったまま窓越しに晴れた空をずっと眺め続けている。

 その光景をわずかばかり離れた自分の席で見ていたけど、一向に動く気配のなし。さすがに気になって、近寄っていってみることにした。



「春森、なにやってるの?」



 と声を変える。

 ところが、当人からの答えなかった。相変わらず空を見たままで、オレのことなんか眼中にないって感じ……。

 ようやく気付いてくれたのは、わずかしてからのこと。



「ん? なに?」

「いや、だからさ。なにやってるのって聞いてるんだけど」

「……ああ。雨が降りそうだなぁ~って思って空を見てたんだ」

「雨? こんなに晴れてるのに?」

「見えない? いまにも降り出しそうな感じだよ?」



 そんな気がするかな~?

 どんなにここから外を眺めても、青い空に浮かぶ雲はまばら。雨粒ひとつ落ちる気配すら感じられないよ。

 それどころか、ジリジリと照りつける天気予報通りの真夏日じゃないか。

 暑い、暑そうだ――外に出たら、すぐにでも喉が渇いてしまいそう。

 それだというのに雨が振るってどういうこと?



「そろそろ帰ろうっか」



 でも、春森はオレが質問するより早く、席を立って廊下へと歩き出した。



「ま、待ってよ! 春森っ!」



 慌てて追いかけるオレ。

 ようやく追いついたときには昇降口にたどり着いていて、春森は下駄箱から靴を取り出していた。



「本当に降るの?」

「降るよ。だから、今日は傘を持ってきたの」



 と語る春森の右手には、いつの間にか青い空と同じ色の傘が下げられていた。

「そんなの持ってきてたんだ」



 驚く以上に春森が雨が降るというのを本気で信じてたことの方がビックリだよ。

 しかも、本人はいたって真剣な表情。



「三田村君は傘持ってきた?」

「いや、全然――っていうか、こんないい天気の日に雨が降るなんて想像もつかないって」

「そっか。それじゃあ、私の傘に入って」

「えっ!? この晴れた天気の中を?」

「そうだけど……。三田村君、濡れて帰るのが好きなの?」



 もしかして、オレってからかわれてる?

 でも、大切な彼女の言うことを信じないわけにもいかないし、かといってふたりで晴れた日に傘を差して、みんなが見てる中を通って下校するって言うのもなぁ~……。

 それはそれで悩みどころ。



「なにしてるの? 私、先に帰っちゃうよ?」



 などと考えているうちに、春森は傘を差して入り口のところで振り返ってオレを見ていた。



「い、いま行くよ!」



 ええいっ、こうなれば恥ずかしいだなんて言ってられない。

 オレは、春森の元まで向かうと開かれたその青い傘の中に入った。そして、ふたりで校舎に向かって並んで歩き出す。

 その間、みんなから注目の新鮮を浴びたのは言うまでもない。



「ねえ、見てよ――なにあれ? 日傘?」

「おいおい、あのふたり雨も降ってないのに傘降ってるよ」

「え? どういうプレイ?」



 ……と言いたい放題。

 こっちは恥ずかしくて死にそうなのに。



「な、なあ、春森……。本当の本当に降るんだよね?」

「もちろん。今回ばかりは、私がウソを言って、キミをからかっているワケじゃないよ」

「でもさ、みんな見てるよ? オレたちだけ傘を差してるなんておかしいって!」

「相合い傘を差す幸せそうなカップルだと思ってもらってれば、それでいいじゃない」

「オレは恥ずかしいのっ! ねえ、本当はからかってるんでしょ?」

「まだ信じてないの……あっ、ほら降ってきた」



 って、ウソ……ッ!?

 春森の言うとおり、雨は突然オレたちに向かって降り始めた。

 しかも、空はまだ晴れている。

 いまわかることは、天に少しばかりかかった雲がじょうろから白糸のようにこぼれ出す雨水を滴らせているということだ。



「お天気雨……?」

「フフッ、誰も予想だにしないでしょ」

 まさか春森はこれを予期していたっていうの?

 その証拠に自信たっぷりの笑みがオレに対して向けられている。歩く姿も堂々としていて、まるで周囲が慌てて軒先に入ろうとしているのを気にしていないみたいだった。

 鼻歌まで歌って、スゴくご機嫌そう。



「本当に降り出すだなんて信じられないよ」

「私は知ってたよ」

「もしかして、春森って天気予報士の資格でも持ってるの? それとも超能力者?」

「フフフッ! そんなわけないよ」

「えっ!? で、でも……」

「単なるカンだよ、カン」

「えぇ~、そんなので本当に当たるものかなあ?」



 春森のこういうところがミステリアスだと思う。謎めいているというか『謎の彼女』って感じがしてワケがわからないときがある。

 オレたちが帰り道を歩いてく間も雨は降っていて、まるでふたりの希望の未来を照らし出すかのように地面に落ちた雨水が太陽の光って輝いていた。



「三田村君」

「えっ、どうかしたの?」

「たとえばの話だけど、この状況で私が傘を持ってこなくて濡れて帰ろうとしていたらどうしてた?」

「どうしたって、そりゃあハラハラするよ」

「ハラハラするの? どういう風に?」

「……えっと……それは……」

「言いにくいこと?」



 聞かないでくれよ。

 お天気雨とはいえ、白いブラウスが濡れたら中の下着が見えちゃうじゃん。オレとしては見られてラッキーだとは思うけど、他の男子まで鼻の下を伸ばしちまうし……。



「もしかして、私が濡れちゃったところを想像した?」

「し、してねえし!」

「ふーん、してなかったんだ……。せっかくスゴイ下着を着てきたのにな」

「スゴイ下着!?」

「そうだよ。スゴくえっちなヤツ」



 ど、どんな下着なんだ!?

 おもわず春森の言葉に食いついちまった――が、それこそが春森の罠。待ってましたとばかりにイジワルな表情をみせつけてきやがった。



「あっ! やっぱり、いま想像したでしょ」

「してない! してない!」

「そっかぁ~してないんだ、残念」

「残念って……。春森は、オレにそういう風な想像をして欲しかったのかよ?」

「もちろんだよ。だって、好きな男の子が自分をえっちな目で見て欲しいっていうのは、誰にだってあるんじゃないかな」

「そ、そういうものなのか……?」

「少なくとも、私は三田村君にそういう風に見て欲しいって思うときはあるよ」



 そうなのか――だったら、オレが春森でえっちな妄想しちゃいけないっていうのは逆に残念に思われてるってことなんだ。

 オレは、ハンマーで叩かれたみたいな衝撃を受けて春森に謝罪した。



「ゴメン、春森。オレ、オマエをえっちの対象にしちゃいけないとばかり思ってた」

「別にいいよ。私には魅力がないってことなんだろうしさ」

「そんなことねえって! 春森はじゅうぶん魅力的だ」

「じゃあ、どこが魅力的なの? やっぱり、おっぱい?」

「いやまあ、それもあるけどさ……」

「……あるけど?」

「イジワルそうにしてるときとは違う自然な感じの笑顔が見られてたときとか、なに考えてるんだかわからないときの不思議な表情とか――」

「つまり、三田村君は私のそういうところのが好きなの?」

「もちろん、それだけじゃねえよ。オマエの魅力は語り尽くせないぐらいあるってだけで」

「ふーん、まあいいや――とりあえず、雨に濡れてみるね」

「えっ!? 雨に濡れるって……」



 まさか濡れたワイシャツの中を見せる気なんじゃ?

 そう思ったのも束の間、



「傘を持っててもらえるかな」



 と言われ、気付いたには強引に傘を引き渡されてた。

 当然、オレも引き留めたよ?



「あ、おい! 春森ってば!」



 でも、肝心の春森が聞き分けるわけもなく、バッと傘から出て雨が降りしきる路上に飛び出して行っちまった。

 これじゃあ、本当の意味でずぶ濡れだよ。なんのためにこの傘を持ってきたんだか、わからなくなっちまう。

 ――だというのに、春森は現在進行形で雨に打たれている。しかも、バレエらしきものまで踊り始めるし。


 どういう魂胆だ?


 その答えを問うことすら許されず、春森の独演会は突如として路上にて幕を開ける。

 路上にできた水溜まりをピチャピチャと跳ねさせ、衣服が濡れるのも構わず、キレイなフォームでゆらゆらと踊り続ける。

 その両手の動きは、ひとときの降雨を喜ぶかのように楽しげ。片脚は濡れる喜びを表現するかのようで、天に向かって高らかに上げられていた。

 まさに雨の妖精って感じ――オレもついつい魅入っちゃった。

 でも、問題はここからだった。

 徐々に濡れて、すっかりビシャビシャになった春森のブラウスの下は、えっちな下着なんかじゃなくて、それを隠すための黒いインナーを着ていたという事実である。



「タ、タンクトップ!?」



 当然、オレは声に出してそのことに驚いちまった。

 その間も、春森は楽しげにバレエを踊り続ける。

 止みそうで止まないお天気雨を情感たっぷりに全身で表現して、右へ、左へと行ったり来たり。それから、中央でジャンプして、オレというたったひとりの観客を喜ばせるために演技を続けていた。

 ワイシャツの中のブラは、タンクトップに隠されたまま。

 オレの嘆きも虚しいものと成り果て、バレエは一通りの演目を終えて、片方の脚を後ろに伸ばすアラベスクと呼ばれるポーズで動きを止めた。

 ゆったりとした終演の余韻が流れる。

 それと共に雨が止んだ。

 まるで終わるのを待っていたかのように雲は東へと流れ、空には大団円を飾るうっすらとした虹が現れる。

 オレは、その美しい光景を開いた口がふさがらないまま魅入っていた。

 けれども、春森が突如として顔を見合わせてきたことで、すべてはオレをからかう仕掛けだったってことにハッとなって気付かされた。



「あぁぁぁあああ~~っ!!」



 もはや後の祭り。

 春森は口もとに右の人差し指を添えて、イジワルそうな笑顔でオレを見ていた。



「えっちな下着じゃなくて残念だったね」

「うるせえよ!」



 春森の謎は、ますます深まるばかりだ。

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