第11話 転の転
夏も終わりに近付いてきていた。
今日は、彼女とのデートだった。
今まで通りの敷居の高いレストラン……じゃなくて、近所の安いファミリーレストラン。彼女は少し不満そうな顔をしている。少しどころか、かなり不服なように見える。
当然だ。俺は医療関係の研究者であり、大学院生として有名大学に在学しており、大学から研究費用をたっぷり貰っていて、金がある。はず、だからだ。彼女は、そんな俺に惚れているはずだから。
彼女に切り出す。
「実はさ」
父親が病気で何年も倒れていること。
今は奇跡的に生きながらえている状態だということ。
父は、まだ治療法の確立していない病気であること。
後は寿命に従うだけだと諦めていたこと。
必死に看病する母親の背中を見たこと。
大学の医学部に進学することを決めたこと。
父親の病気の研究に邁進してきたこと。
大学院まで行ってやっと理論が完成したこと。
論文を出せば、父親が助かる未来が現実味を帯びること。
でも、論文の完成の為にはラッド実験が必須であること。
自分の家で実験を行なって教授に結果を示すことが出来れば、正式な実験費用が出るだろうこと。
どうしても、ラッドを買う費用と、飼うお金が欲しいこと。
論文を発表すれば確実に手元に戻ってくるお金であろうこと。
だから。
「だから、少しお金を貸して欲しい」
と、言いかけた。
主人公は俺だった。
主人公は頑張っていた。
安いファミリーレストランに来たという安い事実に、語彙力多めでバックグラウンドを付加した。
チワワさんに指摘されたことは全部直した。
紛れもなく、泣ける話だった。
実際、淡々と語るだけの俺の話を聞いて、彼女は目を赤くしていた。
「だから……」
「と、そこでコイツは考えた訳だ」
いきなり、俺の後ろから声がした。思わず肩をびくつかせた。
「あ、どうも、コイツの先輩です」
俺の左肩を左手を掛けて、俺の頭の横から顔を覗かせたのは、
「コイツの話なんだけどね、言いにくいからって、俺のことわざわざ呼んだんだよ、コイツ。チキンだろ?」
チワワさんだった。
「まぁ、医者……というか、科学者としての腕は確かだ。腕っていうか、頭脳か。父親の病気を治すための理論は、自分の頭の中にある」
俺の頭を、右手の人差し指でコツコツと叩く。
「元々家でラッドの実験をするつもりだったんだから、器具は家にある」
この人は、即興で物語を作っているのか。
「だから、家でも父親の治療はできる。試したことないから成功するかは分からない。でも、父親を自分の手で助けたい」
人は、即興の物語を、こんなにも、のべつ幕無し話すことができるものなのか。
「論文の発表とか医療体制の確立とか待ってたら、とてもじゃないけど時間が掛かり過ぎる。自分は世界中にいる同じ病気の患者を救いたいんじゃない……ただ二人、病気で苦しむ父親と、側に居続けている母親を救いたい」
俺の物語を俺から奪い取って、エンドを書き換えてゆく。
「世界を救うのは後回しにする。まずは父親を退院させ、自宅療養に切り替える。その上で、自宅で、自分で、父親を治す」
分かっていた。チワワさんには敵わないと。
「コイツは、医師免許を持ってる訳じゃないし、薬剤師の資格もない。知っての通り、ただの大学院生だ。当然、専門的な治療は法に触れる。コイツは決めたんだ。父親の病気が治ったら、その成果を論文にまとめて提出した後、大学院を辞める。その足で警察に出頭する。自分はこれから、犯罪者になろうとしてるんだよ。だから、ほら、コイツは今日、君に、お別れを言いに来たんだよ」
ほら、と。チワワさんは俺を見る。
「あ、あの……うん、そういう訳なんだ」
とてもじゃないけど「この人は嘘を吐いている」とか言える状況じゃなかった。
「君を、犯罪者の彼女にしたくないんだ」
嘘の笑顔で、泣きそうな振りをして、虚言を吐いた。
「今まで、本当にありがとう」
それ以上何も言うことはなく、彼女を置いて、お金を置いて、チワワさんと2人で店を出た。
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