第10話 転の承
「チワワさん!?」
思わず声が大きくなった。
「話は全部聞かせてもらったよ」
「どうやって!?」
チワワさんは、耳からワイヤレスイヤホンを外した。
「電話さ」
急いで自分の周りを見渡す。
「……あ」
机の下にスマホが置いてあり、通話中の表示がついていた。
「何でこんなところに……?」
「ずっと本を読みふけっていらしたので、置くこと自体は苦労しませんでしたよ」
そう言ったのは、「生け椿」のいつもの店員さんだった。
「彼は、俺の協力者なんだよ」
協力者……なんだか、秘密組織の工作員の口から聞こえるような響きだ。
「他にも何人か協力者はいるんだけどね。まぁ、それは追々明らかになってくるんじゃないかなぁと思うんだけど」
一体、何の話をしているんだろう?
「それはそうと、『スマホ太郎』さん。あなたは、本当にこのままで良いんでしょうか?」
「このままで良いかなんて……」
「ゴーストライターなんてクビになってしまった方が、幸せなんじゃないですか?」
「……」
「あなたはきっと、小説を書きたかったんです。ただ、圧倒的なモノを書きたかった。誰にも馬鹿にされないぐらいの、小説を書きたかったはずなんだ」
「でも、もう頑張れなくなっちゃったんですよ。自分の名前じゃなくたって、自分の作品が世に出て! それで満足しちゃ何がいけないんですか!」
「……違うんだよ」
チワワさんが、「スマホ太郎」さんにタメ口になった。
「世界に自分の才能を認めてもらえるように頑張るんじゃないんだ。世界が自分の才能を欲するようになるまで頑張るんだよ」
チワワさんは、泣いていた。
「目指す場所が、違うんだよ……君には、才能はなくても、資格がある。この世界で名乗りを上げる資格が、確かにある。だから、諦めてほしくないんだよ!」
チワワさんと「スマホ太郎」さんは、しばらく肩で息をしていた。
「スマホ太郎」さんは、ゆっくり座り込んで、残りのビールを飲み干した。
「……ヒガシ君」
「は、はい」
「前に、主人公は大変だから、主人公はやりたくないって言ってただろう?」
「……ああ、聞いてたんですか」
「うん。でも、ヒガシ君はもう頑張ってるじゃないか。しっかり主人公やっちゃってるじゃないか」
「……そうですかね?」
「誰もが自分の人生の主人公だって言うけどさ」
「はい」
「死ぬ時に、自分は笑って周りの人が泣くような人生を送りなさい。って、誰が言ったんだっけかな?」
「誰でしょうかね」
「人は、自分の人生に失礼にならないぐらいには、頑張らないといけないのかもな」
「……はい!」
やっぱり今日は、ビールの気分かもしれない。
「さて、一件落着って感じですけど」
「え、ヒガシ君、まとめに入る感じなの?」
「え、アレですか? せっかく集まってるんで、『ごまだれ』さんも呼びますか?」
「いや、彼女は来ないと思うな」
「そうですか……」
いや、正直なことを言えば、「スマホ太郎」さんがゴーストライターだったっていう衝撃の事実が明らかになったところで、俄然、「ごまだれ」さんが何者なのか気になってしまっているのですよ。
「『ごまだれ』さんが何者なのかは、既に充分ヒントが出てると思うんだけどな」
あれ? 俺の心の中が口にも出ちゃってましたかね?
「というか、チワワさんはもう既に『ごまだれ』さんの正体が分かってるんですか?」
「まぁね」
「あ、あの、自分は、演出家だと思ってます」
「お、名探偵スマホ太郎ですね! その根拠は?」
「まず、あまり文章を書き慣れていない人なのに、妙に文章に慣れ親しんでいるのが引っかかりました」
「単に読書家なだけなのでは?」
チワワさんは、「スマホ太郎」さんと俺のやりとりを楽しそうに見ている。
「もちろん、その可能性もあります。でも、他にも根拠はあって」
「はい」
「三点リーダーを多用するのも気になりました。しかも、三点リーダーの万能性を滔々と語っていたじゃないですか。どういう環境だったら、三点リーダーが重宝されるのか考えてみたんです」
「……劇作家の書いた台詞の意味を、役者や演出家が自由に解釈できるようにするため、ってことですか?」
「まさしく! 作家の狙った台詞の使い方とは違う解釈で演出家が演出を付けるかもしれない。そんな時、三点リーダーは便利ですよね」
「はぁ。演劇やドラマの実情に明るくないので何とも言えませんが、そうかもしれませんね」
「それから、同じく三点リーダーの使い方にまつわるところで、『台詞を食う』と言っていたじゃないですか」
「はい。『台詞を噛む』みたいですよね」
「てっきり小説の用語だと思っていましたが、演劇の用語だと思った方がしっくりきませんか?」
「確かに」
「それから」
「まだあるんですか」
「はい。誰が言った台詞なのかを描写するのが苦手なようでしたが、普段読んでいるのが、台詞の前に登場人物名が明記された台本なのだとしたら、合点がいきます」
「ああ、確かに。それだったら、そもそも台詞の主を描写することを失念しそうですね」
「極め付けはですね、その台詞について、改善策を説いていたチワワさんの言葉です」
「俺の?」
「はい。『地の文というより、むしろト書きでしょ?』みたいなことを言っていたじゃないですか、さらっと」
「……言ったかも」
俺との雑談に興じている間の会話なのに、よく覚えているものだ。本当に感心する。
「『ト書き』というのは、台本の説明書きのことですよね」
「そうだね」
「チワワさんの言葉に、『ごまだれ』さんはあまりにもすんなり反応していたので、普段から使い慣れている言葉なんだろうと思いました」
「……うーん、ここまで聞いて、『ごまだれ』さんが演劇関係者であることは理解できたんですが、演出家だってのはどこで分かるんです?」
「まず、文章を書き慣れていない彼女は、当然、劇作家ではありません」
あるいは、脚本家ではありません。と、「スマホ太郎」さんは丁寧につけくわえる。
「おそらく、演劇の台本を書いたのは初めてで、チワワさんに物語の書き方を教わろうと思ったのでしょう。しかし、『三点リーダーの万能性が読み手に解釈の多様性を許してしまう』というヒガシ君の指摘を受け、『ごまだれ』さんは、文末の記号を意識しだします」
こ、ここで俺が登場するんですか。
「これがもし、『ごまだれ』さんが新人劇作家とかだったならば『いや、読み手に解釈の余地を与えるのは正当な戯曲の作り方だ』と考えて、記号は無視するようになるでしょう」
……「ごまだれ」さんのモノマネをしたんだろうが、残念ながらあまり似ていなかった。
「逆に言えば、記号によって読み手の解釈を限定することは、演出家の作業です。彼女はおそらく、今回初めて、演出家と脚本家を兼ねることになったのでしょう。そして、記号によって役者に演出を伝えることができることに気付いたのです」
つまり、演出家だからこそ文末の記号に拘ったということか。
「うん、面白い推理ですね」
チワワさんが手を叩いた。
「まぁ、他にも『ごまだれ』さんが演劇関係者であることに気付けるタイミングはあったんですけどね〜」
「え?」
俺はどれだけ鈍かったんだ?
「例えば、この座席、何となく定席が決まってますが」
「はい」
「俺が1番上座で、2番目が『スマホ太郎』さん、3番目がヒガシ君で、1番下座に『ごまだれ』さんが座ってるんですよ」
「え!?」
知らなかった。そもそも、座席における上座下座の概念が俺の中に無かった。
「気付いてないでしょうし、覚えてないでしょうが、そういう席順になるようにさりげなく誘導したのは『ごまだれ』さんなんですよ」
ほええ、流石過ぎる。気を使う「ごまだれ」さんも、それに気付くチワワさんも。俺は今までなんとのほほんと酒を飲んできたことだろう。
「まぁ、彼女の職業は演出家ですけれども、それでまだ、答えとしては90点ですかね」
「え?」
びっくりした声を出したのは「スマホ太郎」さんだ。
「彼女の『正体』を答えるのがこの問題の条件なのだとしたら、まだ正解とは言えません」
「ええー……」
とてもガッカリしている。
「まぁ、この集会が終わる頃には分かるでしょう。気長に考えてください」
よし、俺もいっちょ考えてみっか。
うん、今日のビールは美味い。
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