第9話 転の起

 夏だった。

 世間的には夏休みの真っただ中であるが、こと俺に関して言えば、普段よりも忙しい日々を送っていると言って差し支えなかった。

 読書スピードは目に見えて上昇し、登頂が絶望的に思われていた本の山にも、やっと終わりが見えてきた。

 俺の彼女も、当然、夏休み中だ。よって、デートの頻度も上がり、高級レストランに時間を取られる機会も多くなった。まぁ、こればっかりは文句も言っていられないし、言うつもりもない。俺の生き甲斐なんでね。

 ああ、そうそう、先月の「ビールジョッキあるある」のディスカッション以来、モノを見ると何でも形容してみたり描写してみたりするようになった。忙しい中で趣味とするには少し時間を食い過ぎるが、良い変化のような気がする。

 ちなみに、「ビールジョッキあるある100」の課題を1番にクリアしたのも俺だ。まぁ、「ごまだれ」さんに関して言えば、酔って記憶が飛んでいるので、1から課題のリスタートだったわけだから、フェアな勝負とは言えなかったのだけれど。


 そんなこんなで、ソファーに寝転がって、残り数冊になった本の1冊に手を伸ばす。俺の知らない作家による短編集だった。とは言え、チワワさんに貰った本の作家はほとんど知らないので、特筆すべきことではない。

 ジャンルも様々に見える短編集で、10ページたらずで1話が完結する。とても読みやすい作品集だった。


 3話目に入った。

 ハッとした。


「落とした(落とした)のに、音がしない」

「竹刀で、真剣に勝負するようなものだ」


 見覚えのある文章。

 癖のある比喩。

 間違いなく、「スマホ太郎」さんの小説だった。

「ふーん、『スマホ太郎』さんは、この作家さんから影響を受けたのかぁ」

 と、呟いてみる。

 どんな作家さんなのだろう? と思って、奥付を見てみる。

「……どういうことだ?」

 5年前にデビューしたばかりの、新進気鋭の作家らしかった。独特な比喩は30年前からの癖だ、という「スマホ太郎」さんの発言と矛盾する。

 1度、栞を挟んで、本を閉じた。

 両腕を頭の後ろに回した。

 目を閉じて、しばらく考え込む。

 結論は、きっと、分かっていた。

 なんとなく、そうではないエンドを探していた。

 でも、チワワさんのくれた本の中の1冊、俺でも知っているほど有名な本の主人公が言っていた。「全ての不可能を除外して最後に残ったものがどんなに奇妙なことであってもそれが真実となる」、と。彼ほど多くの可能性を吟味したわけではないだろうし、かの名探偵の名言を引用するにはいささか安直だったとは思うけれど、俺は俺の中で、結論付けた。


 「スマホ太郎」さんは、ゴーストライターだ。


 道理で文章を書き慣れているわけだ。

 どうして「泣ける話」を書きたいと思ったのかは分からないけれど、気付いてしまったからには、何もしないという選択肢はないように思われた。何をするのかは置いておいて、とりあえず「スマホ太郎」さんにメールを出した。

「今夜、空いてますか?」

 割とすぐに返事がきた。

「空いてますよ。飲みに行きますか?」

「はい、じゃあ、6時ぐらいにいつもの『生け椿』でどうですか?」

「了解しました」

 6時まで待っているのは落ち着かなくて、まだ正午前なのにもかかわらず、財布だけ持って家を出た。


 駅の改札を出る。

 少し迷って、横の書店に寄った。「スマホ太郎」さんがゴーストライターをしているらしい作家さんの本を1冊手に取る。パラパラめくって、確信したので、レジに持って行った。


 今日はワインの気分だった。というよりは、ビールの気分ではなかった。

 ワインを飲みながら、本をはぐっていた。考えてみれば、自分で本を買ったのは初めてかもしれなかった。


「集めるモノなのに箒(放棄)なんですね」

「遺体(痛い)っていうのに、痛がらないですよね、遺体は」


 完全に「スマホ太郎」さんの小説だった。

 3時間ほどで読み終わって、表紙を眺めながらワインを飲んでいた。ボーっと考え事をしていた。そして、あることに気付いた。


 チワワさんは、俺にくれた本の全てを読了済みだと言っていたではないか。ならば、チワワさんが、「スマホ太郎」さんがゴーストライターであることに気付いていないはずがない。ならば、どうして何もしない? あるいは、既に何かしら動いているのか?

 そして、俺は一つの結論を導き出した。


 チワワさんは、「スマホ太郎」さんがゴーストライターであると俺に気付かせるために、俺に本を読ませたのではないか? そのための課題だったのではないか? 大量の本は、ただのカモフラージュだったのではないか?


 「スマホ太郎」さんが、暖簾をくぐった。

 ああ、どうしよう。何も台詞を考えていなかった。

「こんばんは」

「……こんばんは」

「どうした? 自分だけ呼び出すなんて。何かあった?」

「……まぁ」

「何、歯切れが悪いね。言いにくいこと? あ、自分は、ビールを。ていうか、ヒガシ君がワインなんて珍しいね」

「……気分です」

「ふーん……分かった。さては、アレだな? 『ごまだれ』さんに惚れたな?」

「え?」

「だから、『ごまだれ』さんの好きなワインを飲んで、自分に恋愛相談ってわけだ。こりゃ、チワワさんに報告しないといけないな」

「……いや、俺、彼女いるんで」

「あ、そっか。じゃあ、なんだろう?」

「……この作家のことについてです」

 俺は、机の上に置いてある本の表紙を指差す。それだけで、何の話なのか理解したようだった。

「ああ……そうか、バレるならチワワさんにだと思ってたんだけどなぁ」

「チワワさんは、とっくに知ってると思います」

「そうなのか?」

「俺にこの作家を紹介してくれたのは、チワワさんなので」

「……そっか」

「あの、こんなこと聞くのもどうかと思うんですが……どうしてこんなことしてるんですか?」

「……本当は、自分で本を出す作家になりたかったんだ」

 語り始めた。

「実はね、ライトノベル作家になりたかったんだ。でもね、才能はなかった。努力だけは人一倍したつもりだった。ストーリーは面白くなかったんだけど、言葉遊びと文章の洗練度だけは評価された。とある新人賞の最終選考に残った時、その賞で最優秀賞を獲得したヤツから連絡がきた。自分のゴーストライターをやらないかという誘いだった」

 ここで「スマホ太郎」さんはビールを煽った。多分もうぬるくなってしまっている、美味しくなくなってしまっているビールを。

「話を、受けてしまったんですか」

「正直、もう疲れてたんだよ。ラノベが書きたいって言ったら周りに馬鹿にされて、いい年して定職についていないのも辛かった」

「そうですか……」

「……ま、それで、今に至るってわけだ」

「この集会に参加したのは、どうしてだったんですか?」

「……単純な話で、嫌な話で、汚い話だよ。自分がゴーストライターをやっているその作家がね、新しい作品の方向性を打ち出すことにしたらしいんだ。『泣ける話』を書いてみようかという話に、編集者となったらしくてね。ヤツのゴーストライターは何人かいるけれど、任せられたのは俺だ。任せられると同時に、『鎌 成塗』というアマチュア作家の存在を知らされた。勉強して書け、できなければクビだ、と。脅されたんだ」

「なるほど、そういうことだったのか」

 そう言って暖簾をくぐってきたのは、チワワさんだった。

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