第8話 承の結

 梅雨が明けて、暑くなってきた。俺は、チワワさんに貰った本を、また10冊以上読み終えた。段々と読書スピードが上がってきたように感じる。


 居酒屋に集まったらメンバーも、爽やかな薄着になっていた。

 1番驚くべきなのは、「スマホ太郎」さんだった。「暑いから」と髭を剃って、髪も切ってしまっていたので、一瞬誰だか分からなかった。服装も、快晴のような空色のポロシャツで……ほとんど俺とお揃いじゃないか!

 「ごまだれ」さんも、クリーム色のワンピースを着て、眼鏡をコンタクトに変えていた。こちらも、一瞬誰だか分からなかった。紛れもなく、ワインが似合う女だった。

 チワワさんは、和服から着想を得た洋服、みたいな感じの不思議な服装をしていた。これまた不思議なんだが、割と似合っているのだ。


 今回俺が提出した、借金苦から頑張って会社を立ち上げて成功させる男の話は、「展開は良い。けど、語彙が貧弱だなぁ」と言われた。本を読み始めてから語彙力は付いたと思ってたんだけどなぁ。

「涙一つ取ったって、いくらでも形容詞とか動詞とか形容表現とかがあるだろうが」


<涙の表現>

目頭が熱くなる。

鼻の奥がツンとする。

嗚咽が漏れる。

涙腺が緩む。

誘われる。

浮かぶ。

溜まる。

溢れる。

零れる。

出る。

溢れ出る。

流れる。

伝う。

落ちる。

流れ落ちる。

一筋の線を描く。

拭う。

拭く。

濡らす。

温かい。

しょっぱい。

綺麗。

美しい。

透明。


「安直な表現から、涙に直接言及しない表現まで、色々ある」

 パソコンを打ちながら、チワワさんが話す。器用な人だ。

「生理食塩水が涙腺から排出されて重力に逆らわずに落下する現象をただ『生理食塩水が涙腺から排出されて重力に逆らわずに落下する現象』って描写するヤツはいないだろう? いつまでたっても『涙が出た』としか言わない文章で誰が泣くんだよ? 読者が擬似体験してるぐらいに正確に描写するんだよ。読者が登場人物に移入出来る文章であればある程、お涙頂戴できるんだよ」

 チワワさんは、打ち終わった……というよりは、打つのを止めた、という感じでパソコンから手を離す。

「語彙の量は、文章を格好良く見せる為に身に着けるんじゃなくて、出来るだけ読者が登場人物に自分を重ねられるように使うんだよ」

 と、言うわけで、今夜のディスカッションの議題は、「ビールジョッキを形容する言葉100個」に決まった。

 ちなみに、今日の書記も俺だ。何となく、前も俺が打っていたからという理由で。まぁ、パソコン打つのが速くなるから、良いんだけどさ。

 よって、以下に記述された、数字の付いた項目は、俺の打ったメモのコピー&ペーストである。


「まぁ、ビールをジョッキで頼んでみないことには分からないわよね!」

 という「ごまだれ」さんの、妙に納得する理屈で、生ビールを4杯頼む。

「「「「乾杯!」」」」

「……くぅ! やっぱ、美味い!」

「ちょい、『ごまだれ』さん! それはビールの感想でしょ!」

 俺のツッコミで「スマホ太郎」さんがケラケラ笑う。顔面の毛がスッキリしたせいで、やたら爽やかな笑いに聞こえるようになっていた。


1.ごまだれさん「美しい」

2.スマホ太郎さん「結露が流れ落ちる」

3.ごまだれさん「綺麗」

4.スマホ太郎さん「重い」

5.ごまだれさん「透明」

6.スマホ太郎さん「冷たい」

7.ごまだれさん「写真映えする」

8.スマホ太郎さん「弾くとカンッと高い音がする」

9? ごまだれさん「もう一杯!」

10.スマホ太郎さん「夏が似合う」

11.ごまだれさん「見てると喉が渇く」

12.スマホ太郎さん「……硬い」

13.ごまだれさん「ビールの残量が分かる」


「ちょい、『ごまだれ』さん、それはただの『ビールジョッキの良い所』なのでは?」

 思わずツッコんでしまった。

「良いじゃないのよ、別に」

「ていうか、さっきから賛美しかしないですね」

「だって褒めるべき所しかないもん」


14.スマホ太郎さん「机に置くとドンって音がする」

15.ごまだれさん「精巧」

16.スマホ太郎さん「とってが大きくて持ちやすい」

17.ごまだれさん「完璧」

18.スマホ太郎さん「とってが、ジョッキの側面に対して平行」

19.ごまだれさん「ビジュアルが神」

20.スマホ太郎さん「円柱」

21? ごまだれさん「やっぱ、注ぐとのどごしが違うわ」

22.スマホ太郎さん「底が厚い」


「『スマホ太郎』さん、描写し始めましたね?」

「別に良いじゃないか。100個も考えないといけないんだから。ヒガシ君は何かアイデアはないのか?」

「え? 俺っすか? ええ……」


23.東s「底が丸眼鏡みたい」


「『底が厚い』のパクリじゃないか!」

「……すいません、もう何も言いません」


24.ごまだれさん「あんたらが話してる間に飲み切るのに丁度良い量! もう一杯!」

25.スマホ太郎さん「乾杯する時にキンッて音がする」

26.ごまだれさん「持つと何回でも乾杯したくなる! 乾杯!」

27.スマホ太郎さん「ずっととってを持ってるとあったかくなってくる」

28.ごまだれさん「宣材写真は盛れすぎ詐欺」

29.スマホ太郎さん「机の上に置いておくと水でびちゃびちゃになる」

30.ごまだれさん「それで輪っかになるよね〜」


「ちょいちょいちょいちょい、さっきから何ですか?」

「何だよ、何も言わないって言ったじゃないか」

「前言撤回ですよ! さっきから、『ビールジョッキあるある』みたいになってるじゃないですか!」

「じゃあ、ヒガシは何か思いつくのかよ!?」

「そうですね……」


31.東s「ビールジョッキの下にできた水溜り、一応お絞りで拭いてみるけど、木製の机だと跡残りがち」


「パクリだし! 1番『あるある』ネタに寄せてるじゃないか!」

「もう一杯!」

「すいません、もう何も言いません」

 「ごまだれ」さんは、一体何杯飲むんだろう?


32.スマホ太郎さん「覗くと景色が歪んで見える」

33.ごまだれさん「液体と泡の比率が見えるのが良い」

34.スマホ太郎さん「素晴らしい」

35.ごまだれさん「1回で良いからさ、氷のジョッキでビール、飲んでみたくない?」

36.スマホ太郎さん「溜め息が出る」

37.ごまだれさん「エンジェルリングが美しい」


「『ごまだれ』さんマニアックですね?」

「そうかな?」

「エンジェルリングって何です?」

「髪の毛か、ダンゴウオか」

「チワワさん、そっちじゃないの。ビールを飲むとね、泡がジョッキの内側にくっついてちょっと残るでしょ? ほら、これ」

 「ごまだれ」さんが、自分のビールを飲み干して指差す。そして、また手を挙げる。

「もう一杯! それからね、液体と泡の比率のことなんだけど、アメリカでね、あまりにも泡ばっかりのビールを出す店に対して『泡はビールじゃねぇ!』って言って裁判沙汰にした人がいたらしいのよ」

 「泡はビールじゃねぇ!」ってとこ、男の人の声色がやたら上手いな。

「で、その裁判はどうなったんです?」

 興味津々の「スマホ太郎さん」

「泡の方がアルコール濃度が高いってことで、泡も正式にビールとして認められたはずだわ……乾杯!」

 差し出されたジョッキへの反応が一瞬遅れた「スマホ太郎」さんは、ケラケラ笑い転げた。

「ど、どうしたんすか?」

「いやさ、被告側の『完敗』って言ったのかと思ったんだよ」

 「お客様アンケート」の裏に漢字を書いて説明してくれる「スマホ太郎」さんは、かなり出来上がっているようで、「完敗」と「乾杯」の字が怪しかった。


38.スマホ太郎さん「飲もうとすると、眼前にフチが来る……要は、直径が大きい」

39.ごまだれさん「……」


「あ、静かになったと思ったら、『ごまだれ』さん、落ちてますね」

 4杯目で落ちたか。でも、このチャレンジを始める前にもかなり飲んでたからなぁ。

「そうだね、代わりに飲んでやるか」

 そう言って「スマホ太郎」さんは「ごまだれ」さんのジョッキに口をつける。「間接キスじゃん?」と俺は思ったけれど、気にする人も咎める人も止める人も嫌がる人も、誰もここにはいなかった。

「じゃあ、このチャレンジはみんなの宿題かな」

 チワワさんの一言で、今月の集会はお開きになった。

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