第6話 承の承

「ヒガシ君はさ、さっきの話し合いを見ていて、どう思った?」

 駅の方角へ歩きながら、チワワさんと話す。

「そうですね……記号を付けることによって、書き手の伝えたいことを絞って、正確に読み手に伝えることができるようになるんだなぁ、とは感じました。あと、三点リーダーの前に伸ばし棒とかをつけると、台詞を食われたようには見えないなぁ、と思いました」

「……うーん、それもそうなんだけど、そうじゃなくて」

 駅前の大型書店に着いた。

「ヒガシ君は、あの2人に比べて、人生における読書量が少ないんじゃないのかな?それに、小説を書いたのも、今回が初めてなんじゃない?」

 う、なるほど、そっちか。確かに、それはひしひしと感じていた。書いたのが初めてだ、ということまでバレてるのか。流石だな。

「と、いうわけで」

 書店の、小説が置いてあるコーナーに来る。

「何冊か読んでもらおうかなぁ」

 ジャンルも作家も厚みも表紙もカバーも出版社も、全くランダムに、俺の手の上に積まれる。ランダムに見えて実は規則性があるのかもしれないけれど、俺には分からない。ただ、「何冊か」と言っていたのに「何十冊か」載せられたのは理解できた。

 恋愛小説を。

 推理小説を。

 純文学を。

 コメディを。

 SFを。

 ファンタジーを。

 ホラーを。

 時代小説を。

 経済小説を。

 政治小説を。

 歴史小説を。

 官能小説を。

 児童文学を。

 青春小説を。

 ライトノベルを。

 短編集を。

 詩集を。

 戯曲を。

 台本を。

 絵本を。

 仕掛け絵本を。

 エッセイを。

 私小説を。

 自伝小説を。

 偉人伝を。

 国語辞典を。

 海外小説を。

 ジュブナイル小説を。

 ジャンルがよく分からなくさえある本を。

 腕が伸びきっているにもかかわらず、顎に付く程だった。

「こ、こんなに読むんですか?」

「ん、大丈夫だよ。俺が払うからさ」

 いや、それも大事だけど。そもそも、こんなに本を買うような金額は持ち合わせちゃいない。

「いや、そうじゃなくて……」

「大丈夫大丈夫。全部、俺のオススメだから」

「え? これ、全部読んだんですか?」

「もちろん。割と乱読派なんだよね~」

 ……そんなこと言われたら、何も言えないじゃないか。

「ていうか、辞書って、読むものなんですか?」

「辞書は読み物だよ」

 ……分からない。

「まぁ、結局のところ、文章を磨こうと思ったら、質の良い文章に多く触れるってのより効率的な方法はないのさ。それから、死ぬほど書く」

 チワワさんは、ニヤッと笑って言った。

「イチローが生涯で何億稼いだか知らねぇけどさ、素振り一本じゃ一円も稼げてねぇんじゃねぇかな」

 チワワさんは、信じられないような金額を、カードで一括払いした。その金額を稼ぐのに、一体何文字読んで、一体何文字書いたのだろう? 尋ねようと思ったのだけれど、そう言えばこの人は本を出版したことがなかったのではないか。つくづく不思議な人だ。

 両手に2袋ずつビニール袋をぶら下げて、居酒屋に戻った。


 戻ると、酔っ払い2人は、まだ寝ていた。

「この2人、どうしますかね?」

「んー、どうしようかね」

 チワワさんと悩んでいると、

「そのお客様方なら、そのままでも大丈夫ですよ」

 後ろから店員さんに声をかけられた。

「あ、本当ですか?」

 チワワさんが返事する。

「ええ、ウチは、朝方までやってますんで」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 チワワさんは、店員さんにお代を払い、「お客様アンケート」の紙を2枚手にした。記入するのかな? 2枚取ったということは、俺も書くのかな? と思ったら、裏面にボールペンで「スマホ太郎」さんと「ごまだれ」さんへのメッセージを書き始めた。


<須磨 穂太郎へ>

ラップだったら、

黒い肌と白いhandout

小説なら、

黒い肌と白い宿題


 これはおそらく、「スマホ太郎」さんの小説の特徴である比喩についての言葉だった。‟handout”っていうのは、確か、「プリント」ぐらいの意味だったはずだ。「はんだうと」みたいな発音になるから、「黒い肌と白いhandout」っていうのは、韻を踏んでいて、非常に語呂が良い。これに対して「黒い肌と白い宿題」というのは、単純な対比だ。しかし、小説においては、語呂が良くても伝わらなければ意味がない、ということなのだろう。「黒い肌と白いhandout」と「黒い肌と白い宿題」というのは、どちらも、遊び惚けた夏休みの最終日を表現しているのだろうが、後者の方が分かりやすいのは確かだった。


<胡广へ>

聞き手に伝わらなかった話は、しなかったに等しい。


 かなり厳しい言葉のように思われた。きっと、「ごまだれ」さんの小説の、誰が言ったのか分かりにくい台詞について言及したものだった。あるいは、三点リーダーを多用するとこによって、「台詞を聞かない人たち同士の会話」が多く生まれてしまっていることを非難して、「台詞があったら、ちゃんとリアクションがないといけませんよ」と、たしなめているのかもしれなかった。


「あの、俺には、何かアドバイスないですか?」

「ヒガシ君の小説は、大泥棒に財産を盗まれて没落した貴族の話だったよね」

「はい」

「うーん……かなり設定が分かりやすいんだけど、分かりやすすぎて粗筋みたいになってるんだよね。深み、っていうか、話の奥行が無いんだよ。一発で直すには、そうだな……」

 少しだけ上を向いて考えていたチワワさんは、ゆっくりと言葉を発した。

「最初に陳腐だったり嫌な設定見せて、そこに行き着いた裏話で魅せる。かな」

 方法は自分で探してみな、と笑った。

「それじゃあ、また、来月末に会おう」


 家まで本を持ち帰るのはかなりきつかった。電車が空いていたのは僥倖だった。

「参ったな、こんなに読まされるのか。もうちょっと楽だと思ってたんだけどな。こりゃ大仕事だ」

 彼女に会いに行く時間も取れないじゃないか。

 誰も居ないマンションの一室で独り言をこぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る