上級幹部試験

 43歳で中級幹部になり、その4年後に上級幹部試験に合格した自見は、リバーサイドビル8階で常務を含む3人から面接を受けていた。

 主任面接官の常務の大同が、形ばかりの面接が終了し

「自見君、自見君の耕助の耕は耕運機の耕だよね。私の幸は幸福の幸だけど。昔、近所に同じ名前の友達がいてね、それを今思い出していた」

 と雑談に入ったときのことだった。


「常務、その友達が私です。常務が大同警備に入社し苗字が大同になったことは知っていました。いつかお会いすることがあればと思っていました、まさか此処でお目にかかれるとは」

 面接も無事終了しN市の自宅に帰ろうとした時、大同が耕助を呼び止めた。直ぐ帰るの、時間があれば少し付き合ってくれないか。


 団塊世代の大同と自見は、N市瑞穂町で共に高校卒業まで暮らしていた。大同は6人兄弟の三男で、家はあまり裕福ではなかった。

 時々、自見の父親は大同を近くの飯屋に誘った。

 自見は高卒後働いたが、大同は関西の大学に進んだ。大同警備は本来、大阪が本社だった。大同も働きながら苦学を重ねていた。その頃は、警備員のアルバイト料も高く、大同も大学に通いながらそのアルバイト料を授業料や下宿の家賃に充てた。


 そのまま大同警備に入り社業の発展とともに順調に昇進し、社長の娘と結婚し、苗字も今井幸助から大同幸助となった。現在は常務だが、その辣腕ぶりで、誰もが次期社長と認めている。


 自見は昇進後、ある地方支社の警備課長となった。大同の伝手を利用すれば、支社長も夢ではなかったが、自見は現場が好きだった。何度も大同からその話はあったが、その都度丁重に断った。


 退職5年後、自見に大同から電話があった。その頃、自見は母親が生まれ育った東京の用賀で暮らしていた。妻は、一度は東京で暮らしてみたいと言うので、それならば親戚が近くにいれば何かと便利だと思い、此処に移った。暮らしてみると下町特有の人情に溢れた街で、二人ともすっかり気にいってしまった。


 社長となった大同は多忙だった。地位は得たが、それで幸せとは言えない、気づけば心許す友もいない。ふと、自見のことを思い出した。大同は謙虚な自見を好もしく思っていた。友達を利用することもなく、警備課長として終わったことに、自見の信念を見た気がした。


 彼ならば、何かと悩みも聞いてくれるだろう。聞けば何もしていないと言う。それなら備品庫係として本社に来てくれないか、そうすれば時々会って話もし易い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る