04 継母

 継母が倒れている。 

 継母は今日、朝日を拝んで念仏を唱え、若殿とは親子らしい会話をし、あげく縫い物までしていた。

 それが。


「継室どの!」


 貰ったものを放り投げ、土間に伏すかたちで倒れていた継母に近寄る。思わず触れたその手が。


「熱い……」


 額に手を回してみると、たしかに熱い。

 

「こ、このままではいかん」


 若殿は裁縫道具を片付け、場所を作り、かき集めた襤褸ぼろ布を敷き、継母のからだを横たえる。

 かひゅー、かひゅー、とかすれた息をするたびに、胸が揺れ、汗が噴き出す。


「どうされた」


 若殿の背後から、旅僧の声が響いた。ちょうど、帰ってきたらしい。

 若殿が事情を話すと、旅僧は袖をまくって、継母の額を触り、閉じられた目を指で開けて、その目を見た。


「……これは」


御坊ごぼう、いかに?」


「おそらく、慣れない貧乏暮らし、それに飲み食いもにしていないことだけではなく、これは…………」


 旅僧は継母の病の名を告げた。若殿にはよく分からない名前の病だった。


「して、治すには?」


「…………」


「御坊、治すには?」


 旅僧は根負けしたのか、薬の名を言った。これもまた、難しい名前だったが、今度は若殿が反応した。


「それなら城で見たことがある」


「まことか」


 城の者に、井上の家中にそのような病が出たという話は聞いたことがない。薬はまだあるはずだ。

 若殿は早速、あばら家を出ようとした。

 ……その背中に、声がかかった。


「待ちゃれ、若殿」


「気づかれたか」


 継母がっすらと目を開けていた。若殿はそのすぐそばに顔を寄せる。


「聞かれたか」


「ええ」


「では、行って参ります」


「待ちゃれと言うに……そなたは亡き大殿の子。けして家臣に膝を屈することはあってはならぬ。まして、井上になど」


 城を乗っ取った男、井上に頭を下げるな。

 継母はぜえぜえと喘ぎながら、そう言っていた。


「……そなたは、何としても生きなくてはなりません。お兄上がお帰りになられたら、きっとお城はそなたの手に戻る。それまでは耐えるのです。しかし、誇りを忘れてはなりません」


「…………」


 継母の目は真剣そのものであった。


わらわの命は良いのじゃ……どうせ……大殿が亡くなったあの時から……」


 継母はそこで力尽きたのか、目を閉じ、顔を横に向け、気を失ってしまった。

 若殿はその継母に、襤褸ぼろ布をかける。

 旅僧が額に浮かんだ汗を手巾で拭いた。

 拭きながら、旅僧は若殿に聞いた。


「……行くのか? 城へ……井上の元へ」


「ええ、行きます」


「継室どのはきっと怒るぞ……泣くやもしれん」


「…………」


 継母が怒るのは慣れている……が、泣かれるというのは予想していなかった。

 けれども。


「このまま死なせるわけにはいきません」


「そうか」


「御坊、継室どのをお願いします」


「それは構わんが……果たして、どうやって薬をもらうつもりかな?」


 その時、旅僧の目が油断ならぬ眼光を帯びた。

 やはり、この旅僧はただ者ではないな、と感じながら、若殿は一度、目を閉じた。

 思い出すのは、先日の旅僧の言葉――若殿自身がこの状況を解決できる、ということだ。

 それに――旅僧に語ったことで、人に語ったことで、分かることもあった。


「何とかなると思います」


「……そうか」


 旅僧はうなずく。


「……なら、ひとつ言っておく」


「なんでしょう」


「今日の狩りにて、狐の親子を見逃したと言ったな」


「はい」


「人としてならそれで良い……が、侍、しかも大将なら、それは許されぬ」


「…………」


「かような仕儀……継室どのが倒れたのは、まず、物を食うておらんからじゃ」


「それは……」


「殺生を禁忌と思うのは良い。じゃが、侍なら、領主なら、それを断じて行う必要が生じる。そのとき、おぬしはどうする?」


「…………」


 若殿が沈黙する。

 本来なら、ここで公案として、しばらく考えを問うところだが、今は火急の時であり、おぬしなら大丈夫じゃろう……と、旅僧は微笑した。


「なぜか、そうしたらかを考えてみい」


「……分かり申した。感謝いたします」


 若殿もうなずき、そしてあばら家を出て行った。




 若殿は駆けた。

 暮れなずむ山野の中を。

 城は。

 という名の、その城は、山の中。

 かつての家、かつての城。

 勝手知ったる山道だ。

 だからこそ、思考がめぐる。

 井上は、恐らく生半可なことでは、薬を寄越すまい。

 薬に匹敵する何かを若殿が持っているかと言うだろう。

 そんなものはない。

 何もない。

 ただ……井上は恐れている。

 自分のを恐れている。

 小なりとはいえ、下剋上をして、城を盗った。

 盗った城を返せ、と言われるのを、恐れている。

 しかし……妙だ。

 みやこにいる兄。兄上。

 兄上が戻れば、いかに実力行使とはいえ、さらなる実力と名分をもって、城の返上を申し付けられるは必定。

 それどころか、下手をすると、討ち果たされる。

 逆心これありとして、討たれ、逆に井上こそ、兄に呑まれよう。

 だというのに、何故……。


「もしや……」


 若殿の脳裏にひとつの考えが導き出される頃、の城の城門が見えた。

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