03 朝日

 翌朝。

 目が覚めると、若殿は自分ひとりであることに気がついた。

 旅僧はともかく、継母までいないとは。


 ついに、見限られたか。

 だがそれも、仕方ない。


 そう考えていると、家の外から何やら聞こえてくる。


「……念仏?」


 寝ぼけまなここすりながら外に出ると――


「朝日だ――」


 夜明け。

 今、ひんがしの方、太陽がその姿を現しつつあった。

 昨日の曇天に比して、空には雲一つなく、山野を照らし、日輪はどこまでも美しく輝いていた。

 その朝日に、旅僧と――継母が、手を合わせて、念仏を唱えていた。

 旅僧が若殿の姿に気づき、近づいてきた。


「お目覚めか」


「――ええ」


 早朝のさわやかな空気に包まれ、旅僧が若殿の前で手を合わせた。


「どうでござるか、若殿も」


「念仏か……」


 日々の生活に必死で、神仏に拝むということをおろそかにしていた。

 今、旅僧の登場という椿事により、そういえばそうだったな、と振り返る。

 たまにはやってみるか、と朝日の方を向く。

 手を合わせる。


「南無……」


 そこでふと、継母の方を見た。


 何を、祈っているのか。

 目を閉じて。

 一心不乱に。

 その呟きは、念仏ではなく。

 何かのがくのようだ。

 一体――何をそんなに祈っているのか。


 そしてその姿を――若殿は、美しいと感じた。

 継母がふと振り返る。


「何じゃ、起きたのかえ」


「は……さきほど」


「……そなたも?」


御坊ごぼうに勧められて」


「そうか」


 継母は微笑んだ。

 このひともこんな表情かおをするのか、と若殿は感歎かんたんした。

 ……そういえば、嫁いできたとき、よくこんな表情をしていたな、と思い出した。


「ご両人、どうでござるかな、拙僧と共に、三人でもう一度?」


 旅僧は数珠を懐中から取りだした。



 その日、若殿は弓矢を手挟たばさんで、山野を駆けていた。

 

 何だか気分が良かった。

 朝のアレが、良かったのやもしれぬ。

 

 若殿は弓を亡父から教えられていて、これだけはと城を追われたときに持ち出した弓で、ひそかに鍛錬はつづけていた。物乞いせずに済むやもしれぬとも、思って。

 しかし、まだまだ、技倆うでは未熟。しかも今は、冬。

 ……そう諦めていたが、今日は、やってみようと思った。物乞いしないで、やっていけるために。


 がさり。

 茂みから、音が。

 兎か、狸か。

 それとも……。


「狐か……」


 若殿が弓に矢をつがえると、出てきた狐のうしろから、子狐が出てきた。


「…………」


 この季節。

 厳しい中で、子を育てるか。

 若殿はひとつため息をつくと、弓を下ろした。


「……また、お恵みを……とでもしゃれ込むか」


 何故だか今日は、そういう殺生は躊躇ためらわれた。



 若殿がとりあえず弓矢を置きにあばら家へ戻ると、継母がひとり、襤褸ぼろ布を繕っていた。


「直せば、使える」


 継母は領主の奥方であった。裁縫は不慣れなはず。それが針仕事をしている。若殿は感心すると同時に、旅僧がいないことに気がついた。


「少し出る、と言っていた」


 出ていくのを昨日は促していたが、今となってはせめて別れをと言いたくなる。

 不思議なものだ、人情は……と思いながら、若殿は弓矢を置き、また出ると言った。


「日暮れまでには、戻りゃ」


「ええ」


 何気ない、会話。

 しかし、城を追われてから、こういう会話はしていなかった。

 「ああ」とか「うん」ばかりで、必要最低限。

 それが今、成立している会話を、した。

 悪くない。

 そう思いながら、若殿が出ていく。

 恵んでもらわなくとも、そこらの草でも食べられそうな奴を見繕っておこう。



「――して、首尾は?」


「芳しくない……が、面白いことになったのう」


「……あのの住人のことで?」


「そんな表情かおしたがいい」


「…………」


「わしの……いや、拙僧の最後のわがまま、許してたも」


「わがまま、というか――」


「しっ」


 旅僧が木陰に潜む何者かとの会話を打ち切り、振り返ると、若殿が小道を歩いてきた。


「……御坊、こちらにおったのか」


 若殿が旅僧の背後を見るが――そこには誰もいなかった。


「あれ? 今……」


「……経をする鍛錬でござるよ」


 旅僧が頭をく。間違えると恥ずかしいので、誰にも聞かれないところで練習しているのだ、という趣旨のことを述べた。


「それより、どう召された? 狩りをしてくると言うておったが……」


「妙に仏心が芽生えたらしく、狩れぬ。ゆえに……お恵みを、です」


「ほう……」


 旅僧は何か言いたげであったが、ひとつ首を振ると、では拙僧も托鉢の真似事でもするか、と若殿が来た方向へと足を向けた。


「同じところでやっても、実入りがうなる」


「一理ある……あ、御坊」


「なんじゃ」


「日暮れまでに茅屋うちへ戻りなされ」


「ほ。戻ってよいのか」


 昨日の態度を見抜かれていたらしい。若殿は赤面しながら詫びて、旅立つのなら、ちゃんと別れを告げてほしい、と言った。


「ふうむ……まあ、拙僧とて、餅の施しを受けて、はいさようなら、とはいくまい」


「では」


「日没までじゃな。よかろう」


 旅僧は、と笑顔を浮かべ、若殿が来た道を逆に歩いて行った。

 若殿もまた、それを笑顔で見守り、行く手に向かって足を向けた。


 ……夕暮れ時、若殿は旅僧より早くに帰宅した。笑顔のおかげか、常よりも多くのものを貰え、ほくほく顔であった。

 しかし、その顔も、あばら家に入った途端、一変する。


 継母が倒れていたからである。

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