助けた鶴が、女房になりに来たんですが。

秋月忍

助けた鶴が、女房になりに来たんですが

 雪のちらつく、そんな寒い日だった。

 辺りはすっかり暗くなり、ビジネス街の人通りはほぼなかった。

 残業を終えて、会社を出た俺、谷口誠たにぐちまことは、あり得ないものを見た。

 地下鉄へと向かう下り口の前。

 にかかっていた。

 俺は思わず辺りを見回した。どっかのテレビか何かが、動画をとっているのかもしれない。

 この辺りで鶴など、飛んでいるのを見たことがないし、今でこそ人通りはないけれど、こんな都会のど真ん中で罠を仕掛ける猟師もいないだろう。

 面倒なことになりそうだ。

 みなかったことにしよう。

 そう思って、通り過ぎようとしたが、鶴と目が合った。ひたと合ったその目に俺は耐えきれず、結局、鶴を罠から逃がしてやった。

 鶴は嬉しそうに一声鳴くと、ペコリと長い首を曲げ、空へと飛んでいった。



 地下鉄から降りて地上に出ると、歩道に雪が積もっていた。

 それにしても、先ほどの鶴はいったいなんだったのだろう。そのうちどこかのテレビ番組で放送されるのかもしれないーーそんなことを考えながら、俺は一人暮らしのマンションに帰る。

 一人暮らしの部屋は、当然冷えていて真っ暗だ。

 こんな寒い日は、人恋しさが増すが、だからといって一緒に住む誰かにあてがあるわけではない。それに、俺は一人暮らしの気楽さも気に入っている。

 それにしても今日は寒いし、疲れた。

 腹は減っているが、料理する気力もわかず、今晩はカップ麺ですますことにしよう。

 俺はやかんで湯を沸かしはじめた。

 リンコーン

 不意に呼び鈴が鳴った。

 時計を見ると、既に二十一時をまわっている。宅急便を頼んだ覚えもない。

 のぞき窓から見ると、若い女性だった。

 冷静に考えれば不用心だったかもしれないが、相手が女性ということで、俺は何も考えずにドアを開けた。

「なんでしょう?」

「あの……」

 女性は顔を上げて俺を見ると、顔を赤らめて口ごもった。

 見たことのない女性だ。長く艶やかな黒髪。切れ長な瞳。赤くてふくよかな唇。

 全体的に華奢な印象なのに、コートを羽織っていてもわかるほどの豊満な胸。

 俺は思わず見惚れた。

「私をあなたの女房にしていただけませんか?」

「は?」

 俺は目が点になる。

 会ったことのない女性だ。

 世の中には、突然押し掛けるストーカーのような人間もいると聞くけれど。俺は、二枚目でもないし、金持ちでもない。

「えっと。ごめん。人違いじゃない?」

 俺はそっと戸を閉めようとしたが、彼女は強引に玄関に入ってきて、俺に抱き着いた。

「人違いじゃありません。私、助けていただいた、鶴です」

 息のかかるほどの至近距離で、彼女は俺を見上げる。目には涙がにじんでいて、そのままキスが出来そうな距離だ。

 柔らかな体を押し付けられて、しかもいいにおいまでする。理性がぶっ飛びそうだ

「お願いです。そばに置いてください。なんでもしますから」

 彼女の目は必死だ。

 俺は、とりあえず彼女の身体を引き離した。とりあえず、この状況は普通じゃない。一旦、彼女を家にいれて話を聞くことにした。

「えっと。君、鶴なの?」

「はい」

 うちには客用の座布団もないし、フローリングに何も敷いていないから、俺のベッドに二人で腰かけるという、非常に微妙な状態で話を聞く。

 コートを脱いだ彼女は、白のブラウスに黒っぽいタイトスカートというまるで、どこかの会社の制服のような服装だった。

 豊満な胸に、くびれた腰。そしてすらりと長い足には黒のタイツをはいている。

 鶴は鳥だからおっぱいはないはずなのに、と、俺は思った。

「先ほど、あなたに助けていただいた鶴です」

 彼女はもう一度繰り返した。

 確かに、鶴を助けたのは間違いないけれど。

「おとぎのものの掟第三条により、私はあなたに恩返しをしないといけません」

 彼女の目は真剣だ。

 おとぎのものの掟って、何だろうとは思ったけれど。

「恩返しっていってもさ、俺の家、機織り機なんてないよ」

 鶴の恩返しと言えば、機織りするのが定番だけれど、そんなものは俺の家にはない。そもそも反物を織ってもらっても、正直困る。

 鶴の織った反物をネットオークションにかけるのも情緒がないと思うし。

「それは、江戸時代仕様です。機を織って喜んでいただける時代は終わりました」

 彼女は、首を振る。確かにそうかもしれないけれど。

「そもそも『見ないで』と言えば、興味を引かれて当然。そんな『釣り』のような条件を出すのは、恩返しにならないのではないかと、先日おとぎのもの議会で決議されました」

「……はあ」

 昔話の約束事は、必ず破られて、変化の類は去っていく。それはある意味、教育的な意味を含んでいるんだろうと俺は思っていたのだけれど。

「あれ? でも、最初から『鶴』って名乗る恩返しって、変じゃない?」

 鶴は正体がバレて、去っていくものだ。最初から正体を知っていたら、いつ帰るんだろう。

「ですから、恩返しに教訓めいたものを押し付けて、区切りをつけるのはどうなんだという、時の流れです」

 彼女は首を振る。

「恩返しもひとつの縁。もちろん縁が切れることもございますが、どちらが良い、悪いではなく、心が通じなくなった時が区切り。愛もないのに続けるのは、こちらも辛いし、また、愛があるのに別れなければならない掟もまた辛いもの」

「まあ、それはそうか」

 そういや、雪女の話で、約束違反で子供置いて出て行く話があったな。

 夫との愛が約束違反で消えたとしても、子供は愛おしかっただろうに。

「……というわけで、ここにおいてください」

 彼女は再び俺に頭を下げる。

「ここって言っても。ベッドもひとつしかないんだけど」

 そもそも、予備の寝具もない。辛うじて、食器はなんとかなるにしても、ひとを泊める準備は何もないのだ。

「夫婦になるのですから、ベッドは一つで良いのではないのですか?」

 彼女は、鳥のように首を傾ける。

 絶対、自分の言葉の意味することをわかっていない顔だった。



 半年が過ぎた。

 彼女、鶴子の料理がとてもうまくて、俺は完全に胃袋をつかまれた。

 相手が『鶴』だと思うと、妻とか無理と思ったのだが、セクシーダイナマイトボディで迫られているうちに、理性が飛んだ。

 しょうがない。だって、可愛いんだから。

 今日も家に帰ると、みそ汁のにおいがしていて。玄関入ると、タンクトップにショートパンツの鶴子が台所に立っているとか。超、幸せじゃん。

「うぉ。今日は唐揚げだ!」

「はい。誠さんの好物ですよ」

 鶴子が微笑む。鶴子は本当に料理が得意だ。

 鶏のから揚げは特に絶品だ。一度、鶏の唐揚げって鶴として大丈夫なの? って聞いたことがあるんだけれど。「私は鶴で、鶏じゃない!」って、めっちゃキレられた。

 たしかに、鶴と鶏は違う生き物だ。俺だって、同じ哺乳類の豚や牛を食べる。そんな感覚なのかもしれない。

「今日は、鶴子に洋服買ってきたんだ」

「わっ。ありがとう」

 俺は持っていた紙袋を鶴子に渡す。鶴子は着の身着のまま俺の家に来たわけで、着がえは持っていなかったから、季節の変わり目ごとに新しい服を買ってあげないといけないのだ。

「そうそう。買いに行ったデパートがさ」

 俺は夕食の並んだテーブルに座りながら、鶴子に話す。

「マネキンにかぶせてた帽子が、ことごとく落ちてて」

「帽子が?」

 鶴子が怪訝な顔をする。

「うん。店員、気が付かないみたいでさ。俺、六体くらい帽子かぶせて回ったんだぜ」

「……まさか」

 鶴子は眉間にしわを寄せて黙り込んだ。

 どうかしたんだろうか。

リンコーン

 呼び鈴の音がして、俺は、のぞき窓から外を見る。

 そこには、帽子をかぶったマネキンが米俵を担いで待っていた。

 


 

 

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助けた鶴が、女房になりに来たんですが。 秋月忍 @kotatumuri-akituki

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