共振考察

 スマホが震えたのは、休み明けのテストに備えた勉強が一段落し、ぐっと伸びをしたタイミングだった。


『起きてる?』


 ロック画面に、23:00の時刻と広斗くんからのメッセージが表示されている。

 すぐにロックを解除し返信する。


「起きてるよ。ちょうどテスト勉強が終わったところ」


『お疲れ。どの辺をやってた?』


「物理。振動とか共振とか…苦手なんだよね物理」


『数式とか出てくるとわかんないよな。固有振動とか波とかって面白いんだけどな』


「あ、それはわかる。それぞれの持つ固有振動数に応じた振動を与えると共振するとか」


『僕と凪海の固有振動数ってどんな感じなのかな』


「私たちにも個別の周波数が?」


『いまちょっと調べたら、人体の固有振動数は8Hzくらいらしいよ』


「…そうなんだ」…へぇ……で?


『だからなんだって話だよな。要はさ、何ヘルツとかじゃなくて相性みたいな話をしたいと思ったんだ』


「波長が合う、合わないとか?」


『そうそう。なんとなくいいなとか、なんとなく苦手だなって人いない?』


「確かに。理由も無くなんかやだなってのはあるかも」


『それってその人が発する波長を感じてるってことなのかな?』


「…雰囲気みたいな?あ、でも写真やテレビに映る人にも感じるけど、これは容姿の好き嫌いによるものかな?」


『う~ん。例えば声なんてまさに波だよね?空気を振動させて鼓膜に届いている』


 そっか、好きでもない人から発せられた声も私の鼓膜に届いているわけか…。いかんいかん、こんなことに嫌悪感を抱いていては生きて行けない。

 話題を変えよう。


「視覚情報も色や光は波長だから世界はいろんな波に溢れているんだね」


『空気を介して熱を感じたり、圧力を感じたり、実際に触れることで動きを知ることもできるからね』


 先日、握った彼の手を思い出す。

 大きくて冷たくて、でもすぐに暖かくなって汗ばんだ。


「体温も、鼓動も」


『リズム、音楽、そして海の波もそうだな』


「私は凪の海だからリズム感が足らないのかな?」


 彼の返信は既読から少し時間がかかった。


『荒海とかって名前が良かったの?』


「なんて読ませるつもり?」


『あらSEA、とか?』文字だからわかるボケだ。でもそんな女の子の名前はいないと思うよ。


「リズム感が無くても凪海でいいです」


『いい名前だよな。凪海。由来はおそらく、穏やかな人生とかかな?』


「それもあるけど、私が産まれた日ってすごい吹雪だったんだって。でもちょうど産まれた時刻にピタッと風が止んだんだって。で、凪。ちなみに海はどっからきたのか…海なし県に住んでいるのにね」


『生誕を世界に祝福されたのかもな。で、そんな尊い凪海さんの今年の生誕祭を、ぜひわたくしめに祝わせていただけないでしょうか?』


「あれ?知ってたの誕生日?」


『naminami0121、これが凪海の誕生日じゃなければなんの暗号かな?』


 メッセージアプリのIDか、なるほど。


「…別に催促や自己アピールのつもりじゃないんだよ?」


『それは僕が催促したことを暗に責めている?』


 二人が始まるきっかけだ。何を責めることがあるもんか。


「嬉しかったよ。誰も知らないって噂になってたんだから」


 女子の間では一時、クラスの名簿作りと称して、男子のプロフィールを集める行為が流行った。その中で広斗くんの誕生日を含むパーソナルデータがなかなか集まらないと、難攻不落の黒田城なんて言われていたこともある。


『思えばさ、僕も思い切ったことをしたもんだ』


 ”ねえ相楽さん。相楽さんって読書家だよね。でさ、来月の七日、僕の誕生日なんだけど、何か面白い小説を教えてよ”


「すごく自然に言うから、私に話し掛けてるのかわからなかったけどね」


『二回同じセリフを言うとは思わなかったよ』


「とても思い切ったように感じなかったけど?」


『気分は清水の舞台からってヤツ。こいつ何言ってんだ?って思われても仕方なかった』


「私、そんなにとっつきづらかったかな?」


『大体いつも本読んでいたからね。僕も何度かコミュニケーションを取ろうとしたけどさ、結局は勇気もなく、邪魔したら悪いからって一人で納得してたんだよ』


 広斗くんが頑張ろうとするけど勇気が出なくてうなだれる様子?どんな高嶺の花へのアタックだよ!誰だ相手は説教してやる。


「そんな素振り、全然気づかなかったんだけど…」


『凪海はさ、読書してる時の自分自身の集中力って知ってる?』


「…自分が突然死していることにも気付かないんじゃない?って言われたことある…」


『わかる!全てのエネルギーを読書という行為に注ぎ込んで、呼吸やまばたきすら拒否しているかのようだもんな』


「え?私ってそんな彫像みたいなの?」


『表情だけは微妙にくるくると変わってるよ。それも含めて、読書に全身全霊を注ぐ姿が尊くってさ、あ、この人に読まれる本は幸せなんだろうなって思った。そんな彼女が愛読する本ならば間違いはないだろうし、それをきっかけに話もできるかもって、自爆覚悟で声をかけたんだよ』


 ごめん。まさかそんな風に思ってくれているとは知らずに、普通にラノベを贈ってしまったんだよ。


「そんな高尚な趣味のつもりじゃないんだけどね。友達と話すとか、スマホをいじるとかと変わらないよ。私は読書を選んだというより、読書に逃げたって方だと思うし」


『クラス内で対人関係で困っていたりする?僕が知らないだけで』


「いやいやそんなことないよ。ドラマや小説にあるような陰湿ないじめとか嫌がらせなんて無いよ。それは広斗くんと付き合うようになっても変わらないよ」


 八重や何人かのクラスメイトには色々を聞かれたけど、私が無理をして堂々としていることもあり、私たちの関係はクラスの空気の中に自然と溶け込んでいった。

 それは広斗くんの人徳によるところが大きいんだと思う。


『読書に逃げるって言い方がさ、気になった』


「積極的に選んでいない以上、自分にとっては逃げなのかなって思ったんだ。きっと他の学校生活の送り方、みたいなものの正解がある気がしていたから」


 入学する前の根拠のないわくわく感ってやつは、いつの間にか現実に上書きされて、なんとなくもどかしい思いと共に、こんな私のままでいいのだろうかという焦燥感を抱えていたと思う。


『でも、そんな過ごし方をしてきたから僕といまこうしているって思えば、必然だったと思えない?』


 めっちゃ思う!んだけど。雨に打たれていた子犬が拾われるようなイメージなんだよな…。こう、なんていうか、ものすごく元気に跳ね回っている子犬が、飼い主さんに選ばれる方が良かったみたいな。でも…。


「そう言ってもらえると本当に嬉しいです」


自分の生き様を肯定してもらえるのは、本当に嬉しいのだ。


●○●○


「どうだった?」


 テストが終わった後、最も多く飛び交うセリフの一つだろう。私は初めて使ってみたんだけど。


「まあまあかな」


 帰り支度をしながら広斗くんはそう言って笑った。

 このところ毎晩のようにメッセージを送り合っていた。

 テスト前だから電話は控えようね、なんて言っていながら、いったい何文字分のやり取りを何時間かけて行っていたのか、我ながら呆れかえっている。


「遅くまで付きあわせちゃってごめんね」


「それは僕も同じだよ。さて、じゃあ行こうか」


 と連れ立って歩き出す。


「お、お二人さん、打ち上げにカラオケ行かん?」


 数人で談笑していたグループから八重が声をかけてきた。


「悪い、喉が潰れててさ、声が出せないんだ。また今度」


 広斗くんはサラリとそんな軽口を返す。


「声が出せないんじゃ仕方ない。じゃあ凪海とも喋るなよ?」


「話すだけがコミュニケーションじゃないんだよ。それじゃあな」


 そう言って歩く広斗くんの後を、みんなに手を振りながらちょこちょこと付いていく。

 それにしても、みんなちょっと唖然としてたんだけど、陽キャは本当にすごいなぁと心から感心する。

 教室の中から、話以外のコミュニケーションってまさか!とかちょっと聞こえているんだけど、来週、学校来るまでにみんな忘れてくれないかな。


「文字も立派なコミュニケーションだもんな」


「そういうのはオチとしてちゃんとみんなの前で言ってほしいんだけど…」


「ふふん。僕も少しぐらい調子に乗りたい時もあるんだけど」そう言ってちょっとドヤ顔になる広斗くん。


「私は慣れないんだけどな…」


「そこは慣れてもらわないと。将来同じ苗字になれば、誰かに苗字で呼ばれたら二人共反応する訳だし、あ、これも共振と言えるのかな?」


 下駄箱までの階段を降りながら、この人は何を言ってるんだろう。

 ほら、すれ違う人が驚きの表情で、二度見してる人もいるんだよ?


●○●○


「で、欲しいものは決まった?」


 ショッピングモールをさっと一巡し、珈琲屋で休憩をしながら広斗くんは聞いて来た。


「う~ん、ごめん。もうちょっと考えさせて」


「いいよいいよ、せっかくの誕生日プレゼントなんだから、凪海の納得したものじゃないとな」


 問題はそこなんだ。

 彼氏に誕生日プレゼントを贈ってもらうなんてのも初めてだし、せっかくだから凪海の欲しいものを贈るよ、なんて言われても、こんな経験は初めてな訳で、服?アクセサリー?バッグ?それともケーキ?予算もあるだろうし、記念になるものにしたいし、それに何かしら二人の絆を想起させるものがいいなと考え始めたら、全然これっていうモノに巡り合わない。


「予算は気にしないでいいよ。たまに親父の手伝いをしててさ、バイト代はしっかりもらってるから」


 広斗くんのお父さんは、先進精密加工という最新の技術を扱う会社を個人で営んでいる。


「ほんとえらいよね広斗くんはさ。私なんて働くってイメージがわかなくて、バイトはしてみたいって思うけど…」


「僕の場合、ずっと親父が働いている姿を見ていたから、手伝うのは家事みたいなもんだよ。それにやりがいもあるからね」


 聞いたことのある医療メーカーや自動車会社ともお付き合いがあるって言ってたもんね。すごいなぁって言葉以外に表現のしようのない自分がほんとお子様に感じるよ。


「そんな尊い労働の対価を私に消費してもいいの?」


「そんな卑屈な言い方しないでほしいな。対価でも消費でもないよ、むしろお金を使うしかできない能の無い人間だと責めてもいい」


 楽しそうにそんなことを話す広斗くん。

 ふと、いろんなトーンを奏でるその声が、とても心地よいと感じた。

 このところずっと文字でやりとりをしていたせいなのか、彼の声がとても嬉しい。

 

「責めるなんて絶対しないってば。え、と、ちょっと候補が決まってきたかも。ごめんね、もう少しだけ付き合ってくれる?」


 私たちは珈琲屋を出て並んで歩く。


「そういえばさ、凪海はどんな曲が好き?」


「う~ん、どれが好きってほど聞き込んでいる訳じゃないけど、好きな曲ってのはいくつかあるかな」


 流行のポップス、ネットで話題の曲など二、三挙げる。


「その辺は僕も好きだよ。でも面白いよね、良い曲ってみんな共通にそう思うのかな?だからこそ流行るんだろうけど」


「万人に受ける要素があるってことなのかな」


「よく、1/fゆらぎとか、ソルフェジオ周波数とかって癒しや調和の音って言われてるけど、心地よい隠し味みたいなのがあるのかな?」


「……聞いたことある。説明を聞いてもよくわからなかったけど」


「きっと難しく考えることないんじゃないかな。聴いて、それが自分にとって心地よければ、説明や解明なんて必要ないんだよ」


「ほんとそうだね。自分のココロの動きとか、衝動?とかなんでだろう?って思う事たくさんあるけど、まっいいかって思っちゃう」


「考えるな感じろってヤツだよな。そうだな、僕にとって凪海の言葉は、どんな音楽より癒しになってるけど、そこに理屈は必要ないもんな」


 この人はホント、不意打ちで私のココロの急所を突いてくる。

 スキル魅了とか、精神支配魔法でも使ってるんじゃないだろうな?

 全然、別に問題ないのだけれど。


●○●○


「これでいいの?」


「うん。お願いします。あ、ラッピングは無しで」


 私は彼からの初めてのプレゼントに、猫を模した目覚まし時計を選んだ。

 雑貨屋を出た後、彼から紙袋を渡される。


「じゃ、ちょっと早いけど誕生日おめでとう」


「ありがとう。で、一つお願いがあるんだけど」


「一つでも二つでも、どうぞ」


「これを」と、受け取ったばかりの紙袋を渡す。


「はて?」


「その目覚まし時計、音声登録ができるんだ。でね、広斗くんの声を入れてほしいの」


「…ほう、なるほどね。ここで?」ニヤリと笑う広斗くん。


「いや、それはさすがに、一度お持ち帰りいただき、機会をあらためていただけると幸いです」


 なんだか急に恥ずかしく感じてきた。


「わかった。でも、条件があるな」


「な、なにかな?」


「内容は保証しないしクレームも返品も無しって条件なら了承しよう」


「ほ、放送禁止用語とかで無ければ」


「心得ました。では、姫が快適な朝を迎えられるよう、最高の声を仕入れてまいりましょう」


 早まったかも、私!


●○●○


 時刻は5時53分。

 アラームの設定まで後7分。

 目覚ましより先に起きている私。

 だって、事前に聴くなっていうのが、広斗くんとの約束だから。

 私はその瞬間を、早朝にしては異常過ぎる高心拍と共に待っている。


●○●○


「お、思った以上に恥ずかしかった」


 お願いした時は余裕綽々だった広斗くんは、録音後、私に届ける際には、今まで見たことのない挙動不審な雰囲気だった。

 混乱、困惑、焦燥。


「そ、そんなに恥ずかしい内容なの?」


「実は、録音した内容は、確認してないんだ…その、自分の声ってなんであんなに違うって感じるんだろうな」


 確認してないんだ…。


●○●○


 そんなやりとりの後で、絶対必ず誕生日の朝に聴くこと!と念を押された。

 常識的に、おはようって挨拶が含まれているのだろうと、思うのだが。

 なにせ私への想いの表現を抑えない彼のことだ。

 ココロを強く、油断せずその時を待つ。


 カチリと長針と短針がまっすぐになった瞬間、少しこもったような彼の声が聴こえてきた。


『…ひろとです。えっと、生まれてきてくれてありがとう。僕と知り合ってくれて、ありがとう。毎朝、起きる度に、凪海と付き合えている事を、嬉しく感じて、その、なんだ、す』


 緊張した声は途中で途切れた。

 たどたどしい話し方、普段の彼からは想像もつかないその言の葉は、私の心の水面に落ち、波紋のように広がった。

 この声は、耳だけではなく、確かに心で聴いたと感じる。

 その波は、私を共振させ、それは温度を生んだ。

 暖かくなる心と、顔の火照り。

 悲しくなくても涙が出ることを、私はあらためて理解したんだ。


 途切れた最後の言葉は、大丈夫、言わなくてもわかる。

 代わりに私が続けるよ。

 

「好きだよ」って。


 その言葉は、静かで冷たい部屋の中に、思いのほか大きく聴こえた。

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