酩酊考察

「相楽さんはお酒好き?」


 広斗くんは、おはようの挨拶の後、そんな問いかけをしてきた。

 月曜の朝、高校二年生、教室の中、そして私は女の子。

 必然、私の脳内はフリーズした。


「えっと…」


 意図が掴めず返事に逡巡していると。


「おっはよ~、凪海なみ。あ~黒田、昨日は惜しかったね~、もう少しで王者を倒せたのにさ、あの後、吹部の方でもさ悔し涙で号泣で、それこそ飲まなきゃやってらんないよ~なんて、珈琲屋で慰労会だったよ」


 八重が私たちに話しかけてきた。


「おはよう、加賀谷。昨日は吹奏楽部もありがとうな。負けてごめん」


 広斗くんは申し訳なさそうな笑顔で答えていた。


 ああ、そうだった。昨日の広斗くんが出場したサッカーの試合、1対2で強豪校に負けてしまったんだ。

 私も、ルールなんてわからなかったけど、こっそり応援に行ってみた。

 テレビと違って実況があるわけでもなく、誰かが解説してくれるわけでもなく、ものすごく淡々と試合は進み、気が付いたとき我が校の選手たちは泣き崩れていた。

 でも、ずっと目で追っていた広斗くんは、試合中と変わらず、ポーカーフェイスのまま、泣いている人たち一人一人に声をかけていた。


「矢田部のPK失敗が痛かったな~」目を閉じて腕を組みながら思い出しているのか、八重がそう言いながら首を横に振っていた。


「そこは勘弁してやってくれ。あいつ先輩たちと選手権行きたくて、ちょっと気負ってたんだ。あいつが一番泣いて、先輩が労いながら笑ってたよ。普通逆だろって」


 PKとやらを失敗した矢田部くんと広斗くんは仲良しだ。そして二人だけが二年生としてレギュラーだった。

 三年の先輩は最後の県予選、強豪校に勝利まで後一歩。そんな試合だったんだ。

 感情をあまり表に出さない広斗くんは一見クールに見えるが、その内面は責任感の強い熱い男の子だから、きっと私の想像以上に悔しかったんだろうな…。

 だから「お酒」か。


「広斗くんも悔しくてヤケ酒?」


「相楽さん、僕は高校生なんだけど…」


「広斗くんだぁ?」八重が私の言葉に食いついたが別に隠すつもりもない。


「何よ」


「…そういえば昨日も観戦してたから珍しいなと思ったけど、あぁなるほど、そ~ゆ~ことか」


 目を閉じて腕を組み、今度は縦に首を振る。


「どうゆうことよ」


「凪海ちゃん、後でお話ししようね」にこやかに手を振りながら八重が去っていく。


 人間関係の変化って、そりゃ確かに同じコミュニティの中ではデリケートな問題だ。でもだからって、クラスメイト全員に私たちの関係を説明する必要もないだろうし、そんなこと言われても困る人もいるだろうし、そこは、ねえ、察してよ。


「なんかまずかった?」


「ん。大丈夫だよ」と広斗くんに笑顔を返す。


 人の機微に敏い広斗くんは、女同士の関係にも配慮してくれる。

 結果として学校の中では私の事を「相楽さん」と変わらずに呼んでくれる。

 私は…意地を張った。

 彼女に成ったんだから堂々と「広斗くん」って呼ぶよ!と。

 

 で、そんな二週間前の私に小一時間説教をしたい。

 確かに告白してくれたのは広斗くんからだ。

 私にとっては気になる男の子で、私が贈った小説がきっかけで何故だか彼の庇護対象になり、なんだかんだあって(お互いが好き合っているいることがわかって)お付き合いすることになった。

 いいか、浮かれるでない。「彼に対する忠義というか信頼返しというか確固たる意志を示すためなんだから、別に彼の特別を内外に示すためじゃないんだから」などという自己欺瞞は、その後に訪れる現実の前では無意味。

 きっと八重を皮切りに、多くの人たちと質疑応答をすることになるのだろう。

 でも決めたんだ。

 広斗くんにふさわしい私に、誰もが納得してくれる二人になるんだって。


 ○●○●


「ところでお酒ってさ、不思議な存在じゃない?」


 今日の広斗くんのお弁当も美味しそうだな~。お義母さんって料理上手なんだな~…やだ、私、お義母さんだって…と妄想で赤面している私に広斗くんが聞いた。


「お酒が、不思議?」何のことだろう。


「うん。客観的に見ても、常習性があって、車の運転とかもできなくて、子供もダメで、仕事中も飲めない。妊婦さんにも良くないし、中毒で死に至る。なのに普通に存在している」


「…そうだね、確かに…」


 ホントだね。なんで存在してるんだろ。


「うちはさ、両親共に飲めない体質だから、家の中にもお酒なんて無くて、もちろん僕も飲んだことも無いんだけど、テレビでも、物語の中でもある意味欠かせない存在だよね」


「私も、両親が家で飲んでるのは見た事ないな。保護者会の会合とか会社の歓送迎会とかで酔って帰ってきたことはあるけど…もちろん私も飲んだことないし、身近に実感できるものじゃないね、不思議な存在だ」


 厳密に言うと、料理やお菓子を作る時、日本酒やらリキュールやらを使うが、あれはお酒と言うより材料だ。


「要はさ、お酒って本能を解放するためにあるんだろうね」


「…酔って理性を消すってこと?」


「本音と建前でもいいかな。普段言えないことを言うため、できない事をするため、自分を解放するため」


「…思っていてもできないことをするため、とか?」


「それだけじゃなくて、感情を倍加したいときとか」


「感情の倍加?」


「楽しい事を、より楽しく。悲しい事を、より悲しく。冠婚葬祭の席って、なんとなくお酒がある気がするんだよな」


「あ、なんかどっかのマンガでそんな事言ってたかも、なんでお酒を飲まないんだ?とか聞いた答えが、お酒を飲むほど悲しい事もない、お酒を飲むほど楽しいこともない。とかだったよ」


「相楽さんは、そんな気分になったことある?」


「…お酒の効果やシチュエーションは理解していても、実体験がないからね…美味しそうな描写や、ロマンチックな小道具としては憧れることもあるけど…」


「じゃあ、嬉しい事があったときはどうしてる?」


 先日の広斗くんの告白がすぐに思い浮かび、顔面が瞬間湯沸かし器だ。


「あ、え、美味しいケーキかな?」実際、交際開始の後、何かを察した母が普段食べないような高級ケーキを買ってきた。高揚した感情との相乗効果で大変美味しかった。


「じゃあ、悲しい事があったら?」


 二年前に亡くなった愛猫スゥを思い出しちょっと涙が出た。


「…ケーキだった」元気出せ、と、父が買ってきたケーキを食べた。美味しくて、申し訳なくて涙が出たが、供養だから美味しくていいんだと言われた。


「つまり、相楽さんにとってのお酒はケーキで代用できるってことかな?」


 そうかな?そうなのかな?


「騒ぎたいから飲んだりするときだってあるよね?」


「女子会とか、みんなでスイーツを食べに行って騒いだりしたことは?」


「…あります」


「では、お酒とケーキの違いを検討してみようか。お酒はさ、常習性がある。仕事中など公的な場で認められていない。運転中はダメ。成人以上。摂り過ぎると中毒」


「えっと、ケーキは、常習性…ある。仕事や授業中…ダメだよね。運転中…食べられない、のかな?年齢制限は無い?摂り過ぎは、ふと、じゃない、健康を害します!」


「最後の感情がこもってたね」広斗くんがクスクスと笑う。


「と、とにかく、結論としてお酒とケーキは、とても似てるってこと」


「う~ん、僕としては、神様とのつながりとしての神酒、冠婚葬祭などで不可欠な要素であるとかってプラスの部分と、交通事故や社会問題にも大きな影響を及ぼしている「飲酒」って文化の是非を考察したかったんだけど、どんなものでも拠り所になるし、過剰であってもいけないのかな、と思えてきたよ」


「…ごめん、私がケーキなんて言いだしたから」でもまさかそんな高尚なテーマで議論を吹っ掛けてきているとは思いませんでした。ファイヤーボールの謎に迫った後は社会問題ですかそうですか。


「そうじゃないよ。アル中とか飲酒運転とか暴力沙汰とか、お酒に関わる問題って大きいのにさ、きっと手を出したり話題にしちゃいけない事情もあるだろうし、個人的な落としどころが欲しかったんだ。だから、嗜好品的な、肩ひじ張らない存在と考えてもいいのかなって思えたよ。ケーキの嫌いな人だっているだろうし」


「え?広斗くんケーキ嫌いなの?」


「大好きだよ」


 ちょ、そんないい顔でサラッと言うな!しかもそこだけちょっと大きい、声!


 それまでの会話が全部すっ飛んでしまうその破壊力のおかげで、美味しいお弁当の味も分からなくなってしまった。

 アルコールは五感も麻痺させるとか聞いたことがある。

 広斗くんの心地よい声は、私にとってはお酒以上に危険な代物かもしれない。


 ○●○●


 昼休みに八重に捕まり談話室に拉致られた。

 経緯は省き、広斗くんとお付き合いしている事実を告げる。


「クラスで一番、男に興味はありません代表の凪海がねぇ、まさかクラスで一番人気の黒田とねぇ」


「…その舐め回すような言い方嫌なんですケド」


「私としてはその経緯ってやつを是非お聞きして今後の参考にしたいとこなんだけどさ、どうせ言うつもりもないんでしょ?」


「うん」ファイヤーボールの防ぎ方を考えていたらお付き合いすることになりました。うん、ふざけるなって私なら言う。


「あ~ま~いいや、私も彼氏が欲しいな~」


「…彼氏ってのはね」


「あ~はいはい、得るんじゃなくて成るんでしょ?なんじゃそれって思ってたけどさ、実際にそれを体現している人の言葉は重いわ」


「八重は好きな人、いないの?」


「…一生を思い続ける確証ってやつ?あのさ、世の中のカップルやら結婚してる人たちだって、そんな自信を持って好き合ってる人って少ないと思うよ?」


 それは、きっとそうだろう。でも


「私は、好きであることを努力したいと思ってるよ」


「それって自然なことなの?無理をしているとも言えない?」


「好きって気持ちは、動物を飼う事に似ていると思ってるんだ」


「どういうこと?」


「動物を飼うって、ごはんもトイレも健康もきちんと面倒をみる必要があるでしょ?」


「野良じゃないならねぇ」


「でもどれだけ面倒を見ても、病気になったり死んじゃったりすることもある。でもそれでも、何もしなければすぐに死んじゃう。可愛いって気持ちが恋の始まりで、この子の最後まで面倒を見るってのが、私にとっての好きって気持ち」


「…自分の好きって気持ちに責任を持つってことか」


「そう。その覚悟が無いと、誰かを好きになんてなれないよ」


「…ずいぶんとハードルを上げてくれるよ、まったく。あ~でもね凪海、その考えって致命的なポイントがあるように思えるんだけど」


「な、なにかな?」


 私だって不安も抱えている。上手い例えを言ったつもりも無いが、価値観を覆されても困ってしまうのだが。


「相手が同じような考えを持ってないと厳しくない?」


 安心した。


「そうだね、そんな相手、とっても得難い人だと思うよ」


 そう言って笑う私に、八重は心底羨ましそうな眼を向けてきた。


 ○●○●


「え~と、凪海」


「な、なにかな?」


 そっか校門を出たからか、広斗くんの私に対する言葉が変わる。く、慣れない。


「お酒なんだけど、好き?」


「えっと…あ、ケーキが好きかって意味?」


「ああ、そうだよな訳わかんないよな。そもそもお互い飲んだことも無いし、うん、そうだな、また後で聞くよ」


 珍しく慌てふためいた様子の広斗くんが新鮮だ。この慌てる様をもっと見てみたい欲求が湧く。


「それって今朝の質問だよね。てっきり昨日の試合が悔しくてヤケ酒を飲みたいみたいな遠回しな同意を求めたのかと思ったんだけど…」


「なにそれヤケ酒?」


「あれ?昨日の試合、悔しかったんでしょ?」


「うん。そりゃあね」


「だから、えっと平静を保ってるけど発散したいんだぜ、お前も同じだろ?だからお酒は飲めないけど、同じような存在のケーキ食べて感情をむき出しにしようぜってお誘いかと思った」


「凪海はときどき面白いよね」広斗くんはクスクスと笑う。


 朝、昼の考察の結果だがどうやら違うらしい。


「昨日の試合も関係ないとすると、比喩とかじゃなく、本物のお酒が好きかどうかってこと?」


「ああ、いや、うん。お酒を飲みたいなとか美味しいねとかって話じゃなくて、選択肢として大丈夫なのかどうかっていう…」


「私たちに関連してお酒を選択する機会?」


「ん、まあ、そうだな」赤面し恥じらう広斗くんは初めてだ。


 ああ。わかっちゃった。


「…それって、二十歳になって一緒にお酒が飲めるまで一緒にいたいって意味かな」


 少なくとも後3~4年は安泰ってことかな。まあ短期目標ということで。


「あ、うん。いや!そんなことない!」


 まさかの、しかもそんな懸命な否定をしなくても。

 私が動揺して硬直していると広斗くんは続ける。


「二十歳までじゃない。ずっとだ」


「へっ?」間抜けな声を発してしまった。


「だから、ずっと!」


 広斗くんはそれきりプイと前を向いて歩く。

 その歩みは急ぐこともなく、私の歩幅に合わせるように。


 じゃあお酒ってなんなんだよ。


 嬉しくてニヤニヤしてしまう顔を引き締め、そもそもの問題に戻る。

 第一、質問してきたのは広斗くんの方なのだ。

 問題には解が必要なのだ。


「蒸し返すようでごめん。で、私がお酒を好きだとどんなルートになるの?」


「……お酒が好きなら…神式。そうでなければ洋式…」


「………三々九度?」


「…ごめん。早すぎる話題だった」

 

 二十歳までどころの話じゃなかった。

 この人はその先の未来まで見据えているのだ。


「…あれって、別にお酒が好きだからってわけじゃないと思うよ…私は好きだけど」


「え、お酒?」


「神前式!」


 思わず出た声を回収するように慌てて口を手で塞ぐ。


 そんな私に笑顔を向ける隣の人も、そしてきっと私も、まるで美味しいお酒でも飲んで酩酊しているかのように赤い顔をしていた。


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