第32話 大切なあなたのために -03-

 飴玉の包み紙には、びっしりと文字が書かれていた。歪ながらも、とても丁寧に。


 飴玉を渡された当時、ほとんど文字の読めなかった頃の私が見たら、それは模様のように見えたかもしれない。


 その文字の一つ一つを噛み締めるように、私は滲んだその目で追う。


 テオからの最初で最後の手紙を。



 ----ソフィア



 その言葉からはじまるテオからの手紙に、私は笑みを溢す。


 涙が零れないように、空を見上げて、テオにだけ聞こえるように話しかけた。


「約束を守れなくてごめんって、このことだったんだね。私じゃなくてメルを守るって決めたから。ふふ、やっぱりテオは格好良い騎士様だよ。テオ、ありがとう」


 私はその小さい手紙を抱きしめる。手紙から、ほのかにラベンダーの移り香が漂ってきた。心まで癒される、とても優しい香りが。


「ラベンダーの香りがしますね」

「悪い、ずっと入れっぱなしだったから香りが移ったか? 嫌いだったらごめん」

「いえ、とっても大好きな香りです」


 あの時まで知らなかったけれど、あの時から大好きになった香り。


「よかった。あのお守り袋は親友の形見なんだ。中身もその時からずっと入れ替えて使っているんだ」

「そう、なんですね」


 その言葉を聞き、私の心につかえていたものがどこかへ消えていった。エリーさんとお揃いの香りの理由。


「エリーはその親友の恋人だったから、これと同じものを持っているだけだ。安心したか?」

「どうしてそれを!?」

「ふっ、わかりやすすぎ」


 アラン様の意地悪な笑みに、もちろん私は狼狽える。相変わらず、私の思考はダダ漏れだったのか。


 私が頬を赤らめれば、アラン様が笑う。もう何度目の笑顔だろうか。


 ちょっと悪戯に、まるで少年のように笑うその笑顔に、私は一度、ぷうっと頬を膨らませて、そしてすぐに一緒になって笑った。




「ソフィアお姉ちゃん!」

「メル!」


 メルが私の元へと駆け寄ってきた。


「メル、怪我はない? 大丈夫だった?」

「大丈夫だよ。テオお兄ちゃんが守ってくれたんだもん。テオお兄ちゃんは本当に騎士様だった。メルね、テオお兄ちゃんのことずっと忘れないよ」


 メルの瞳からは、ぽたりぽたりと涙が零れはじめた。


 きっと、ずっと我慢していたのだろう。こんなに小さい女の子が背負うには、テオの死は重すぎるから。


「うん。テオは本当に大切な人を守ってくれる騎士様だったね。だから、テオが守ってくれた命を私たちは一生懸命に生きよう。生きて、テオのこといっぱい思い出して、テオの分までいっぱい幸せになろうね」


 そして、私とメルは抱き合って泣けるだけ泣いた。


 メルには私の気持ちが流れ込むように伝わるだろう。私にもメルの気持ちが痛いほど良くわかった。


 魔法なんて使わなくても、私たちは抱き合って、お互いに癒し、癒された。


 人の心を癒す魔法は、誰もが使える優しい魔法だった。本当にたくさんの人たちに癒されてきたのだと私は知り、そして感謝した。


 ひとしきり泣いた後、メルが思い出したように言う。


「ふふ、ソフィアお姉ちゃんの騎士様もかっこいいね」

「な、なに言ってるの、メル!!」

「ソフィアお姉ちゃんの騎士様、手、出して」


 私たちを見守るようにそばに立っていたアラン様に、メルが言った。

 メルの魔法、それは……


 触れた人の心を読む魔法。


 もちろんそのことはアラン様も知っている。知っていて、なんの躊躇いもなくその手をメルに差し出した。


「はい、これでいいかい?」

「ソフィアお姉ちゃんのこと、どう思いますか?」


 さすがのアラン様も無垢なメルの質問に、一瞬だけ躊躇って、そして答える。


「……俺の下僕だ」


 それを聞いた私はもちろん文句を言う。


「ちょっと、メルの前でなんてこと言うんですか!!」


 けれど、メルは嬉しそうに笑った。


「えへへ、羨ましいな」

「どう考えても羨ましくないでしょ!!」


 私の怒りは収まらない。けれど、本当のことをを知っているメルは、ちらりとアラン様を見上げた。


 その純粋な眼差しが、アラン様には少しだけ気恥ずかしかったみたい。だから、瞬時にメルから顔を背けた。


 その姿を見て、メルは再び「えへへ」と笑った。


 幸せな時間。このままずっと時間ときが止まってしまえばいいのにな、と思うほど。


 でも、私たちは前に進まなければならない。


「ソフィアお姉ちゃん、また会える日まで、さようなら、またね。だね」

「うん。また会える日まで、さようなら、またね。でも、今度は本当にすぐに会えるもの。すぐに会いに行くからね!」

「えへへ、約束だよ!」


 私はこの時、初めて「さようなら、またね」と嘘偽りなく心からメルを送り出すことができた。


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