第17話 はじまりは偽りの優しさから -03-
「今日もお疲れ様、気を付けて帰るんだよ」
「はい、お疲れ様でした!」
客足がひと段落したころ、シャロンさんは私に早めに帰るように促した。
私はまだ12歳の子供だから、昼間だけという約束で働き、客足を見てできる限り早く帰してくれている。
そういう気遣いをしてくれるところが、本当にお母さんのようで、私の胸に懐かしい気持ちが込み上げる。
……とは言っても、本当のお母さんのことを私は覚えていないのだけれど。
「明日は休んでいいからね。一週間頑張ったんだ。アランを誘ってデートでもしてきな」
「デ、デート!?」
突然出てきたデートという言葉に、私の胸の鼓動がドキッと跳ねる。
アラン様を誘うだなんて、そんな命知らずなことは無理だ。
けれど、どうしてもアラン様との王都の街を歩いた時のことを思い出してしまう。
「……また一緒に行きたいな」
無意識にその言葉が口から溢れ、途端に私の手が熱を帯びる。アラン様と繋いでいた手の感覚が蘇る。
私には、アラン様を誘う勇気なんてない。そもそも下僕が主人を誘うなんてあり得ない。
接待ならありなのか? いや、やっぱり誘うことなんてできないよ。
いつの日か、お礼として誘える日が来てほしいな、と思ってしまう。
頭を振って現実に意識を戻し、明日は何をしようかな、と考えながら、王城に向かって歩いていた。
帰路にある橋に差し掛かったところで突然、何かにぶつかってしまった。
「痛っ、嬢ちゃん、なにしてくれんだよ?」
「ごめんなさい!!」
肩がぶつかって、知らない男の人に絡まれてしまった。正確には、男の人がわざとぶつかってきたのだけれど。
「あ、あの、本当にごめんなさい、私……」
「なに? 嬢ちゃんが俺を癒してくれるって? じゃあ、行こうか」
「えっ、違いますっ、やめてください!!」
男の人は、私の腕を無理やり掴んで連れ去ろうとしてきた。
嫌だっ、怖いっ
男の人という存在に、恐怖を感じた。食堂のお客様たちはみんな紳士的だったから、そんなこと考えてもみなかった。
王城の騎士御用達という噂のおかげか、馬鹿騒ぎする人もいないし、女手だけでも困ることなどなかった。
けれど、王都の街には様々な人がいる。毎日、何事もなく通えていたおかげか、私は少しだけ油断してしまっていたらしい。
「やめてっ、離してくださいっ」
私が思いっきり振り払った手が、男の人の顔に当たってしまった。
「痛えなっ、くそ、可愛いからちょっと相手してやろうと思っただけなのに、ふざけやがって」
男の人の豹変ぶりに、私は一気に青褪め、そして慌てて逃げようとした。
訓練中のアラン様の怒号の方が怖いとは思ったものの、それとは全く別物の恐怖。
アラン様の怒号には、優しさが隠れていることを私は薄々気付いていたのだから。
目の前の恐怖は全く違う。優しさの欠片もない、その裏に隠されているものは、きっと邪なもの。そして、相手は自分より遥かに大きい男の人だ。
何かされる前に強行突破して逃げよう、と男の人の隙を見て、通り過ぎようとした。
「きゃっ!!」
瞬間、後ろから突き飛ばされ、私はそのまま地面に転んでしまった。
「痛っ……」
「悪い悪い。今度は俺が責任持って嬢ちゃんを介抱してやるからよ」
そう言いながら男の人が近づいてくるのが分かった。一歩、二歩……恐怖が近づいてくる。もう逃げられない。
地面に膝をついたまま、怖くて顔を上げることのできない私の目の前に、立ち止まる。
誰か、助けて……
ぎゅっと目を瞑った私の脳裏に思い浮かぶのは……
「こいつは俺のだっ、気安く触んじゃねえっ!」
聞き覚えのあるその声に、私は一気に顔をあげる。
「アラン様……」
アラン様は私の目の前に立っていた男の人を力付くで退け、男の人は今まさに転がっている。
本当に助けに来てくれた……
私は一気に安堵して、へにゃりと笑った。そんな私を見たアラン様もつられて笑う。
「ふっ、ぶさいくな顔」
「な!! ひどいです!!」
「冗談だよ。立てるか?」
手を差し出そうとしながら、アラン様は私に尋ねてくれた。でも、立てない。身体に力が入らないし、今も震えがおさまらない。
「えっと……」
私の答えを聞くのを待たずに、アラン様がふわりと私を持ち上げた。
「あっ……」
瞬間、私の脳裏に在りし日のできごとが思い浮かぶ。
地面に膝をついて悔しがる私を、ふわりと持ち上げるテオのことを思い出して。その時の、テオの優しい眼差しを思い出して。
「ふふ」
私は声を出して笑っていた。
私のことをゆっくりと地面に立たせてくれたアラン様は、どうしてか、見てわかるほどに苛立っていた。
「へらへらしてるから変な男に絡まれるんだよ」
「ごめんなさい……」
私は反省した。一体私はどれだけ迷惑をかけているのだろうか。こんな危険な目に遭って早々に笑うなんて、心底呆れられたに違いない。
そして、アラン様は私の膝に視線を寄越す。私の膝から血が流れ出ていることに気付いたみたいだった。
膝が痛いことなんて、すっかりと忘れていた。
だって、今は膝の痛みよりも、どうしてか胸がズキズキと痛んで涙が出そうだったから。
けれど、そんな私に追い討ちをかける。
「聖女様がいれば、簡単に治せるのにな」
「せいじょ……」
その言葉に、私は動揺してしまった。
聖女とは無縁の生活を送る喜びを得た私は、まさかこのタイミングで再び聖女という言葉が、自身にのしかかるとは思わなかった。
もちろん自分が聖女と崇められた偽聖女であることは、まだ誰にも話せていない。
きっとこれは天罰だ。浮かれすぎている私に、決して自分の犯した罪を忘れないように、と。
私は罪人なんだから。
「冗談だよ。ほら、歩けないなら抱っこしてやるよ」
「大丈夫です。自分で、歩けますから」
「強がるなよ……じゃあ、せめて手を出せ」
アラン様はそう言って、半ば強引に私の手と自分の手を重ねた。
それは、先ほどの男の人とは比べようがないほど温かくて、優しかった。王都の街を歩いていたあの時と同じ。
けれど、隣には並ばない。アラン様が私の手を引っ張るように半歩前を歩く。
「先に、帰ったはずじゃ……もしかして……」
待っていてくれたんですか? その言葉を続ける前に、アラン様が急に立ち止まって、私のことを振り返って、見つめる。
その表情は、逆光で見えないけれど。
「……黙ってこれでも食ってろ」
私は一粒のチョコレートを口の中に入れられた。
この味……
そして、再び王城へと向かって歩く。
時折、アラン様が斜め後ろを振り返る。そのことに私も気付いてはいたけれど、お互いに言葉を交わすことはなかった。
食べ慣れたと思ったはずのチョコレートの味が、この時だけは、ほろ苦く感じた。
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