第15話 はじまりは偽りの優しさから -01-
私は今、王都の街にある王城の騎士御用達の食堂で働いている。その食堂は、王都の街の中でも比較的治安の良い場所にある。
王城からは少しだけ距離はあるけれど、辻馬車も出ているし、体力もついて歩くことが苦ではない私は、余裕で歩いていける。
その食堂は、きっと私のお母さんが生きていたら同じか少し上くらいの年齢の女性シャロンさんが営んでいる庶民的な食堂だ。
つい先日、アラン様と一緒に訪れた食堂で、私は働くことになったのだ。
どうして食堂で働くことになったのかというと、それはほんの少し前のこと。
「ソフィア、お前暇だろ? 働け」
唐突に、アラン様が私に言い放った一言からはじまった。
王都の街を一緒に出掛けてから、私とアラン様の距離は近くなったと、図々しいながらもそう感じはじめていた。もちろん、主人と下僕の関係を大前提として。
「働けって言われても、私って王城から出て行ってもいいんですか?」
実は、私は今までに何度も王城から出て行こうとした。その度に、引き止められたのだ。王城に来てから外に出たのは、アラン様と王都の街に行った時、その一度きりだけ。
私がそんな状況だということを知っているはずのアラン様が言い放った言葉に、さすがの私も首を傾げる。
「今、俺たちのとーってもお世話になっている食堂で人手を募集してるんだ。昼間だけでいい。だからお前がやれ」
「……私、何もできないと思いますけど、いいんですか?」
「やりたいか、やりたくないか、だ」
アラン様が睨みを効かせて私に問う。冗談抜きで怖すぎる。きっと私には、最初から選択肢などなかったのだろう。
「もちろんやりたいです!」
けれど、この話を聞いた時から、私にもやらないという選択肢はなかった。
少しでもお金を稼いで、世の中のことを知ることのできる絶好の機会だもの。あわよくば、そのまま就職させてもらっちゃおうかな、とも思っていた。
「ソフィアは本当によく働くね」
そう褒めてくれたのはエリーさんだ。あの時に名前が出てきたその人だ。
エリーさんはなんと、貴族のご令嬢様だという。エリーさん自身は「“元”だよ、勘当されたんだもの。訳ありなの、私」と、ケラケラと笑いながら教えてくれた。
けれど、底抜けに明るくて、とても面倒見が良くて、優しくて、私はすぐにエリーさんに懐いた。なんとなく、クロエ姉さんと重ねてしまった。
エリーさんは王城の騎士様たちとも仲が良い。もちろん他のお客様みんなとも分け隔てなく接している。
貴族だとか、訳ありだとか、そんなことに囚われず、ありのままの自分を曝け出しているエリーさんに、私は出会って早々に強い憧れにも似た気持ちを抱いた。
訳ありは、私と同じ。いや、罪人の私と一緒にしてはいけないのだろうけれど。
それに、エリーさんからほのかに漂うラベンダーの香りが、とても心地よかったから。
「ソフィアちゃん、注文いい?」
「はい、すぐ行きます!」
「ソフィアちゃん、こっちも!」
「はーい」
ただ、この食堂はとても忙しかった。余計なことなど考える暇がないほどの盛況ぶりに、私は全力を注いだ。
「ソフィアが来てから、絶対に男の客が増えたわ。ほら、私でもいいでしょ? 今日は何にするの?」
エリーさんは、手際良く料理を運びながら、私では回りきれない注文を受けてくれた。
昼食の書き入れ時も過ぎ、お客様が引いたのを見計らって、アラン様がやってきた。
きっと、私がきちんと働けているか、迷惑をかけていないか心配になって、わざわざ見に来てくれたのだと思う。
「よっ、エリー元気か?」
「あら? アラン、久しぶりね」
「ああ、最近忙しくてな。新しく入ったちっこいのはどうよ?」
「あんたもソフィア目当てなの?」
「目当てって、あいつは俺のだし」
「な、何を言ってるんですか!? エリーさんに誤解されちゃうじゃないですか!!」
席に座ったアラン様に水を持ってきた私は、二人の会話を耳にし、驚きのあまり思いっきり否定した。
あまりの私の慌てっぷりに、アラン様がしてやったり顔で嬉しそうに笑う。
見事にやられた。絶対に私の心配なんてしてるはずがない。無様な私の姿を嘲笑いにきたんだ。
「なんだよ、事実だろ?」
「違います! 違くないけど、げ、下僕なんです、私」
「ソフィア、それもどうかと思うよ?」
真っ赤な顔をした私の、まさかの「私は下僕」発言に、エリーさんは苦笑いを浮かべた。
もうすでに私は下僕色に染まっていた。今では普通に「私は下僕」だと言えてしまうのだから。
「あ、エリーちょっといいか?」
「今なら平気よ。ソフィア、ちょっと席外すからよろしくね」
「はい、任せてください!」
私は胸を叩いてエリーさんを送り出した。
働き始めてから一週間、混雑時はあたふたするものの、お客様のまばらな時間帯なら、一人でもそれなりに接客できるようになっていたから。
その姿にアラン様は微笑んでくれる。どうやら、私を本当に心配で見にきてくれたらしい。
下僕を心配する主人がいるなんて、やっぱり本当は優しいのかもしれない。本当に、どっちなんだろう……
そしてアラン様はエリーさんを店の外へと連れ出した。
「ソフィアも、今のうちに少しゆっくり休みな」
「はい、ありがとうございます」
私はシャロンさんに、一杯のオレンジジュースを手渡された。
「美味しい! 働いた後の一杯が美味しいってこういうことを言うんですね!」
「ソフィアはよく知ってるね。働かざる者食うべからず、って言葉もあるんだよ」
「はい、孤児院でも『ご飯は働いてからだからね』っていつも言われて、で、しっかりお仕事をすると、とってもご飯が美味しく感じるし、なによりクロエ姉さんがいっぱい褒めてくれるんです」
私の話を聞いたシャロンさんは、少しだけ躊躇いがちに私に尋ねてきた。
「孤児院でのことを少し聞いてもいいかい? もちろん辛かったら無理しないでいいから」
「はい! もちろんです」
この時、私は自分の中で起きている変化に気が付いた。
孤児院での出来事を誰かに話せるということが嬉しかったことに。私の中で、孤児院での日々が、思い出に変わりつつあることに。
思い出したくない辛い思い出ではなく、陽だまりのような温かい思い出、いい意味で過去の思い出になっているということが、私には嬉しかった。
もちろん、全く苦しくないわけではない。今も、ふとあの辛い出来事は思い出す。けれど、みんなのことを思い出せるのは私だけだから。
思い出すのなら、幸せな日々の思い出を思い出したい。みんなの笑顔を思い浮かべながら、笑って話したい。
きっと、今の日々が、私を少しずつ変えてくれたのだろう。今、私の周りにいるみなさんのおかげだ。
「ソフィアは、親を恨んだりはしていないのかい?」
「親、ですか?」
意外な質問に私は首を傾げた。
どうしてそんなことを聞くのだろうかと不思議に思ったけれど、シャロンさんは少しだけ緊張した面持ちで私を見ていたから、深いことは聞かずに真剣に答えた。
「私の場合は、物心つく前から孤児院にいたので、実は両親の顔も覚えていないんです」
「それは、悪いことを聞いちまったね……」
シャロンさんの言葉に私は首を振り、言葉を続けた。
「でも、私にはお姉さん代わりで、お母さん代わりでもあるクロエ姉さんがいてくれたのでとっても幸せでした。あ! クロエ姉さんはとってもお母さんのことが大好きでしたよ。このペンダントもクロエ姉さんとお母さんの唯一の繋がりだと話してくれて、いつか、このペンダントがお母さんと繋いでくれるはずだって、とても大切にしていたんです。訳あって、最後に私に託してくれたんですけど」
「そう、かい」
「クロエ姉さん、はじめはサバサバして優しいところがエリーさんに似てるって思ったけど、シャロンさんの方が似てるかも。なんとなく、ですけど」
「ソフィア、教えてくれてありがとう」
「ふふ、こちらこそ話を聞いてくれてありがとうございます。私だけが、みんなを思い出すことができるから、シャロンさんに聞いてもらえて嬉しかったです」
私がそう言い終えたとき、シャロンさんは、泣いていた。
きっと、孤児院のあの惨劇について知っているから泣いてくれているんだろう。シャロンさんはとても優しい人だから。
「ソフィア、もう一度そのペンダントを見せてもらってもいいかい?」
「はい」
私はペンダントを外し、シャロンさんに手渡した。
そのペンダントを無言で、でも愛おしそうに見つめていたので、私は声をかけることはせず、早めに休憩を切り上げた。
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