第6話 陽だまりの日々に消えた初恋 -05-
「ソフィア、先生が呼んでる」
「え? イライジャ先生が?」
「いつもの部屋で、中に入って待ってなさいって」
夕方になり、突然テオにそう告げられた私は不思議に思った。
どうしてテオに伝言を?
テオとイライジャ先生の仲が険悪なのは知っている。それなのにテオに伝言を頼むなんて。
もしかして、また里親のことでテオが呼ばれたのかな? そのついでに私に伝言を?
一気に気分が憂鬱になる。本格的にテオの里親の話が進んでいるのだろうと思うと、涙が出そうになり咄嗟に俯いてしまう。
私の前からいなくなっちゃうなんて、そんなの嫌だよ……
そんな私をいつものようにテオが心配してくれようとする。
けれど、今日に限っては、私がテオを心配した。
「ねえ、テオ、その顔どうしたの?」
テオの頬は、一目見れば分かるほど朱く腫れていたから。痛々しくて見ていられないほど。
「ちょっと馬鹿やってぶつけたんだよ」
「ふふ、テオったら。よーし! メルの代わりに私が治してあげるよ!」
私はテオの腫れた頬に手を添えて、優しい魔法をかけた。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ〜」
それは、メル直伝の優しい魔法。
不思議と、本当に治ったんじゃないかって思うほど、手に温もりを感じた。
メルの小さな手に包まれた時のように、じんわりと熱を帯びたのは、きっと気のせいじゃない。
だって、メル直伝の優しい魔法だから。
私が魔法をかけ終わるのと同時に、テオは一気に私から顔を背けた。
「な、なんでテオったら顔を背けるの! こっちが恥ずかしくなるじゃない!!」
私は思わず叫んで誤魔化した。
5歳のメルがやれば可愛い魔法も、12歳の私では、顔を背けたくなるほど残念なものだったに違いない。
そう思ってしまったら、私まで一気に恥ずかしくなってしまって。
恥ずかしさのあまり、テオの顔を見ることなんてできない。もう無理。
早くこの場を立ち去りたくなった私は、素早く踵を返す。
「じゃあ、私は行くね」
「ソフィア!!」
逃げるようにこの場から立ち去ろうとした瞬間、テオが私の腕を掴んで呼び止めた。
「どうしたの?」
私はいつも通りのテオの姿に、なぜだか違和感を覚えた。
けれど、あまりのテオの真剣な、それでいて悲しそうな表情に意識を奪われ、その違和感の正体にたどり着くことができなかった。
「いや、なんでもない。はい、これ。内緒な」
そう言って、テオは紙に包まれた小さくて丸いものを私に手渡してくれた。
「……もしかして、飴玉?」
それを見た私は、飴玉とテオの顔を交互に見てしまう。
そんな私を見て、念を押すようにテオは強く私に告げる。
「あとで開けろよ。早く行け。また先生に怒られるぞ」
「ありがとう、テオ! 大好き!!」
私はポケットにその飴玉を入れて、いつもの応接室に向かった。
この孤児院で、飴玉のようなお菓子が手に入ることはほとんどなく、私も今までに一度だけしか食べたことがなかった。
甘くて溶ろけるような幸せな味。
思い出しただけで、とても幸せな気持ちになった。だからなのか、ありったけの笑顔を私はテオに向けた。
メルがいる時でない限り、絶対に言わなかった甘い言葉と一緒に。
そして、いつもの応接室に着いた私は、電気も付けずに手探りでクローゼットの中へと入った。
もう幾度となく入ったことのあるクローゼットだから、暗い状況でも慣れたものだった。
その中で今日も一人、音も立てず、声も出さず、イライジャ先生を待った。
そのうち、外側から鍵を閉められた。カチャンという音を奏でて。
それからも、ただひたすら待った。イライジャ先生が今度はお客様を連れてくるはずだから。
少しだけうとうとし始めたころ、物音がしたことに気付き、慌てて目の前の小さな穴を覗き込んだ。
明かりがついたおかげで、ようやく応接室の中が見えるようになっていた。
目の前にはイライジャ先生の姿があった。そして、その後を追うように、お客様が部屋に入ろうとしている。
よかった、これからみたい。
いつも通り、お祈りをするための準備をしようと思った。
そう思ったのに……
「!?」
目の前で、突然、イライジャ先生が刺された。
真っ赤な血飛沫が、私のいるクローゼットの方にまで飛んできたことまでは覚えている。
声と物音だけは、何があっても絶対に出してはいけないと、常日頃から言われていたから、何とかなった。
けれど、目の前で起きたあまりの惨劇に、私は祈ることさえできずに、目の前は暗転した。
私が目を覚ましたのは、あれからどれくらいの時間が経ったあとだろうか。
ご丁寧に部屋の電気は消されていて、何も分からないし、何も見ることができない。イライジャ先生の状況を確認しようにも叶わない。
それなのに、生臭い血の匂いが鼻につき、私の恐怖心を煽る。忽ち身体が震え出して、止まらなくなった。
こわい、誰か助けて。テオ、クロエ姉さん、みんな……
ふと、私はポケットに飴玉が入っていることを思い出し、飴玉を包み込むようにしてぎゅっと手を握った。
テオ……
少しだけ、身体の震えがおさまってくれた。
それから、さらにどれくらいの時間がたったのか。私にはもう、何も分からない。
夢なのか、現実なのかさえ何も……
私、死ぬのかな? みんなは無事なのかな?
そう思えているうちはまだ良かった。そのうち、死にたい、いっそのこと誰か殺して、と願うようになっていた。
涙はすでに枯れ果て、何も考える気力はない。いや、初めから泣くことなんて諦めていた。
頭がボーッとして、ついにもうだめか、と思っていた時、やけにざわざわとした騒ぎ声と金属の擦れる音が、音のなかった私の世界に響き始めた。
それでも、私の頭の中は変わらずにボーッとしていて、考える気力はない。静かに、ただ静かに、クローゼットの中で、ひたすら待った。
外の世界は、今も騒がしい。
「もう、死なせて……」
気が付いたらそう呟いていた。たった一言、私はクローゼットの中で初めて呟いた。
その声は誰にも聞こえないほど、蚊の鳴くような小さな声だったのに。
すると、カチャカチャという音がなり、カチャンという音とともにクローゼットの扉が、勢いよく開いた。
「……ざけんなっ、そんなに死にてぇんなら、一度だけ、俺のために生きてみろっ。それでも死ぬっつうなら、その時は、俺が……俺が殺してやるっ……だから、生きろっ」
目の前で必死に叫ぶ彼の言葉が、私の心に響く。その声に導かれるように、私は手を伸ばしていた。
力なく閉じていた私の瞳には、彼の顔さえも映っていなかったというのに。
どうせ死ぬのなら、誰の役にも立っていなかった自分が、最後に誰かのために生きる。それもいいかもしれない。
そう思ってしまったから。
それが、全く知らない人であっても、私を見つけてくれた彼のために、生きてみよう。
不思議と、そう思えたから。
----はい
音にならない声で紡いだ二文字に、優しく応えるかのように、彼は私の小さな手を強く握り返した。
そして、一気に眩い光の世界へと導く。
まだ見たことのない、希望に満ち溢れた色とりどりの世界に。踏み入れることなど、決して許されないと諦めていた世界に。
これから私が生きることを許された世界を見たくなってしまったのかもしれない。期待をしてしまったのかもしれない。
だから、瞳を開けてしまった。
一瞬だけ私の瞳に映った残酷なまでの緋色が瞼の裏に焼きついて、それはすぐに悲鳴へと変わる。
あの夜の惨劇--目の前にあった現実は残酷だった。それなのに、私の手が掴んでいる現実は優しくて。
立つことすらままならない私を受け止めてくれたのは、鎧に包まれた大きな体躯と場違いなほどに優しく漂うラベンダーの香りだった。
その優しさに包まれた瞬間、私の小さな手からぽろりと飴玉が零れ落ち、私は一瞬にして意識を手放していた。
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