第5話 陽だまりの日々に消えた初恋 -04-
陽だまりのような女の子は、もうここにはいない。
「ソフィア、また暗い顔して。それじゃメルに笑われちゃうぞ」
「テオ……」
私は今日もまた、いつもテオと決闘をしている裏庭にいる。
でも、ここにメルの姿は見当たらない。いつもメルが座っていた場所に視線を送っても、可愛い私たちの妹の姿は、もうここにはない。どんよりと心が沈む。
「大丈夫だって、メルは可愛いからどこでだって生きていける。ソフィアよりもしっかりしていたし」
「そうだよね……」
あれ? 5歳児と比べられる私。しかも5歳児の方がしっかりしているとか言われちゃうのはおかしくないか? うん、絶対におかしいよね。
「もうっ! そんなわけないでしょ!!」
「ごめん、ごめん。でも少しは元気が出ただろ?」
思わず怒ってしまった私に、テオはいつも以上に優しく微笑んでくれる。心配してくれていることがよく分かった。
だから、少しだけ甘えてしまう。
「みんな、私より後にここにきて、そして先に出て行っちゃうんだもん。みんな幸せかなぁ? テオもきっとすぐに出て行っちゃうんだよね?」
私が何気なくそう尋ねると、テオは少しだけ黙り、ぐっと奥歯を噛み締めてから、言い辛そうに口を開いた。
「俺のことは、絶対に誰も迎えには来ない。ソフィア、俺……」
「ソフィアそこにいる? ちょっと来て!」
テオの言葉を遮るように、孤児院の部屋の中から、私を呼ぶクロエ姉さんの声が裏庭に響いた。
「あ、クロエ姉さんだ。えっと、テオ、今言いかけたこと……?」
「俺の方は後で大丈夫だよ。行ってきな。クロエ姉さんを待たせると怒られるぞ」
「わわっ、そうだ、行ってきます」
テオに急かされて、私はクロエ姉さんのところへと慌てて走って向かった。
けれど、テオのことがやっぱり気になって、最後にチラリと後ろを振り返れば……
「イライジャ先生がテオに? 珍しいな」
イライジャ先生がテオに話しかけていた。
先生が孤児院の子供に話しかけることは、本来普通のことだろうけれど、テオの場合に限っては少しだけ違うと私は認識していた。
テオはイライジャ先生のことを、時々すごく冷たい目で見ることがあったから。
それは、テオのことをよく見ていないと気付かないくらい、ごく僅かな時間だけれど。
それはイライジャ先生も同じで、だから特段の要件がない限り、二人が言葉を交わすことはほとんどなかった。
「もしかして、次はテオに里親が……?」
ふと、そんなことが私の頭をよぎり、不安と淋しさで心が埋め尽くされてしまう。
本当は喜んであげるべきだということは頭では分かっている。けれど、どうしても喜べる気がしなかった。
テオまでいなくなったら私、……たぶん、生きていけない。
そんな思いを振り払うかのように、夢中で走った私は、いつの間にかクロエ姉さんのいる部屋に着いていた。
「クロエ姉さん、どうしたの?」
「あ、ソフィア、実はね、ソフィアに渡したいものがあってね、はい」
クロエ姉さんが私に差し出したもの、それはクロエ姉さんがずっと大切に身に付けていたペンダントだった。
「でも、これって、クロエ姉さんの大切なペンダントでしょ? そんな大切なものを受け取れないよ」
クロエ姉さんと、クロエ姉さんのお母さんを繋ぐ、たった一つのペンダントだと、以前クロエ姉さん本人から聞いていた。
クロエ姉さんは、7歳の時にこの孤児院に来た。突然、お義父さんに孤児院の前に置き去りにされたのだとか。
酷い話だけれど、よくあることだったりもする。けれど、殺されなかっただけマシだと、クロエ姉さんは笑う。
当時の先生は、クロエ姉さんのことを孤児院で引き取るか悩んだみたい。
それは、少しだけ褐色の帯びた肌が異国の血が混ざっていることを示していたから。
けれど、イヤイヤ期真っ只中の私が、一瞬にしてクロエ姉さんに懐いたらしい。正直言って、あまり覚えてはいないのだけれど。
だから、その時からすでに、私にとってクロエ姉さんが姉であり、母のような存在になっていた。
とても優しくて、本気で怒ってくれる。冗談抜きで、本当に怖いから、メルはいつも私の後ろに隠れていた。今では良い思い出。
料理も上手で、いつもクロエ姉さんに教わっていた。一番の得意料理を教えてくれるって約束もした。ただ、いつになるかは分からない。孤児院ではその材料が手に入らないらしいから。
「大切なペンダントだから、ソフィアに持っていて欲しいの。私ね、とうとう貰い手が見つかったの。もうこんな歳だから、里親ではなく貴族様の妾なんだけど」
「妾?」
クロエ姉さんは、曖昧な表情でこくりと頷いた。
「この前その方にお会いした時に、持ち物は全て孤児院に置いていけって言われたの。もし、持っていって見つかってしまったら、きっと捨てられてしまうわ。このペンダントは宝物なの。これを持っていれば、いつかきっと、お母さんに会えると思っていたから。だから、孤児院で一番大切な家族だったソフィアに持っていて欲しいの」
クロエ姉さんは奥様に先立たれて、子供たちの手も離れた50歳過ぎの隠居した貴族様の妾となるという。
家督も既に子供に継がせ、いざ余生となった時に、若くてきれいな、そして珍しい、後腐れのない伴侶が欲しい、と孤児院いるクロエ姉さんに目をつけたみたい。
曖昧に微笑むしかない。たとえ嫌だとしても、私たちには選択肢などないのだから。
「クロエ姉さん……」
「大丈夫だって! もう相手はおじいちゃんだから、死んだら遺産だってもらってやるんだから! そしたら今度は私がソフィアを迎えにきてあげるわ。それまで預かっててくれる?」
クロエ姉さんは、少しも不安な様子を見せようとせず、私の手の中にペンダントを握らせてくれた。
とても軽いはずなのに、ずしりとその重みが私の手にのし掛かる。同時に、クロエ姉さんがこれから先もずっと私のことを見守っていてくれる気がした。
「……うん、分かった」
「よしよし」
私がメルにしていたように、私の頭を優しく撫でてくれた。私の頭を撫でてくれるのは、孤児院ではクロエ姉さんとテオだけ。
もうすぐ私の頭を撫でてくれる人は誰もいなくなってしまうかもしれない。
「メルに続いてクロエ姉さんまでいなくなっちゃうなんて、私は本当に淋しいよ。私だけはきっと死ぬまでこの孤児院にいるんだろうな」
「ふふ、だから私が迎えに来てあげるってば!」
「うん、絶対に約束だよ! 絶対にだからね!!」
「ええ、一緒にお料理するんだものね。私の得意料理のプリン」
「……覚えててくれてるんだ」
「当たり前じゃない!」
「クロエ姉さん、大好き!!」
「ふふ、私もよ」
その時から、私の胸元にはクロエ姉さんのペンダントが飾られた。明るい未来の約束とともに。
永遠に叶うことのない約束とともに。
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